【余談】白日
「ふう…………」
喧噪ざわめく街の騒乱も一変。
大魔女と少年の旅立ちを見送った後、街はまたいつもの日常へと戻って行った。
先程の騒乱は、街の住人に取ってもめったにない お祭り事である。
無論、興奮冷めやらぬ民衆を日常へと戻すに至るまでに、執行院の面々による並々ならぬ苦労があったのは言うまでもない。
「長い……一日じゃったわぃ」
その指揮を執ったのは、やはり執行官の長たる執行官長である。
一度火が付いた民衆の集団心理は、元の鞘に納めるのに幾ばくかの時間を要し、その分老体に疲労を蓄積させた。
――――が、それももう終わった。
文字通り一仕事終えた執行官長は、一人官長室へと舞い戻る。
そして戻り次第直ちに、老体を優しく包む柔らかな椅子に、深く腰掛けた。
「これで……よかったのかのぅ」
加えて、座ると同時にため息が漏れた。
安堵と疲労が入り混じる複雑な吐息である。
その息が表す心情。それは、帝都からの勅命を無事遂行できた解放感。
または勅命の当事者が織りなした、乱痴気騒ぎの気疲れ。
――――ならびに。
「ウン、バッチリダッタヨ」
(――――!?)
”もう一人訪れた来客”への、応対に対してである。
「オツカレジジイ。今日一日グッジョブ」
(なんと……)
その場に自分一人しかいないと思われた官長室。
だがそこには、”すでにもう一人の客が滞在していた”事を執行官長は声と共に知る。
ふと目をやれば、そこには大量に並べられた飲み物の空き瓶と、食い散らかされた食物袋とがあった。
そしてそこから出た屑は、屑入に入れるでもなく、無造作にも床の上にそこら中散りばめられている始末である。
「ユックリ休ンデケヨ。オ前ノ仕事ハ”モウ終ワッタ”」
「おぬし…………」
そしてそれらの所業は、全て故意であるから余計にタチが悪い。
悪びれる事も、断りすらもなく――――この無礼な来訪者は、部屋の主よりも我が者顔でくつろいでいた。
「モノクロ……じゃな?」
「ア、アンタモソノ名デ呼ブンダネ」
――――白と黒の、二つの無彩色を纏いながら。
「不服かの?」
「イヤ別ニ。タダ、ミンナ揃ッテ僕ヲソウ呼ブナーッテ思ッテ」
無礼なモノクロはさらに無礼を重ねるように、まるで顔見知りのように馴れ馴れしく執行官長へ話しかけた。
そんなモノクロに対し、叱責も驚がくも見せず、実に冷静に応対する執行官長。
不法侵入者と法の番人――――。
相反する立場にも関わらず悠然と言葉を交わす事ができたのは、モノクロの元々の性格と、執行官長の職業上の経験の二つが重なったが為。
二人の持つ真反対の性質。その相性が「偶然合致した」。それだけである。
「お主の事じゃな? あの少年が言っていた、無彩色の怪人とやらは」
「怪人ネェ……モットコウ、良イ風ニ言エナイカ」
まる勝手知ったる知人同士かのような「静かな会話」が、二人の間を駆け巡った。
傍から見れば久々に再開する友人同士にも見えよう。
だがその実――――二人はこれが”初の対面”である。
「先ほど……民らに帝都からの勅命を振れ回ったのも?」
「オウトモサ。折角ダカラ派手ニ旅立タセテヤロウト思ッテナ」
執行官長はモノクロの侵入にこそ気付かなかったが、代わりに会話の節々から「騒乱の原因」を感づく事はできた。
執行院と当事者しか与り知らぬはずの伝達事項。
それを何故、街の人々が知っていたのか――――今考えれば、実に単純な話であった。
「あまり勝手な事をせんでもらいたいのぅ……」
「アホガ。旅立チハ『壮大ナ音楽』ト『飛ビ交ウモブノ声援』デ送ラレルッテ相場ガ決マッテルンダヨ」
「何も知らぬ街の人々に、大魔女の旅立ちを告げ回った存在がいる」。
そのおかげで二人は盛大な見送りを受け、ひいては間接的に二人へ「数多の貢物」を送った存在とも言えよう。
その全ては――――この、モノクロの仕業であった。
自らが自白したように、モノクロは誰にも気取られる事無く。
かつこの街の誰しもに、勅命を白日へと曝け出した。
「帝都からの勅命。一応は法の元に送られた命」
「そうやって勝手に好き放題に公開されては、こちらとしても困るのだがのぅ」
