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『オーライ! オーライ!』


「ほらがんばんなさいよ! あともうちょっと!」


『オーライ! オーライ!』


「ほら後一歩! せーの!」



――――グオオオオオ!



 天に轟く咆哮と共に、地を這う竜の眷属の巨体がほぼ垂直に近い岩壁を登りきる。それと同時に地竜はその場に崩れ倒れ、激しい呼吸音と共に頭部を地に伏せる。


――――ここはアルフォンヌ山脈、標高9000m地点。


当初の予想通り、それは坂と呼ぶにはあまりに直線的な”壁”であった為、人を担いでそれらをただひたすらに登る道のりは、大地を這う竜の眷属、地竜と言えどもあまりに過酷であった。


「ごくろーさん。よくやったわ。ちょっと休憩してなさい」


――――グル……


 かの有名なエベレストの3,4つ分はあると説明されたこの山を、このペースで登るのはある意味順調と言えるのかもしれない。

 山の登り始め、麓こそ山らしく木々が密集し、木の葉の裏に昆虫類やそれらをエサとする動物類、そしてさらにそれらを捕食せんとす魔物の類が頻繁に表れたが――――

 気づいたのは3000mを過ぎたあたりであろうか。


 山を覆う土、そこに根付く木々の根、その恩恵を受ける生物の生きる生命の痕跡が徐々に消え始め、代わりに現れたのは、むき出しにされた山本来の姿――――

 無機質な岩と、何かの拍子に紛れ込んでしまったのだろう生き物の亡骸。

 そして生命のぬくもりを奪う大自然の無常な寒気……山は乗り越えるべき壁と言うにはあまりに非情で、無慈悲で、超えんとする者全てを分け隔てなく平等に、一切の例外もなく、ありとあらゆる手段でそれを阻んでくる。

 この大地の眷属と呼ばれた地竜ですらそれは例外ではなく、彼の力を持ってしてもこの延々と続く断崖絶壁を登るには、それ相応の覚悟がいるものなのであった。


「はい、ご飯。さっき練った調合薬を混ぜといたから、残さず食べなさいよ」


――――グルルル……


 地竜は明らかにバテている。食事を取る動きも弱弱しく、人手を借りてエサを口まで運んでもらって、やっと一回の嚥下ができている程度に。

 これで何度目の小休止だろうか。このように酷な断崖を登りきる度に、こうして地竜を一度休ませ、体力が回復した頃合いを見計らってまた登り始め、そしてまた断崖絶壁にぶち当たり……と言った作業を延々と繰り返している現状だ。


「はい、あーん」


 最初こそ竜の癖にだらしないと憤慨していた大魔女様であったが、今ではこうして積極的に介抱をしている有様だ。この行為が以下に過酷で熾烈な状況下に置かれているのかを物語っている。

 もし万が一地竜が力尽きてしまえば最後。人智が届くにはあまりに雄大すぎるこの山々を、あのビル何棟分になろうかという断崖を、登る術などありはしないのだ。

 そしてその一連の光景を、馬車の中で最初から目撃していた僕は――――


「ま、まぢ無理……」



 誰よりも真っ先に精根尽き果てていた。



「アタシ以上に動かないなんて、イイ御身分になったもんね。ええ?」


 という大魔女様の皮肉が数分起きに発せられる。しかしこればかりは仕方がない。

 入山と同時に当初こそ先導の手伝いをしていた僕だが、まだ緩やかだった頃の斜面を数分程登った程度で、肺が膨らみ、筋肉が悲鳴を上げ、体内組織が一丸となってストライキを起こすのだ。

 そもそもな話、登山初心者の僕に少しばかりの期待を持つのが悪いのだ。

 そうだ。山賊達にとっては山はテリトリーの一部。見知った土地勘と共に必要な装備をすで標準搭載しており、なおかつ元々肉体労働者の出だ。

 対してこの僕は、通常運動すらままならない肉体鍛錬とは無縁の人間。その証拠にこの格好、薄手のYシャツに申し訳程度のインナーウェア。機能性皆無のジーンズに靴は磨り減ったスニーカーときた。

