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「ハァァァ……」


「う……」


 長棒を片手に大きな口から漏れるような息を吐く男の姿は、まさに”鬼”と呼ぶにふさわしく、所々破けほつれた衣服が煮えたぎる怒気と闘争本能を現している風に見えた。

 首を下に降ろし、視線だけをこちらに向ける男の目つきはもはや正常なそれではなく、眼球の血管がハッキリ見えるほど大きく見開かれている。

 それは僕に一杯食わされたムカツキなのか、まだ”暴れられる”という喜びから来るものなのかは知らないが、現状今男がしようしている事だけは、ハッキリと予感できた。


「ァァァアアアーーーーッ!」


 やっぱりきた――――一度振り下ろした棒を両手で握り直した男は、先ほど食らった地竜の尾撃のように、足を踏みしめ腰の回転に身を任せ、円を描く軌道で勢いよく棒を振り払う。

 ブォッと言うかまいたちのような男を出す棒は僕の前髪を瞬時に逆立たせ、そのままその軌道上にある宿舎の柵へと無作為に突っ込んでいった。


「う、うわわわ~~~!やっぱりゴキゲンナナメですぅ~~~!」


 木の柵程度では紙切れ同然と言わんばかりに、その余りある破壊力で「へし折る」を飛び越え、散弾銃のように木材のカケラが僕らに向けて飛び散ってくる。

 顔の至る所にチクチクとした痛みが走る。それは僕だけではなくこの隣にいるロリ少女も同様。今の衝撃で目にジャリが入ったのか、薄ら湿った涙目を浮かべながら片目をギュッと閉じている。


 ここにいるのは危険だ――――それは百人中百人がそう答える程の、わかりやすすぎる”窮地”であり、そしてそれを好転させる方法等思いつく事が出来るはずもない。

 それと同様に、このロリを置き去りに自分だけ背を向け走り去るなんて事も、今の僕にはできなかった。


「と、とりあえず来い!」


「ふえっ!?」


 僕は悠長にまぶたを擦るロリ少女の手を無理矢理掴み上げ、そして彼女の事などお構いなく力任せに引っ張り、その場を逃げるように去って行った。

 破壊された柵の間からその光景を見ていた”山男”は、当然それを見逃すはずもなく木くずと化した柵を乱雑に蹴り上げ、僕らの後を咆哮を発しながら追いかけてくる。


「待てやぁーーーー! ボンンーーーッ!!」


『うげ! さっきの大男!』


 突然の轟音と全力で走る僕らを見ていた兵士達は、そのすぐ後ろを鬼の形相で追いかけてくる大男に焦りの顔を出さざるを得ない、自然な引きつり顔を見せた。

 兵士達の集まっている場所に駆けこんだ僕ら二人はその場にドサッと倒れ込み、ハァハァと荒れた息を出し今の状態をその身を持って彼らに伝えた。


 「またかよ!」そんな声が至る所で聞こえた。そう、まただ。

 いや、この場合またというより”まだ”と言った方が正しい。

 ついさっき自分達を満身創痍までにせしめたあの大男が、しつこいクレーマ―の様に”まだ”ここにいるのだ。「お引き取り下さい」と言って素直に引き返すようなガラじゃない事は見た目でわかる。

 兵士達は休む間もなく、痛んだ体を再び奮い立たせ、もう一度迎え撃たんと剣を両手に身構えた。


――――しかし


「どけぇぇぇええッ!」


 十分な状態でも誰一人止められなかったあの男を満身創痍の状態で迎え撃てるはずもなく、兵士の群れはさっきの柵同様次々とその場に倒れていく。

 決して彼らがひ弱なのではない。兵士としての技量、経験、度胸。それらに代表される兵士としての資格があるからこそ、兵士が兵士としてなりうるのだ。

 しかしその兵士のなんたるやを持ってしてもあの暴れ狂う大男は誰も止められない。何故なら、兵士が兵士として、兵士の証たらしめるあの紋章の付いた鎧が、兵士の存在そのものを否定するように丸ごと”破壊”されていたからだ。


