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ツノ ――前編――

 

――――ゴゥン!



「――――ッ!」


 直後、けたたましい轟音と土の雨が降り注いだ。男がその手に持つ棒が激しく大地を叩いたからである。

 単体で十分な威力を発揮していた男の長棒は、さらにもう一本加えられた事により、威力は当然さることながらその効果範囲までもを増大させている。

 その発破の様な棒撃は、言うなれば”爆弾”――――FPSでよく見る小型の爆弾ボム。それが目の前で炸裂した光景に近い。

 抉れた地面を掛かりにし、踵に力を込めギュっと間を縮める二刀流の男は、勢いに任せ水の鎧を纏う僕に向けて、両の棒を水平に構え豪速を持って打ち払う。

 ブオ! という風切音と共に二本の軌跡を描きながら、首と胴、両方を一挙に砕かんと迫りくる両棒は、その動きに任せそのまま”獲物毎”半周を描き上げた。


「――――あん?」


 ふと、男は懐疑の顔を示す。自身が全力で振るった二つの棒が、”何の感触もせずに”そのままコンパスのように先端が自身へと戻ってきたからだ。

 「外した」男の顔は躱された自身の一撃にうろたえる事無く、辛うじて逃れた獲物を逃さぬ為に、大きく見開いた目で辺りをなめ回し、獲物を見つけ出そうとしている。

 男は冷静だった。たかだか初撃を躱されたくらいでうろたえる事などあるはずもない、幾何万とあったであろう同じ経験が男の次の手への模索へと速やかに導く。

 しかし冷静であるが故、経験が豊富であるが故に、その反動からか、目の前に広がる光景には大きな驚きの顔を見せた。


「なんだ……こりゃ!?」


 男の繰り広げる豪速の棒裁きをただの中学生の僕が躱せるはずもなく、躱すとなると必然的に、水玉の力を借らざるをえない。

 だから使った。文字通りそのままの意味で。先ほど出くわした魔霊生物、アイハスカートの戦いと同様の手段を用いて――――



――――ゴボンッ



「な……ハ……?」



 【水蛇みずへび】――――僕はそう名付けた。

 トロい運動汚音痴の僕が、素早く動く為に。しかもついでに”体力を使う事無く”楽に動けるように。

 水玉の出す水を最大限に放出し、うねりを持たせ天高くへと昇らせる。

 うねりにより一直線とはならず所々不規則に捻じれた姿は地を這う蛇の如く、大地を起点に空を”水の許す限り”這い回らせる。

 そしてその中を自在に動けるのは僕一人だけ。放出した水をうねりにより蛇のように形を変え、その内部を循環する川の流れの如き潮流を生み出す事で可能にした、僕だけが使える高速移動術――――


「――――ゲホッ! あー苦しい!」


「そっちかよ! 全然見当違いなトコ叩いちまったじゃねーか!」



――――一つ欠点があるとすれば、定期的な”息継ぎ”が必要な事か。



「酸素ボンベ持ってこればよかったな……うげ!」


「おいボン! モグラ叩きかおめーは!」


「……どっちかっていうと、ワニです」


「ハハハ! やるな精霊使い……、ボンらしいおもしれー発想だ!」


「流れるプールの中はさぞ気持ちいいだろう……な ァ ッ ! 」


「――――来たぞ! もう一度!」



――――ゴポッ



 男の顔は再び歓喜を取り戻した。大きな水柱の中を自在に動き回る僕に、まるでおもしろいおもちゃを見つけた子供のように、嬉々として迫って来る。

 これじゃあどっちか子供かわからんな……そんな純朴な顔をされては、こっちも遊んであげたくなるじゃないか。

 しかしこいつは頭は子供かもしれんが外見はヘビー級プロボクサーばりの筋肉魔人だ。こんな奴にじゃれつかれては骨がいくつあろうがまるで足らん。

 手を繋いだだけで複雑骨折させられそうな、そんな強く握りしめられた棒を見せられては、一緒にはないちもんめはできそうにない。

 お前と僕ができる遊びは一つだけ。さっきお前が言ってた通り、それは――――


(水玉――――いくぞ!)



