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三十六話 的

 

「まぢやがれや”ァァァァーーーーッ!」


「ひぃぃぃぃッ!」


 今まで、これほどまでに全力を出して走った事があっただろうか。心臓の鼓動が早まり、足の筋が軋む感覚がする。肺の膨らみが最大限まで引き延ばされ、直後急速に縮む。それらの明らかな過剰生理現象が必要に繰り返される中、それでも僕の足は止まらない。

 鼻と口の両方で呼吸し、苦しさを無理矢理押し込める僕の顔は今、とんでもない事になっている事だろう。普段の僕なら早々に足を止め一息ついている所だ。

 そんな僕を今支えているのは、絶対に諦めないと言う不屈の闘志。煮えたぎる感情。何人たりとも触れる事の許されない大事な物――――


「”財布”返せァァァァァーーーーッ!」


「しつけ……なんちゅう顔してんだアイツ!」


「ゆーーーきぃーーーーちぃーーーー!」


『落ち着け! お前の財布に諭吉はおらん!』


 もはや千円札と万札の区別もつかないくらい湯だった僕の思考は、ただ一つ。”財布を取り戻す”ただのそれだけである。人は目標を与えるとそこに向かって全力を尽くし始めると、うちのクラスの熱血担任が言っていた。

 あの時はロクすっぽ聞いてなかった。ただ宿題を出すための方便と思っていたからだ。

 だが大人の言う事は聞いておくものだ。その言葉の意味が今、頭ではなく心で理解できた。そんな気がしたのだ。


「ゼッ! ゼッ! ゼッ……――――!」


「くそっ!」


『あ! あのガキ、路地裏に入りよったで!』


「この……フルブレーキング”L”ターァーーーン!」


 限界突破の扉が開く音がする。今僕のレベルは一時的に100を超えている事だろう。普段ダラけ、怠けきっているのはここぞと言う場面でのみ、力を振るうと過去に誓った――――わけではないが、そう思い込む事でまだ粘れる気力がフツフツと沸いて出る。

 今の僕はちょっと、ほんのちょっとだけ主人公っぽい。やや中二な側面を持つ僕は、その事実だけで意地が底上げされるのだ。

 しかし相手もただの敵ではない。相手は帝都の住人、勝手知ったる異界のガキ。奴は路地裏に入る事で地の利を最大限に生かすと言う戦法を取ってきたのだ。

 その効果は僕にとって絶大であり、入り組んだ狭い路地裏をそんな速度で駆けまわられては、僕とガキンチョの差は開く一方だ。


「へっへ~ん、バーカ」


『ど、どうするねん!? このままじゃ逃げられるで!』


「野郎! そっちが地の利を生かすなら――――」


 そっちが地の利を生かすなら――――こっちは”水の利”を生かす。悪ガキめ、相手が悪かったな。

 僕はただの中二ではない。本物の魔女からお墨付きをもらった、数少ない希少職”精霊使い”なのだ


「水玉ァ!」


「――――コポッ!」


「いぃ!?」


 ガキはこちらを振り返り、明らかに動揺した顔を見せた。簡単に振り切れると思ったどんくさそうな奴が、何故か路地裏で竜巻のような水流を繰り出しているのだ。

 「そんなのありかよ!」とガキの悲痛な言葉が耳に届く。ありなんだよ、アホが。利があるのはお前だけじゃない。仕掛けるならパワー勝負にすべきだったな。スピード勝負ならこちらもいくらか経験がある。


「実績アリだ――――【水蛇】!」


「ブッ!」


 水流がズリュズリュとうねりを上げ天高く舞い上がる。その高度は住宅地程度の屋根なら軽く超えるくらいまでに。

 いくらこのガキがすばしっこくてももう関係ない。走ればいつかは体力が切れ、直に速度は落ちていく。しかしこちらに体力切れという文字はない。水流に身を任せ、ただ流されるだけで何もしんどくはないのだから。