「よ、鎧までぶち壊す人から身を守る商品なんてありませんですよ~!」


 ロリ少女の会社では鎧も扱っているのか、防具の性能については詳しいようだ。その専門家が言っている。”防具の破壊を防ぐ防具”なんてない。


――――矛と盾の話と同じだ。なんでも切る矛となんでも防ぐ盾。それらが二つ同時に存在するなど有り得ない。何故ならそのどちらかが存在するには、どちらかが消えねばならないからだ。

 

 そして今回に限っては、どっちが消えるのかは明白だった――――



――――シュッ



「!?」


 不意に、男の体に何かが突き刺さった。――――矢だ。

 兵士の装備は何も剣と鎧だけではない。遠距離用の武装もある。

 ふと横を見ると、”それら”を持った兵達が僕らから少し離れた遠くの距離から、列を成して男を狙っていた。


「弓矢班、前へ!」


 そう、弓。オーマが放ち、不運にも発射地点よりはるか遠くから着弾した物と同じ物だ。規則正しく並んだ兵の列から、猛獣を射止めるかのように次々と矢が発射されていく。

 張りつめた糸が回帰する音が耳を掠っていく。そして放たれた矢は良い的となろう男の巨躯に次々と刺さっていく。


「う……ぬぐっ!」


 矢が一本刺さる度に男が苦悶の声を出す。以下に巨漢と言えど、鋭利な刃が体に食い込む感覚は何人たりとも耐える事はできないのであろう。

 弓と剣、この遠近両方の集中砲火を浴びながら、微かな希望を得た兵士たちは最後のチャンスと言わんばかりに、勇猛果敢に次々と突撃していく。



――――しかし男は倒れない。



「う……が……」


「が……ウォラァァァッ! どけェェェーーーッ!」


 全くを持って馬鹿げている。無数の矢が体の至る所に突き立てられ、身を切り裂く鋭利な刃物が次から次へと湧いてくるにも関わらず、それを何の捻りも見せずにただ、ひたすら真正面から突き進んでいく。

 それら全てをその身に受け入れ、それでも男は立ち向かう。耐え難い苦痛が男を襲っているだろうに、それをただ単に、言うなれば”ド根性”とでも言うべき精神で傷つく肉体を無理矢理に奮い立たせている。

 その呆れる程のタフさは一周回ってもはや尊敬の域に達する。やはりこいつの事はは理解できそうにない。僕とは、人種そのものが違う――――


「べ、弁慶かよあいつは……!」


 その姿はいつぞや見た大河ドラマの破戒僧を彷彿とさせる。大柄な巨躯と強引な因縁で次々と剣を奪って行く、かの有名なアイツと同じだ。唯一の違いはここが橋ではないと言う事くらいか。

 そして男はまた紙切れのように兵士を次々と屠っていく。――――さっきの繰り返しだ。

 果敢に挑んでいく兵士の勇気をあざ笑うかのように次々と撃退して行く大男は、兵士等もはや眼中にすらなく、その目に焼き付けているのは先ほど自身に唯一の有効打を浴びせた、僕そのものであった。


「ボンン……こっち来て、遊んでくれやァァァ……」


「う……あ……」


 何より恐ろしいのが、男はダメージを負った怒りではなく、それを「遊び」とのたまっている事だ。

 こいつにとって今のこの”大・混・乱”な状況は、遊園地ではしゃぎまわる子供の精神に近いのであろう。

 有り得ない……気が合わないにも程がある。馬の合わない男から遊びの誘いをされたところで、そんなものが楽しいはずもなく、ただただ首を横に振るのみである。


 僕にはお前の遊び相手は務まらない。だから――――こいつに任せることにした。



――――グオオオオッ!

 

 地竜……もはや男を心行くまで楽しませることができるのはこいつしかいない。男の並外れたパワーに対抗できるのは、もはや大地の眷属、地竜以外にはいないのだ。

 地竜は待ってましたと言わんばかりに男の前に出た。仲間を傷付けられた怒りが、たださえドデカイ地竜の体をさらに大きく奮い立たせる。


「へへ、よぉトカゲ! おめぇが遊んでくれるってのかぃ!?」



――――グオオオオ!