 この圧倒的不利条件で世界レベルの登山にぶっつけ本番で挑め等と言うのが、そもそも間違っているのだ。

 適材適所役割分担。人材の割り振りはそれはすなわち”ボス”の仕事で、個々の能力を生かせないのは人事サイドの責任だ。


「みんな汗水垂らしてがんばってんのに、あんただけゴロゴロと~……恥ずかしいと思わないの!?」


「サー、ソーリー、ビッグマム……」


 恥ずかしいっていうか、そりゃもちろんお役に立てずに申し訳ない気持ちはある。

 いやでも、よく考えて欲しい。むしろ僕はお客さんだ。ほんの数分だが手伝ってやった事を逆に感謝して頂きたい。

 それに何も休日の旦那よろしくただゴロゴロしているわけじゃない。

……立てないんだ。単純に。


「こんな寒さで動けって言う方が……無理っすよ~……」


「あんたホントどうやって今まで生きてきたのよ……」


 空調完備の部屋とパソコンとスマホ、毎日三度の食事の後は風呂とゲームだな。

 一度たりとも大自然の過酷さに立ち向かった事はない。いくらか目を合わせる機会はあったが、その度に愛想笑いをし会釈をした後そそくさと立ち去って行った。

 大自然は厳しいが、その代わり去る者追わずが基本スタンスなのだ。


「さむさむさむさむ~~!」


――――ここは標高9000m。

 事前の説明通り、これほどまでの高所では空気の層が極度に薄れ、その場の呼吸すら困難にさせる。これが所謂低酸素下の高山病とやらであろう。

 しかもそれだけではない。空気の密度が薄れていくと同時にもうひとつ薄れていく物……それは気温。

 大気は圧力の低下と共に気温が下がっていく性質があり、地上では太陽が温めた地面の照り返し熱で温くなっているにすぎないのだ。

 故にこのような大地から離れすぎた場所では、バナナで釘が打てる某所の如く、生命の営みを許さない極寒の地ができあがるのだ。


「ってグーグル先生が言ってました」


「誰なのよそれは」


 誰でもいいよもう。無駄口叩いてないと遭難者よろしく眠ってしまいそうなんだよ。

 今なら許す。もういちどあのライフリングゲンコツでこの眠気を吹き飛ばしてくれ。


「ガチガチガチガチ……」


「もーほんと、しょうのないヤツね。ほら――――」


 と言って大魔女様が差し出す、瓶詰にされた瘴気を放つ禍々しいシロモノ。

 ついに来た……先ほど鼻歌混じりに作っていた、雑草毒草分け隔てなく次々とぶち込んだお手製の”ヘドロ”だ。

 それは見るからに有害物質の雰囲気を醸し出しており、貝が体内で精製するタンパク質でできた真珠のように、それはもはや暗黒物質と呼ぶにふさわしい”毒のダイヤモンド”だ。


「あ、ちょ、大丈夫です。まだ持ちます!」


「遠慮すんなって、ほら。顔見せて」


「むがっ!」


 大魔女様はそのビンを僕の口へと無理矢理突っ込み、中のヘドロを飲みこませようと、トントンとビンの底を小刻みに叩く。

 こんな物、体内に侵入させてなる物か。今僕の全細胞が、ウイルスを排除する白血球の如く、全身一丸となって異物の侵入を拒む――――


「抵抗すんな! 飲め!」


「~~~~!」


 涙目を浮かべながら抵抗する僕の頭を固定するように腋で押さえ、まるで関節技を決められロープブレイクを狙うプロレスラーのような体制で、無慈悲に口内へ放り込もうとしてくる。


