命名
「あたた……」
――――あの紐なしバンジー決死の大ジャンプから、数時間が過ぎた。
辛くも雪崩の魔の手から逃れた僕らは、今度は重力と言う手に捕えられ、さすがにそれには逃れられる事はできず引き寄せられるがままに落ちて行った。
その狙い通り、雪が積もる山の高層部から中腹までの道のりを、見事一気にショートカットする事に成功させた大魔女様であったが、その反動はすざましく、乗員は全員もれなく衝撃と言うダメージを負うハメになり、さらには下山よりも手当が最優先されるというまさに慢心総意の状況に陥っていたため、惜しくも下山には至らず仕舞いで終わった。
――――日はついに地平線に接触し、あれだけ蒼かった空が燃えるように赤く染まっていく。
残念だったな。イイ線行ってたが、もう完全に”タイムリミット”だ。
「こ~ら~! 何やってんの! 今日中に山を下りるって言ったでしょ~~!」
なんでこいつ一人だけピンピンしてるのだろう。あの高さから垂直落下で落ちて行ったのに。
以下に地竜越しとは言えその衝撃はかなりの物だったはずだ。この体力仕事を生業としている山賊ですら、打撲や打ち身で苦しんでいるのに。
それは僕だって例外じゃない。あの落下中の短い時間で、ジェットコースターが急速落下する時のような三半規管が宙に浮く感覚にやられ、今の今まで気を失っていたのだ。
絶叫マシンすらダメな僕にあんな紐なしバンジー、または安全装置なしのフリーフォールをかまされた日には、耐えろと言うのが無理な話なのである。
『も、もう無理でさ~』
「だらしないわよあんたら、それでも山賊!?」
「お~き~な~さ~い~!」
無茶言うな。仮に彼らが無事だったとしてももう遅い。日の光が照らす猶予はどう見ても残りあと僅かだ。
夜の山道をうろつくのは危険だと言う事は素人の僕ですらわかるぞ。潔く諦めろ。
「はぁ……くそ、一泊確定かぁ~」
いいだろ別に。ここの風景はお前の家と似ているのだから。
――――そう、ここはアルフォンヌ山脈”帝都側”下腹部。
後から聞いた話なのだが、あの高所から着地した後、断崖絶壁を滑るように降りて行き、そのまま木々の群生する山の樹海へと暴走したトラックの如く突入したのだ。
枝で少し肌を切ったのか、山賊達の至る所に小さな傷が入っている。そして段々と傾斜が緩くなった頃合いを見て、地竜が最後の力を振り絞り、なんとか停止できたのだと。
その証拠に見て欲しい。僕らが滑り落ちてきたのであろう地竜のサイズピッタリの道が、僕らの後方に何kmと渡って続いている。
地竜の巨大な体が木々を次々となぎ倒し、地面を抉り、激しい土埃を回せた後、それらが再び地面に沈着しこのような道ができたのだ。
はは、まさに天然のロードローラーだな。土木業者に就職すれば喜ばれるぞ。
「地竜~、なんとかならないの?」
――――グル……
そして今回のMVP、地竜はもう一歩も動けんとばかりにその場に伏せっている。
そらそうだ。むしろあんな高所から落ちてよく無事だったな。いかに地竜と言えど、あれでは大ダメージは必須だろう。
僕らはこいつの体がクッションになってこの程度で済んだ。しかしこいつは己が肉体しかない。足から落ちたから複雑骨折。
もしくは衝撃を体に直に浴び、内臓にダメージを負ったか――――
「え、何? 脚の裏が擦れて痛い?」
「どれ、見せてごらん……あっらー、ほんとだ。皮が一枚めくれてるわね」
……その程度なんだ。そんな、リレーを裸足で走った小学生みたいに。紐なしバンジーやって、その程度なんだ。さすがは竜の末裔と言うべきかなんというか……
ま、その辛さ確かにわからんでもない。足の裏がめくれると痛いからな。
