二十七話 門出――後編――
「大魔女様、もう行ってしまわれるのですか――――」
「折角会えましたのに――――」
「もうちょっとゆっくりと――――」
(なんだこいつら!?)
いざ行かんと固めた決意に水を差すように、僕らの間に三度「声」が割って入った。
こうまで連続して同じ現象が起こると、人の心理とは不思議な物だ。
一瞬だけ事の異様さに驚いた、そのすぐ後――――。
すぐさま冷静に立ち返る事が可能となり、そして直ちに事態を把握できるのだ。
「あっら、皆さんいつの間に!?」
(こいつら……)
一言で言うと「慣れ」って奴だ。
邪魔だてされる事に慣れてしまった僕は、このある種の「驚がく的な光景」をも脳裏で処理できるようになってしまった。
この学習が幸か不幸かなのかは微妙な所ではあるが、おかげですぐ理解できた。
声の主の正体は――――”この街の人々”のそれだったのだ。
「大魔女様! 一言言ってくださればご協力させていただきましたのに!」
「大魔女様聞いて下さい! こないだウチに子供が生まれて――――」
「大魔女様、こないだ直してもらった腰、あれからもすこぶる調子が…………」
今この場に集うのは、この街に慣れ親しんだ者達である。
複数に重なる声。影。熱気――――それを発する一人一人が、僕らの出発を阻むように集い合う。
邪魔立てされる事に慣れたはずの僕の、不備をあえて一つ挙げるとすれば、この集う人々が「いつの間に集結したのか」気づけなかった事くらいか。
そう思うまで密やかに、かつ大規模に……。
僕らの周囲には、すでに”僕らの行く手を阻む程の”長蛇の列ができあがっていたんだ。
「ちょちょちょ、みんな落ち着いて! 一斉に言われると何がなんだかわかんないから!」
「全員、知り合い……か?」
そして集う彼らの目的が、全て”大魔女ただ一人”と言うから余計に驚きである。
彼らが口々に発する「称賛」の声。それを誰一人漏れる事無く、全てを大魔女が独占しているのだ。
称賛も、期待も、目線も、何もかも……。
誰一人として逸れる事なく。そして誰一人として、僕の方を向いちゃいない。
「「大魔女様――――大魔女さん――――おーまじょさまぁ――――」」
「あったぁ……参ったなぁ」
(なんだこれ……)
まるで街中で見つけた芸能人みたいだ。それもただのタレントじゃない。
この熱狂ぶりたるや、人気急上昇中のアイドル。または大御所クラスの芸人レベルと言っても差し支えないだろう。
その人気ぶりを表すのがこの数の暴力。
子供も老人も男も女も、ぼっちもカップルも夫婦も家族も――――。
ひょっとしたら「街の全人口が集まってるんじゃないか」と思えるくらいの、それはもうそうそうたる集結振りである。
「「大魔女様――――帝都へ向かうそうで――――せめて一言くらい――――」」
「人気者だな、オイ」
「あー……うん」
僕らが旅立つと言う情報を、彼らがどこで嗅ぎつけて来たのかは知る由もない。
だがその嗅覚が所以なのか、彼らの目的も寸分違わず一致しているのもすごい。
このテレビで紹介されたスイーツ店張りの行列。
これが一個人の為にとなれば、僕にはもはや未知の領域である。
「とりあえず、何とかしろよ人気者」
「えっ、え……と……」
「…………みなさーん、こんにちわー!」
「バッ、炊き付けんな!」
「「オオオオオ――――!」」
危険な魔物や、それに負けず劣らず厳しい自然が待ち受ける道中への出発。
の、前に――――こんな某アイドルの握手会のような遭遇をするだなんて、一体誰が予想できただろう。
それは僕は当然の事。態度から察するに、大魔女本人も予想だにしていなかったようで。
「「大魔女様ァーーーーッ!」」
「あ、あわわわ!」
大魔女の考えなしに発した鶴の一声が、さらに彼らの熱狂ぶりを加速させた。
一個人に対する熱烈な狂乱。
こうなればもはや、人気と言うより一つの信仰である。
「大魔女様、是非これを!」
「ウチの土地で取れた薬草です。どうぞお役に立ててください」
「備えあれば憂いなし! ささっ、どうぞお持ちくだされ!」
「これあげるー」
呆気にとられざるを得ない僕。
そんな僕の気持ちも知らず、大魔女への称賛の嵐はまだまだ続く。
集いし住人が、こぞって「貢物」を差し出すまでに。
「え、あ、ありがとう……?」
(おいおいおい)
さすがの大魔女も「善意」に対しては弱かったのか、彼らが差し出す貢物を、無駄と知りつつ一挙に引き受けざるを得なかったようで。
