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身ぐるみ

 

「お、おええ~……」


 湿気を含んだ生温かい風が肌を伝う。馬上に体を全面に伏せ、首を少し横を向ける。

 目の前に広がる世界は先ほどの乾いたと気候とは打って変わって、さわさわと緑が生い茂り、その表面には野生動物らしき生き物が野を駆け、草を食し、群れている物もいれば単独で行動する物もいる。


 ふと下をちらりと見れば、小さな花らしき植物がまだらに生えている。花は風に揺られ呼吸をするかのように小さく揺れ、そして元の位置に戻る。

 空は透き通ったように蒼く、日光の恵みをサンサンと受けている大地は、草の緑に覆われおだやかな緑のカーペットを形成している。

 そのなんとも柔らかな風景が地平線いっぱいに広がっている中で、できる限り遠くの風景を注視している生き物が一人、そこにいる。


「お、お馬さん、もうちょっとゆっくり歩けない……?」


「……」


 馬は返事がてらぶるっと鼻をくゆらし、そしてまた一歩一歩大地を行進していく。

 一歩進むごとに馬の発達した臀部が大きく縦に揺れ、その振動が臀部の延長線、木製の車輪が備わった大きな借り宿に直に伝わる。

 構造上馬の歩幅は必ずしも一定ではなく、時に大きく、時に小刻みに。そしてスピードを上げたかと思うと不意に止まり草を頬張る。

 その安定しないアンバランスな行進が、二足歩行に特化した人間の平衡感覚を大きく狂わせるのだ。


「き、気持ち悪い……」


 バフールと呼ばれる喧噪とした街を離れ、どれだけの時が経っただろう。

 街の人々が餞別がてら下さった数々の荷物に紛れ、僕は荷物の一部と化していた。

 しばらくの我慢と睡眠でもって耐えようと試みるも、同乗者の荷物を漁る行為に邪魔され未だ覚醒状態を免れていない。

 耐えかねず目を開くと、車内はいつのまにか開業前の小売店の如く、品々が至る所に散財していた。

 整理整頓と言う概念が全くを持って存在しない同乗者の為に、取り出しやすいよう仕分け作業をしてやった。それは暇を持て余した、ただの出来心……


 しかしその行為こそが過ちの第一歩であった――――


「ほんと、だらしないわねえ。馬車の中でダメージを受ける奴なんて、世界広しと言えどあんたくらいよ」


「あ、今ちょっと話しかけないで下さい……うぷっ」


 この不安定に揺れる車内は、大小様々な品を至近距離で目を配る僕の平衡感覚をあっという間にかき乱した。せめて一度、馬車を止めてから整理すべきだった……

 自身の計画ミスを噛みしめつつ、作業を中断し未だ遠くを注視している僕をしり目に、同乗者の女は一人空いた分広くなった車内をふんだんに有効活用し、午後のティータイムと言わんばかりに優雅にくつろいでいらっしゃる。


「あの、酔い止め持ってないっすか……」


「ヨイドメ? なにそれわかんない。そこの中にあるかもしれないから自分で探しなさい」


 荷物の中に酔い止めなどあるはずがないとわかりきっていたので、せめてこれ以上ひどくならぬよう現状維持に全力を注ぐ。

 遠くを見つめる僕と相反するように、同乗者の女は足を延ばし、片手に持った本をパラパラを捲っている。


「こんな所で……知りませんよ。酔ってげーげー吐いちゃっても」


「はぁ? お酒飲んでないのに酔う訳ないじゃない」


「ほんと、異世界人って意味わかんない事ばっかいうのねー」


 この同じ意味の言葉を使っているが故の意味の伝わらなさが最高にもどかしい。

 大魔女様は僕の忠告など丸で意に介さず、またパラパラと本を捲っている。

 結構な時間こうしているにも関わらず、一向に吐き気を催す気配を見せない大魔女様を見ていると、自分が人一倍軟弱すぎるのかと自己嫌悪が襲ってくる。

 そしてそれはおおむね正しいのが、余計にネガティブ思考の泥沼にハマっていく――――


「あ”~~……」


「もう、アタシの視界が届く範囲でそんな復活間際のアンデッドみたいな体制にならないでよ」


「聖水をかけるわよ、聖水を」


「この酔いが治るなら聖水でもなんでもいいです……」


「もーしょうがないわねー。なんかの薬草がさっきあったような……」


 そう言って同乗者はまるで死肉を貪るアンデットのように、整理された荷物を再び漁り出した。

 瞬く間に車内を覆い尽くす品々に、乱雑に開けられた鞄。宙を舞うビンや本、小物類等の道具を見守りながら、また後で街を彷徨うアンデッドの如く右往左往しながら整理整頓に明け暮れるのか。ああ、考えるだけでメンドクサイ……

 等と脳内で文句を言いつつ、いつか来るだろうその時に備えしばらくの現実逃避入ろうとした――――その時であった。



――――グオオオオオッ!