「なんで暴れんのよ~~! いいから飲みなさいって!」


「フーッ! フーッ!」


 着々と口内へ向けて滴ってくるヘドロを、入れてなる物かと全力の肺活量でこれを拒む。

 そしてこの息の要塞を突破せんと次々と振動を伝える大魔女様の小刻みに動く指。

 ここで今。魔女と人間による熱き戦いがこの極寒の山脈で行われていた――――


「姉さ~ん、そろそろしゅっぱ……ぬおっ!」


「ふんぎぎぎぎ! の~~め~~!」


「~~~~!」


「……あの、お取込み中の所すいやせんが、そろそろ出発しようかと思うのですが……」


「ちっ! 仕方ない。ちゃんとそれ飲んどきなさいよ!」


「……」


 そう言い残すと大魔女様は再び極寒の外へと去って行った。

――――勝った。悪の魔女の過酷な拷問についに僕は耐えきったのだ。

 姿が見えなくなった事を確認した僕は、この口の奥深くまでに挟まっているヘドロINビンを勢いよく吐き出そうとする。しかし――――


「もがっ!?」


 奴は甘くなかった。いつの間にか唇とビンの境目に薄い粘液が塗られており、それが強力な粘性を持って見る見る内に乾いてく。

 野郎……接着剤まで用意してやがったとは。魔女はその暗黒の魔力を持って人々に呪いをもたらすと言うのがお決まりのパターンだが、そのお決まり通り、本当に呪いを残していきやがった。

 童話でよく見る白雪姫は実は子供向けに残虐表現を抑えた改変版らしいが、きっと原本ではこんな感じで首根っこつかまれ無理矢理食べさせられたのだろう。

 今の僕の様に、暗黒の瘴気を放つ”魔のリンゴ”を――――


「アニキ、これから出発再開しますんで……揺れますよ。気を付けて下せえ」


「……ふぁい」


 口に固定されたビンのせいでうまく発音できない。なんとか剥がそうと両手でビンを掴むが、この行動に薄らとデジャブを感じる。

 そうだ……まるで赤ん坊の頃飲んでいたほ乳瓶みたいだ。一応曲がりなりにも僕を気遣っての行為だからか、魔女の力を持ってはるか遠くの記憶を呼び覚ましたのだろうか。

 あの傍若無人で雑な女の、吹けば消える風前の灯火のようなぬくもりの心を感じ取れた気がした。

 だったら、感謝の気持ちを伝えてやらんでもないな。


「……」


 中身がヘドロでさえなければ。



――――……



『オーライ……オーライ……』



――――ビュォォォォ……



「……」


 再出発からいくつの時間が流れただろう。冷気はますます鋭さを帯び、呼吸が時間が経つごとに浅くなっていく。

 外では薄らと山賊どもの掛け声が聞こえるが、それも段々遠のいていく。理由はわかる。僕の意識が薄まっていっているからだ。

 この人間が立ち向かうにはあまりに厳しすぎる環境が、生命の営みを否定するのだ。地竜の歩が起こす大きな揺れが辛うじて意識を呼び起こす。


――――しかし長くはもちそうにない。


 山を乗り越えるまで――――無駄な体力の消耗を徹底的に防ぐべく、馬車の中で力なく横たわり、指一本動かさず、眼球は一点を注視している。

 今僕にできる事は、口に固定されたビンの中のヘドロが口内へ流れてこないようにする事。そして、この瞼を閉じない事……

 遭難者が何故眠りにつくのか、今ならわかる。冷え切った体温が体の活性を奪うのだ。そうして体のエネルギーが尽きる――――すなわち命のメーターが0を示す頃、所謂「寝たら死ぬ」状態になるのだろう。

 なるほどな、こんな状況なのに本当に眠気が襲ってきやがった。それはいつものグータラや怠けの類ではなく、生命の限界の警告……まるで死神が耳元で囁いているかのような、そんな眠気が――――