小学校の時いたよ。そうやってしばらくの間ひょこひょこと変な歩き方をしてる奴がな。
「……はい! これでしばらくほっといたら治るわ!」
――――グルゥ……
そうやって大魔女様の応急処置を受けた地竜は、そのまま安心して眠りについた。
地竜が動かなければもう下山も減ったくれもない。そうやって自分の目標を自分で潰したのだ。
自業自得。諦めてさっさと寝床の準備でも――――
「さて、じゃあそこのアンタ」
「……なんすか」
「具合はどう?」
「随分と楽になりましたよ。ここはそんなに寒くないし、それにもうボンベはいりません」
「そ、よかった」
大魔女様は次のターゲットと言わんばかりに話しかけてきた。それが僕の安否を気遣った物ではないと言う事は明白だ。
大魔女様はこの樹海に相応しいニタっとした不気味な笑みを浮かべ、そして僕にこうささやいた。
「なら大丈夫よね。ちょっと、ツラ貸しなさい」
一体何が大丈夫なのだろうか。それにそのセリフ、なんだろう。すごく嫌な予感がする。
僕が今まで一人だけゴロゴロとしてたから、人気のない所まで連れて行ってボコボコにされるのだろうか。所謂気合い注入って奴か。
だが残念、僕はその手の叩かれて伸びるタイプの人間じゃない。
そんな事をすれば僕は再び衰弱モードまっしぐらに陥り、より一層みなさんのお荷物に――――
「ほら、立って。行くわよ」
そして僕の目論見通り、大魔女様は山賊達を置いて樹海の奥深くへと消えて行った。
着いて行きたくないのだが、ここで逆らうとそれはそれで気合い注入の目に合いそうなので、しぶしぶ大魔女様に従って彼女の後を追う。
日も暮れ始め、ただでさえ樹海の木々が日光を遮るこの暗い場所で、一体何をどうしようと言うのだろう。まさか……山で一泊をまだ回避する為に、僕だけ連れて先に山を下りようって腹か!?
それはだめだ。夜の下山は危険だ! ここはおとなしくみんなと一緒に待ってた方がいい!
「考え直すんだ!」
「何をよ」
「え、だって僕だけ連れてくって事はみんなを置いて一足先に……」
「なわけないでしょ。ここから麓までまだ後何キロあると思ってるのよ」
なんだ。違うのか。こいつなら十分あり得るだけに不安になったが、それはただの杞憂だったようだ。
じゃあなんでまたこんな場所に……やっぱり、気合い注入か。なら早くしてくれないか。
一発だけなら許してやる。僕はもうはやく戻って休みたいんだ。
「えっと、多分この辺だと思うんだけど……」
「お、あったあった」
ガサガサと伸びきった草をかき分け、大魔女様が案内したその場所には……
砂漠に湧くオアシスのように、樹海にポツンと佇む小さな小さな”水たまり”があった。
「ふっふーん。やっぱり。やっぱアタシもまだまだ現役ね」
「あの、なんすかこの水たまり」
「なんて失礼な! これは”精霊の泉”よ」
――――精霊の泉。曰くそれは、山の加護を受けた大地に、その大いなる加護に導かれるようにして集まった”精霊”達の拠り所なのだとか。
精霊は自然を司り、山や湖のような自然にどこからともかく湧いてくる突発的な"魔力の塊"らしい。
これらについては未だ詳しく解明されてないようだが、大魔女様の推察によると、自然の意思に魔力が宿り、それがいつしか自我を持って、大自然に漂う小さな精霊となるのだと。
「で、その精霊達がさ、時々こうやって寄り集まってね。こんな感じで何らかの痕跡を残すのよ」
「これの場合は水だから……ここにいるのは水の精霊ね。さっき上で雪崩起こしたから、そのせいで集まって来たのかも」
確かに雪は元々水のような物だが。というか、ここにいるのか?