「ソレデモオ前ラハ止メラレナイ」
「ソノ行イガ、”法ヨリ上位ノ所業”ナラバ――――ダロ?」
モノクロのささやかな反論に、執行官長はこれ以上苦言を呈す事はなかった。
正確に言えば、できなかった。
それはモノクロの言う「法より上位の所業」に、強い心当たりがあったが為に。
「やれやれ、こりゃ本国から大目玉を食らいそうじゃわい」
「ソリャ大変ダ……デモサ」
帝都の勅命は帝都の中心。【帝国議会中央政府】からの公式な伝達である。
つまり政府からの命とは、法に乗っ取った法的かつ正式な権限とも言える。
それは、帝国に属す全てに及ぶ権限。
しかしモノクロに取っては、”ただそれだけしかない事”である。
「『全テノ執行院ハ戒律ニ帰属スル』――――ダッケ?」
「ダカラ、ショウガナイヨネ。ダッテ、”オ前ラ自身ガソウ決メタ”事ダモンネ」
モノクロの飄々とした態度は、見るからに悪びれる様子が感じとれない。
権限など「知った事ではない」と言いたげな用に、依然として道化のような態度を貫くモノクロである。
そんなモノクロと、今この時を持って対峙する執行官長だけが――――。
おどけた態度の「裏に隠された動機」を、薄々ながらも察し始めていた。
「やはりお主は…………」
――――しかし、察した所でどうにもできない。
仮に自身の推測が正しいとすれば、”戒律に帰属する者として”これ以上の追及は許されなかったのである。
「マ、ソユ事ダカラ……マァ、悪カッタヨ。無駄ニ巻キ込ンデシマッテ」
「邪魔シタナ。ソロソロ行クワ」
「……悪びれついでに、一つお聞きしたいのじゃが」
「……ナニ?」
正体は追及できない。
ならばせめてと、執行官長はモノクロを引き止め、そして尋ねた。
「モノクロは一体何がしたいのか」――――それが「戒律に帰属する者」に、唯一許された質問であった。
「お主の面妖な姿・態度・その他諸々……全てがあの少年の証言と合致する」
「あの少年をこちらへ召喚したのはお主……じゃな?」
「ソウダヨ。迎エニ行キタイ人ガイルンダトサ」
モノクロが、何らかの目的を持って行動を起こしたのは明白である。
その目的が何かを知る事は叶わない。
だが、その過程に――――「あの少年」がいる事。
それだけが、執行官長がわかる唯一であった。
「何故にあの少年をなのじゃ? お主のせいで、あの少年はああなった」
「ハ? 人ノセイカヨ」
そしてその結果少年がどうなったのか。これは逆に、執行官長の方が詳しい。
執行官長自身もまた、その過程に組み込まれていたのである。
少年の行く末を案内する役目――――”数ある駒の一つ”として。
「確かに英騎は我が帝国に取って未曾有の災害。だが、別世界から来たばかりのあの少年には関係ない事」
「本人がそう訴えておったわい。少年は、英騎の存在すらも知らなかったのに……」
「…………デ?」
「その迎えたい人とやらが、英騎に酷似しているせいで縛られた」
「英騎との関連性が見えた以上、もはや帝国の網の目からは抜けられん」
「こうなればもう人探し所ではない。少年の行動は、これから非常に厳しく制限される事になる」
「そうなる事を……お主は知ってたはずじゃ」
「知ッテタッテカ……マァ、予想ハデキタナ」
モノクロは、執行官長の問いにいとも容易く返答を返した。
だが依然として飄々とした態度は、機械音声のような声も相まってどうにも言葉尻に真実を掴ませない。
嘘と真実。どちらの風にも聞こえる――――それでも執行官長は、信じる以外の選択肢がなかった。
それもまた「戒律に帰属する者」として。
モノクロの言葉が「まごう事なき真実である」と仮定するしかなかった。
「アマリコッチノ事情ニ首突ッ込ムト……マタ巻キ込マレルゾ?」
「それは脅しかの? それとも予想かの?」
「ドッチモダヨ、ボケ。ソロソロウゼーゾ」
「その為の……大魔女様かの?」
「……メンドクセエジジイダゼ」
そしてモノクロの言葉を仮に真実とするならば、モノクロの行動には、一切の制限がないと言える事となる。
目的は依然として不明。だが、そこから付随する”本人の内面”は窺い知れる。