「……で……の」


「あ……そ……す」


「……?」


 外で何やら話し声が聞こえるが、うまく聞き取れない。地竜がまたバテたか? しょうがないヤツだ。

 あいつならこの寒さでも少々横になればすぐ回復するだろう。さっさと休んではやく出発しろ。

 お前は大丈夫でも、僕はこれ以上……この場にいたら……


 寒さと……眠気で……



 ……本……当……に……



「もし、君。大丈夫ですか?」


「……?」


「おやおや、これはひどい。かなり衰弱してますね」


「そ。だからわざわざ寄り道までして薬作ってやったのに……こいつ、全然飲もうとしないの」


 大魔女様の声と……もう一人……だれ……だ……


「このビンの中のヘドロですか。ハハ、これは飲めと言う方が無理でしょう」


「何よ。じゃあ生クリーム乗っけてイチゴでも乗せてやればよかったっての?」


「いえ、そう言う問題じゃ……いやしかし、これはあなたが調合された物で?」


「そーよ、文句ある?」


「ふむ……なるほど……一つ、お尋ねしますが、この彼が薬をイヤがる事を見越して作られましたね?」


「あら? 詳しいじゃない。あんたもしかして心理学者?」


「いえ、まぁ、似て非なる物ですが……さ、無駄話は後です」


「ここは私が何とかしましょう。さ……こちらです……」


「おっけ……おおい……山ぞ……」


「…………」


 そして声は再び遠のいて行った――――



――――……



――――パチッ――――パチチッ――――



「う……」


「お、目覚めましたか」


 凍てついた体に温かいぬくもりが溢れ、その感覚が巡ると共に目を覚ます。

 眼前に広がるのは小さな焚き木と、それが照らし出すゴツゴツした岩壁。辺りを見渡すと山賊達が体をさすりながら火に寄り添っている。

 なんだかんだで彼らも寒かったのだろう。彼らは不意に訪れた一時の休息に、安堵の息を漏らしている。


「ここは……」


「山にあった小さな祠ですよ。おそらくここの動物が冬眠の為に掘った物かと」


 質問に丁寧な言葉づかいで答える見知らぬ男。

 男性にしては長い、白く染めた髪をオールバックに整髪し、白いジャケットの上から防寒具らしきもこもこした広い布を羽織っている。

 体系はやや細身。年は30代あたりだろうか。年のせいか小食なのかは知らないが、頬が少しこけているようにも見える。

 その頬骨に乗っかるように、小さな丸いメガネが男の目を覆っている。


「あの、あなたは……」


「おっと失礼。私とした事が」


「山越えの最中偶然あなたがが通りがかるのを御見かけしまして。それでおせっかいながら手を貸した者です」


 山賊はこぞって礼を言っている。曰く山を登る毎に気候が悪化し、激しい吹雪が視界を覆い尽くしたせいで道がわからず途方にくれていたそうな。