その精霊とやらが。
「なんか気配を感じたからね。来て見れば案の定、大当たりよ」
「あんたラッキーね。このタイミングで水の精霊に会えるなんて」
「なんでラッキーなんすか」
「ふふん。見りゃわかるわよ。いいわ。特別に呼んであげる」
そう言って大魔女様はそっと瞼を閉じ、右の人差し指をピンと縦に伸ばし、伸ばした指が鼻に平行になるように口元にゆっくりと近づけ、そしてなにやらブツブツと呟き始めた。
呪文……のように聞こえるそれは、あのゴーレムの召喚のように、精霊を呼ぶための儀式なのだろうか。
「~~~~」
「……」
その光景はただ漠然と眺めていると、ふと視界が鮮明になってきている事に気づいた。
――――光だ。
ボヤっとした光がこの水たまりを中心にゆっくりと巡り始め、暗闇に包まれたこの樹海の中をチラチラと染めていくように輝いてくる。
そして光が僕ら二人を包み、互いの姿をハッキリと確認できるまでになった頃。
大魔女様は指をそっと、水たまりに置いた――――
「うわぁ~……すげ……」
「やっぱり、水の精霊だったようね」
「ほら、見てごらん。こんなにたくさん……」
この薄暗い不気味な空間が、一挙として幻想的な世界へと変貌する――――
大魔女様の指が触れた水溜まりから、七色のまるい球が次々と湧き溢れ、勢いよく溢れたと同時に空気に乗り、そして宙を漂い瞬く間に辺りを包み込んでいく。
この触れれば即座に消えてしまいそうな、小さな薄い七色の玉が、この自然に寄り添って集まった”精霊”と言う奴なのだろう。
「しゃぼん玉みたいっすね……」
「ま、確かに泡っぽいわね」
しゃぼん玉もとい精霊はまだまだ増え続け、紙ふぶきのように辺りを舞っている。泉の光に照らされ七色の一つ一つを淡く光らせる。虹の橋――――ふとこの言葉を思い出した。おとぎ話でよく聞く虹の橋だ。
あれがもし実際にあるのだとしたら、こんな感じで七色の泡が一つ一つ集まってできた、まさに”あわ”い橋なのだろうと。
「どうやら、これで全部みたいね」
「結構な大所帯っすね」
七色のしゃぼんはフワフワと辺りを漂っている。しかしこれは一つ一つが”精霊”と呼ばれる意思を持った生き物なのだ。
しゃぼんはまるで眠っている所を起こされた子供の用に、力なくただただ漂っている。
すまんな、おねむの所を起こしてしまって。文句なら是非、この大魔女様に言ってくれ。
「ふふ、キレイ~……」
「……ねーさん、あれっすね」
「ん? 何?」
「さっきの太陽の川の時も思ったんすけど」
「意外とメルヘンなんすね」
「……意外とって何よ」
策略と略奪を生業とする鬼の申し子みたいなアンタには似合わないんだよ。そんな乙女な顔。アンタはこの泡を吐く側だろ。魔女なんだから。……っと、これは口に出してはいけないな。素直は時として人を傷付ける。
と同時に眠れる怒りを呼び起こす。そうならぬよう、この感想はそっと胸にしまっておこう
「で、これどうするんすか」
「水の精霊ってね、回帰の象徴なのよ」
「人は生まれてくる時は必ず、加護の水に浸されているわ。母の加護を受けた、生命の水に、ね」
(羊水の事言ってるのかな)
「つーまーりー……癒しの効果があるって事よ!」
「あー……」
それならそうと早く言ってくれればよかったのに。そんなメルヘンな言い回し、まるでナルシストだぞ。
要は何が言いたいのかと言うと、このしゃぼんを向こうでへばっている山賊達に持っていってやれば、目覚める頃には体力が全て回復しているという事らしい。
さすが精霊だな。あのメルヘンとは全く逆の暗黒のヘドロよりも何倍も回復力が高く、それでいて何倍も幻想的だ。次に薬を作る時は、この精霊達を思い出せ。
そして学べ。見た目は大事だって事をな。
「よっほっは」
「あら意外。器用に精霊を運ぶわね」
「えっただ普通に運んでるだけっすよ」
「突っついただけで簡単に割れちゃうのに……あんたにこんな才能があったなんて」
「ほんと、”意外”」
意外意外うるさいな。さっきのおかえしのつもりか。
よくわからんがこのしゃぼん、運ぶには少々コツがいるものらしい。本来は触れただけで簡単に割れてしまうから、運ぶときは力加減や周囲に神経を使わないといけないらしいが……
ほんとかそれ。全然割れないぞ? さっきからバンバン僕に当たっているが。
今だって、ほら――――
「いっちかっけにっかけっでさんかっけて~」
「ほんと、無意味にも程がある才能ね」
……まぁな。勉強も運動も体力のない僕の唯一の特技が、「しゃぼん玉でお手玉ができます」と履歴書に書いた所で、それが一体何のアピールになるのか。
将来は駅前でこれをやって、おひねりを稼ぐ仕事でもするか? はは、月給いくらだよそれ。
「あ、アニキと姉さん。どこいってたんで?」
「ちょっとね。ほら、お土産持ってきたわよ」
山賊達は「なんだそれ?」と言いたげな懐疑の顔をしている。しゃぼん玉をお土産にするなんて確かにこいつくらいだろう。
そしてこいつの横で器用にお手玉をしている僕を見て、今までの苦労を一発芸で労おうとしていると思ったらしい。
違う違う。そんな物見てる暇があったらはやく寝たいだろう?