だが、にしても……ついさっきまで「旅の邪魔だ」と整理整頓を終えたばかりだったのに。
にも拘らずこの、我先にと差し出される貢物のせいで……荷台は再び忽ち無駄の山となった。
「あー……これはもう、持ってくしかないわね」
「いや、ていうか断れよ!?」
せまっ苦しいながらも寝床する予定だった空間も、あっという間に消えてなくなった。
これではもう完全に元の木阿弥である。
その原因は、曰く「ウチに眠っていた珍品」。
または自分が普段使っている便利な「魔法グッズ」。
その他食料、飲料、雑貨、、日用品、駄菓子、等々……さっき整頓した奴と、ほぼほぼ同じの内容だ。
「「これを――――どうぞ――――さささ――――ウチのも――――」」
「わわわっ」
溢れる善意と眩しい笑顔で渡される、気持ちと言う名の物。
中には何を考えているのか、粗大ゴミ同然のバカでかい銅像までもを持ち込んでいる奴もいる始末だ。
そしてまたも詰み上がる品・品・品――――。
見方を変えれば、ある意味嫌がらせに等しい行為とも言えるかもしれない。
だがそんな嫌がらせを行う人々の、一人一人の嬉々とした笑顔を見てしまえば……。
露骨な不快感を露わにすることができないのが、人の性と言う物だ。
「えっと……これが【かつての恩人に譲り受けた腕輪】?」
「こっちは……【必ず生きて戻ると約束した友人が残したブローチ】だっけ」
「で、これが【将来を誓い合った相手との思い出の砂時計】」
「今のが【先祖が残した遺品の銀細工】」
(――――重いわ!)
一つ一つに強力な「呪い」が掛かった貢物達。
こんな前置きを置かれてしまえば、捨てる行為が良心が傷つける。
それは大魔女も同じ。
以下に根が性悪だからとて、好意に対する反応は、どうやらごく一般的な思考の持ち主だったようで。
「「大魔女様――――これも――――これも――――是非――――ウチのも――――」」
「こ、断りにくい……」
そんな事情など「知ったこっちゃない」と言わんばかりに、引き続き押し寄せる善意の津波――――。
その中で、僕はふと感じる事があった。
不思議なのは……そんな大事な品々を、何故彼らはこぞって”大魔女へ手渡そうとするのか”である。
「――――ほっほ、さすが大魔女様ですの」
「ぬおっ、じじい!?」
その理由を知る人物が、このいつの間にか隣に佇んでいた執行官長である。
僕としてはもはや存在そのものが後ろめたい人物であるのだが、幸いな事にじいさんの方はそんな事すでに気にしていなかったようだ。
代わりに、執行官長が気にしていたのはやはり大魔女の方。
「大魔女が何故これほどまでの善意を押し付けられているか」。
その答えは、この地に腰を据えて長いこの執行官長だけが、熟知していたのだ。
「「大魔女様――――」」
「――――ちょ、ごめん! もう入りきらないから!」
「おいじじい! のん気に笑ってないでこの暴動状態止めろよ!?」
「ほっほ、彼らはなんにも悪い事はしておりませんでの」
確かに爺さんの言う通り、彼らのしている事は法を逸脱するわけでも、悪意を持った行動なわけでもない。
が、現実として害はある。
この立ち塞がる壁と化した民衆の前に、このまま騒ぎが長引けば……。
いつまで経っても、僕らは出発ができないままだ。
「「大魔女様――――大魔女殿――――おーまじょさま――――」」
「……マジで放置する気か?」
「ほっほ、確か……街と大魔女様の契約はすでにご存知でしたな」
「例の裏協定かよ」
「ほっほ、別に影に隠れて結んだわけではないがのぅ」
大魔女のこの謎の人気爆発の理由。
それが、曰く「この街と大魔女が結んだ契約にある」と執行官長は述べる。
街と大魔女の契約とは、速い話が両者の相互関係だ。
大魔女が森に住む事で、街は森の奥深くに眠る貴重品を容易に手に入れる事ができる。
見返りに、大魔女は少々の悪事を不問にしてもらえる。
互いに互いのメリットを共有する為の紳士協定――――。
それだけでしかないと、そう”思い込んでいた”のに。
「アイツの力を借りたかったって事だろーがよ」
「ほっほ、事務的な考えじゃのう」
「じゃああんだっつーんだよ!」
「わからぬか――――”感謝”じゃよ」
一言で言うならば「有益の共有」。
有益有能、富と平穏をもたらす存在だから、人より抜きんでて優遇される――――のではないのか?