 そこに現れたのがこの男。男も僕らと同じく山越えの最中に吹雪に見舞われ、偶然見つけたこの祠で吹雪が止むのを待っているらしい。


「何せ標高が万mを超えてますからね。山の気候は変化が激しいと言いますが、ちと気まぐれすぎますな」


 そう言うと男は焚き木に向けて手を伸ばし、火の中から何かを取りだした。


「お湯に少々の薬味を混ぜただけの簡素な物ですが、凍えた体には十分効くでしょう」


「どうぞ、お飲みなさい」


 男が差し出したのはコップ一杯分のスープだった。

 フゥフゥと口に入るまで冷ましたのち、小さく口をすぼめ湯気の立ち上るスープをすする――――


「あったかい……」


 男の言う通り、冷えた体に暖かなスープはそれはもう、全身に血が巡るようにぬくもりが広がった。

 味はほとんどなく、スープと言うよりただのお湯だったが、それでも今の僕にはそれがどんな高級食材よりも高価な味に思えた。


「君が一番衰弱していましたからね。山は初めてですか」


「あ、はい……」


「次からはせめて装備を整えなさい。山はドレスコードにうるさい物です」


 ややおしゃれな言い回しが鼻に着いたが、確かにこの格好で山を登るのは無謀だった。地竜が入れば大丈夫だろうと言う安易な考えが以下に山を侮っていたかを痛感させられる。


「あ、そう言えば地竜は」


「あの女性が診てますよ。おや、噂をすれば……」


「お、やっと起きたわねこの恩知らず」


 大魔女様は祠の入口から、至る所に雪が付着した状態で戻ってきた。

 髪を少し振り雪を落とした後「邪魔よ」と一言僕らを脚で押しのけ、焚き木のど真ん中にデンと陣取り出した。


「あーまじあったかー! ったく、なんて気候かしらね」


 誰よりもあったかがる大魔女様は誰よりも無事に見えるが……同じ感想を抱いたのか、男は大魔女様に一つ問いかけた。


「あの、あなたも随分薄着に見えますが。大丈夫なんですか?」


「大丈夫なわけないじゃない。ほら見てよ、雪がいっぱいついてべちゃっべちゃよ」


 吹雪に晒されて濡れた服の心配をするって事は、大丈夫って事だな。


「……左様ですか」


「お、あったかそうなスープ! ……じゃなくてお湯じゃんこれ」


 そう言って僕のコップを取り上げた大魔女様は、勢いよくスープもといお湯を一気に飲み欲し、プハァと息を溢し空のコップを僕に戻した。

 そんな、コップだけ戻されてもどうしろと?


「彼の分だったのですか……」


「いーのよ。こいつにはこれがあるから」


「いぃ!?」


 そして代わりに先ほどのヘドロを取りだした大魔女様は、ビンのふたを開け今度こそと言わんばかりに、ドバドバとコップに注いだ。

 

 そして一言――――


「飲め」


「いやです」


 間髪入れずに断った。コップに残った水分を少し吸ったのか、やや粘度が薄まるヘドロを見て、これはコップではなくフラスコかビーカーに入れるべきシロモノだと判断したからだ。