 これで、ガキの地の利を生かした戦法は潰えた。何故なら今、このガキには見れない、俯瞰からの視点が僕にはあるからだ。


『おおお~~~! お前、”っぽい”わ! 今最高に”っぽい”わ!』


「財布返せェェェェ……」


「ひぃぃッ!」


「財布……返せェェェ!!」


――――ズッ 天からガキの位置を細くした僕は、スマホの画面に表示された”地図”により的確に目標の位置を捕える。

 路地裏だろうが狭い道だろうがもう関係ない。航空レーダーよろしく電子と精霊による俯瞰視点には、どんな迷路も無意味な長物と化すのだ。

 ガキは大慌てで逃げている様子が、この位置からでも手に取るように分かる。しかし無駄だ。後はダーツの要領。狙いを定め腕を引き、軌道を何回かシュミレートした後、一気に――――


「くらぇぇぇぇぇえええ――――ッ!」


「おぁぁぁぁーーーーッ!」



――――ヒュッ



『あっ』


「ッ!?」


 ガキの位置が、”急にずれた”。完璧に捉えたと思った目標が、着弾直前”何かに引っ張られる”ように。

 不意にずれた目標。誤差修正は不可能。賽はすでに投げられた。突如変更となった着弾位置は、ガキがいた位置のすぐ後ろ――――



「ノッダァァァァーーーーッ!」



――――壁。



……

 


『おーい、大丈夫かぁ~……?』


「お、おお……」


 ガラガラと壁の破片が崩れる音が耳元で鳴っている。ふと目を開けると、天と地が逆さになった視点が僕の目に広がる。一瞬の視界に頭が混乱する。何かの拍子に物理法則が逆転したのかと。

 だが、当然そんなわけはなくすぐ今の状況に気づく事になる。暫く硬直していると、頭上から靴が一つポトりと落ちてきた。そう、逆さになっているのは僕の方だった。


「……」


『まぁ、とりあえず起きぃよ』


 ターゲット捕捉。そしてダーツの要領で人間大砲の如くこの身自信を針と変え、そのまま勢いに任せとっ捕まえる――――予定だった。

 狙いは完璧だった。目測ではなくスマホの地図を用いた、確かな計算による一投。だが気づかなかった。このダーツは”イカサマ”だった事を。


「あらぁ、すげ。壁が割れちまってら」


 的が、投げた直後に移動する。それはもはやダーツではない。今僕の目の前には、さっきまで的だったガキが唖然とした表情でこちらを見ている。

 そしてその後ろ。ガキンチョの背中の裾を猫みたいに鷲掴みにする青髪の男――――


「わ、若様……」


「コラ! 人の物を盗んじゃダメだって前にも言ったろ!」


(お前……かよ……)


『先回り……されてたんか』


 ガキの地の利に対して僕が出した水の利は、結論から言うと全く意味がなかった。何故ならすぐ横に、もう一人地の利を持っている奴がいたからだ。

 同じ条件なら所詮大人と子供。当然、体力面はこっちが上に決まっている。ましてや、なんでもかんでも持っている天に愛されしこの男なら――――


『おいしい所とられたな』


「おかげで脳天クラッシュ寸前だったよ……クソが!」


 壁に勢いよく頭から直撃した僕が、こうして少々痛がる程度で済んでいるのは、とっさの変化に水玉が機転を利かせてくれたからに他ならない。

 水流がクッションとなり、盛大なバストを防いでくれた。おかげで一命は取り留めた。しかし何分急な事だった為、急激な水流が僕の髪質を”変化”させると言う悲劇を招いてしまった。


『ツンッツンになってるな』


「ジェルかよ……」


「コポォ……」


『まぁええやんけ。その程度で済んだんやから』


『また一歩魔導士っぽくなったな』


(それはもう忘れろよ)


