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 ――――チュン――――チュンチュン――――



「ん……」


 朝。日の光が布団代わりの簡素な布を透かし、その中に埋まっている瞼の奥まで届く。

 ここへ来て通算三度目の日の出を迎える事になる。一体こんな事になるとは、誰が思っただろう。

 意識が芽生えていく頭の中を無理矢理塞ぐように地に伏せて動かない僕は、瞼を閉じつつ夢うつつで思い出していた。――――ここへ来るキッカケになった事をだ。

 コンビニに行くと母にウソをつき、そのまま夜の学校へと向かった事になっている僕は、あっちではそのまま消息不明の失踪者扱いになっているのだろうか。

 あの関西出身らしき警備のおっちゃんも、ふいに消えた生徒を名乗る男に、今頃幽霊に出会ったような気分になっているのかもしれない。今覚えば僕のあの一連の行動は、中々に挙動不審っぷりだったからな。

 勉強に未練を残した生徒が夜な夜な校内を彷徨い歩いている。夜、電話が鳴ったらご注意を――――

 そんな怪談話が広まり、七不思議が八不思議になっていたらどうしよう。

 誤解を解くべく「それは僕だ」と言った所で「は?」と一蹴されるのがオチだ。この手の話はいつも本人の与り知らぬ所で、怪談だけが一人歩きをする。

 しかも尾ひれ背びれを片っ端から装備して、もはやなんの生き物なのか判断が付かない程に。

 一度沸いた噂話など、得てしてそういうモノなのである。


「ん……んん?」


 なんだろう。布団の中から違和感がする。何か腹のあたりがモゾモゾと……

 大魔女様……じゃなかった。オーマが目覚めぬ僕に何かイタズラでもしてるのだろうか。昨晩はお気に入りの名前を付けてもらって、かなりテンションが上がっていたからな。そのテンションがまだ維持されているとしたら、全然ありうる話だ。

 しかし僕はそれでも目覚めない。そりゃ最初は知らない世界で混乱していたからな。ロクに眠る事も出来ずに、目を閉じても浅い夢の中をただただ漂うだけだった。

 しかし今は違うぞ。片っ端から巻き起こる不思議ワールド全開のこの世界に、僕は順応する術を覚えたのだ。

 ――――夢だ。何か不思議な事が起こる度に、今僕は夢の中にいると、そう自己暗示をかけるのだ。そうすれば何が起ころうと全て受け止められる。

 森を吹き飛ばす女、トカゲが突然変異を起こしたかのような竜、戒律王を名乗る闇の中の目玉、人食いラフレシア等々……

 いかにもこの夢に出てきそうな連中が目の前に現れ、眼前で好き勝手をするのならば、こちらも好き勝手できる世界にトリップ――――夢の中にいると思い込む事で、何が起ころうと「はいはい」と薄いリアクションで馴染む事が出来るのだ。

 さあこいよ。不思議共。お前らがどれだけ束になってかかってこようと、もはや僕が驚きの顔を見せる事は――――



――――ブワッ



「……」



……さっそくお出ましか。今何が起こったかを説明しよう。今腹の中のモゾモゾが急に激しく動き始め、そのまま僕の服を出て飛び出していったのだ。そしてその勢いで、被っていた布団を空に向かって吹き飛ばし、謎のモゾモゾは無事外へ帰る事ができた……というわけだ。

 下らん。どうせ布団捲り用の魔法でも使ったんだろ。ここにいる連中はどいつもこいつも荒々しいからな。しってるか? 朝は体温が低下しているから、布団を捲って急激な温度の変化に晒すのは健康によくないんだぞ。デリカシーのない連中め。これがキッカケで寿命が縮んだら、その分はお前らが立て替えろよな。


「……随分ダイナミックな起床ですね。アニキ」


 山賊達は突然宙を舞った布団に驚いている。はは、じゃあやっぱりアイツの仕業か。

 魔王め。あの手この手で人間を苦しめやがって。そんなに人間が憎いか。ええ? 僕に伝説の剣を手に入れる機会があれば、美人僧侶と腹筋の割れた戦士を率いて即座にお前に攻め込んでやるのに。