 そしてまた問答が始まった。「飲め」と連呼する大魔女様の要求を突っぱね続けた僕に業を煮やしたか、ついに武力制圧に乗り出してきた。

 せまい祠でドタバタする僕らの光景を見ながらも、男は表情を一切変えず、まるで顔が凍ってしまったかのように僕らを見つめ続けている。


「く~ち~あ~け~ろ~!」


「むぐぐ! ん~! ん~!」


「……」


 山賊達は邪魔そうにこちらを見ているが、そんな目線はなんのその、一人だけ体力の有り余っている大魔女様の声が、この小さな祠に響き渡る。

……この時ふと気づいた。男が見ていたのは僕ら二人ではなく、僕の口元に注がれようとしている”ヘドロ”の方であった事を。


「……すいません」


「なに!? 今忙しい!」


「~~~~!」


「差支えなければその薬、私に譲っていただきたいのですが」


「へ?」


 意外過ぎる反応だった。男の視線はこの有害物質を羨ましそうに欲しがる視線だったのだ。なんでこんなもんを……と大魔女様以外の全員が思っている。

 しかし男は凍てついた表情のまま、さらにこう続ける。


「もちろんただでとは言いません。もし御譲り頂けるのでしたら代わりにこちらも、対価を差し出しましょう」


「そうですね……これなんてどうでしょう」


 男はそう言うと祠の奥から何かを運び入れ、音を立てぬ用テーブルマナーのように柔らかに置いた。

 その場の全員がそれが何かを理解できず物珍しそうな目で見つめるが、その中でただ一人だけ、その物の使い方がわかる人間がいた。


「君ならわかるでしょう。使った事はないかもしれませんが」


「あ……これ……」


――――酸素ボンベ。消防隊員やスキューバダイビングなどで使われる背負うタイプの携行酸素供給装置。

 使用用途は登山時にも適用され、その効果は主に低酸素下における酸素供給の目的で使われる。


「何せ高度が高度ですからね。その装備では厳しいですよ」


「なんですかいこりゃあ。酒でも入って……お、結構重いな」


「こんなもん持ってこの山登ってたの? なにそれ。修行?」


「ハハ、そんな物ですかね。しかし登山には必需品ですよ」


 確かに登山家に取っては高山病対策に必須だろう。しかし――――


「あの、あなたが何故これを……」


 そう、この魔法と未知の物質が点在するこの世界で、こんな現実的なシロモノ。少し違和感がある。

 こんな物、どこから持ってきたのだ? 消防車もスキューバもないこんな世界で。


「……ついでにこれも付けましょう」


 男は質問をごまかすように懐から何かを取り出し、僕に向けてスッと差し出した。今度は手のひらサイズの、四角い小さな袋だ。

 中に何か詰まっているのか、真ん中部分のみがやや膨らんでいる。

 大魔女様はそれをヒョイと取り上げ、指で端を摘まみながら物珍しそうにプラプラと眺め始めた。


「なーにこれ。袋……? でもどうやって中身を取りだすの?」


「それを擦って見てください。おもしろい事が起こりますよ」


「……?」


 大魔女様は言われた通りゴシゴシと袋を擦り始める。なるほどな、今度は……


「えっナニコレ!? なんか熱くなり始めたわよ!?」


「まじですかい!? 姉さん、お、俺も!」


「うお~~~なんだこりゃ! まじあったけえ!」


「そちらの品は携行用ですからね。まだいくらかありますので、よろしければ全て差し上げましょう」


 ボンベのお次は”カイロ”だ。確か中に入った素材が空気と反応して発熱するのだったかな?

……魔法や竜を使える癖に、たかがカイロで場内は大盛り上がりだ。

 なんだお前ら。お前らはもっとすごい物を持っているだろうが。


「あんた、おもしろいもんもってるわねぇ」


「お役に立てて幸いです」


「悪いわねぇこんなに貰っちゃって。あ、そだ」


「アタシ達これから帝都に向かう途中なんだけど、よければ乗ってく?」


「ああ、あのあなた方が乗ってきた巨大トカゲですか」


 トカゲじゃない。竜だ。まぁ見た目は似たような物だが。


「お心遣い感謝します。ですが申し訳ありません、私は連れが迎えに来る事になっていますので」


「そぉ。残念ねえ」


 迎え……この馬鹿でかい山の中をか?