そんなこんなでまたしゃぼんの説明に入り、水の精霊がうんたらかんたらとまたメルヘンな言い回しを始める大魔女さまを遮り、簡潔に一言「よく効く薬です」と言っておいた。
横で話を邪魔された大魔女様が睨んでいるが、どうせ誰も聞いてないからいいだろ。睨むのは結構だが、これを一体どうすればいいのかはやく言ってくれないか。
「じゃ、みんな。ちょっとこっち来て」
『へ~い』
話は実に簡単だ。僕が器用に持ってきたこの精霊のしゃぼんを、パパッと山賊達に振りまく。
――――たったそれだけ。大魔女様の指示で山賊達が列を作り、そしてしゃぼんを一人一人順番にかけていく。
しゃぼんは山賊に触れた瞬間いとも簡単に割れ、パンッと割れたしゃぼんがキラキラと細かな水しぶきをまき散らす。
その精霊のしぶきが彼らの肌を濡らし、そして彼らについた細かな傷が、見る見る内に塞がっていく。
「おおッ! すっげ~! アニキありがとう!」
「まじで効果あったんすね、これ」
「だから言ったでしょ」と呆れ混じりに言う大魔女様をしり目に、ふりかけ気分で次々と振りまいていく。
しゃぼんは手元を離れた瞬間パンパン割れていくが、連続で割っていくとしぶきにしぶきが重なり、それは小さな虹の花火のように見えた。
その光景に気をよくした僕は、某百裂拳の如く高速でしゃぼんを繰り出し、当初の目的を忘れ一体この花火をどこまで大きくできるかに尽力を注いでいた。
「あんた、当初の目的忘れてない?」
さっそく遊んでいる事がばれた。さすが大魔女、鋭い。
でも何の問題もないだろ。今まで寝そべっているだけで役に立たなかった僕が、ここへきて怒涛の巻き返しを図っているのだから。
――――だがしかし、少々やりすぎてしまったようだ。僕だけが自由に扱えるこの精霊の加護に気をよくした僕は、少しばかり気が大きくなってしまい、それは同時に心を写す水面のように、虹の花火も予想外に大きくなってしまった。
そしてその張本人、浮かれ気分で限界への挑戦中だった僕に向けて……
――――ポタ――――ポタ――――
「……」
「アホでしょ、あんた」
”水の加護”をモロに浴びてしまった。
――――……
――――パチッ――――パチチッ
「……」
「いつまで起きてんの。明日もはやいわよ。さっさと寝なさい」
精霊の泉を見つけて機嫌が直ったのか、大魔女様から一泊の許可を得た僕ら一行は我先にと床に着いた。
皆あの過酷な山登りで疲れたのだろう。そこかしこで濁った寝息が聞こえてくる。
しかし僕はまだ眠らず、こうして一人佇んで、焚き木の揺らめきをなんとなしにボーっと見つめている。
眠れないわけでも体調が優れないわけでもない。ただ単純に、眠気が来ない。それだけだ。
「また結界張ってたんすか?」
「お、わかってきたじゃない。そーよ。日が暮れるとまたあいつらがくるからね」
「ほら見なさい。あんたのオトモダチがたくさん駆けつけてくれたわよ」
周囲にはまたもや、平原で見た都市伝説よろしくのオカルト共が、結界の外で食い入るように群がっている。まるでアイドルにでもなった気分だ。僕にこんな大勢のファンがいたなんて、感無量だな。
よしいいだろう。折角ここまで駆けつけてくれたんだ。新たに身に着けた芸でここは一つファンサービスでもしてやるか。
「よっほっは」
――――オオオオ……ウラメシヤ……ソノカラダヲクレ……オオ……――――
「大盛況ね」
オカルト共は僕に黄色ならぬ黒い声援を放ち沸き立っている。
……うん、そうだな。全く嬉しくない。
こいつらの心を掴んだ所で、来るのは応援メッセージではなく”怨念”メッセージが届いてきそうだからだ。
こいつらからしたら器用にお手玉をする僕は、五体満足の肉体を自慢げに見せつけているように見えるのだろう。あいにくだがボディレンタルサービスはやってない。お前らはそこで指を咥えて応援してろ。