僕にはそれ以外の要素が見当たらない。
だが執行官長の言い方は、まるでそんなものは「ただのおまけ」と言わんばかりの口ぶりである。
「感謝……?」
「例えば、あそこの今大魔女様と話をしているご老体……わかるかの?」
(あ……)
執行官に促され目線を大魔女へと戻せば、そこには確かに一人の老人がいた。
「お久しゅうございます」「よっおじいちゃん」――――そんな顔見知り同士の普通なやり取りがすぐ耳に届く。
気になって聞き耳を立てたのも束の間。両者の間に飛び交うのは、やっぱりなんてことはない「ただの世間話」だ。
軽い挨拶から始まり、やれ「腰の調子」がどうだの、まだまだ「若いもんには負けませぬ」だの……。
「過去に大魔女がじじいの腰痛を治した事がある」。
あの雑談からは、そんなどうでもいい情報しか得る事は出来なかった。
「あれがなんなんだよ……」
「あの者は――――かつて我が院にて、”無実の投獄”を受けていた者なのじゃ」
「……えっ」
そんなどこにでもある会話しか繰り出さない、ありふれたただの老人。
一般人極まりない街のご老体が、その実。
かつてこの街を襲った流行病の”第一感染者”であったと執行官長は語る。
――――曰くその病は、当時存在したどんな名医も「対処不能」を匙を投げた病。
一度罹れば待ち受けるは「死」あるのみ。治療法はない。
それは一言で言うならば、所謂「不治の病」って奴である。
「大昔に起こった、帝国を巻き込む一大流行病……その余波が、かつてこの街にも現れたのじゃ」
加えてその病には、”他者へと伝染する性質”があった。
人を媒介に苗床を急速に広め、そして発病すれば直ちに感染者を死に至らしめる――――。
根本的な解決策は存在しなかった。
応急的な処置も。症状を遅らせる事すらも。
その時街ができたのは、「感染が広がらぬよう閉じ込める」――――それだけしか、なかった。
「隔離処置って奴か」
「うむ……それしか方法はなかったのじゃ」
故に街は、「これ以上広まらぬように」と罪人でもない老人を牢に幽閉する決断を下すに至る。
一応その対象者には「納得の上で」と前置きがあるものの、その過程には……。
老人の深い絶望と、街のどうしようもない罪悪感があったのは想像に難くない。
「いや……今、めっちゃ元気そうにしてるじゃねえか!」
「そうじゃ。どうする事もできないと思われた流行病に、ある一つの希望が紡がれたのじゃ」
「……希望?」
「――――大魔女様じゃよ」
それしか方法がなかった当時――――そしてその時は、”すでに過去へと過ぎ去った”。
街の行く末を変えた、ある一つの希望によって。
「大魔女様が取って来たのじゃよ。当時はまだ未開の地であった、魔霊の森の未踏領域までの」
「何を……?」
「魔霊の森の奥深くに群生する、あらゆる病を治すと言われる薬草…………」
「”とだけ言い伝えられた”、不確かな伝承だけを頼りにの」
「う、噂だけでか!?」
曰くそれは、伝承でしか確認できない、本当にあるかどうかもわからない薬草だったと執行官長は語る。
【あらゆる病に効く万能薬】。そんな物があればそりゃ確かに是が非でも手に入れたいだろうが……。
情報元はただの語り伝え。在り処所か、実在するかどうかも疑わしいシロモノ。
を、大魔女は噂だけを頼りに取りに行き――――そして、伝承を真実へと変えた。
「事情を聞いた大魔女様がのぉ、『アタシに心当たりが一つある』と言い出しての」
「あの時はわしも、まさか創作物が原典だとは思わなかったがの……」
「ま、漫画知識かよ……」