モノクロは――――”目的の為に誰かを巻き込む事を厭わない性質”だと言う事である。
「大魔女様の住処は魔霊の森の奥深く。何かの拍子に迷い込まぬ限り、我らとて容易に辿り付ける場所ではない」
「無論、魔法も持たぬあの少年が自力で辿り付ける道理もない」
「ソリャソーダロ。ナンダアレ。ドウ見テモ人ガ住ムヨウナ環境ジャネーヨ」
「だが少年が現れたのは、そんな場所に好んで住まう大魔女様の範囲であった」
「……何ガ言イテーンダヨ」
「あの少年を……”大魔女様と引き合わせて”一体何がしたいのかのぅ」
その質問を投げかける頃には、もうすでに答えは出ていた。
執行官長は内心思った――――十中八九、少年を大魔女の元へ送り付けたのは、モノクロである。
加えて先の証言から、異界の少年をこちらへ送り込んだのもモノクロ。
そしてそんな元凶が、二人して旅立った”このタイミングで現れた”事が、実に良い証拠となる。
「大魔女様は、基本的に自らこの地域から出る事はない」
「大魔女様がここを出る理由は決まって一つだけじゃ……王から呼び出しを食らった時。それだけじゃ」
大魔女が魔霊の森を空ける時――――それは今回のように、何らかの理由で帝都から呼び出しを受けた時である。
呼び出しに応じた大魔女は渋々ながらも旅立ち、そして数日程度で帰って来る。
それが大魔女の性質。ずっと昔から変わらぬ、勅命を受けた時のいつもの行動である。
しかし今回はその限りに入らない。
一連の出来事を、「裏で誰かが手引き」しているのならば――――。
長引くか、もしくはそのまま”帰ってこない”可能性も十分に考えられた。
「大魔女様に消えられては、街としても困るのじゃがのう」
「ウルセー、イツマデモ大魔女ニ頼ッテナイデ街ノ事ハ街デ何トカシロ」
そんな推察を確信へと変えたのは、モノクロが発した今しがたの発言あった。
「法より上位」。その発言から察するに。
二人が離れぬよう”鎖で繋いだ”のも、モノクロの目論見であると、そう執行官長は判断せざるを得なかった。
「それは、我らより大魔女様に頼らざるを得ない無力な少年がいるから……かの?」
そしてそうした判断が推察を呼び、推察が確信と言う名の礎となる。
詰み上がった礎の一つ一つが、着実に真実への階段となっていく。
詰み上がるごとに高みを増す真実への階段は、手に届かず共――――直に、視界の届く距離までたどり着く。
「そうやって二人を帝都へ送るよう仕向けたのも、お主の仕業かの?」
「ジジイ……今ハ仕事ノ時間ジャネーゾ」
魔法も常識もない空っぽの少年に、異界の全てを網羅した大魔女を繋げた。
その答えはただ一つである。
「モノクロは少年を守ろうとしている」――――それも直接我が手ではなく、他者を介し、他者を思うように動かしながら。
そうやって自分以外の全てを操りながら”、あくまで間接的に。
その身を包む黒マント同様、「影ながら少年を見守っている」――――そうとしか思えなかった。
「仕業仕業ッテ、ナンデモカンデモ人ノセイニスンナ」
「神ジャアルマイシ、ソンナ全部思イ通リニ動カセルカ」
「ふむ……それもそうじゃの」
「モウイイカ? ジジイノ質問責メハソロソロ飽キタンダガ」
「では……最後に一つ、よいかのう?」
「ンダヨモウ……。舐メタ口聞イタラ目ン玉繰リ抜クゾ」
導き出された結論に確証はない。だが確信はあった。
モノクロの行動は、あくまで”長年戒律に使えた者”の立場から見てのものである。
露骨に煩わしさを出すモノクロのを察知して、執行官長は自ら最後を提示した。
最後を免罪符にすれば、きっと「後一つだけ」尋ねる事が出来る。そう踏んだ為である。
「神じゃないなら…………お主はなんじゃ?」
「…………」
そしてその目論見は、見事達成される事になる――――。
真実に虚構が混じる事と、引き換えに。
「……………………」
モノクロは一時だけ押し黙った後、一言だけで問いに答えた。
「――――”裁量者”」
ドプリ――――その言葉を最後に、モノクロは黒へと沈んだ。
(裁量者…………?)
部屋には、白いゴミ袋だけが残った。
次章へつづく
【作業用メモ】改稿ここまで