「おっと……」
雑念混じりにお手玉をしていると、不意にしゃぼんの一つが手を離れ飛んで行ってしまった。そしてそのまま気の向くままにフヨフヨと結界の外へと出ていってしまう。
それを何と勘違いしたのか、オカルトどもがまたエサをねだる動物のように、こぞって奪い合っている。そして虹色のしゃぼんが瞬く間に暗い紫色に変貌し、不気味なオーラを放ちつつスーパーボールのように跳ね回っている。
また誰かが憑りついたのか……ま、どこの誰か知らんがおめでとう。
僕からのプレゼントだ。大事に扱ってくれよ――――
「……オカルトさん、新しい体よ」
「もはや親友ね」
願わくば生身の親友が欲しかったがな。こいつらと友達登録すれば、夜な夜な着信が掛かってきては「今あなたの後ろにいるの」と言われそうだ。
そんな事をやられた日にはその日の内に即ブロックだ。
痛いアカウントはノーフォロー。それがこっちの世界での常識なのだ。
「そう言えば……」
「ん? なに?」
「ここって、名前は真名だから、簡単に教えちゃダメなんすよね」
「そうよ。それがなによ」
「じゃあここの人達って、お互いをどうやって呼ぶんすか」
「……」
一山を超え落ち着きを取り戻したこの状況と、今思っていたアカウントでふと思い出した。実は前から聞きたかったのだが、ここ最近のゴタゴタでどうにも聞く機会がなかったのだ。
いい機会だ。いい加減全く敬ってない相手を”様付け”で呼ぶのは飽きた。そろそろ知り合いと呼べる程度の仲にはなっただろう?
ここいらで一発”自己紹介”でもしてもらおうか。
「……ほんと、変な事聞くわね~」
「こっちじゃそれが常識なんすよ」
「ほーん、じゃあ昨日今日会っただけの連中にも真名で呼び合うんだ」
「むしろまだ若いからこの程度で済んでるんすよ。大人になったらもっとすごいっすよ」
「会った人全員に片っ端から渡すんです。こう、カードみたいなのに自分の名前書いて、こういう者ですが……って」
「狂気すら感じるわ」
まぁ名刺はどちらかと言うと所属を明かすのが主な目的だがな。
個人で名刺を作るとはあまり聞いたことないな……芸能人なら持ってるのかもしれないが。
そして大魔女様はこの名刺交換の文化にドン引きしたのか、引きつった顔のまま何も喋らない。
そして引きつった顔のまま焚き木を脚で荒々しく消し、引きつった顔を隠すように後ろを向き、引きつった目を閉じたいと言わんばかりに専用の寝床へと歩き出した。
火が消えた為、辺りは再び闇に包まれる。辛うじて見えるのは夜空に浮かぶ星々のみ。
灯火の代わりにするにはあまりに弱弱しい小さな光が、大魔女様の後ろ姿の輪郭”だけ”を器用に映し出した。
――――今更だが、こうして見ると大魔女様は本当に若々しく見える。
年は僕とほぼ同じ、それか精々1、2コ上と言った所だろう。こんなもの、誰かに尋ねた所で一体どこの誰が当てられようか。
見事「999歳」を言い当てられたらそいつは間違いなくエスパーの素質がある。悪の組織に捕えられるその前に、ただちに国際超能力研究機関が保護すべきだろう。
そして残念ながらまたもや質問には答えてもらえなかった。やはり名前が”禁忌”なこの世界に置いて、その話題を出すのは憚られるのだろうか。
酔った勢いでついうっかり……この世界における住人なら、そんな事すらもなさそうだ。
別に本名が嫌ならそれでいいんだけどな……仇名でもなんでも、適当に呼び名さえ教えてくれれば。
「……」
――――ザ
「?」
大魔女様の輪郭は、歩を止め、後ろを向いたままこう呟いた――――
「……お互いを知りあう為の名前、か……」
「さすが異世界人。このアタシにすら思いつかない発想を、いともたやすくやってのけるわね」