そして大魔女が取った行動が、街の意識を大きく変えた事はもはや言うまでもない。
大魔女が紡いだ真実は――――いつしか人々に根付く常識となったのである。
「限りなくゼロに近い可能性。しかし大魔女様は確かに見つけ出した」
「おかげで伝説は伝説じゃなくなり、時を経る毎に人目に晒される機会も増え……」
「そして今やそれは、”調味料”としてこの街の飲食店にまで普及しておる」
「――――ウソォ!?」
……話に心覚えはあった。昼時に食べた食事だ。
あの時は有罪判決後のストレスフル状態だった……その割りには妙に食が進み、無意味に気分が高揚したのを覚えている。
あれがその伝説の万能薬の効果だとすれば話は納得だ。
僕も、その伝説とやらでいつの間にか治療されていたのだ。しかも無料でだ。
「伝説の万能薬なのに、そんな大量にあんのか!?」
「あくまで”当時の”じゃよ。大魔女様が薬草の群生地帯を見つけ、教え、そして今や商人が行き来できるほどにまでに経路が確立されたのじゃ」
「キッカケはただの思い付き。じゃがその時、道は産声を上げた」
「何もなかったはずの場所に、一筋の確かな導が……と、言った所かの」
執行官長は在りし日を思い出すように、今度は目を細めながら大魔女の方を見つめ出した。
話だけを聞かされた僕と違い、当時でその状況にいた当事者からすれば、大魔女の行動は不安に次ぐ不安でしかなかった事だろう。
だが、結果は――――ご覧の通り。
群がる人々に囲まれた大魔女を見て、執行官長は今何を思うのか。そこまでは、僕にはわからない。
「やあ! 大魔女様!」
「あ、こっちも久しぶりに見る顔……アンタも来てくれたんだ!」
釣られて僕も、再び大魔女に目線を送る。
そこには、同じく大魔女に感謝を述べる別人の姿があった。
さっきとは打って変わって、若々しい青年である。
が、やってる事は全く同じ。
入れ替わり現れた青年もまた、大魔女に感謝を述べた後、「気持ち」と称した貢物を手渡した。
「へへ、何やら帝都に呼び出されたそうで……」
「ハハ。ほんと、どこで聞き耳立ててたんだか」
「おーまじょさまぁー」
「あ……あらっ!」
その様子を見守るのも束の間である――――またも、入れ替わるように今度は小さな幼児が現れた。
そしてやはりこの子も同様。
大魔女に手作り感溢れる「お守り」を手渡し、同時に舌足らずな口調で感謝の念を述べた。
感謝・感謝・感謝――――感謝に次ぐ感謝の波は、まだまだ留まる気配を見せない。
きっとこの子もそうなのだろう。それはあの青年も、さっきの元病人も。
ここに集まった人々は……皆何かしらの”大魔女と縁”を持っているのだと、気づくのに時間はかからなかった。
「おーまじょさま、ありあとー」
「はいはい、あんたももう勝手にその辺ウロついちゃダメよ」
「わかるかのぉ……街が欲したのは、大魔女様の”力”ではない」
「欲したのは、”心”……大魔女様が大魔女様と呼ばれるに至る、その大きな器なのじゃ」
「…………」
人の心理とは不思議な物だ。
理解不能だったこの人民大集結現象も、たった一言簡単な経緯を聞くだけで、それだけでむしろ当然の事と思えるのだから。
この場に集った人々の一人一人が、それぞれなんらかの形で”大魔女と縁を持っている”。
ある者は命の危機から救われ、またある者は精神蝕む苦悩から救われ――――。
つまりは、この行く手を阻む壁の正体。
それは……大魔女が自ら植え付けた、人々の「心」だったのだ。
「この街の住人は、皆大魔女様に面倒を見てもらったのじゃ」
「大きな危機から些細な悩み事まで……いろいろと、の」