「おわぁッ!?」


 と言う全力で叩いた太鼓のような轟音を響かせ、この馬を一口で摘まめそうな、大口を持った”巨大爬虫類”が現れた。

 皮をなめすとどれだけの財布ができるのだろうか。と言いたくなるくらい細かな鱗状の皮膚に覆われた表面から、濃い黄土色の肌をし、破れた衣服と所々欠けた甲冑を身に着けた二足歩行の生き物が、ノミのようにわらわらと溢れ出してきた。


「しゃあーッ! 久々の食糧だぁーーーーッ!」


「やいてめーら! 命が惜しくば、身ぐるみ全部置いてきな!」


――――なんてベタな。いやいや、そんな事を気にしている場合じゃない。

 この僕らの身ぐるみにありつこうとしているアンデッド兵共は、この巨大な生き物を従え、瞬く間に僕らを取り囲んでいく。

 巨大トカゲの咆哮に馬が共鳴するかの如く右往左往に暴れ出し、車内は瞬く間に、いつか見た汚部屋へと変貌していく。


「うわっちょ、ええっ!?」


「しゃあ! とりあえずそいつ、引きずり降ろしちまえ!」


「オオッ!」


 統率の取れた雄叫びをあげたアンデッド兵の集団は、統率の取れた動きで瞬く間に僕を、統率の取れた大地へ引きづり落とす。

 そして見上げる僕に先端の尖った棒……もとい、刃物を突き立て、ゆっくりと頭をあげる用指示を出す。


「おとなしくしてりゃー悪いようにはしねえからよぉ」


「両手をあげてゆっくり立ちな。少しでも妙な動きをしたらたたっ斬るからな!」


 抵抗などできるはずもなく、僕はその指示に寸分違わず従う。

 意外だな。この両手を上げる降伏のポーズが、まさかこっちでも有効とは。いやいや、そんな事を気にしてる場合ではない。

 これは俗に言う――――


「あったぁ……何よ急に、もぉ~」


「アニキ! 馬車の中にもう一人仲間が!」


 そうだ。僕にはもう一人同乗者がいた。

 癇癪持ちのきらいがあり、一度それが発動すれば、緑豊かな森を灰色の荒地にする事が可能な、とっても危なっかしい同乗者が……


「おい女! お前もだ! 出ろ!」


「エッ何? ……うそ、マジ?」


「きゃー信じらんない! 山賊とかアタシ、初めて見たわ!」


……若干喜んでるようなニュアンスで、爆弾の化身のような同乗者は何故か好き好んで自分から彼らの指示に従い降りる。

 目を輝かせながら背後に剣を突き立てられ、両手を天に掲げ軽やかな足取りで僕の横に並ぶ。こいつ、状況わかってるのか? あんた大魔女様なんだろ?

 その持前の溜めこんだ魔力とやらではやくなんとかしてくれよ。


「へっへ、安心しな。無駄な抵抗さえしなけりゃ命までは取らねえからよ」


「すっご! 山賊ってマジでこんなセリフ吐くのね!」


「ちょっと、いらん事言わんで下さいよ!」


「なんでよ、素直な感想を言っただけじゃん。ねねね、やっぱり獲物を見つけるとヒャッハーって言うの?」


 何故か街中であった有名人にサインを強請る一般ピーポーの如く、大魔女様が怒涛の質問攻めを展開する。

 言葉に詰まった彼らはバツの悪そうに馬車に潜り込み、僕らの持ってきた身ぐるみを漁る。

 この他人の物を奪う一連の動作こそ、山賊の本業なはず……なのだが、何故か彼らの手際は非常に悪い。もたもたもたもたと、身ぐるみを剥ぐだけでカップラーメンが出来そうなくらいの時間がかかっているのだが。