「……サブイ」


 心地の良いぬくもりを突然奪われ、そして山の冷たい外気に晒された為。ややゴキゲンナナメだ。

 自慢じゃないが僕は寝相のいい方じゃない。うっかり近づいて噛みつかれないように注意しろ。

……というか、布団どこいった。布団だけにどこかへ吹っ飛んだのはわかったが、さっさと取り戻してもう一度ぬくもりに包まれたいんだ。

 体を横にしたまま頭だけを動かし、布団の行方を煩わしそうに探し始める。


「あ……」


 あった、マイ掛布団。僕の体温が十分伝わった布団が、木の枝にひっかかったのか縦にだらんと佇んでいる。――――取り返そうと布団に手を伸ばすと、ふいにガサッっと布団が動いた。

 まだやってたのか。もういいから、さっさと返――――


「おはよう。朝からゴキゲンね……」


 布団の中から現れた魔王が、青筋を立てて寝起きの僕を目が血走る程温かく見守ってくれている。

 何という事だろう。この布団は魔王のマントだったのか。それはすまなかった。今この場でそのマント、魔王様にお返しし――――


「くぉら! 寝ぼけてんのかコラーーーッ!」


「あだだだだ! 違う違う! 違いますって!」


 魔王の粛清を浴びた僕は、痛みで寝ぼけた頭をハッキリと覚醒して頂き、誤解を解くべく魔王様に進言できる申し開きの機会をいただいた。

――――そしてオーマに「まだ寝ぼけてんのか」と一喝され、またもや粛清の危機に瀕するハメになった。

 妙だな。こいつじゃないのか? てっきりこいつが浮かれ気分で引っぺがしたと思ったのに。

 オーマは拳にハァと吐息を浴びせ、殺気の孕んだその手を大きく頭上に掲げた。だから待てよもう、違うっつーに!


「歯ぁくいしばれ!」


「のぉ~~~!」


――――バサッ。と言う音と共に視界が闇に包まれる。

 いや、厳密に言うと所々光が透け、闇と言うよりただ暗いだけだ。

 そして前には拳を掲げたオーマが「ぶわっぷ! 何よこれ~!」と慌てふためいた表情で、その手をぶんぶんと振り回している。なんだ? 一体何が起きた? 


「姉さん! だいじょうぶですかい!?」


「何今の! 布団が襲ってきたわよ!?」


「あっしらも見ましたよ。ちょうど姉さん目がけて落ちてた布団がいきなり――――」


――――ポルダーガイスト。何もしていないのに物が独りでに動き出す現象。

 その現象は未だ解明おらず、しかし世界中で報告がある為。いつしかその現象は霊や超能力と言ったオカルト的な現象。と言う事で片づけられた。

 無論僕が命の危機に瀕して霊能力に目覚めたわけでもなく、この中の誰かが魔法で動かしたわけではない。

 ここでの霊は夜の闇にしか生息できず、朝の光と共に消え去っていくと言うのは、オーマが説明した通り。

 だったら、これは……


――――バササッ



「うわっ!」


「あ、ちょ、こら! 待ちなさい!」


 そして今度こそ布団は僕の目の前で動き出した。風に晒されたわけでも誰かが払いのけたわけでもない。

 明らかに”自分の意思で”動いていた。颯爽と現れた謎の布団は、風に乗って数秒程滑空した後、再び地面に降り僕らの目の前でモゾモゾとうねり出した。間違いない。もう一度確認しよう。

 