 髪が覚醒した下級戦士みたいになってしまったが、まぁ乾かしてクシでも通せば元に戻るだろう。こちらのダメージは所詮その程度。

 だが、こっちはそうも行かない。これからガキのお仕置きタイムなわけだが、先に言っておこう。

 今から僕は「凄惨で無慈悲な悪ガキの末路」を目撃する事になる――――


「ったくよ~、金が欲しけりゃ自分で働いて稼げって、前にも言ったろ!」


「うう……」


『前にも……あったんか?』


「顔見知りっぽいな」


 若様とガキはどうやら顔見知りのようだ。彼の口ぶりから、ガキはひったくりの常習犯。この辺で有名な悪ガキと推測できる。そして前にも似たような事をしてとっ捕まり、今と同じくこの若様から、それはそれはキツ~イお説教をかまされたらしい。

 その時半ば脅迫めいた警告をかけたようだが、こうしてまた繰り返すガキを見るに、残念ながらその言葉は届かなかったようだ。


「次同じ事したら、痛い目に合すっつったよな?」


「……違う! 違うよ若様!」


「これは盗んだんじゃないやい! これは、元々”僕の”だ!」


「……はぁ!?」


 ガキは苦し紛れから、とんでもない事を言い出した。どんな言い訳をするのかと思えば「自分は盗んでいない。これは元から持っていた物だ」と主張するのだ。

 当然、そんな主張が通るわけはない。その辺は所詮ガキ。スリの手際はともかくとして、こいつは犯罪を犯す上で最も大事な事。”捕まってしまった後の事”を考えてなかったのだ。


『謝罪のプロフェッショナルの意見が聞きたいわ』


「最もやってはいけない”悪手”の一言ですね。目撃者多数。この状況、当の本人がいる中でその主張は逆効果です」


「これは自分のだ。そんな事は調べればすぐわかる話で、持ち主にしかわからない事を二、三個程言ってやれば所有権がどちらにあるかは明白でしょう」


『では先生、どうすればいいんです?』


「優先して考えるべきは罪を”逃れる事”ではなく、罪を”軽くする”事です。この場面でもはや言い逃れは不可能」


「なればこそ、行うべきはこちらの怒りを削ぐような動機付けが最も一般的な手法です」


「友人や家族が怪我した病気した。誕生日プレゼントを買ってやりたかった等、あくまで”他人の為”との主張が相手の同情を誘う事ができ、最も効果的です」


『でも先生、この子の場合』


「持ち主を目の前にして所有権を訴える行為は、さらに怒りを買うだけです。先ほども言いましたがそんなものは調べればすぐわかる事」


「相手の立場を考えず自分の都合しか考えない主張。これは謝罪道における四大タブーの一つに当たります」


「ここまでで何か質問は」


『めっちゃ説得力あるわ……』


「だとよ、泥棒くん」


「ぐぬぬ……」


 ガキの苦し紛れの顔がさらに強張っていく。この正論の嵐、精神的ダメージが着々と溜まっている頃合いだ。

 まぁ、僕として財布が帰ってくればそれでイイわけで、憎き泥棒にここまで屈辱を味合せればそれで十分だった――――のだが、この”若様”はそうもいかないらしい。


「こりゃぁ……きつ~い”お仕置き”が必要のようだな?」


「 い ぃ ! ? 」


 そう言って若様が一歩前へと進み、腰に手を当てた後、同じ手を斜め前に”引き抜いた”

 若様の手にはギラリと光る”刃物”が一本、力強く持たれている。光を反射する程磨かれた刃物、包丁よりもよく切れそうな刃先、その刀身にはポッカリ空いた六つの穴。

 これは先ほど見せてもらった、若様自慢の”剣”――――


(り、六門剣りくもんけん――――!)