――――ゴボォッ



「お……おおッ!」



 【水蜘蛛】――――水蛇の応用術。

 水蛇に無数の支流を作り、木の枝のように細かく細分化させ作られた、いわば水で出来た”網”。

 水蛇で得た”水の道”をあみだくじのように複雑化させる事によって、僕がどのルートを辿るかを相手に予想させにくくさせる効果を持つ。

 しかし水蛇同様、息継ぎの為一度顔を外に出さないといけないと言う弱点を持つ為、相手からしたらそこは格好の”攻撃ポイント”になる。

 なので男は、僕が次に息継ぎをする場所を予想し、当てなければならない。

 それはさながら、奇しくもさっき男の言った”もぐら叩き”のように――――


「おーおーおー、次から次へとおもしろいもん作るなぁ!」


(おもしろいもんか。アメーバになった気分だよ……)


「――――ウッ!」


 無呼吸の苦しさに耐え兼ね、ザパァ! と水の中から顔を出し供給の止まった酸素をこれでもかと吸い上げる僕に向かって、タイミングを合わせるように男は再び迫りくる。

 この技、息継ぎの時にどうしても”音”が立ってしまうのが弱点だな……ただちに改良の余地がある。


(よし……だったら!)


「――――ァァァラァァアァッ!」


 男の放った棒の重撃が水蜘蛛に当たり、水玉の”触れれば割れる”の法則により大きな飛沫を上げ飛び散り去る。

 危なかった……後一歩退避が遅れていれば、脳天丸ごと撃ち落されていた。そして再び水蜘蛛の中を逃げると共に、飛び散った部分の修復もしなければならない。

 男の食らわせた一撃が以下に重いかを表すように、ただちに再生が必要なほど、水蜘蛛の網が大きく途切れていた。


「かぁ~! また外れかぃ!」


(こええ~……)


 水蛇と水蜘蛛。この二つの術を編み出したとてそれでも男の優位は変わらない。何故ならこの二つは、所謂”逃げ”の一手に過ぎないからだ。

 延々とこのモグラ叩きを続けた所で、迎える結末はいつかどこかでラッキーパンチのマグレ当たり。そして僕はあわや、ゲーム・オーバー……

 逃げるだけでは終われない。そんな僕の考えを見透かすかのように、男も僕にこう発破をかけてきた。


「おいボン! チョロチョロ逃げ回ってるだけがお前の能かぁ!?」


「そいつぁ山ネズミと変わらねえな! 男なら……ドンとこいや!」


 この熱いセリフ、担任の教師を思い出す。あいつならこんな感じの事言いそうだ。てか、言ってた。

 男なら、とか男だろとか、そういった類のセリフはハッキリ言って嫌いだが、「かかってこい」の部分だけは同意だ。そこは僕も考えていた事。言われずともその内行ってやるさ。


――――何故ならたった今、お前の言う通りドン! とかます方法を一つ、思いついたからな。



「……む?」


 水の色が、暗く濁っていく。それは男が、僕の姿を視認できくなるまでに。

 水を生み出し自在に操るのは、そのまま”水の精”の力。しかしこいつはただの水の精じゃない。

 神聖な精霊に暗い冥界の住人、”悪霊”が憑りついているのだ。

 この悪霊が一体どんなヤツなのかは知らないが、しかしこいつがいる事で、僕の脳内イメージを速やかに水へと伝える事が出来、ついでに悪霊らしくこの透き通った透明感溢れる水を、汚いドブのような暗い灰色に染め上げていく事も可能だ。