「お、おっそ……」


「何もたついてるのかしら」


 という思わず漏れてしまった感想を聞かれたのか、山賊のリーダーらしき男が子分に向けて怒号を飛ばした。


「てっめえらぁ! おせえぞ! 何モタついてやがんだ!」


「ア、アニキ違うんだ! ちょ、ちょっとみんな~! 手伝ってくれ!」


「うわっ! なんじゃこれ!」


「……?」


 狭い馬車にわらわらと集まる山賊たちを大魔女様は不思議そうな面持で注視しているが、僕にはそれが何なのかすぐにわかった。

 ……あんたが雑にとっ散らかすからだ。

 大小様々な品物が所せましと散らばる車内には、それら全てを奪う事が生業の彼らにとって、それはそれは面倒で億劫な作業なのだ。


「だぁ~もう! 何やってやがんだ!」


「……やいてめえら! そこを動くなよ! すぐ戻ってくるからな!」


 と、命令口調で僕らに怒鳴り散らしたリーダーの男は、そのまま僕らそっちのけで子分の手伝いに回ってしまった。今完全にフリーの状態である。

 山賊よ、いいのかそれで……しかし僕ら、いや、少なくとも僕には、それでも身動きが取れないもう一つの理由があった。



――――グオオオオオオ!



 ビリビリと耳をつんざくすざましい轟音をあげるこの”巨大爬虫類”が目の前にいるかぎり、僕らは蛇に睨まれたカエルのように微動だにせざるをえないのだ。

 こうなっては仕方がない。ここは街の人気者、大魔女様になんとかしてもらうしか――――


「へえ、こいつらすごいわね。人間の癖に地竜ちりゅうを従えてるんだ」


「ち、地竜?」


「そ。地竜。竜の中でも主に大地を生息圏にしてる種族で、それ故に、比較的人目に触れる事の多い竜」


「昔は地竜災害とかよくあってねー。人里を襲う地竜の被害とか、そこかしこで聞いたっけ」


 と昭和を懐かしむ中年男性のように思い出に浸る大魔女様をしり目に、何故か山賊に組している地竜はまたもやその無駄に長い首を大きく逸らし、天に待ち人がいるかのように、大きな雄たけびを放った。



――――グオオオオオオ!



「おおおッ! ――――たぁ~~ッ!」


 逃げも隠れもしないから、せめてこいつを黙らして欲しい。それか耳栓を貸してくれ。

 ただでさえ酔い気味でフラフラしてる僕に、こんな音が肌で感じられるほどの振動を加えられたら、胃にこみ上げつつある酸性粘液がさらに刺激されるのだ。


「ていうか、ねーさん何とかしてくださいよ!」


「なんでよ。いいじゃん別に山賊くらい」


「よかないっすよ! 僕ら帝都まで行くんでしょ!? あのくっそ遠い道のりを手ぶらで行けって言うんすか!」


 大魔女様はこれでもかとのん気を貫いており、一向に危機感を持ってくれない。

 危機を持っていただくべく、身ぐるみを剥がされれば食料や水の問題。寝床の問題。

 そしておそらく馬車も奪われ、あの何百キロの道のりを自力で進む辛さ。その他もろもろを事細かに説明するのだが、大魔女様は僕の必死な訴えにあくび一つで返事を返してきた。


「ふわぁ……」


「ゼエ……ゼエ……これで……全部かぁ~!」


「ハァ……ハァ……へい……! もう中には虫一つ残ってやせん……!」


「おっそいわねー。何をもたついてんだか」


「お前らなぁッ! なんだあのとっ散らかった荷物は! 整理整頓くらいちゃんとやってろよ!」


「はあ? なんで山賊の為にそんな事しないといけないのよ」


 言わんこっちゃない。案の定山賊のもたつきの原因は、大魔女様の散らかし癖のせいであった。

 全て外に出された僕らの身ぐるみは、山賊が全て種類ごとに分別して、大きな箱にキレイに詰めて隙間なく収納している。

 不覚にも意外と几帳面な山賊達に、少しばかりの親近感を覚えてしまった。

 それはあれか、奪った品で生計を立てるが故の、所謂職業病と言う奴か。

 

「ったく……これで全部だな!?」


「あ、まだあるわよ。こいつ異世界のおもしろい箱持ってるし」


「へえ……そりゃ一体どんなシロモノなんだい? 俺達にも見せてくれよ」


 ちょ、なんで今それを言う!? これだけはダメだ! 