「…………」
そして理解する。街が結んだのは、確かに契約などではなかった。
街が。いや、街の人々が結んだのは……大魔女との【縁】だ。
一つ一つの縁が寄り添い集まり、そして瞬く間に太く紡ぎ上がる。
そうしてできあがった、紡ぎあげられた縁。
それは傍から見れば、随分と太すぎて――――。
便宜上契約と呼んでいる。それだけに、すぎない話なのだ。
「……僕はほぼ初対面で殺されそうになったんだがな」
「ほっほ、ちょ~っとヤンチャなのがたまにキズじゃがの」
「だがそれ以上の有益がアイツにはある……」
「有益じゃない。心じゃよ」
大魔女が、何を思い何の目論見でそのような行為をしたのかは知る由もない。
ひょっとしたらあいつの事だ。全て計算ずくだったと言う可能性無きにしも非ずである。
だが、それでも……如何なる理由があれど、”確かに救われた人はいる”。
この街にある真実は、ただのそれだけだ。
「ふん。だったらついでに、僕にもその心とやらを見せてほしいね」
「きっと見せてくれるはずじゃよ……君らはもはや紡がれておるのじゃから」
ガラリ――――その時、馬車の車輪が緩やかに動き出す音が聞こえた。
馬の上に大魔女はいない。が、かと言って一人でに動き出したわけでもない。
大魔女との縁を持った民衆の中に、「馬に詳しい人物」がいた。それだけの話だ。
「大魔女様。この馬は賢いから、尻を叩かなくても簡単な言葉なら理解できるよ」
「へーだったら鞭はいらないわね」
動き出した馬車。その横を平行して歩く大魔女。
その周りには、大魔女にあらゆる労いをかける人だかり。
僕らの行く手を阻んでいた民衆の壁は、馬車が動き出すと同時に、道を譲るように割れ――――。
そして瞬く間に、外へと続く導となった。
「じゃあみんな…………行ってくるわ!」
「「行ってらっしゃい――――!」」
その中を悠然と進む馬車。並びに大魔女。
その光景は、まるでテーマパークで行われるパレードのようだ。
煌びやかなネオンこそ無い物の、彼らに取っては大魔女の乗る馬車は、きっと夜のパレードカーよりも光り輝く存在なのだろう。
「ほれ……置いてかれるぞい」
「……ああ」
彼らがこぞって集い、自ら貢物を差し出した理由――――。
全ては大魔女を送り出す。ただそれだけの為だった。
彼らは現したかったのだ。縁を結んだ大魔女の無事を、目に見える形で。
そして願わくば、再び会いまみえる時が訪れるのを……ひっそりと、渡した品に込めながら。
「……じいさん」
「んん?」
「……”悪かった”よ」
「……おおっ」
そんな大魔女の縁を見せつけられたからだろうか……僕の口からも、「僕の意志に反した言葉」が飛び出て来たのは自分でも意外だった。
執行官長はその言葉を「懺悔」と捉えたのだろう。
僕のしでかした蛮行など「まるでなかった事」のように笑顔を投げかけた後。
僕の無事をも祈るように、両手を合わせつつ腰を曲げる仕草を見せつけた。
「迷いし少年に一筋の導きを……」
「…………」
そのポーズもまた、執行官長の言葉を借りるなら「心の所作」と言った所か。
あの身振り手振りで労いの言葉を贈る人々と同じだ。
あれもきっと、執行官長なりの「賛辞」なのだろう。
大魔女に比べれば随分寂しい見送りを背に受け、僕も同じく歩み始めた。
人々の笑顔に答える大魔女の横に並ぶのは、何か気恥ずかしい気がした。
だから、僕は大魔女から隠れるように、こっそりと荷台へと潜り込んだんだ。
その後に――――。
その後は、遠くなる街をただ見送るだけだった。