 どうやら、暗い色を出すのは得意らしい。前に虹色になれと言った時は、ぷるぷると力をこめ時間をかけてやっとできたのに。

 その辺は悪霊の持った性質なのだろう。しかし、この場に置いてはそれが十分役に立つ――――



――――バシャッ



「そっちか! オルァァ!」



――――バシャッ――――バシャシャッ



「ぬう! こっちか!」



――――バシャバシャッ――――バシャッ――――バシャッ



「こ、これは……」



――――バシャ



バシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャバシャ――――



 この技の弱点――――それは、息継ぎの際にどうしても”音”を立ててしまう事。

 なればこそ、だったら音を無数に立ててやればいい。判別がつかないくらいに――――


「お……どこだ! ボン! どこいった!」


 木の葉を隠すなら何とやらとはよく言った物だ。そう、音を隠すなら同じ音で隠せばいい。

 ポルダーガイスト現象の発現……と言えば聞こえはいいが、その実単に、水蜘蛛の中を巡る際に手動で水を叩き、音を立てているに過ぎない。

 ま、現実の心霊現象もこんな感じで、ほとんどタネも仕掛けもある物なのかもしれないな。


「ボンが……見えねえ!」


 モグラ叩き――――お前はそう言ったな。

 ハッキリ言って心外だ。僕のこの画期的な閃きをそんなどこにでもある田舎ゲーセンのワンコインゲームに例えられては。

 歳の行ったお前にはわからんだろう。最近のモグラ叩きはすごいんだぞ。スマホの普及により実機を用意せずともタッチパネルでいつでもどこでもプレイが可能なのだ。しかも無料で。

 そして技術の進歩に伴いモグラ叩きも進歩しているのだ。たまにあるだろう? 叩いてはいけない減点モグラが。

 スマホのモグラ叩きアプリはそんなレベルじゃない。難易度が上がるにつれ特殊な能力を持ったモグラが現れる。そいつらはモグラの分際でこちらの視界を隠し、高速で出入りし、しかもついでにこちらに攻撃まで加えてくる者までいる始末だ。


 だからこそ、心外なのだ。お前がモグラ叩きに夢中になってた頃の、そんな何十年も前の機種と、この現代人代表の僕の閃きを、一緒にされては――――


「闇にまぎれて奇襲ってか? ハッ! 発想が古いぜ!」


 よく言うわ。古い世代の人間の癖に。近頃の中学生はモグラ叩きなんて発想そのものを思いつかないんだよ。

 しかし古い新しいはともかくとして、僕の作戦はどうやら看破されているらしい。男の言う通り、この暗く濁った水に紛れて自分を隠し、隙あらば奴に一発。というのが僕のプランだ。

 しかし男もさすが古い世代の人間。古さが故蓄えた経験が、この状況下でもまだ解決の糸口を見つけだしたのだ。

 それは――――


「ぬおりゃァァァッ!」


 ――――ただの当てずっぽう。やたらめったら叩き続ければ、ダミーだろうが減点だろうが数の力で無理矢理ハイスコアを叩き出すという訳か。

 捻りも何もないこいつらしいこの攻撃方法が、この場に置いて確かに有効な手段なのだ。

 水玉は何かに触れれば割れてしまう為、男がこうして無作為に棒を振るえば水蜘蛛は次々と割れていく。

 それはこちらの移動する”道”がなくなるのと同じ事。道が無くなれば最後、いつしか行き止まりへと追い詰められ、そこまで来たら後は僕の脳天に大当たり――――は、困るので。

 僕は闇に紛れ男の棒撃から逃れつつ、男が破壊した分の”水道”を絶え間なく出し続けねばならない。

 

 ここへきて根気の勝負に持ち込むとは、さすがだよ。

 ”根性”……何よりも楽を優先する僕にとって、それほど無縁な言葉はないからな。


「見つけたァァァ!」



(――――!)



――――危なかった! ボヤボヤしてる内にいつの間にか見つかってた! 男の棒がギリギリ頭の上数センチの所を掠め、僕の代わりにその部分の水が爆ぜた。

 向こうからは僕の姿が見えないはずなのに、濁りのムラのわずかな隙間から僕を見つけ出したのだろうか。ほんと、最高に面倒な奴だ。

 参ったな……この棒をぶんぶん振り回すだけの、子供の癇癪みたいな攻撃にこうも苦しめられるとは。


(そう言えば……)


――――この時、ふとある事に気が付いた。水玉は、僕以外が触れれば割れてしまう。

 あの棒がチタン合金製だろうがその辺に落ちてる棒だろうが、元々の防御力が0なのだから何をされてもそれは全てが有効打なのだ。

 じゃあ、”その範囲はどこまでだ?” 僕と、僕以外を隔てる、その”境目”は――――


「ぬォォォーーーッ!」


(くっそ~、考え事をしてる最中なのに!)