「布団が勝手に動いてる……」


「どきなさい!」


 うねる布団の四方を山賊達が即座に囲み、手を腰に備えた武器にそっと乗せ、ウゾウゾと動く謎の布団を様子を伺っている。

 ふいに山賊の一人が叫んだ。「てめえ! 何もんだ!」このセリフからわかる事は、この状況。

 僕らは今、何者かの”襲撃”を受けている――――


「この人数を一人で相手にしようだなんて、いい度胸してるじゃない」


 山賊をかき分け、前に出たオーマが布団に向かって挑発を仕掛ける。確かに、いい度胸してるな。

 元傭兵に竜、そしてそれを率いる”魔王の軍勢”に単身で乗り込んでくるなんて……


「正体を現してから死ぬ? それとも何もできないまま死ぬ?」


 魔女から魔王にクラスチェンジしたオーマが、いい感じに魔王っぽいセリフを放つ。成りきると言う意味ではバッチリだ。才能あるぞ、お前。


「――――」


 その言葉と同時に布団はうねりを止め、物干し竿の端にひっかかったようにダランとぶら下がっている。

 空中に引っかかっているようにも見えるが、それは違う。引っかかっている部分。その頂上に薄らと、布ではない”形”が見える。

 間違いない。布団の中に”何か”がいる――――


「かかれーーーーッ!」


『ウオオオオオーーーーッ!』


 オーマの号令と共に、山賊が布団に向けて刃を向ける。

 布に刃物が太刀打ちできるはずもなく瞬く間に細切れにされ、さっきまで布団だった布がヒラヒラと辺りを漂っている。

 ……今更だが山賊達がガチで戦っている所、初めて見た。

 闘気……とでも言うべきか、うまく言えない雰囲気が彼らを包み、何の躊躇もなくその手に取った武器を相手に向かって”一閃”

 その迫力に気圧され、情けない事に僕は、いつの間にかしりもちをついてしまっていた。


「姉さん! 中には何もいません!」


「逃げられた!? くっそ、どこいった!」


……この光景、どこかで見た事ある。

 ヒラヒラとした布に向かって攻撃を仕掛けるも、のらりくらりと躱され続け、やっとの思いで当てたと思いきや、中身は何もない”空”……



(モノクロ……ここはお前の居場所じゃない!)


(消えろッ!)



「ま……さか……」



 来ているのか――――”モノクロ”が!



「気配はまだ感じるわ。いるわよ――――」


「総員、要警戒!」


『アイアイサ!』


 朝日の光が大地を照らし、その間に存在する木々が地面にその形を写した影を置いている。僕らの喧騒で木々が驚いたようにザワザワと揺れ、そしてその動きを影が忠実に再現している。

 気配を感じる術など僕にはないが、布団の中身がまだこの場にいる事は、僕にもハッキリわかる。

 何故なら……



――――――――シュッ――――



 揺らめく木々の影に、本来そこにはない物が映っていたから――――



――シュッ――――――シュシュッ――――



 いる……草と擦れたような音が、僕らの周りを円を描くように鳴り響く。

 シュッシュッシュっと、周を増すごとにハッキリと聞こえるその音は、段々と大きくなってくる。

 間違いない。それは円を描きながら、確実に”近づいている”


