戌
『江浦くん、今日は本当にありがとう』
「えっちょっ、ええ!?」
寝付こうとした矢先のメッセージ。しかも相手は芽衣子から。
しかもしかもなんと、その内容は、芽衣子が僕に向けて「感謝」の気持ちを述べているのだ。
そのメッセージはやはり、どこからどうみても「ありがとう」と書かれているようにしか見えない
この展開はさすがに予想外だった……おかげで、完全に目が覚めてしまったじゃないか。
「どどどどうしよう! まじか!?」
芽衣子は律儀にも、僕にお礼を言いに来たのだ。
今日の一件、確かに僕は芽衣子を助ける為に駆けつけた。
のだが、にしても、なんて真面目な……わざわざその日の内に礼を言うだなんて。
そんなの明日でよかったのに。僕がその立場なら、絶対後回しにしてるのに。
こういう僕にはないマメな所が、人気の秘訣……なのか?
「ヤベエ……既読ついちゃった……」
ただ問題は、僕は芽衣子……というより、女子とラインのやり取りをした事がないと言う事だ。
故にこういう時、なんて返せばいいのかが皆目見当がつかない。
これが男子ならしょうもない下ネタやスタンプ爆撃で凌げるのだが、さすがに女子にそれはまずいだろう。
しかも、こんなお礼メッセに対して。
「ぬぬぬぬぬ……」
しかしもう、スルーする事はできない。
既読無視は罰金100万以下と言うコラ画像が出回っている昨今。
世の中学生に取っては、返事を返さないと言う行為は最大のタブーなのだ。
「何でもいい」から返す事。
どんなに煩わしくても、「返事をしない奴」と烙印を押されれば、それこそ僕の青春は終わったも同然なのだ――――
「ええい! ままよ――――!」
――――だから、「何でもいい」から送った。
『どういたしまして』
(……そっけねえ……)
……我ながらなんと捻りのない返事だろう。
文面から「面白くない奴オーラ」がひしひしと伝わってくるのが、自分でわかってしまうのが実に悲しい。
しかしどうか許してほしい。ついでに、願わくば感じ取ってほしい
その一言を考えるのに、僕がどれだけテンパっていたかを。
(ピロリーン)
「返事はやっ」
そんな僕のテンパリを知ってか知らずか、芽衣子の返信は実に速かった。
これがコミュニケーション能力の差って奴なのだろうか。
こんな短時間で――――こんな”長文”を送るだなんて、僕には不可能だ。
『江浦くん、本当にごめんなさい。まさか助けがくるなんて思わなかったの
江浦くんを巻き込んでしまった以上、江浦君には話とかないといけない』
「……んあ?」
『私はもう学校へはいけない。私はもうそっちへは行けない。私はもう、戻る事はできない』
「……?」
芽衣子の返信は、速度もさることながら実に「一方的」だった。
こちらの返事を待たずして次から次へと送られる怒涛のメッセージ。
しかもこれは、どっちかと言うとメールみたいな……ラインにしては結構な長文。
これらを全部読もうにも、この次々と寄せられる長文に対して。
当然、僕の目が追いつけるはずがなかったのだ。
(ピロリーン)
「はええよ!」
――――そんなこっちの都合も知らず、メッセージは引き続き送り付けられてきた。
『私は名前を知られた。だから戻れなくなる。それに、おそらく何も覚えていないだろう』
だから、今のうちに伝えなければならない。君が巻き込まれないように』
「だから……ちょっと待てっつーに」
『あの時いた仮面。あれはあっちの世界でモノクロって呼ばれている存在
あいつの目的は人の名前を奪う事 モノクロに名前を奪われた人間は誰からも忘れられてしまう
私は奪われてしまった だから私は存在しなかった事になってしまう
だからもうすぐ私の存在はなかった事になる だからもうじき何もかもを忘れてしまう』
「いや……ちょ」
『名前を奪われ 存在できなくなった者は あっちの世界に無理やり連れていかれる
その為に モノクロは 近々もう一度 キミの元へとやってくる。
それはキミの名前を 聞き出す為に
だから モノクロに名前を教えてはダメ ぜったいにダメ
キミまで 巻き込むわけ にはいかない』
「…………」
『モノクロは元 々あっちの世界の住人でこちらに気概は加 えられない。
だからもし出くわしても 無視し ろ
しばらくつ きまとったりしてくるかもしれないけど なまえを奪えないと
わかった ら モノクロは 諦め て去っていく』
『ちょっと待てェ!!!!』
――――思わず、途中送信してしまった。
無論全て読んだ上での返事じゃない。というより、読み切れるわけがない。
この激しすぎる更新数は、僕の……だけじゃない。
おそらく全人類の限界許容量を、遥かに超えてしまっている事だろう。
「速すぎ……なんだよ……」
長ったらしい長文をひたすら送られては、相手が以下に芽衣子だろうとさすがに持たない。
業者のスパムみたいな爆速送信。しかも文章は支離滅裂で意味不明。
頼むからせめて「読む時間」をいただきたいと思う、夜の一時なのだが――――
(ピロリーン)
「また……」
どうやらこのメッセージ、全てを伝えるまで止まるつもりはないらしい。
もしかしてこれは、巷で噂の「アカウント乗っ取り」って奴か?