 男の猛攻は思考に暮れる暇も与えてくれない。仕方がない。ぶっつけ本番だがやってみるしかない。

 まずは男の破壊した水蜘蛛の継ぎ足し。そして――――


「……ぬお?」


 僕の姿が見えなくなるほどの濁りを、少し薄めて貰った。よーく目を凝らせば、薄らと僕の姿が見えるくらいに。

 そして男に確認を取る。”僕が見えているか”と。


「……へへ、いやだね。そんな熱い目で見つめられちゃぁ。」


「体がほてって……仕方がねぇ!」


 どうやら、確認は取れたようだ。気持ち悪い返事に予想外のメンタルダメージを食らってしまったが。

 そして僕は動き出す。僕の守るべき事項は4つ。


 男に追いつかれぬ事。

 男の位置を定期的に確認する事。

 男が破壊した水蜘蛛は即座に補強する事。

 息継ぎの音で悟られない用バシャバシャと音を立て続ける事。


 もしどれか一つでも忘れればと一瞬思ったが、男に脳天をカチ割られる姿を想像すれば、忘れたくとも忘れられない。その辺はある意味こいつのおかげだな。


 こうして、男と僕の我慢比べが始まった。無差別に水を割る男にただひたすら逃げ続ける僕。どっちかが力尽きればそれで終わり。両者とも自分が勝つと信じて疑わない。

 男の根拠がなんなのかは知らないが、僕にはちゃんと根拠がある。これならば”楽して”勝てると、楽したいが故に感じる、確かな”確証が”



――――バシャシャシャッ!



「へへ、おいボンわかってんか? お前が水をキレイにしたせいで、お前の姿が丸わかりだぜ?」


「おかげで俺にはおめえの姿が……ちゃーんと見えてんよぉ!」


(……)


「ぬぅんッ!」



――――パァン!



(――――!)



「ひゅ~! 今のは惜しかったねえ!」


 男の言う通り、僕が水の濁りを少し薄めたせいで、男の棒はちゃくちゃくと僕に迫ってきていた。

 やはり視界の有無の差はでかいのだろう。このまま続ければ、完璧に命中するのに後数分も掛からぬほどに。


「モグラ叩きも……そろそろ終わりだな!」


――――パァン!


「ほれほれどうしたぁ!? どんどん追いついてくんぜ!?」


――――パァン!


「いつまでも逃げてねーで……いい加減ぶつかってこいよ!」


――――パァン!



――――ズリュリュリュリュ!



「おわったぁ!? まだそんな元気がありやがったのか!」


 ここで僕はスピードを上げる。水の流れを強め、さっきよりも何倍も速く。

 しかしそれは出し惜しみをしていたわけじゃない。できなかったのだ。水の流れが強まれば強まる程、その流れの強さに僕自身が負け、息継ぎがしにくくなるからだ。

 だがそれでも僕は強めた。これが正真正銘のトップギア。息継ぎを犠牲してでも上げたかった、男から逃れられるだけのスピード。

 その効果の程は男が教えてくれる。この男が振るう、棒の”着水”によって――――


(く、苦しい……)


「だぁ~くそ! この期に及んでまだ逃げるかよ!」


「こりゃモグラ叩きじゃなくて……鬼ごっこかぁ!?」


 どっちでもいいわ。鬼ごっこだろうがモグラ叩きだろうが、叩かれれば終わりの一回こっきりのワンゲームだろ。

 かの有名なヒゲ親父ゲーム見たいに残気が×99になってるわけじゃないんだよ。

 一回こっきりのワンゲーム……わかるか? これは一回こっきりのワンゲームなんだ。

 それは、お前にとっても――――


「……フッ!」


 男は、棒を振るうのやめ、構えを維持したまま目線だけで僕を追っている。無論諦めたわけではない。

 先ほどよりもさらに速く動き回る僕を無駄に棒を振るうだけでは当てられないと判断し、今度こそ確実に捉える為、無駄な動きを捨て”見切り”に全力を注いでいるのだ。

 それは男の、覚悟と決意の表れだと思った。”ワンゲーム”この意味がちゃんと男にもわかっていたようだ。

 そんな男の思いを感知した僕は同じく覚悟と決意を持って、音を立てるのをやめ、大量に張り巡らした水蜘蛛を徐々に、ゆっくり、棒の半径が届くくらいにまで狭めていく。

 互いが互いの異変を察知した所で、どうやら両者共、同じ思いのようだ。――――次で決まる、と。


「……」


(……)