 これを渡してしまったら僕はもう明日からどうやって生きて行けば――――


「ケチケチせずに見せてやんなさいよ」


「い、いやだ! これだけは……これだけは!」


 僕の懇願が逆効果となり、山賊たちは僕の両手を抑え体中をどっちの意味でも薄汚れた手でまさぐり始める。

 そしてその手はポケット越しに四角い物体を掴み、それを手元に引き寄せるように引き抜いていく。


「なんだこりゃ……ちり紙入れ?」


「か、返せ! 僕のスマホ~~ッ!」


 山賊は初めて見る品に食い入るようにそれを注視している。

 彼らにとってはスマホの正体こそ不明だが、そこはさすが山賊。一目で貴重な品を見抜いたようだ。


「へえ……こりゃイイ値で売れそうだ!」


「でしょでしょ。売る時はどこの闇市で捌くか教えてね。アタシが買うから」


「いや、あんたの金も今から俺らが奪うんだけど」


「~~~~!」


 何故か山賊の輪に割って入ってトークに花を咲かせる大魔女様を、僕はカエルを睨むヘビの如く睨みつける。

 その眼差しを察知した大魔女様は、わかったわかったと言わんばかりに山賊に向けてこう言い放った。


「あのさー、悪いんだけど、アタシらちょっと事情があって、身ぐるみ剥がされちゃ困るのよね」


「だから……今回だけはスルーしてくんない?」


「……お前、山賊を何だと思ってんだ?」


 置かれている立場を考えない大魔女様のなめくさった言動に、山賊達は呆れ混じりにダメだダメだと否定する。

 しかし大魔女様は、彼らの答えにさらに被せるように、今度は強い口調で否定を返し出す。


「だから、命は助けてやるからアタシらはスルーしてって言ってんの」


「また別の奴襲えばいーじゃん。この辺なら行商とかの交易ルートだしさ」


「ふざけてんのかてめえ……」


 山賊達は、ピリピリと殺気立ち始めた。そりゃそうだ。捕食者たる立場の者が、自分達の営業文句をそっくりそのまま返されたのだから。

 山賊達は腰に掛けた鋭い刃物に片手に乗せ、大魔女様に威圧オーラを出しながらさらに捲し立てる。


「身ぐるみ剥がれるだけじゃ気が済まないか? ああ?」


「わざわざ整頓してくれてありがとう。でもそろそろうっとうしいわ。あんたらちょっと臭うし」

 

「というわけで、消えて。はっきり言って迷惑」


 完全におちょくられていると判断した山賊達は、ついに剣を片手に腹の底から怒声を挙げる。

 その声に呼応して、おとなしく主の命令を待っているだろう地竜も、戦闘態勢と言わんばかりにしならかで巨大な尾を逆立てた。



――――グオオオオオ!



「ちょ、ちょっとぉーーーーッ! ここまで啖呵切ったんだから何とかして下さいよ!?」


「大丈夫だって。心配性ね」


「じゃあその根拠を教えてくださいよ! この山賊達はともかくあの竜!」


「あんたあれ一人で撃退できんの!? できるならさっさとやって僕を解放してください」


「お、鋭いわね異世界人。確かに、人間如きがいくら束になろうと広範囲型魔法で瞬殺だけど」


「竜族は基本的にタフだからねー。あれを瞬殺しろって言われたら、ちょっとしんどいわね」


「ええ~~~~ッ!」



――――グオオオオオオ!



 山賊と地竜は完全にスイッチが入っている。大魔女様の言う通り、山賊はともかくあの竜が厄介だ。

 見た目通りの巨大な体に備え付けられた、堅牢な鱗。竜のイメージそのままである。

 大魔女様だけならおそらく撃退は可能だろう。しかし恐ろしいのは、決定打を浴びせる前に僕がダメージを食らってしまう事だ。


「ひいぃッ!」


 ロクに筋トレもしてない僕のボディは、数値では表せないくらいの防御力だろう。下手するとマイナス値を示しているかもしれない。

 そしてその追加効果は息切れ、居眠り、現実逃避。おまけに装備者本人は今、酔いと言う名の状態異常に悩まされている。

 あの巨体が一度暴れはじめれば、僕への攻撃がそのまま後ろの馬車まで素通りし、巻き込み大破連続コンボになるのは目に見えている。

 だからこそ、大魔女様だけが唯一の頼りなのだが――――


「大丈夫だって。こんな連中、魔法なんか無くったってなんとかなるから」


――――魔法を使う気がないのか!? 