褒められているのかバカにされているのか微妙だが、まぁここはポジティブに取ってやる。
「アタシにとって、いや、あんた以外の全ての人にとって、名前は”共有”ではなく”奪う”為にある物だからね」
「互いを深く知りあう為に、敢えて差し出しあうのね……ハハ、あんたの世界。どいつもこいつも構ってチャンばかりなんじゃないの?」
妙に当たっている所が何故か少し悔しい。さすが大魔女と言った所か……
お察しの通り、こっちでは他人と繋がるツールが世界規模で流行している。
それを使って人に自分を見てもらう。その為だけに犯罪行為すら犯す者もいるくらいだからな。
「アタシはそんなの無かったからねー……基本的にずっと森にいたし」
「人恋しいとか一切思わないし、そばにいたい人も、大切な人もいない」
「あんたの世界じゃそんな女。心のない冷酷非情な女って言われるのかしら」
そこまでは言わないが……ただまぁ実際そういう人もいるしな。
みんながみんなそうじゃない。人付き合いが嫌いな奴だっている。
現に――――僕の様に。
「まぁ暗いとか、ぼっちとか、あまりいい意味で呼ばれないのは確かっすね」
「好きになれそうにないわ。あんたの世界」
別に好意を持てなんて頼んだ覚えはない。しかし奇遇だな、そこは僕も同意見だ。
あの人との繋がりが全てと言わんばかりに、他人に縛られ、さらにはそれを美徳と考え、その輪に馴染もうとしない者は穢れていると言わんばかりの侮蔑の目線……
我が世界ながら息が詰まりそうになるよ。
「……」
二人の意見が一致した事を夜風が祝福するかのように、ザワザワと木々を揺らし始めた。
その音に混じって、わざと聞こえにくいよう、照れと恥ずかしさが内容された声が、目の前の女から僕の耳に届いた――――
「――――パム」
「えっ」
「『パム・パドリクス』――――それがアタシの”名前”よ」
……今度はハッキリと聞こえた。大魔女様がはっきりと自分の”名”を発音している。
どころか、あれほど口をすっぱくして言われた禁忌であるはずの”名”に関する話題を、僕にもわかるよう、ハッキリと、さらに続け始めた。
「若い頃は、パムとか、パディとか……そんな感じで呼ばれてたわね」
「え……」
『パム・パドリクス』それがこの長らく不明だった”相方”の名前らしい。
そしれそれらを略した仇名がパム、またはパディと。
二人を繋ぐ因果の鎖は反応を見せない。どうやら、自分から教えるのは問題ないらしい。
しかし問題はそこではない。なんでいきなり……
「……あの、いいんすか。教えちゃって」
「ハハ。バーカ、アタシが全部教えるわけないじゃない」
「”パム・パドリクス”は”属名”よ。なんで真名全部、あんたに教えないといけないんだか」
”属名”――――それは自分の所属を現す名前。
つまりこっちでいう”苗字”なのだと。
苗字が二つに区切られているせいで気づかなかったが、これは所謂”ミドルネーム”って奴なのだろう。
「真名はふたつの名前で構成されているの。一つは属名。そしてもう一つは――――」
”名前”英語で言うとファーストネームに当たる部分。これこそがその人の存在を証明する物であり、本当の意味での”真名”なのだと。
そして相手にしたらこれら二つを同時に知る事で、初めて”奪う”事になるのだ。
説明を受けずともわかるさ。だってそれって、僕にもある、見慣れた形の名前だから……
「……ほんとどうしたんすか。急に」
「べっつにぃ~。あんたが呼び名呼び名うっさいから教えてあげただけよ」
「片方知られただけじゃ別に、問題ないし」
「はぁ……」
「で、ここまで教えてあげたんだから、さっさと決めなさいよ」
「この世の魔の全てを総べる、大魔女様の麗し~い”よ・び・な”」
(――――それが目的かッ!)