『おい! たたっ斬るつもりか!?』


「あ、あわわわわ」


「へっへっへ……」


 若様の顔が邪悪に歪んでいくのがわかる。まるで剣を振るう機会を待ってましたと言わんばかりに。その顔はもはやお仕置きの域を超え、理由を付けて剣を振るいたいだけのシリアルキラーのそれに近い。

 天に恵まれ、金も地位も実力も持った人間は、何でも手に入るが故に人命すら軽んじてしまう物なのか。ガキの顔が怯えきっているのが手に取るようにわかる。

 しかし若様はザッザとまた一歩ガキへ向けて歩を進める。その手に持った”六門剣”と共に。


「ちょちょちょ、何も殺す事!」


「覚悟は……できたか?」


「あわ、あわわわわ!」


『アカーーーーン! あの兄さん、マジや! マジでやってまう気や!』


「……祈れ!」


「 う わ ぁ ぁ ぁ ぁ ー ー ー ー ッ ! 」


 とっさに、思わず目を閉じてしまう。明治維新じゃあるまいし、このご時世に子供が真っ二つに割れるグロい姿等見たいはずもない。



――――コツン



 瞼の裏から幾ばくかの静寂が流れてきた。ガキの悲鳴は聞こえない。死体が倒れる音もない。というか”何の音もしない”

 なんとなく、不自然な感じがした。人が斬られる殺気……と言うよりも、浴び慣れた”お仕置きオーラ”が辺りに充満している。

 ふいに瞼を開いてみた。目の前に広がる光景は、静寂の闇から一辺。剣の刃先がキラリと輝く”選択の光”が目の奥に届いた。


「なに……これ」


『峰討ち……か?』


 ガキの頭上には、六門剣の刀身の裏の方。つまり”峰”に相当する部分が乗せられている。峰討ち……と言うより、単に刀身を頭に”置いた”と言う表現が近い。

 一見するとげんこつよりも優しいこづきにしか見えない光景だが、今行われている光景は立派な”お仕置き”だと判明するのは、瞼を開いてすぐの事だった――――


「いででででで! いだい! 若様、いだぁーい!」


「ほーれほれほれー。はやく白状しないとどうなっても知らねーぞー」


 峰を頭上に置かれたガキが、何故か異様に悶絶している。苦悶に満ちた表情はまるで関節技でも決められたような痛がり方だ。

 ガキは今かなりの痛みを味わっているのだろう、痛みに耐え兼ねジタバタともがいている。しかしにも拘らず刀身は、磁石でも付いているかのようにガキの頭上にピタリとくっつき離れない。


「財布を盗む悪い子……だーれだ?」


「ごめんなざぁぁぁぁい! もうじまぜぇぇぇぇぇん!」


(なんだこれ……)


 ガキは、ついに白状した。濁音混じりの「ごめんなさい」その言葉と同時にガキの頭上から峰が離れる。

 よっぽど痛かったのだろう。ガキはそのまま目の前に倒れてしまった。一体何がどうなっているのかさっぱりわからない……わからないのだが、その意味不明なお仕置きを教えてくれたのは他でもない、今地面に倒れ込んでいるこのガキンチョ本人であった。


「お、おおお……」


「はい、よく言えましたっ」


(ウッ――――!)


 子供にこんな仕打ち、むごい。むごすぎる。さっきまで峰が乗っかっていたガキの頭。そこに刀身の形がキレイに沿うように、パックリと割られていたのだ。――――髪の毛が。


「ナハハハハ、また生えてくるまでしばらく我慢だな」


「お~わ~……」


『この歳で落ち武者ヘアーかいな……たまらんな』


「これ聖書で見た事ある」


『それモーセやんけ』


 ガキはこの歳で、髪の毛が盛大に”禿げ”上がるハメになってしまった。刀身の形そのまんまに割られ、地肌が一直線に見える頭頂部はまさにモーセの海割りと呼ぶにふさわしい。

 やけに痛がっているなと思ったら、髪の毛を引っこ抜かれていたのか……そりゃ痛いはずだ。

 しかしよかった。この子がもし無駄に意固地で、罪を認めるのが後一歩遅ければ、きっとモーセを飛び越えそのままザビエルになってしまっていただろうから。


「もう二度と悪さすんじゃねーぞぉ? またやったら今度は……」


「つるぴかハゲ丸くんの刑だからな!」


「も、もうじばぜ~ん……」


『最高のお灸やな』


(トラウマもんだろ)