リンクが貼られていない事から、とりあえずアダルト関係の線は消えるだろう。
ではこの芽衣子のアカウントを名乗るスパムが、一体何の目的で、そしてどれだけの長文を送り付ければ止まるのか……
ここまで来れば、逆に興味すら湧いてきたぞ。
(ピロリーン)
『モノクロがこっちの背 界の住人に感傷する には その相手のフルネームを知らないといけない
それがあいつ 名前を奪う方法
だから キミは苗字を知られて しまった けどそれだけなら ダイジョウブ。
いいか 絶対にあいつに 係わわるな』
「まだ冒頭しか読んでねーよ」
いいだろう。付き合ってやる。
どうせ昼寝したからしばらく眠れないだろうとか思ってた所だ。
僕が寝るのが先か、メッセージが止まるのが先か……。
夜更け間際の根競べと、しゃれこもうじゃないか。
(ピロリーン)
「はい来た。お次は何ですかっと」
そう、覚悟を決めた矢先だった。
この根競べは、程なくして――――”僕の勝利”で終わる事となる。
『にげ』
「……にげ」
「…………えっ終わり?」
――――これ以降、芽衣子からの送信はなかった。
――――
……
(ハァー…………ハァー…………)
静まり返った住宅街。そこにはその地一帯を南北に分かつ、小さな川があった。
サラサラと穏やかに流れる川の流れ。その小さな川の両端に沿う、小さな河川敷。
その川は、日中こそその土地に住まう者の憩いの場として重宝されるものの――――
一たび夜が更ければ、そこは暗闇に包まれた闇の河原と化す。
「ハァ…………ハァ…………!」
街灯もなく、さしたる設備もあるわけでもなく。
地域でも「夜は暗い」と評判のその一帯は、視界の悪さも相まって、日が沈むと同時に”誰も近寄らなくなる”のがその地の通例であった。
「う…………ぐふッ…………!」
だが――――その晩は違った。
普段は誰もいないはずの闇夜の河川敷に、”地域でも評判の少女”が一人。
「――――コンナトコロニ、逃ゲ込ンデヤガッタカ」
「…………!」
と、白黒の怪人とが、そこにはいた。
「何故ここが……!」
「言ッタロ。オ前ノ名前ハモウ手ニ入レタンダ」
「ドコニイヨウガ、スグワカル……ドコヘ逃ゲテモ、スグニ追イツケル」
「くぅ……!」
少女は、モノクロが現れるや否や四角い機器を取り出した。
「何シテンダ?」不可思議な様子を見せるモノクロに脇目もふらず、少女はしきりにその機器を操作する。
機器は、ほんのりと微かな光を漏らしていた。
その光を見たモノクロは――――今少女が「一体何をしようとしているのか」を悟った。
「アー、スマホカァ……」
「う……く……」
「誰カニ遺言デモ残スノカ? イイダロウ。終ワルマデ待ッテテヤル」
「う……あう……」
「デモ、ダッタラ急ゲヨ? 自分デモワカッテルハズダ」
「”記憶ノ混濁”ガスデニ始マッテイル……ソレノ使イ方マデ忘レチマッタラ、モウOUTダカラナ」
巧みな指使いで持って、すざましい速度で文を練り上げる少女であったが――――程なくして、止まる事となる。
それはモノクロの言う通り、「記憶の混濁」の影響が色濃く反映された事に起因する。
少女の青ざめた表情が、スマートフォンの光に照らされ闇によく栄えた。
少女は――――”絶望”していた。
(ピロリーン)
「…………!」
少女が絶望に暮れるキッカケとなった物。
それは少女が”誰かに”送り付けた文章の、その返事である。
別段、衝撃的な内容が書かれていたわけではない。
それは短く一言だけ。実に「そっけない」、ただの一つ返事である。
「そ……んな……」
だが――――それが少女にとって、何よりも落胆を覚える言葉になった。
(よ、読めない……!)