――――ぬかった。僕があんまりにも呼び名に拘るから、そのせいでアイツの中で一つの閃きが沸いたらしい。
「じゃあ、呼ばせてやるから”イケてる”名前を付けろ」大魔女様事、”パムパドなんとか”さんはそう要求してきた。
「ださい名前つけたら承知しないからね」
無茶言うな。僕のネーミングセンスの無さはあの山で見せただろう。しかし奴はそんな事は忘れてしまったかのように、期待に満ちた目で僕を見つめてくる。
曰く「このアタシの知らない事を知ってる異世界人の異世界センスに期待」してるのだと、恍惚の表情でそうのたまいやがった。
そしてあわよくば、気に入った名前を付けられればその場で即座に正式に、自分の”呼び名”に迎え入れるのだと。
……責任重大すぎる。変な汗すら湧いてきた。これはすざましいプレッシャーだ。
この赤子の名前を決めるような神聖な儀式を、恋人すらロクにいない僕がやってしまって、果たしてそれは許される事なのだろうか。
ああ、やめろ、そんな目で見るな……
「は・や・くッ♪」
まじでどうしよう。イケてる名前と言われても今流行りのキラキラネームしか思いつかない。
乃愛琉さんとか姫麗さんとか。ていうかそもそも漢字って使えたっけ。
ああ駄目だ、質問できる空気じゃない――――
「~~~~♪」
ええと、こいつはがさつで乱暴だからジャイア――――ダメだ。真実を知られれば殺される。
そうだ、こいつは妙にメルヘンな所もある。だからそういう意味を込めて、ロマン……どこのスナックだ。却下。
そして脳内で久しぶりの緊急ミーティングが行われる。参加役員たちはこぞって案を提示してくるが、どれもこれも”裏の意味”がある物ばかりでどうも採用には至らない。そして全てを没にしていくうちに、ついに全ての役員がネタ切れ――――
ええい駄目だ! 何も思い浮かばない! くっそ、だったら最終手段だ!
もうこの手しかない――――!
「……」
「決まった?」
「……はい」
「おおっ! じゃあさっそく、教えてっ!」
「……ええとですね。その、なんていうか……」
「ねーさんずっと”大魔女様”って呼ばれてた……じゃないすか?」
「ウンウン」
「だから、その、そこから取りまして……」
「『オーマ』に……決定いたしました……」
「……」
――――ザワ――――ザワザワ――――
未だかつてない程の緊張感だ。汗はますます吹き出し始め、心臓の鼓動が太鼓の様に僕の中に響き渡る。何故黙る。何故何も言わない。いつものようにげんこつや暴言で罵ってくれたほうがどれだけ楽だろう。
ザワザワと木々が掠れ、山に生きる者の声意外全く聞こえない不穏な闇。この状況と同じく、僕の心も一寸先の見えぬ”闇”だ。
――――と心の中で悲劇のヒーローバリのしゃべくりを見せつけた所で、そろそろアクションを起こしてくれないか。まじで。しゃべってないと不安で押しつぶされそうなんだよ。
さもなくば、このまま僕は若くして心筋梗塞を発症し、緊急入院即手術が必要な目に合ってしまうだろう。
だ、だからはやく……黙ってないで、はやく”決”を……
「……ねえ、それって」
「……はい」
「アタシの事、”そういう人間”だって知った上で、名付けたの?」
「……はい」
「死にたいの?」
――――いっそ殺せ。跡形もなく。
「……ふん、ふん、ふん……なるほど、なるほど……」
「アタシが……魔を総べる……大いなる存在だから……」
大魔女様もといオーマ(仮)はぶつぶつと何やら呟き出した。
それは先ほどの呪文とは違う、時に目を大きく見開き、時に笑みをこぼし、そしてかと思えば急に険しい顔になったりと、なんとも情緒不安定な姿になり果てた。