 もはやだまし討ちは通用しない。あれは一回こっきりの”ハメ技”だ。相手に凌がれれば最後、同じ手が通用する事はもう二度とないのだ。

 地竜は男を睨んでいる。男も同様に地竜を睨みつける。両者の視線の違いは”倒すべき相手”と”遊び相手”この似て非なる目線がどう転ぶのかは、もはや地竜に頼るしかない僕にはわからなかった。


「きやがれぇーーー! トカゲェーーーッ!」



――――オオオオオッ!



――――先に動いたのは地竜の方だった。地竜は男に向かいバカ正直に真正面から体当たりを仕掛ける。

 この巨体から繰り出されるタックルにはさすがの男も耐えきれないのか、大地に根付いた太い脚がズザザザと音を立て引きずられていく。

 通常なら猛スピードで突進してくるトラック並の衝撃のはずだが、男は得物の棒一本のみで防ぎ、腕相撲のようにフルフルと力を込めながら耐えている。

 男は自身に見合う力を持った”竜”に満足したのか、大きな歓喜の声を上げ、そして地竜と本格的に”遊び”始めた。


「ぬうう……! いい馬力だぜ……!」


「へへ……いい”馬力”持ってんなトカゲちゃん……じゃあお礼に……俺からの……!」


「 ら ァ ッ ! 」


 男が力いっぱい振るった棒が、地竜の足の上部に当たる。堅く堅牢な、それでいて弾力を含んだ竜のウロコが、布にくるまれた金属の様にゴッ! っと鈍い男を響かせる。

 音から十分伝わるその一撃に地竜はのけぞり悲痛な叫びをあげている。地竜ですら痛みを感じるとは……やはり僕はあいつの遊び相手にはなれそうもない。


 遊びには混ざれないのだから、何か他の事をしなければならない。

 地竜があいつの遊び相手になっている間に、この場における僕のポジション。

 僕しかできないやるべき事をやるのみ。それは――――


「大丈夫ですか!? しっかりしてください!」


「う……ぐぅ……」


 地竜が奴とやり合っている間に、僕は水玉と共に再び倒れた兵士たちの介抱に全力を注ぐ。

 水玉が出す癒しの水をただひたすらにかけ続け、彼らが山での僕の様に”眠って”しまわぬよう体をゆすり延々と声をかけ続ける。

 カチ割られた鎧が彼らのダメージを物語っている。棒による打撃だからか目に見える怪我はないが、おそらく骨にヒビ、もしくは折れてしまっているのかもしれない。

 いかに水玉でもこれほどまでのダメージを完治するのは難しいようで、いくら振り掛け続けても彼らのうめき声は止まらない。

 そしてそのすぐ近くでは、地竜と男の咆哮が、何度も何度も繰り返し聞こえてくる。


「しっかりして下さい……大丈夫ですから……大丈夫ですから……」


「うう~、皆さん辛そうです……」


「……君もこんな所にいつまでもいたらいけない。はやく逃げるんだ」


「ええっ! なんかワタシだけ逃げるのって、空気的にまずくないですかぁ!?」


「そんな事言ってる場合じゃないよ。僕らはともかく君は本当に関係ないんだ」


「いつ君に被害が及ぶかわかったもんじゃない。さ、早く逃げるんだ」


「うう~……でもぉ~……」


「速く逃げろ!」


 渋る少女に怒声を浴びせ、無理矢理その場から追い出した。邪魔だから失せろと言う意味じゃない。

 こんな目に合うのは僕らだけで十分で、無関係な、しかも兵士でもなんでもない一般人の少女が、こんな武器と血と戦いにまみれた場所にはいてはいけないのだ。

 少女は薄らと涙目を浮かべ、実に申し訳なさそうに走り去って行った。

 気持ちはわかる。自分も何か、この地獄絵図のような光景をなんとかしようと、彼女なりに何かの役に立ちたかったのだろう。


 しかし関係のない火種に不用意にクビを突っ込むと、火の勢いが強ければ強い程瞬く間にそいつに降りかかってくる。

 それはちょうど今、クビ所か全身を自ら火種に突っ込んでいる、アイツのように。


「ぬぉりゃぁぁぁーーーーーッ!」



――――グオオオオッ!