 どれだけ舐めプすれば気が済むのだろう。実力の差が大きく開いた者同士の戦闘は、実力が上の方が下に合せた制限を加えるのが一般的だが、問題は彼ら以上に僕の実力が下回っている事だ。

 手抜きはイコール慢心の表れであり、達人でも気の緩みで一撃を食らってしまう事がある。

 そしてこの緩みどころか、ドロドロに液状化し、薄らと蒸発すらしかけている大魔女様の気は、ついつい失念して僕へ一閃――――という不慮の事故が発生する可能性がグンと跳ね上がるのだ。


「ま、マジで真面目にやって……」


「もーうっさいわね。アンタちょっとびびりすぎだって」


「いやだってそんな……」



――――グオオオオオ!



「ひいっ!」


「この稼業、舐められたらおしまいだからなぁ!」


 とまたベタな発言を放つ山賊に、全くやる気を見せない魔女。

 戦闘態勢どころか両手を挙げたまま完全に上の空な大魔女様の横には、僕が地竜の雄叫びにビビリしりもちをついていると言うこれ以上ない無様で無礼でありえない状況が、奇跡的に今。この異世界の広大な平原で生み出された。


「うぷっ」


 極度の緊張感と相手の殺気。そして竜が放つ体に響き渡る轟音のせいで、僕の体がついに異常をきたし始める――――やばい、吐きそうだ。


(こんな時に!? やっばい!)


 ただでさえ無防備な僕がこの場でさらに嘔吐と言う名の行動不能状態に陥れば、戦闘の法則に乗っ取って真っ先にやられるのは、まず間違いなく僕だろう。

 吐き気を必死に堪える僕に呼応したのか、横の舐めてかかる事にやる気マンマンな女は、涙目を浮かべながら必至であくびをガマンしている。


「死体から盗む方が、楽だからなぁ!」


 とどこかで聞いたセリフを吐くと、山賊は手に持った剣を大きく振り上げ、利き足を後ろに腰を落とし、こちらを鋭く濁った目つきで一瞬たりとも逸らすことなくぐっと睨む。


「……」


 そして大魔女様はまだ両手を上にあげている。本気で魔法を使うつもりがないらしい。

 本当にどうするつもりだ……煽ったのはあんただ。だから、責任もってなんとかしてくれよ?