この名前に心をやられてしまったのだろうか。それはさておき、単純な感想としてはだな。
(怖い……)
闇の樹海に一人でいくつもの顔芸を見せる大魔女様は最高に不気味だ。
や、やはりダメだったか……
「終わった」心の中でつぶやいた、その時――――
「……――――」
「――――ぁぁぁあああいいよおおおおおお~~~~!」
「ひぅ!?」
「採用よ! さ・い・よ・う!」
「えっ」
「ナイッスネーミング異世界人! やっぱ異世界のセンスは違うわー!」
と言って高らかに叫ぶオーマ(仮)はハイな勢いで僕の肩をバシバシと叩き、また闇夜に向けて高らかに笑い始めた。そしてその声がやかましいのか、山賊達がこぞって目覚めてしまい、敵襲だと言わんばかりにぞろぞろと物騒な物を持って近寄ってきた。
『何事ですかいねーさん!』
「おおっ! ナイスタイミング、我が配下共!」
(配下て……)
「全員集合! 全員、耳かっぽじってよーく聞きなさい!」
『……?』
「今この時を持って、アタシは今から『オーマ・パム・パドリクス』よ!」
「以後、覚えて起きなさい!」
『はぁ……?』
と伝えるとまたも闇夜に高笑いを響かせ、山賊達にビシっと指を差した後、いつも以上に高圧的な口調で解散解散と吠えたて彼らを無理矢理寝床に付かせた。
「何言ってんだコイツ」という目線が三点バーストで突き刺さっている事に気づいていただきたいな。山賊達にとってはいい迷惑だろう。
そしてこの様子を見るに、どうやら気に入って頂けたようだ――――ここで今やっと(仮)が取れ、正式に”オーマ”と言う名をつけられた。異世界センスがどうのこうのと言っていたが、それはこっちのセリフだ。
採用ありがとうと言いたい所だが、これ、そんな喜ぶ程の名前か?
こっちの世界では「腐ってやがる」のセリフで有名なアイツと同じ名前なのだが。
まぁそれはこいつは知る由もない事、か……
「ふっふーん、言ってごらん。オ・オ・マ」
――――オォォォォォ……――――ムォオォォォォォ……
オカルトに言わすなオカルトに。そいつらがそんなキレイな発音できるはずないだろ。
しかしあの喜び方、ちょっと異様だな。こっちの世界でなにかイイ意味の言葉なのだろうか。
……その答えは意外な所から帰ってきた。
「さんはいっ」
――――オォォォォォ……――――”ムァオ”ォォォォォ……
(ま、まさか……)
(アタシが……”魔”を総べる……大いなる存在だから……)
(――――”ムァオ”ォォォォォ……)
【オーマ → オウマ → 王魔】
【→魔王】
「有為無常の悪霊ども! ひれ伏しなさい! この”魔王に”ッ!」
(ちがーーーーうッ!)
なんてこった……僕は、とんでもない事をしてしまったようだ。
このただでさえ手が付けられない”大”魔女に、よりにもよって邪悪の権化”魔王”の名を与えてしまうとは……
奴は今、完全に”オーマ”を名乗っている。それが意味する物は”魔王”だと信じて……
「アタシに味方すれば国を半分あげるわよ? んん?」
元々お前の国なんてないだろ。敢えて言うならあの森か? しかしその半分はキレイサッパリお前が吹き飛ばしたのを、もう忘れたか。
この酔っぱらった親父のようなウザいテンションが以下に喜んでくれているかを空気で伝えてくる。
そしてなにより恐ろしいのが、その気になれば本当に”魔王”レベルの魔力を持つこいつだからこそ、言えやしない。絶対に言えやしない。
その名の持つ”本当の意味”――――
【大魔女 → おおまじょ → おーまじょ】
【→ オーマ】
――――ただの略名だと言う事を。
つづく