 男の重い一閃がまた地竜に直撃する。一体どれほどの力を込めればああなるのか、体重測定不能の超特大ヘビー級であるはずの地竜がのけぞり、悲鳴を上げ、下手をすると押されているようにも見える。

 地竜はただのでくの坊ではない。持って生まれたタフネスに人語を理解できるだけの知能はある。

 地竜はちゃんと男の動きを見ながら、将棋のように自分で判断した一手を出している。時に大きく尾を振るい、時にけん制の、小さなジャブのようなひっかきを。

 その場その時をしっかりと考えながら手を出す猛獣に対し、男はただひたすらに大振りの一撃を繰り返している。

 このどっちが猛獣かわからないあべこべの戦いを遠くで見守る事しかできない”人間の”僕らは、力を持たぬが故に地竜に全てを託す他なかった。



――――グオオッ!



「ぬぐッ……!」


『オオッ!』


 ズン! という音と共に不意に歓声が沸き上がった。本能のままに棒を振るう男に対し、しっかりと頭脳を使い対処していた地竜との”思考の差”が、ここへ来てついに現れた。

 男の荒々しい動きを頭で捕えた地竜は、男よりもはるかに大きいその体格差を最大限に生かし、男をすっぽりと覆えるほどの”足の裏”を使い、出る杭を打つが如く目一杯”踏みつけた”


「ぬお……おおおッ!」


 男は潰されぬ用、棒に両の腕をクロスさせ必死に堪えている。堪えれる時点で十分化け物なのだが、こうなってしまえばもう地竜の独壇場だ。

 道中襲い掛かる魔物を次々と踏み潰し続けた地竜の”足”。単純明快にして地竜の巨体を最大限に生かした、まさに地竜だけの”必殺技”と言えるだろう。

 男は重力に逆らい懸命に耐えている。が、多少堪えられた所で何トンにも及ぶであろう地竜の体重を、そのまま支柱となる男に向けて一気にかければ、体格と体重差両方のアドバンテージにより直大地の一部になり果てる。

 こうなってしまえばもう王手。力では決して覆す事の出来ない”重力の法則”が、男の体を着々と蝕んでいく。


「う……ご……トカゲちゃぁん……中々強烈な事……してくれるじゃないの……」


「力比べは……望むところよ!」


――――無駄だ。筋肉を筋立たせ足を大きく開いた所で、地竜の優位は変わらない。お前がここから脱出するには、地竜の体重をさらに上回ったパワーで弾き返し、その隙に何とか横へと飛び込むしかないだろう。

 しかも無事脱出できた所で、今度は体勢を立て直すと言う”一瞬の隙”ができる。この男に向けて構えられた弓や剣がそれを許すはずはない。ダメージこそ激しい物の、まだ動ける兵は何人かいる。

 そして兵達の最後の特攻攻撃に構っている間に、また地竜がお前を踏みつける。

 諦めろ。これはもう完全に”詰み”将棋だ。


(降参するしか……ないだろう!)


 男の状況を将棋で例えそしてこの八方ふさがりな状態を王手と比喩した所で、心の中で男に向けて降参を呼びかける。

 しかし男は諦めない。いつまで持つかもわからない地竜の踏み足を、終わりが見えないだろうにその身尽きるまで延々と支え続けている。

 それは男が”そういう奴”なんだろうと、男の見た目と振る舞いで”そう思っていた”。



――――それは間違いと気づいたのは、その直後だった。



「この俺ぇにまさか”二本目”まで出させるたぁ……恐れ入ったぜ……!」


 男ははっきりと”二本目”と言った。それは苦し紛れでも負け惜しみでもなんでもなく、本当に文字通り”そのままの意味”であった。

 男は支えとなる両の腕の一つを解き、それに伴いさらに増大した重力の重しがのしかかった。

 がぎっ! さすがの怪力自慢も腕一本では辛いのか、ここでやっと苦悶の声を出す。

 支えを一本失った為に降りかかる、さらに増した重み。そして苦悶の声を溢す男はそれでもなお片腕を空に、自由に遊ばせる。

 不意に、男の空いた片手が背中の衣服の中に入った。片腕は背中の奥深くまで潜り込み、大きな腋を見せながらしばらく肘を揺らした後、再び空へと戻ってきた。



――――”もう一本の”棒と共に



「いつまでもおデブちゃんをおんぶすんのはしんでぇかっよぉ……」


「そろそろ……どけや!」



(二刀流――――!?)