「やっちまえー!」


 ついにきた。リーダーらしき男の号令で山賊は調子よくグッと大地を踏みしめる。

 そして地竜も一歩踏み出さんと大地に重心を掛けるが、この巨体の重心移動は人間のそれとは違い、ズっと小さな地響きを発生させる。

 そして山賊と竜が同時に勢いよく襲い掛かろうとしている。


 まさにそのタイミングで――――



「うごくな!」



……声を上げたのは横の両手を上げた女だった。

 絶妙な間で声を張り上げた女のせいで、山賊達は一瞬だけ歩を止める。動き始めを空かされたような感覚なのだろう。

 そしてそのタイミングを狙ってさらに女はこう続ける――――


「あんた達、さっきから”イイ匂い”がすると思わない……?」


「匂いだぁ?」


 女の問いかけに素直に鼻をスンスンとヒクつかせる山賊達。釣られて僕も辺りの嗅いでみる。

……ほんとだ。何やら甘いアーモンドのような香りがその場に漂っている。


「……おめーさんの香水かい?」


「惜しい。近いけど、ちょっと違う」


 もったい付けて話す女にやや混乱を見せつつも、山賊達は交戦の姿勢を崩さない。僕はと言うと、甘い臭いをまだ嗅いでいる。

 確かに、甘いイイ香りがするのだが……ちょっとキツイ。

 山賊の言うように、それは香水やコロンの類をしこたま浴びた、授業参観でよく見る気合いの入ったおばさんのようだ。


「あんた達が漁ってた荷物にはね、こんなのが入ってたの」


 そういって大魔女様は両手を後ろに組み、指を後ろ髪に入れ少しばかりもぞもぞとなにやら弄りだした。

 そしてその中から、キラリと光る、何やら暗色がかったピンクの気体が入っている、摘まめる程度の小さな小さなビンを一つ取りだした。


「――――正式名称、食肉性魔霊植物ラフレシア科ラフレシア属」


「あんたらのような奪う事しか能がない山賊は知らないでしょうけど、これは貴族御用達の高級香水でね」


「……?」


 山賊達は何やら語り始めた女の話にわけもわからぬまま聞き入っている。

 解説……いや、なんの? この状況で何を言い出すんだコイツは。


「ラフレシアは自律性に乏しくあまり広範囲は動けないから、捕食の際は獲物がついつい寄ってきてしまうような甘い香りを放ってエサをおびき寄せる習性があるの」


「その香りは動物はもちろん人間でさえ夢見心地にさせる、甘い罠……」


 ラフレシア……あいつか! 僕が最初に来たときに襲われた、あのでっかい花びらの……


「その香りに目を付けた上流貴族共は、我先に香りを身に着けようとこぞって行商人に注文を出した」


「しかしラフレシアは食肉性の為、生きて戻れる行商人は数少ない。」


「理由は言わなくても、わかるわよね?」


 食われた……んだろうな。あの花のテリトリーに入ってしまったが為に。


「ラフレシアは哺乳動物と違って咀嚼機能を持たない。よって捕食の際は獲物を丸ごと強力な酸液に浸して消化する必要がある。その為に生み出されたのがこの天然の香り」


「甘美な香りに希少性、そして曰くつきの逸話が加わって、瞬く間に流行した高級香水。その元となるのがこれよ」


「よってこれは、魔霊の森に住む人食い花から採取した、捕食用植物由来消化液――――それがこの気体の正体よ」


 この説明に端を発し、山賊達がざわめき始める。それは僕だって例外じゃない。

 だってそれ、元々酸なんだろ? 色々まずくないか?