 禿げた頭をちらつかせるガキを見て、どこか自分と重なって見えた。髪が生えそろうまで坊主頭にするのか、それともそのままの状態で待つのか。このガキがどちらを選ぶのかは知らないが、自分の行いは自分に帰ってくると言う事。”因果相応”その言葉の意味は僕もよーく知っている。

 成ればこそ、このガキに是非伝えたい。僕が今までの人生で培った、人生における大事な事。こんな目に合わない為の、洗練された技術――――


「ばれたら即土下座、覚えとけ」


「……?」


『ちゃうやろ』


 そして若様がガキの懐を漁ると、見慣れた財布が出てきた。無事財布を取り戻した僕は無意識に中身を確認する。千円札が二枚に小銭が少々……我ながら寂しい財布だ。

 そしてそのしょぼい財布をとてつもないリスクを背負って盗んだガキは、手つきは良くてもセンスはないらしい。ガキは自分のだと主張する事でこの場を逃れるつもりだったらしいが、それはどっちにしろ無駄な事。

 この財布の中には、帝都に置いてなんの足しにもならない、チョビヒゲの男の顔写真しか入っていないのだから。


「ごめん、言うの忘れてたわ。この辺はこういう奴らが多くてなぁ」


「と、言うと」


「【貧民区】っつってな……まぁ、この手の手合いがわんさかいる地域なんだわ」


「【貧民区】……?」


 【貧民区】この辺り一帯はそう呼ばれているらしい。開発区に隣接する、比較的治安の悪い地域。

 正式には帝都の区域には分類されず、その名の通り貧しい者が開発途上当時の開発区にかこつけて、無断で住み着き始めたのがキッカケらしい。

 そして無断で住み着き始めた貧民は、帝都の栄えた街並みの下で、足らない稼ぎをこのスリのような”犯罪”と呼ばれる物で補っているのだと、若様は言う。


「で、誰が言い出したか知らないけど貧民区って呼ばれるようになったわけよ」


『うーん、スラム街みたいなもんか』


「スラム街……」


 表ある物は必ず裏がある。その事がを体現するかのように、栄えているとは言えない街並みが広がっている。

 ガキを追いかけるのに夢中で気づかなかった。今いるこの場所は、どうやらその貧民区のど真ん中のようだ。

 さっきまで至る所にあった煌びやかで高い建物がすっかり鳴りを潜め、あるのは無理に密集された、一軒家を無理矢理継ぎ足したような小さな建物の数々。下を見ると道は舗装されておらず、所々ひび割れが目立ち、変なシミのような物がしたたっている。

 そしてこれほどまでの騒動をしでかしたにも拘らず人影はまるでない。区と呼ばれるくらいだから当然この貧民区にも住人はいるだろう。しかしどうにも、人気の感じられないゴーストタウンのような、灰色がかった感覚がするのは一体何故なのだろう。


「いるよ。多分どっかから見てんだろ」


「えっどこ?」


「ハハ、そう簡単に姿見せねーよ。ここの連中にとっちゃぁ厄介事は関わらないのが長く生きるコツだからな」


『なーんか、長居は無用な感じやな』


 物陰から見ている――――そう言われると、なんとなく無数の視線を感じるような気がしてきた。

 無理に密集した建物。ボロイ地面。人気は無く、しかし視線だけがそこにある。そして僕らの他に唯一いるのは、禿げ上がったガキが一人……

 スマホの言う通り、長居は無用な区域のようだ。この手の地区は、何も知らぬ観光客が面白半分で立ち入ってはひどい目に合って帰ってくると言うのが、こちらの世界でも定説なのだ。