――――ザパッ



「――――!」



 静寂が二人を包む中、不意に一つ音を立ててみた。それを即座に感知した男はここぞのタイミングとばかりに動き出す。

 棒の振るう軌道の先は、音が立った地点――――から、僕の流れる速度を計算した、数m先の地点。


「こ……こだァーーーーッ!」


 そして男は動き出す。音の立った地点から流れの速度を計算し、導き出した地点。

 それはまさに正しくその通りで、一言で言うなら”ドンピシャ”と言う奴だろう。

――――だが残念、当たりは当たりだが、それは”ジャストミート”ではない。

 どんな計算かは知らないが、男の思い描く速度には微妙な”ズレ”があった。


「はや……」


 男が予想の間違いに気づいたのは、目の前を流れる僕の”姿”を視認してからであった。

 自分が予想した場所、そしてタイミングよりも少しばかり”速く”僕の体は流れてしまう。

 男は見誤った。この水流のトップスピードを。いいセンいってたが、以下に破壊力があろうと当たらねば意味がない。この水蜘蛛を少々壊した所で、僕にはなんのダメージもないのだ。

 

 躱した――――そう確信した。



――――と、思ったのに。



「――――ァァァァアア!」



――――まじか。惜しくも外れるはずだったこのズレを、男はあろうことか”力”で持って、無理矢理歪んだ軌道を修正してきた。

 男のスイング速度と僕の体が流れる速度。これは僅差だが男のスイングの方がやや速い。と、言う事は――――


 じゃあこれは……この軌道は……本当に……



「アァァァァーーーーッ!」



――――やば――――ホントに――――真――――芯――――





―――― パ ァ ン !




「ハァ! ハァ! ハァ……」


「う……っしゃァァァ! 今度こそ! 今度こそ当てたぜ! ボン!」


「へへ、この俺がこんなへばるまで逃げ回りやがって……あー! マジ疲れた!」


 男は棒の一つを杖代わりにし、体を休めるようにその身を傾けた。男が棒を振るった瞬間、辺りを包んでいた水蜘蛛は全て軒並み爆ぜきった。

 それが意味する事は男の言う通り、「今度こそ当てた」のだろう。水蜘蛛の為に大量に使われた水が全て大量の飛沫となり、辺り一帯を覆いつくすように舞う。

 それはさながら、旅人を惑わす濃霧のように。


「しょ、少年が……」


「アニキィーーーーッ!」


 兵達が全てを委ねていた少年が、水の拡散と共に見えなくなった。それが意味する物は、誰がどう見ても”爆ぜた”と言う事だろう。

 祈るように見守っていた兵達に絶望の渦が巻き起こる。痛んだ体が精神的支柱の砕波と共に次々と地に伏せていく。

 彼らはついに認めてしまった。「自分達の負け」だと言う事を。


「ハァ……ハァ……あー、キチィ~!」



『うう……アニキィ……少年よ……くそう……』



「けっ、ボンがあれだけ”男”ォ見せたってのに、帝国の兵隊さんは情けねえこったな」


「っと、そういやなんか関係ねぃ連中混ざってんが……ああ、トカゲの飼い主か」


「まぁ、いいか……おいてめーら、ボンの根性に免じてお前らは見逃してやる」


「ただし今回だけだ。次会ったら、今度こそその脳天全力でカチ割ってやる」


「それがイヤなら兵士なんざ今すぐやめて、田舎で果物でも売ってろや!」


 男は兵士達に叱責を飛ばした。自身を窮地に追い込んだ子供に対し、兵士の分際でなんと情けない事か、と。

 しかし彼らに言い返す気力はない。肉体的にも精神的にも、彼らはもう”兵士”じゃなくなっていたのだ。

 挫折――――人間なら人生において誰しもが味わう苦い思い出。自分に限界を感じ、自身の能力のなさを認めざるを得ない無常な現実。

 どう足掻いてもたどり着けないその道は、本人が見る見ないに関係なくただただそこにある。

 だからこそ、目を背けたくなる。かつて自分がたどり着けなかった道は、振り返ればいつだってそこにあるから。


「ん……なんだこりゃ」


「俺様の棒に……こんぶ?」


「……ああ、くそっ。取れねえ!」


「うぜえなもう! どこで引っ付きやが――――」



――――振り返れば



「これは……ボンの着てた……」



――――いつだって



『アニキィーーーーッ!』



――――そこにあるから



「な――――」



 辺りを漂う濃霧が急速に消えて行く。それは大気に紛れて消滅したのではなく、”男のすぐ後ろに集まっていたから”