――――言葉を、失い始めていたが為に。
「……モウワカッタロ。自分ガ何物デ、自分ガドウイウ存在ナノカ」
「ソンナ簡単ナ字スラ読メナクナッタノガイイ証拠ダ。最初ッカラ、オ前ガココニ馴染ムワケガナカッタンダ」
「だ……まれ……」
モノクロの語りに耳を貸さず、自分で書く文字すらも読めぬまま、ひたすら文章を紡ぎあげる少女。
その急激な「物忘れ」の影響から、少女の指使いはより輪をかけて速くなり、代わりに内容が支離滅裂な物となって行った。
少女は、焦っていた――――失い始めた言葉。文字。
それを唯一他者に送れる機器の、その「使い方すらも忘れてしまわぬ内に」と。
文に文を重ね、あらゆる文字を積み上げ。
そうしていつしか、相手の返事すらも待たず――――一方的に送信するだけの存在となった。
「……オ前ニ言ワレタ言葉、ソックリソノママ返シテヤルヨ」
「だ…………ま…………れ…………」
鬼気迫る表情の少女。
そんな少女をあざ笑うかのように――――「モノクロの一言」が少女の心に突き刺さった。
「――――ココハ、オ前ノ居場所ジャナイ」
「 黙 れ ェ ェ ェ ッ ! 」
ガッ――――少女は河原の石をモノクロへと投げつけ、同時にその場から走り去った。
静寂の闇夜に、ハァハァと少女の息遣いだけがこだまする。
そんな少女に対し。モノクロは後を追うでもなく――――ただ静かに、背中を見つめるのみであった。
「ハァ…………ハァ…………ハァ…………!」
少女は当てもなく走り続けた。走る先に目的などない。
あるのはただ、「あの白黒の怪人から逃れなければ」と言う思いだけである。
「くそ…………くそ…………くそォ……!」
「ここまで……なの……か……?」
しかし少女は、内心ではわかっていた。
どこへ逃げても結果は同じ――――名前を知られた以上、モノクロはどこまでも追ってくると。
もはや避けられぬ道理。それが為に。
「自分と同じ者が現れぬように」との願いを込め、最後の文章を綴った。
「せめて……せめて……!」
そして――――
「……アーア」
「 」
少女は、地に伏せた。
「タイムリミット、カ……」
少女はこの時を持って、「少女の形をした肉塊」と成り果てた。
傍から見れば、行き倒れの娘が一人いるだけしか見えないだろう。
だが、少女が何故にそこにいるのか――――その真実を知るのはもはや、モノクロが唯一となった。
「ダカラ言ッタンダヨ。サッサト名前教エロッテサ」
「シカモ、ヨリニモヨッテコンナ所デブッ倒レヤガッテ……ソコマデシテ、僕ニ嫌ガラセガシタイカネ」
モノクロは少女の肉塊を前に、思いつく限りの「愚痴」を言い放った。
少女がモノクロを嫌っている事は、前から本人も重々承知していたのである。
だがそんな少女に対し、モノクロはその限りではなかった。
モノクロが少女に抱く感情。それは――――
「……メンドクセェ」
モノクロは、それ以上愚痴を発する事はなかった。
言いたい事はまだまだある。
だが、紆余曲折の果てに迎えた”一区切り”に、一旦の安堵を覚えたのである。
――――代わりに、「フゥ」と軽く一息を付いた。
その吐息が意味する事。
それは、自身に与えられた使命の、その”片方”を終えた事を意味していた。
「ジャ、後ハ……」
そして間もなく”もう片方も”済ませねばならぬと言う現実が――――。
また、モノクロの心中に「煩わしさ」を呼び起こした。
「アノ”江浦”トカ言ウガキダケダナ……」
キラリ――――モノクロの瞳に、月の光が跳ね返った。
つづく