「ほんとはこれをろ過して精製して、色々と製品化するまでの工程があったんだけど……」


「あんたらがこのバカでかい地竜に乗ってきたせいで――――漏れちゃった」



『なにぃーーーーー!』



 まじか!? じゃあこの匂いって……



「ほら、見てごらんなさい」


「うぷっ」


 この話に驚いた一瞬の隙を突かれ、僕の方の消化液が全速全身と言わんばかりに喉を駆けあがってきた。

 酔いの不快さと至近距離にある香水の原液、そしてさっきの血の気が引く話が後押しし、最終防衛網を突破されてしまった。

 これではもう止まらない。奴らの猛進を止める者はもういない――――


「オエエエエエエ……!」


……ついにやってしまった。遠足のバスの中、他の奴が介抱されながらゲーゲー吐いてるおぞましい姿を反面教師に、僕だけは絶対に人前で吐かないと心に誓っていたのに。

 こいつらは知らないだろうが、僕の世界では人前で吐くと言う事は、学校で大きい方の用を足す事の次に”禁忌タブー”なのだ。

 そして今、その姿をついに人前で見られてしまった……

 山賊達のドン引きした視線がグサグサと突き刺さる。さすが山賊、文字通り身ぐるみをすべて剥がされてしまった。

 こうなったらもう捨てる物など何もない。後は煮るなり焼く成り好きにしてくれ。


「見てごらん、この症状。これはラフレシアの消化液を吸いこんだ際に現れる症状よ」


「ラフレシアの体液を体に侵入させた場合に起こる症状。それが倦怠感、めまい、吐き気、発熱、寒気――――」


「そしてそれが神経中枢まで達すれば、次の段階として痺れを伴った歩行障害に代わり、呼吸の乱れと共に徐々に全身を麻痺させていく」


『そういえばさっきこいつ、いきなりケツからぶっ倒れてた……』


「オエエッ! ゲホッ! ゲホッ! ハァ……ハァ……」


 それは違うぞ山賊達よ、僕がしりもちをついたのは、お前らが連れてきた凶暴な竜にびっくりしただけだ。

……そしてこいつが何をしようとしているかも今わかった。こいつ、魔女の癖に本当に”魔法を使わず”撃退するつもりらしい。


「こいつにこれらの症状が現れたのは、一番アタシの近くにいたからでしょうね」


「そしてこれは元々消化液。体内に侵入した消化液は様々な症状を引き起こした後、つまり獲物が弱り動けなくなった頃」


「ゆっくりと溶かしていくの。……その者に備わっている……”内臓”をね……」


 最初に見た不敵な笑みを交え、魔法を使う気がない魔女が意気揚々と語り終えた頃。ふと彼らを見れば、山賊達が目に見えて動揺し始めている。

 ある者は指を口に入れ、またある者は鼻を摘まみ、またまたある者は両掌で懸命に顔を塞ぐ。

 この光景を好機と睨んだ大魔女様は、次なる一手に乗り出し始める――――


「侵入経路はズバリ鼻。全員、匂い嗅いじゃったわよね」


「目には見えない有毒物質が今、ちゃくちゃくとあんた等の体を蝕み始めているわ」


「あ、言い忘れてたけど症状の一つに皮膚の細胞異常もあるわ。肌をゴシゴシしてごらん」


「なんか出てくるから」


「うあああああーーーッ! お、俺の皮からなんか、なんかいっぱい出てくるゥーーーー!」


……山賊よ、それは垢だ。お前らは元々汚かっただろう。

 良い機会だ。帰ったら久々に風呂に入るといい。色々出てくるから。


「うふふ、最初の犠牲者は誰かな~」


 と言いながら見せつけるように僕を指差した大魔女様。

 僕が膝を突き、頭を地面に水平にし、その間からすっぱい匂いのする液体を垂れ流している。

 その光景を見た山賊達は――――ついに心が折られてしまった。


『うああああーーーーッ! 助けてくれェーーーーッ! まだ死にたくない! ヤダァーーーー!』


「あーあー、まさに阿鼻叫喚ね」


 鼻だけに。やかましいわ。

 しかしこのしょうもないジョークを言い出したと言う事は、この場はもう完全にこいつのペースなのだろう。



――――グルルル……?



 必死で泣き叫ぶご主人様達に混乱する地竜が哀れだ。

 ご主人様を助けようとその巨体を動かそうとする地竜にすかさず大魔女様はこう言い放つ――――


「安心して。さっきあんたらがまとめた荷物の中に解毒剤が入ってるから」


「それを飲めばみんな助かるわ――――地響きで割れてなければ」


『地竜ゥーーーーッ! ボケッ! 勝手に動くんじゃねェーーーーッ!』



――――キュルゥ……



 助けようとしてるのにわけもわからず怒られる地竜が本当に哀れだ。

 見るからにテンションを下げる地竜にもはや気高い竜の気品は感じられず、喧嘩しているご主人様同士をなすすべなく、ただひたすらに見つめている飼い犬のそれに近い目をしている。


「た、頼む! 解毒剤とやらをくれ!」


「このままじゃ俺ら全員おっちんじまう!」


「山賊に? むしろこっちとしては全滅して頂いた方が嬉しいんだけど」


「わわわわかった! 返す! お前らはもう襲わない! 他の奴にする!」


「……なめてんの?」



――――上の空の用で、内心やはり気にしていたらしい。



「あんた等”魔女”をなんだと思っているのかしら」


「襲った相手に命乞い……それでも山賊? ふざけてんの?」


 大魔女様は山賊に付かれた悪態全てを一言一句違わず、それはそれは丁寧に言い返しなさった。


「ボケ! カス! 何年山賊やってんの!」


「山賊の癖に荷の奪取にだらだら時間かけてっし? その間に何回アタシ逃げれたか!」


「アンタ達、ハッキリ言って、才能が全く感じられないわ!」



――――……



「……」


 そしていつの間にか、大魔女様を取り囲む山賊の列が出来上がっていた。最初のそれとは違い、それはまで顧問に説教を受ける新入部員の様に。

 どんなおとぎ話にも載っていない光景、史上初。山賊に説教をする魔女の図である。


「それにさぁ……あれも……これも……」


……しかしまぁ本当に魔法を使う事無く、”ハッタリ”だけでやり通すとはな……これで命名”GRの悲劇”も報われると言う物だ。

 あの小ビンに入っていたピンクの気体。あれは実は香水ではなく、バフールの街で食べたチャーハンもどきの”調味料”なのだ。

 出発前にもらった品々の一つらしい。甘い香りがしたのは、香水としてではなく食欲を増大させるのが目的なのだと。

 ”貴族の流行”というより、どちらかと言うと”大衆食堂の定番”と言った方がしっくりくる。タネを明かせばこんな物である。


 もちろん大魔女様がおっしゃられた”植物性なんとか消化液”は本当に実在する危険薬品の一つなのだが、よく考えればそんな強酸性のシロモノが小瓶一つに収まるはずもなく、実際には匂いを嗅ぐだけなら少し鼻がツンとする程度の無害な物であるとの事。

 そんな事も露知らずまんまと騙された山賊達は、哀れにも山賊稼業とは全く関係のないヤツから、それはそれはひどい”ダメ出し”を食らうハメになっていた――――

 