 濃霧は再び水となり、うねる蛇のように姿を変え、再び男に向けて突進し出した。

 今更気づいた所でもう遅い。男が振り返るよりも、水蛇が男に達する方がはるかに速い。

 こうなるまで、何故男は気づかなかったのか。拡散した濃霧のせいじゃない。男には見えなかった。すぐ後ろにいる蛇が。それは、極々単純な話――――



「う お お お お お ッ ! 」



「――――ボ」



――――男が”振り返らなかったから”



『アニキィーーーーッ!』



――――ゴポッ


「ハァ! ハァ! ハァ……取った! やっと取ったぞ!」


「て……めぇーーーーッ!」


 忍ばせた水蛇の奇襲で奪った物は、僕の”シャツが絡みついた男の棒”。さすがに上半身裸のままウロウロできるほど肉体に自身はない。


――――あの時、男が完全に当てたと思った物。それは僕ではなく僕の”シャツ”だった。


 男は暴れるのが大好きな暴れ牛。気の向くままに誰かに因縁を付けては、どこぞの兵士相手に暴れるのが男の日常なのだろう――――と言う印象を受けた。

 それが正しいか正しくないかはどうでもいい。男は”そう言う奴”。そう決めつけたからこそ、決心できた。

 この水玉は、その気になれば炭酸抜きコーラのように真っ黒になれる。しかしそれをすればこの暴れ牛の事だ。混乱した牛そのままに棒を無作為に振り回して、それがどこかのタイミングで偶然僕に当たってしまう。そんなイヤな予感がした。

 そんなまずあり得ない確率の偶然に、持ち前のヘタレ根性が顔を出してしまった。

 だからこそ、暗闇の奇襲はボツにした。御曹子かと言いたくなるほど僕をボンボンと連呼していたこいつの事だ。ある程度視界を与えてやれば、男はきっと”目に頼る”そう思ったからだ。

 中途半端に濁った水の中で高速で動き回る僕を、寸分違わず捕え切るのは至難の業。男から見ればきっと僕の姿はうっすら映る影にしか見えなかったはず。

 男は気の向くままに暴れる奴。そう決めつけたからこそ、ひっかかると思った。


――――途中で脱いだシャツに。

 

「てかこれおっも! どんなけ脳筋だよ!」


「ボンコラァーーー! 俺の”ストック”返しやがれ!」


 なるほど。男の持ってたこれ、棒じゃなくて”ストック”って言うのか。ストックと言うとスキーで使うアレか?

 あーそうか、だから二本持ってたのか。元々はスキーが趣味だったのだろうか。どうりで、妙に長いと思った。

 そして男から奪ったストックをその手に抱え、思い描く剣技の構えを、挑発がてら男に見せつけた。剣技と言ってももちろん僕に剣の心得はない。漫画で見た見よう見まねのただのポーズだ。

 少し重いが水の中にいるのなら問題はない。男の愛用するストックは今、ボンのおもちゃにされている。

 自分の大事にしている物をぞんざいに扱われたらこいつは一体どうするのだろう。ちなみに僕なら孫の代まで恨み続けるな。


「アン! ドゥ! トロー……わ!」


……ふざけて片手で扱ってたら、思いっきり地面に落としてしまった。すまん。今のはわざとじゃない。

 しかし男はそんな事情など知る由もなく、愛用品をポイ捨てされた事を皮切りに未だかつてない激昂を見せた。


「てめえマジぶち殺すぞゴラァーーーーーッ!!」


 少しばかりのハプニングはあったが、挑発すると言う意味では狙い通りだ。男は案の定怒りに身を任せ、スペインの暴れ牛の如く全速力で向かって来る。

 その鬼のような形相は孫の代まで恨まれそうな強い怒りを孕んでいる。まぁ、そらそうだわな。


――――しかし男は、それ故に気づいていない。男には自分のストックを持った僕しか映っていないのだろう。

 怒りによって狭まった視野が、自分と僕との間に一体何が潜んでいるのかを。男は全くと言っていい程気づいていなかった。



(落ちろ――――!)