 そう、男の得物。先ほどまで嬉々として振り回していた長棒は、”もう一本あった”。

 姿形はそのまま何の変化もなく、それは元々セットの物であったような、全く同じ形をした、もう一つの”長棒”。

 首を上げ目の前に大きく映る地竜の足裏を、歯を食いしばりながらしばらく眺めた後、男はそのもう一つの棒を縦に持ち、そして地竜の足裏。そのとある部分に向け突き刺すようにように勢いよく振るい上げた。


「トカゲちゃぁん……いけねえな、そんな”コブ”をつけたまんま放置してちゃぁ――――」



(コブ……ま、まずい!)



「――――ァァラァァッ!」



――――グゥゥゥオォォォォ……!



――――地竜の、悲痛な叫びが聞こえた。体を仰け反らせ、ズゥンと大きく倒れ伏せた地竜の巨体は、その場を大きな土煙で覆う。

 そしてのしかかる重力から解放された男は、本物の弁慶よろしく両手に二本の棒を携え、片方を天に。片方を地に。その構えは男本来の戦闘法なのだろう。金剛像を彷彿とさせる”二刀流の構え”を僕に見せつけた。


 やられた――――肉体における弱点等ないはずの、堅牢な体を持った地竜にたった一つ。”つい最近できた”小さなほころびがあった事を、僕はたった今、思い出した。



(どれ、見せてごらん……あっらー、ほんとだ。皮が一枚めくれてるわね)



 あの時、確かに地竜の体にはほころびが出来た。それは小学生が何も考えずに走り回ったせいで出来たのと同じ、小さな小さな、些細な”傷”。

 無論地竜にその程度のかすり傷が致命傷になるわけもなく、本人すら忘れていた僅かなほころび。

 それが今、あの男の手によって大きく広げられた――――


「へっ、トカゲちゃん。手負いで俺に挑もうなんざ百年はえぇぜ」


 あのもう一つの棒で地竜の傷口を突き立てたのだろう。棒には血がべったりと付いている。

 以下に堅牢な鎧を着こんだ人間でも、傷に針を刺される様なマネをされてはひとたまりもなく、それを想像するだけでこっちが痛くなる。

 それは地竜も例外ではなく、倒れ伏せ足をバタバタを動かしている様子が以下に激痛なのかを物語っている。

 地竜の血が少しこぼれたのか、男の体は所々赤く着色されている。

 あの状況、完全に詰みと思っていた。どこへ逃げても免れない”王手”であると。


――――しかし実際は違った。僕は一つ、勘違いをしていた。

 力で全てをねじ伏せ力だけで前へと進むあの男の姿は、王と呼べるそれではなく、端から端まで一直線に突き進むその様は、まるで――――


(香車……)


――――そして血に染まり、二刀流に構え直した男の姿は、敵陣に乗り込んだ駒。

 それすなわち”成駒”の如き変貌を見せた。



「さあ! 残すはお前だけだなぁ! ボン!」


「……」



 敵陣に単身で乗り込み内部を無秩序に食い荒らす男は、まさに香車の成駒”金”のそれに近く、将棋同様次々とこちらの駒を”食っていく”。

 僕が見誤ったのはそこ。男は、詰みどころか自身が”王手”になろうとしていた。

 この場における王手、それは最後の一人である唯一の生存者。すなわち僕を討ち取る事であろう。


「きっつぅい一撃もらったかんなぁ……覚悟しろよ?」


 男はそう言って宣戦布告を宣言してきた。地竜どころか一般兵にすら劣る僕を、一人の戦士として認めたようだ。

 絶体絶命の状況だが、にもかかわらず。それが僕にはどこか嬉しく感じられた。どんな形であろうと”誰かに認めてもらう”。たったそれだけの事がこんなに心を満たしていくものなのか。