「大体この地竜もそうよ。こんないい物持ってるのに、何でこれを有効に使えないかなー」


「でも地竜にビビって行商達は荷を置き去りにしたりしますよ」


「アホ? こんなもん使ってたら接近がモロバレでしょって」


「あー……」


 確かに、こんな馬鹿でかい地響きを立てられたら例えノンレム睡眠中でもすぐ気づくな。


「そーじゃなくて、こんないいのがあるんなら、もういきなりバチコーンってやって気絶させてやればいいのよ」


「な、なるほど……」


 それはちょっと過激すぎないか。というかなんで助言をしているんだこいつは。お前はこの辺一帯に山賊注意の立て看板でも増やすつもりか。


「素人だわーマジ」


「あの、姉さんそろそろ解毒を……」


「……」


 もう好きなだけ返り討ちにしたろ。そろそろ勘弁してやれ。


「マジで……もうしませんから……」


「……”魔女”をなんだと思っているのかしら」


「えっ」


 いやな予感がする。まさか――――


「このアタシにこんなマネしといて、このままタダで返すってわけにも、いかないわよねー……」


「もう……勘弁してもらえませんか」


「いーやダメね。勘弁してほしかったらそれなりの誠意を見せなさい」


「といっても、僕ら三流の山賊はそんな高価な物持ってませんよ~」


「高価な物ならあるじゃない。ほら、そこであんたらを心配そうに見つめてる、大地の覇者の眷属が……」


グル……?


 大地の覇者……うん、確かにそうかもな。こっちの世界でも一時期流行ってた、白くて小さな”流行の覇者”と、目がそっくりだ


「ちちち地竜!? これはダメっすよ! これがないと僕ら商売あがったりなんで!」


「何も地竜とは言ってないじゃない」


「ホ……」


 確かに地竜”だけ”とは言ってないな。地竜”だけ”とは。



「――――いん」



「はい?」


「アタシらは今帝都に向かっている途中なの。そしてその道は遠く険しい」


「よってアタシ達が目的地に着くまで、優雅にリッチに贅沢三昧な旅ができるように……」


「あんたら”全員”、アタシの手と足になって、帝都への旅に同行しなさい!」



『え~~~~ッ!』



……だと思った。確かにこの地竜とか言うのがいれば、遠い道のりも快適に過ごせそうだが。


「これが譲歩できる最大限の条件ね」


 譲歩の素振りなど一度も見せていないがな。彼らの脳内にはきっと、青いウィンドウに「どれいに、ジョブチェンジしますか?」と書かれている事だろう。

 はてさて、彼らはなんと答えるのやら。


「それは……ちょっと……キツイというか……なんというか……」


「あっそ。じゃあどこかの地べたで野垂れ死にすれば?」


「内臓がドロドロになって事切れるまで苦しみながら、一人ずつ、ね」


『……』


「仲間が一人一人消えて行く中で、あんたらの中の最後の一人はこう言うの」


「ああ、あの時あの人の言う事を聞いておけばナァ……ガク。って」


 最後の瞬間は是非とも”我が生涯に一片の悔いなし”と言ってもらいたいものだな。


「じゃあ行くわね。バイバイ」


『……』


 山賊達は一言も発さず、しかし互いの目を見てアイコンタクトを取った後、小さく「せーのっ」とつぶやき一斉揃ってこう叫んだ。


『ちょっと待って下さいィーーーーッ!』


「何? またなんか用?」


『僕らもお供しますぅーーーーッ!』


「頼んでないんだけど」


 もう、いちいち細かいなこいつは。彼らはもう”白旗”だよ。


『……お供”させて”下さいィーーーーッ!』


「おっけぃ! アンタら全員採用ォ!」


 この言葉を待っていたかのように大魔女様はビシっと”元”山賊に指を差し、早速テキパキと指示を出し始めた。

 彼らが整頓してくれたおかげで荷はスムーズに馬車に詰まれ、地竜の大きな背中が馬車を丸々乗せる事を可能にしている。

 歩きっぱなしで疲れていたのだろう、馬たちも不意に訪れた嬉しい事態に尻尾を振って喜んでいる。


「よっしゃ~! 出発しんこ~!」


「あ、いや姉さん解毒剤……」


……このキレイさっぱり身ぐるみを”剥がされて”しまった彼らを見て、ふとこっちの世界の事を思い出した。そういえば、こっちにも山賊に近いのはいたなぁと。

 いかつい風貌で脅しをかけ、金品を強奪していく連中の事だ。社会から悪と断じられて疎まれる彼らだが、しかしその実、彼らも必死なのかもしれない。


 この山賊の様に明日食うメシにも困り果て、仕事もなく、仕方なく誰かにたかるしかないのだろう。その実情には同情の余地はなくもない。

 しかし防犯カメラのひしめく現代では、そんな古典的な方法が成功する確率は著しく低い。

 しかも相手の力量を計り損ねてしまえばそれで最後。



 逆に身ぐるみを”剥がされてしまう”可能性もあるからだ――――



                                       つづく

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