『……』


 オーマと山賊達の表情に緊張感が走っている。事戦闘に置いては場数を踏んだこの歴戦の戦士達が、無言のまま眼球だけをキョロキョロと動かしている。

 これまでの経験がテレパシーにも似た意思疎通を可能にするのだろう。静まり返ったこの場のどこかから、不規則に鳴る掠れた音が、より一層緊迫した空気を圧縮する。

 この永遠に等しい数秒が、刻々と終わりに向けてのカウントダウンようにも感じられる。

 残り時間が何秒なのかはわからないが、この均衡した間が崩れる時、永遠は終わりを迎えるのだろう。


――――そしてその時はやってきた。


「ひぎっ!」


『ッ!?』


 ガサッという乱れた音と同時に”それ”は動いた。”それ”の狙いは、この場で最も戦闘力の乏しい僕だった。

 顔面に何かが勢いよくぶつかり、その勢いでまたもやその場に倒れ込んでしまう。

 そして異変を察知した新生魔王軍は、数秒の間もおかず一斉に僕の下へと駆け寄ってくる。


『――――えっ』


 異変の察知と共にテレパシーにも似た連携力で陣形を組んだ軍勢が、不意にその足を止める。

 魔王軍は魔王軍らしからぬ呆けた表情で僕を見つめている。それは確かに、経験豊富な彼らにすら予想不能の出来事だったのだ。


「てっ!」


 また顔面に何かがぶつかってきた。頬に手をやろうと体を動かすも、それすらも許さずまた、そしてまたさらに、ボタンを連打するかのように頬に何かがぶつかってくる。


「だ~もう! うざい!」


 ダメージよりもヘイトが募った僕は、苛立ち紛れにとっさに手を払う。その時、確かにこの手に何かが触れる感覚がした。

 冷たくひんやりとした、しかし確かに弾力に富んだ、不意にやってきた”強襲者”のそれを――――


「……まじ?」


 その場の全員が”それ”に対し呆気にとられている。そしてワンテンポ遅れて僕も確認すべく”それ”に目をやった。

 ”強襲者”の正体が判明した所で、皆が呆気にとられる理由がわかった。

 そして彼らと同じ反応をしたのだろう、僕も無意識にこう呟いてしまう。


「うそん」


 強襲者は僕の目の前でバインバインと節操なく”跳ねて”いる。時に大きく。時に小さく。

 影の色によく馴染む、くすんだ紫色の”それ”は、スーパーボールのように何度も不規則に跳ね、頃合いを見計らってまた、僕の顔面目がけて飛んできた――――


「どあッ! も、もういいって!」


「これ……昨日の……」


「なんなんだよお前は! ……ん?」


(昨日?)



――――そして虹色のしゃぼんが瞬く間に暗い紫色に変貌し、不気味なオーラを放ちつつスーパーボールのように跳ね回っている。



「じゃ、お、お前ッ!」


 強襲者もといこのスーパーボール君は「やっと気づいた?」と言いたげに小刻みに跳ね、そしてまた顔面に勢いよく飛び込んできた。


「ぬあっ! わ、わかった! わかったから顔に飛び込んでくるのはやめろ!」


「懐いてる……のかしら」


 驚きを隠せない。この魔王軍に緊張感を走らせた謎の強襲者の正体が、昨日生まれたばかりのスーパーボール…… 

 しかもこいつはただのスーパーボールじゃない。水の精霊に悪霊が憑りついた、聖と魔の相反する属性が同梱する、横で見ているオーマにすらわからない生き物なのだ。


「えっと、お前、昨日のあいつでいいんだよな?」


――――バイン


「え~っと、その、喋れない感じか?」


――――バインバイン


「……とりあえずだな、一つ確認したいのは」


「おまえ、悪霊なのか精霊なのか、どっちだ?」


 この問いかけにスーパーボール君は、言葉の代わりになんとも変わった返事をしてきた。

 跳ねるのをやめフヨフヨと昨日のしゃぼんの様に宙を浮くそいつは、紫色の水をポタポタと地面に垂らし、それをゆっくりと時間をかけて、何かを描き始める。――――文字?

 そして浮くのをやめ、またバインバインと跳ねはじめる。終わったのか? なんとなく「読め」と言われた気がしたので、地面に垂らされた色つきの水を上から覗き込む。


「……」



『オオォオォォォオォォォオォ』



(わかんねぇーーーーッ!)


 何で「オ」だけをひたすら書いてるんだよ。それは悪霊のうめき声だろ! 文字がわからないならそう言えよ。なんだこのモールス信号みたいな暗号文は。

 

「う、うーん、水を出すって事は……」


 そう、大魔女様の推察通り、水を出すのは間違いなく昨晩の”水の精霊”とやらの力だ。

 ……ますますわからなくなった。こいつの正体。


「どっち!?」


 そして水をボタボタと節操なくこぼすスーパーボールが、濡れた体のまま、また顔面に飛び込んできた――――


「ぬあっ! ちょ、拭く物! なんか拭く物かして!」


「う、うーん。敵ではなさそう、ね……」


「姉さん、なんすかこれ」


「昨日の精霊のしゃぼんの一個にね、悪霊が一匹憑りついたのよ」


「そんな事ってあるんですかい!?」


「ある……としか言えないわ。現にこうしてまた、アタシ達の目の前に現れたんですもの」


 そんな悠長な解説はいいから。誰でもいい。タオルを貸せ。お前らがそうこうしてる間に……ああっ! 今度は下半身に!