「なんか……急に怖くなってきた!」


『兄さん、もうええでっしゃろ? 財布も帰って来た事やし、もう帰りましょうや』


「そうしたいのは山々なんだけどなー……」


「多分、それは無理」


 無理と言う言葉に多分が付く。それによってまるで意味がわからん言葉になっているのだが、この状況から一つだけわかる事がある。

 多分。イヤ、絶対に”よくない事”が今僕らに降りかかろうとしているのだろうと言う事を。


「泥棒くん、お前”どこの”奴だっけ」


「うぐ……”親分”の……トコ……」


「あー……あの大将の……」


「何? 状況がわかんないんだけど」


「うん、わりぃんだけど、やっぱこのまま帰るってわけにはいかねーみたい」


『なんでですのん』


「俺ら今”囲まれてる”から」


「――――ええっ!?」


 もう、それは案の定な事態だった。スラム街と言う物は大抵、スリやひったくりなどの犯罪が日常的に行われているのが定説である。

 それはこのガキを見るに、この帝都でも例外ではないのだろう。工業や電子機器など妙に似通った部分がある帝都だからこそ、こういう部分も似るのだろうな……願わくば、そこだけは似ないでいて欲しかったのだが。


「ここの連中は土地柄、外部の人間にはキツくてな……」


「特に、外部の人間に”身内”がやられた場合。相手を”絶対に”無事に帰さない」


「ちょっと待って! この子痛めつけたのはアンタじゃん!?」


『わいらなんもやってまへんで!?』


「どーやら、連中はそう思ってはいないようだな」


『んな理不尽な……あっ』


『もしかして……こいつ?』


「なんだよお前まで!?」


「精霊魔法、すげかったな」


(まさか……)


 貧民区の住人は身内を傷付けられたら報復してくる。その身内はこの禿げ上がったガキ。そしてガキをこんな目に合せた張本人はこの若様。

 しかしガキが”この場所で”倒れ伏せている原因を作ったのは、もう一人いる――――



(くらぇぇぇぇぇえええ――――ッ!)


(おぁぁぁぁーーーーッ!)



『傍から見たら、こいつが殺す気で追いかけまわしてた風にしか見えへんって事?』


「せーかい! しかも魔法による攻撃もセットでな」


『思いっきり”食らえ!”って言ってたな』


「ちょちょちょ、ちょっと待ってよ! それはこのガキが僕の財布を盗んだからで――――」


 その時、どこかから”ガシャン”と何かが割れる音がした。それは何かが落ちたような音ではなく、明らかに人為的に、力任せに物に”八つ当たり”するかのように。

 情けない事にその音にビビって「ひぐぅ」と声を上げてしまった。先の情報から、その音は囲まれている事を証明しているようだったから――――


「どどど、どーすりゃいいんすかぁ~……」


「親分とこ言って……事情を説明するしかねえ」


「親分は”筋”を重んじる人だから、こっちに非がないってわかれば解放してもらえるさ」


「事情を理解してもらえなかったら……?」


「まぁ……言わすなよ、そこは」


「ひぐう……」


 ため息をつきうなだれる僕に、スマホが「小指一本で済むはず」と意味不明な励ましをしてくる。それはスワイプと掛けたシャレのつもりだろうか。

 親分、小指、筋と三つのワードが揃えば、もうそれは完全にヤの字が付くあの人達の事で、そしてあの手の人達にはこちらの理屈、一般的な常識は通じないのは明白である。

 僕が今唯一希望を見いだせるのは、このガキがウソをつかずキチンとありのままを説明する事だけ。しかしこのガキは我が身かわいさに、海割れ頭にされるまで自分の非を認めなかったとびきりのクソガキ。状況は五分五分と言った所だろう。


「これは……所謂……」


――――不条理にも程がある。この手の連中は関わらない事を祈って日々を過ごしていたのに、まさかこっちの世界で、しかもどう考えても僕は何も悪くないのに……

 むしろ財布やるから解放してほしいくらいなのだが、それは叶わないんだろうな。だって、財布の中にはチョビヒゲの顔写真しか入っていないのだから。

 溢れる恐怖を抑える為、脳内でヤの人をギャグ漫画チックに再現する。そうする事で恐怖が幾ばくか抑えられる。

 この作戦で乗り切ろうと目論んだ計画は、同じく僕の身内によって脆くも崩れ去る事になる。



『ヤクザやな』



(言うなってェ――――!)




                            つづく


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