「あのトカゲ、外に放置してますが大丈夫なのですか?」


「いーのいーの。地竜は寒さに強いから」


「今は登り疲れてバテてるだけよ。ほっとけばそのうち起きるわ」


「左様ですか」


 男は淡々として口調で答えた。連れがいるらしいが、この吹雪で合流できるのか? それにこいつ、どうにも引っかかる。この品々は一体どこから持ってきた。

 だってこれは、こっちの世界の……


「ああ、何故私がこのような品々を持っているかでしたね」


「単純な話です。街で買いました」


「我々の連れに山に詳しい人間がいましてね。もしもの時の為に買っておけと……まぁ、それがこうして功を成したわけですが」


「人の助言は聞く物です」


 大魔女様は「全くだ」と言わんばかりに首を縦に振る。同意してる所悪いが、助言と強制は違うと言う事をはやく気づいてもらいたい物だ。


「連れに言っといてよ。どこの誰かしんないけど、サンキューってさ」


「承りました。おや……」


「ちょうどいい事に、吹雪が弱くなりましたね」


 祠の入口から地竜の姿が確認できる。さきほどまではそれすら見えない猛吹雪だったが、なんとか落ち着いたようだ。

 冷気は相変わらずだが、風は弱弱しく、再出発には絶好のタイミングだ。


「登山の際は雪崩にお気を付け下さい。あのでかいトカ……地竜の地響きで雪が崩れかねませんから」


「おっけー。じゃ、またね」


 貰う物を貰ってもう用はないと言わんばかりに、僕ら一行は男の助言をさらっと受け流しその場を後にした。

 服の中にカイロを、口には酸素ボンベを備え付け、これでしばらくは大丈夫だろう。

 しかし僕の脳裏にはどうにも違和感がぬぐえない。何故こっちの品を持っていたか? ではない。



――――”何故嘘をついたか”だ。



「お連れさん、いっちゃいますよ」


「……」


 カイロもボンベも仕組み自体は単純な物だ。この魔法や竜が跋扈する世界では、それらを再現する等確かに容易い事だろう。

 しかしにも関わらず、山賊どころか大魔女様まで、まるで初めて見る珍品のように大はしゃぎしていた。街で普通に売っているなら、あんな反応不自然だ。

――――それにそれ以外にも確証はある。それはこのカイロの方だ。

 ボンベの方は知らないが、こっちは馴染がある。何故ならそれは、こっちの世界では必ず見る物があったから。それは……


「あの」


「はい?」


「……”ウサギの”カイロ、ありがとうございました」


「……」


 そう、カイロには”メーカーのロゴ”が描かれていた。CMで使われるメーカーのモチーフキャラクター、コミカルな絵柄の”ウサギ”と共に。

 酸素ボンベのメーカーなぞ知らないが、カイロのメーカーはテレビを見てる限り、国民皆一度は見たことがある有名メーカーの品だったからだ。

 しかしそれを言及する事に意味はない。この男の素性など今はどうでもよく、山を登り帝都へと向かう事が先決だからだ。

 しかも彼は僕らに危害を加えず、逆に助けた。だから、ここで男を問い詰めれば、非難されるのは僕の方だ。


「なにやってんのよ! いくわよ! 軟弱男」


 相変わらずひどい言われようだが、あの猛吹雪を「ちょっと冷える」で済ませられる連中にとっては、僕は軟弱者以外の何物でもないだろう。

 男に違和感を覚えつつ、少々の会釈をした後、得体の知れない物から逃げるように、僕は男に背を向けた。


「お気をつけて」



――――男の気遣いに答える事はなかった。



「おっそい! 何ちんたらやってんの!」


「あ、す、すんません……」


「あんたがひ弱にぶっ倒れるせいで大幅に遅れてんのよ! さ、行くわよ!」


「総員、しゅっぱぁ~~つ!」


『アイアイサー!』



――――グオオオオオオ!



 そして僕ら一行は視界の晴れた山を再び進みだした。あの男のいた祠を後にして。

 体力の回復した地竜は、瞬く間に祠を小さく視界の端へと追いやっていく。

 大魔女様は急げ急げと皆を必要以上に急かすが、その理由は簡単だ。

――――山で一泊は嫌だ。ただそれだけだった。


「こんなクッソさむい所で寝れるか! 全力でいけーーーーッ!」


 全力で走ったら雪崩がとさっき言われたばかりだろうが。

 だが急ぐのは大賛成だ。カイロもボンベも有限だ。時間を掛ければ掛けるほど消費されていくからな。これらが無くなる前に少なくとも耐えれるレベルの高度までは行きたい物だ。