「も~落ち着けよ~!」


 この強襲者の度重なる猛攻を脇目に、オーマは「水の精霊の体を得たから、朝でも活動できるようになったのだろう」と山賊達に仮説を立てている。

 いや、そんな事はどうでもいから誰か替えの服をくれないか。僕の服はもう、上から下までびっちゃびちゃだ。そしてオーマは山賊達と、今この場でひたすら水責めに合っている僕を見て、何やらヒソヒソと相談をし始めた。

 決が出たのか、この襲われている真っ最中の僕に向かって……後に事もあろうに魔王軍は「じゃれ合っている」とのたまいやがった。


「なーんかよくわからんけど、いいんじゃない? 害はなさそうだし」


「安定した水源が確保されたら、俺らも助かりますよ」


 害はないだと? じゃあお前ら、いきなりこいつに水をぶっかけられても何の文句も言わないんだろうな? 

 僕はさっきから鼻がツンとするくらい水をかけられているのだが。見てくれよ。顔面特攻をやめたと思ったら今度は水鉄砲鬼連射の刑だ。

 お前らのその腰に携えた剣がさびて使い物にならなくなったらどうする。責任は持たないぞ。


「とりあえず、今度こそ今日中に下山するわよ。次遅れたら許さないからね!」


『へ~い』


 と山賊達はやや気の抜けた返事と共に地竜へ向けて歩き出した。いつの間にか目を覚ましていた地竜が朝一番の咆哮と共に体を起こす。

 その馬鹿でかい轟音にびっくりしたのか、この水の玉からドバドバと滝のような水が溢れだす。……汗か。汗のつもりなのかそれは。

 そして再び水鉄砲を僕に向けて発射し出した水玉は、どうやらこの旅路に着いてくる気満々のようだ。

 その証拠に、僕の歩幅に合わせて寸分の狂いもなく、的確に僕の顔を討ちぬいてくる。


「ついてくんな」


 言っても無駄な事はわかっているが、どうにもつい言ってしまう。

 なんというかこう、確かに悪意は感じないのだが、率直な感想としては――――


(うざい……)