「アァァーーー……ア!?」



 男は不意に地面に吸い込まれた。水玉は関係ない。水玉は地面までも水に変える能力はない。

 男が地面に吸い込まれた理由。それは、僕らの間には人一人程度なら余裕で収まる、それはそれはふか~い”穴”があったからなのだ。


(まさかこんな所で”大当たり”を引くなんて思わなかったわ……)



「な、なんだこりゃぁ~~~~ッ!」


 おめでとう。今度こそ当たったな。お前の言う通り、当たりを引いたのはお前の方だった。

 心行くまで落ちろ。その地獄まで続く――――オーマ特製”不運の穴”に。


「お、ァァァァーーーーーッ!」


 そして男はガリガリと土を削る音と共に真っ逆さまに落ちていく。この穴、どこまで続いているかわからないが、あの男の身体能力ならストックをブレーキにすぐさま登りきる事は可能だろう。

 そのネガティブな予想しかできない持前のヘタレ根性が、ここでも如何なく発揮された――――


「ダメ押しだぁーーーーッ!」


「まじかよ!? もういいだろって!」


 案の定男は穴の途中で踏みとどまり、中から這い出ようとする途中だった。しかし残念。お前はそこから出る事が出来ないんだ。

 そこから出られちゃ困るんだ。そこから出て、また仕切り直しになったら、今度こそ”当たる”のは僕の方になるから――――



(【水蛇】――――!)



 そう言って僕が繰り出したのは、穴の真上を空高くうねり上がる水の蛇。しかし通常の水蛇とはまた違う、今回は少しばかり工夫をさせてもらった特殊な水蛇だ。それは男から奪い取ったこの長い棒を使わしてもらい初めて発現する。

 お前は知らないだろうが、その穴にはさっきまでもう一人人がいたんだ。そいつはかわいらしい見た目とは裏腹に、粗悪品を勝手に売りつけようとする、金に汚い守銭奴全開のロリ少女が――――



(これはなんと、”魔法を使わず”その場ですぁやか~な風を生み出す事ができる、帝都が生んだ奇跡の逸品なのです!)



 水と、風と、そしてこの穴。この三つが混ざり合い生まれる物は――――



(この持ち手に備え付けられし起動の宝玉を押せば、その場はたちまち嵐の如く大気の渦がふりそそぐでしょ~~!)



「いィ!?」



――――水蛇の中でこの長い棒を高速で回せば、その場はたちまち嵐の如く大水の渦がふりそそぐでしょう。



(食らえ――――!)



「おァァァァァーーーーッ!」



――――ギュルルルルル!



「がはッ! ブパァ……! ウプッ!」



――――ギュルルルル……ドドドドド! ――――ドバァ!



――――水の中で直径の長い物を回せば、その回転はその場の全ての水を巻き込み、やがては水を”渦”へと変える。

 渦は発生する液体の質量に比例し、より大きく、そして渦の中心にしたがって小さくなっていく。

 この質量による大小の差がより大きな回転を生み、渦の最も小さな部分。すなわち中心部に渦そのものの回転により集められた、水の持つ全ての圧力がその一点に、一挙に振り掛かる。

 渦の中心へと吸いこまれた水は、辛く苦しい回転の圧縮から逃れるべく次第に長さを増していき、回転の尽きる”出口”を求め彷徨い歩く。

 したがってこの渦が解放を求め”大穴へと”たどり着くのは、物理法則に従って至極当然の事であった。



「ん、んぐっ……ン”~~~~~!」



 男には今絶え間ない”水圧”が掛かっている。穴の中で満たされた回転のかかった水が、これまた回転により生み出された圧力で、この細く深い穴へと一挙に雪崩れ込んでいる。

 それはさながら栓を抜いた風呂のように、ズゴズゴと少し下品な音を立て男を奥へ奥へと吸い寄せる。

 以下に力自慢な男と言えど、絶え間なく続く渦流に逆らう事は出来ず、水の重みによりただただ奥へと押し込められるばかりである。


「ゴポッ! ゴポポッ! ~~~~!」


 回転と言う後ろ足を使い、重たい水が一直線に突撃してくる。

 それをこの暴れ牛のような男にちなんで、こう名付けた。



(【水牛】――――!)



                            中編へつづく




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