 何度も言うが、僕は登山家になる予定はない。山で眠るなど、一回経験すればそれで十分なのだ――――




――――……




――――パチッ――――パチチッ――――




「……」


「おっす! お待たせさん! 一人で寂しかったか?」


「……推定5時間20分16秒の遅刻です。雪崩に巻き込まれて死んだのかと思いましたよ」


「相変わらず細かいヤツだな。この俺がそんな簡単に死ぬかっての」


「それに遅刻じゃねえ。この吹雪で山ぁ登れなかっただけだ」


「おめーだってだからここでずっと待機してたんだろが」


「ええ、まぁ」


「まあいいや。カイロくれよ。さっきから体が冷えちまって仕方がねえ」


「カイロ? カイロならもうありませんよ」


「全て通りすがりの人にあげてしまいました」


「はぁ!? 全部か!? 大量に持ってたろおめえ!」


「通りすがりも大所帯だったのですよ。それに命の危険に晒されていた子もいたのです」


「”医者”として黙って見過ごす事はできません」


「……こんな時にも医者”だった”事が忘れられねえってか」


「失礼な。私はまだ現役です……そうだ。代わりにこれを差し上げましょう」


「なんだそりゃ……ヘドロじゃねえか」


「ふふ、通りすがりの方々は少しおもしろい連中でね」


「少し飲んでごらんなさい。冷えた体が一瞬で回復しますよ」


「ええ、このヘドロを……グガ! にっげえ!」


「当然です。薬ですから」


「おええ~、ペッペ。舌が痺れてきやがる……」


「……お?」


「なんだこりゃ……体の芯から熱が湧いてきやがる!」


「通りすがりの方が持ってた物です。どうです? 呼吸も楽になってませんか?」


「ほんとだ……すっげえ! ななな、なんだこれ!?」


「おそらく植物から調合した物でしょう。植物の葉緑素が体内の二酸化炭素を持ちいて高濃度の酸素を生み出すよう配合されています」


「そして体内の発熱を促す活性成分もブレンドされてますね。これなら極寒の大地でも数時間は持ちますよ」


「なんだその登山の為に生み出された薬はよ。登山家件薬屋か?」


「この薬のおもしろい所はそこではありません。私も先ほど少し舐めてみましたのですが」


「これはね……実は全て”毒草”で作られているんですよ。まぁ関係ない物も少し混ざってますが」


「ど、毒草だ!? じゃ、これ!」


「はい。私もこのような物、今まで見た事ありません」


「私史上最低最悪の人工毒物です。飲みすぎると99・99%死にます」


「おいぃーーッ! なんちゅうもん飲ませてくれてんだよ! ウッ、なんか舌が……」


「飲みすぎると、と言ったでしょう。ちゃんと用法を守れば大丈夫ですよ」


「舌の痺れは副作用。しかし山で味覚を気にしている場合ですか?」


「まぁ、確かに関係ないけどよ……」


「この薬の面白い所はね、毒に毒を重ねて絶妙な配合で中和してるんですよ」


「体の発熱は毒による体内の異物除去反応。酸素だって、濃度が過ぎれば酸素中毒を引き起こす立派な毒です」


「その症状は激しい痙攣作用。しかしその激しい体の震えがまた、体内を発熱させ……ふふ」


「何かが0.1gでも狂えば途端に人体を破壊する毒の混合物。それをものの見事に有害要素のみを中和させ、登山專用の薬に……」


「素晴らしい、素晴らしい薬ですよ!」


「この薬オタが。薬なんて半分優しさでできてりゃ十分なんだよ」


「……あなたみたいな単細胞には。この薬の凄さはわからないでしょうね」


「うるせえよ、オタク野郎。そんなに凄いなら貯金全部降ろしてそいつ専属で雇えよ」


「ま、ただの通りすがりにまた都合よく会えるわけないか……」


「その心配ありません、きっとまた会えます」


「何の偶然か、彼らの目的地も我々と同じ”帝都”ですから」


「へえ、よかったじゃねえか」


「ふふ、神の導きかもしれません……楽しみです。……っと、こうはしていられません」


「そろそろ行きましょう。何せあなたのせいで計画は大幅に遅れていますから」


「だから吹雪でこれなかっただけだっつの。いちいちうるせーよ」


「代わりに大暴れしてやっからよ。それでチャラだ。何の問題もねえ」


「毒を持って毒を制すと言った所ですか?」


「誰が毒だ。いいからさっさと行こうぜ。先発組はもうとっくに着いてんだろ?」


「ええ。あなたの巻き添えで私までドヤされるなんて、イヤですから」


「うっしゃ、じゃあいっか!」


「ええ、参りましょう」




「――――”英騎”の下へ」




                                       つづく


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