 顔を水浸しにするならせめてこう、洗顔料もついでに混ぜてくれないか。泡だったクリーミーな奴を。

 できるだろ。元々泡だったのだから。そして何食わぬ顔で地竜に乗り合わせたこの図々しい水玉は、「出発進行!」の掛け声とともに小さな噴水を、辺り一面にまき散らした。

 邪魔だ。地竜が足を滑らせたらどうするんだ。


「クジラかお前は」


「~~~~」


 水玉は僕の注意と共に水噴きをやめ、ただ僕の顔の横を漂っている。

 さっきのお返しと軽く指でつっつくと、その振動が水面に浮かぶ波紋のように、コイツの中で放射状の円が広がっていく。

 この精霊の清らかさと悪霊の邪悪さを同時に併せ持つ珍妙な生き物は、もしかしたらこの魔法と竜が跋扈する世界の、新たな生命の誕生の瞬間なのかもしれない。

 地竜の歩が進むごとに、その振動が伝わるのかこの水玉も、くすんだ紫色の体をゆらゆらと揺らしている。


「お前が乗り移るまでキレイな虹色だったのに……」


 と軽い悪態を付くと、水玉はフルフルと力を込める素振りをし、そしてしばらくすると色が紫一色から七色に変化し始めた。そんな事もできるのか。器用な奴だ。

 だが惜しい。七色はのは間違いないが……暗いんだよ。それは虹と言うよりも、使い古したクレヨンをごちゃまぜにした色に近い。

 紫が基本色なのか、水玉が力を抜くとスッと元の色に戻った。その辺は悪霊の名残なのだろうか……

 どっちでもいいが、どうやら観賞用アクアリウムにはなれなさそうだ。水の癖に透明感皆無なのが、珍妙感をより増していく。


「日に照らすと透けるかな……」


「~~~~」


 水玉の両腋を抱え、日の光に照らしてみたり、色を変えさせたり、つっついてみたり――――

 と、ハタから見ると、ペットと戯れる純朴な少年に見えたのだろう。山賊達のほほえましく見守る視線が妙に痛い。

 山賊の分際でそんなほんわかした顔をするな。修羅を生きる武装集団の癖に。

 しかし同じく修羅を生きる”魔の王”は、王の誇りからか、一人だけ獲物を狙う鷹の様な鋭い目つきで、こちらをじっと見つめていた――――


「……いいな~」


 あーそうだった。この”自称”魔王様は魔王の癖にメルヘン大好きお花畑女だったんだ。

 まぁ、曲がりなりにもこいつは”体だけは”水の精。メルヘンマニアの女性にはびびっとくる素材なのだろう。

 それに女って奴はまるいもの=かわいいで考えるからな。この濁った化学薬品のような色合いのこれも、アイツにとってはそれはそれはかわいらしい生き物に見えるのだろう。半分悪霊だが。


「おい、なんか見てるぞ」


「~~~~!」


 聖なる水の精の性分なのか、魔王の睨みを感知した水玉は、さっと僕の背中に隠れてしまった。

 オーマは小さく「ああっ」っと呟いた。……子供か。

 昨日まで「我が名は魔王」とのたまっていた奴の声とはとても思えん。どうやら、魔王はこの水玉と触れ合いたいらしい。

 しかたない。こいつを生んだのはある意味オーマだ。我らが魔王様の為に、ここは僕がひと肌脱いでやるか……


「ほら、ママですよ~」


「~~~~!」


 緊張しているのか、玉のそこかしこから穴の開いた水筒のように水が漏れている。

 そう邪険にするな、何も取って食おうとしてるわけじゃない。ほんのちょっとゴキゲンを取ってやればいいんだよ。悪霊は人を惑わすのが得意だろ。ほら、やれ。


「な、ナデナデしてもいいかな……」


「どうぞ。好きなだけ」


 オーマが玉に向けてゆっくりと手を伸ばす。と同時に水の漏れ具合が破水管のように激しくなってく。

 緊張しすぎだろ……一瞬だけだ。我慢しろよ。


「~~~~!」


「い、いやがってない?」


 この嫌がり方はちょっと目に余るな。愛玩生物にあるまじき無愛想さだ。

 チワワを見習え。あの愛くるしいつぶらな瞳で物欲しそうに見つめてくるんだぞ。お前は水だが水には水の表現方法があるだろう。

 露骨に嫌がる玉に業を煮やし、面倒なのでさっさとナデさせようと玉をオーマに着き出した。玉の表面がみるみる内に無数の波紋だらけになっていくが、そんな事は関係ない。

 生みの親と感動の対面だ。いっその事ハグハグもさせてやれ。


「魔王様、はやく」


「い、いくわよ!」


「~~~~!」





――――――――パァン




……忘れていた。こいつは元々しゃぼん玉。

 当たり前のように触っていたから気付かなかった。しかしもう遅い。




――――ポタ――――ポタポタ――――




 願わくばこうなる前に気づきたかった。

――――しゃぼん玉は、触れば簡単に割れてしまうモノだと言う事を。



「……」


「あわ、あわわわ」



 そして爆ぜた水しぶきをダイレクトに浴びたオーマを見て、こう思った。



「お~ま~~え~~~ッ!」


「ひぃぃぃ!すんませ~~~ん!」



 しゃぼん玉と触れ合うなぞ、所詮は”あわい”夢なのだと言う事を――――


 


                                  つづく


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