「……」


 男は構えを維持したままジリジリと緩やかに間を縮めていく。地竜よりはるかに力の足らない僕相手に、えらく慎重な面持ちだ。

 それは先ほど僕が食らわせた不意打ちのせいだろう。「こいつは何をしてくるかわからない」

 頭で考えているのか本能がそう言っているのか知らないが、男の心中は大体そんな考えで埋まっているのだろう。

 この山岳隊宿舎に置いてたった一人だけ、見るからに一般人。しかもただのボン(ガキ)が、事もあろうに竜に指示を出し、横に水の精霊を佇ませ、そして自身に唯一の有効打を浴びせたのだ。

 男から見れば僕はそれはそれは得体の知れない生き物に写っている事だろう。

 そう、”謎の男”は一人だけではなかった。この世界の置いて”謎”なのはむしろ、僕の方だったのだ。


「水玉……」


「コポ……」


 気づけば僕は男と同じだった。あの多勢に無勢の絶対的な窮地において、誰がどう見ても終わりと思った時、事もあろうに三度も壁を乗り越えてきたのだ。

 

 気づけば僕は男と同じだった。男と同じ絶対的な窮地が、そっくりそのまま向きを変え僕の方を向いた事を。

 誰がどう見ても僕の出番はないと思った時、兵士たちの壁を乗り越え、最後のダンジョンにいる僕の元へと本当にやってきたのだから。


 気付けば僕は男と同じだった。男は王将ではない。故に金へと成る事ができた。



――――それは僕も、同じだったから。



「お……」


「……」



 男は、小さく息を漏らした。目の前の小さなボンが、自身の期待通り戦士としての佇まいをしていたからだ。

 【水の鎧】――――先ほどの魔霊生物と対峙した際思いついた、兵士としての装備ができない故に編み出された”僕専用の装備”。

 コポコポとうねる水流に所々浮かぶ気泡。それらがたちまち姿を変え、僕のシルエットに沿う様に、静かに身を包んでいく。

 僕は男と同じだった。僕も王将ではない。故に、僕も”成る事”ができると――――



「精霊使い! やっぱお前、ただのボンじゃねえな!」


「……」


「面白くなってきやがった……! まさかこんな所で、こんなレアもんに会えるたぁな!」


「おめえの術と俺の力、どっちが上か、今! この場で! 決めようじゃねえか!」


「……」



 僕は男と同じだった。この場で最弱である僕のポジションは、当然”歩兵”。男が次々と打ちのめした兵士達と同じポジション。

 無論彼らと僕の間すら実力面で大きな隔たりがあるが、歩兵以下の存在は存在しない為、僕は便宜上彼らと同じ”歩兵”と呼べるのだろう。

 

 そして男は僕と同じだった。敵陣に突っ込み成駒となった香車と、同じく敵のど真ん中で成った歩兵は、ひっくり返せば”同じ駒”になるからだ。

 

 だから、男は僕と同じ――――そう思いたかった。そう思い込む事で、必死に勇気を奮い立たせようとした。

 でもダメだ。やはり僕はあの男と同じには成れない。何故ならそれは身体の差もさることながら、この戦いに置いて、男の浮かべる歓喜の”目”。

 戦いに喜びを感じるあの目がどうしても、僕には理解できなかったのだ。


「ボン……いくぜ……」


「う……」


 水の鎧は性質上”どんな姿にも成れる”。しかしその反面”僕以外に触れば割れてしまう”。

 だがこの状況。もうどうする事もできない。逃げる事も、道具を用意する事もできやしない。

 だから、僕が何とかしなければならないのだ。

 たった一人で、誰の力も借りず、降りかかる脅威を、この男の様に”たった一人”で。

 


「ウ……ォラァァァッ!」



「――――!」




――――同じ”駒”に成れるように。





                                 つづく


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