(大魔女と契を交わした街…………ね)
まぁまずお目にかかれない光景のド真ん中にいたからか、時間が過ぎるのは本当にあっという間に感じられた。
気が付けば、あれほど騒がしかった騒ぎも一変……。
ガタガタと小刻みに揺れる馬車の音しか聞こえなくなっていた。
「――――よっと!」
そんな物思いに更けたタイミングを見計らったように、大魔女が荷台へと乗り込んでくる。
物置同然の狭い空間に人がもう一人入れば一体どうなるか。
答えは当然――――「肩身が狭くなる」である。
「いやはや、あーびっくりした。ほんっと、人気者はつらいわ~」
「お礼参りでも食らうのかと思ったよ」
「はん、そんな奴がいたらアタシが直々に返り討ちにしてやるわよ」
乗り込んでくるなり、大魔女は盛大に街の悪態を突き始めた。
だがその悪態が、どこか自慢げな口調だったのはきっとわざとだろう。
そんな大魔女の自慢風自虐を話半分に聞きながら……僕はもう一方で、少し思う事があった。
(なんで……あんな事言ったんだろう)
「悪かった」――――僕が無意識に放った執行官長への言葉。
その言葉の真意は、実は、放った当の本人にもよくわかっていないんだ。
が……多分。いや、ほぼ確実に。
その言葉は”執行官長に向けて言ったじゃない”と、思うんだ。
「ちょっと、狭い! もうちょっと向こう詰めなさいよ!」
「無理。お前だけ走れ」
僕自身、なんの意図で発した言葉かはよくわからない一言だ。
だが、真意はこのすぐ後に気づいた――――。
この狭い空間を、更に狭めようとする大魔女の一言によって。
「だから断れっつったろ。整理前より荷物増えてんじゃねーか」
「ま、ちょ~っと無駄な物は増えちゃったけど……何とかなるでしょ!」
「ほんっと、行き当たりばったりなのな」
「チッチッ、違う違う」
「使えない物を使えるようにする……それって、よく考えたら旅の必須能力じゃない?」
「使えない物を使えるようにする」――――その言葉が、僕のこの言いようもない心情を言語化できるキッカケとなった事を、大魔女は知る由もない。
大魔女が言ってる事は、一言で言うとリサイクルって奴だ。
だがそれは「いらない物」があって初めて成り立つんだ。
そう、大魔女は持っているのだ。
力も、縁も、心も、何もかも――――。
”必要か否か”。それを、自分自身で選べるまでに。
「あ、そうそう。この馬、人語がわかるらしいからわざわざ跨って操作する必要とかないらしいわ」
「それはさっき聞いたよ……」
――――だが、僕には何もない。
力は勿論、誰かと繋がる縁も。
誰かから感謝される事も、する事すらも……。
(…………感謝、ね)
それは何も異界での話じゃない。
僕が元いた世界でもそうだった。
勉強も運動も友人も金も……そんな一般的な同級生が持つであろう、大凡平均的な”縁”。
それすらも、僕は……”何一つとして持っちゃいなかった”。
「……なんか、急に辛気臭くなったわね」
「……めんどくせえんだよ、バカ」
僕が唯一持っている物――――それは”一方的な思い”だけだ。
それだけが僕を突き動かし、それだけが僕の行動を決定する。
だが今は……今の僕には、そんな「唯一」すらもない。
「は? 何それ。街出たばっかでそんなん言ってどーすんのって」
「うるせー人気者。無駄な人望見せつけてんじゃねーよ」
対象のいなくなった思いはどこへ向かうのか。
いや、向かう先がそもそもないんだ。
行きつく先を失った僕の思いは……ただ僕の中に、静かに溜まって行くだけだ。
だが、そうやって溜まって行く思いの代わりに、逆に外へと飛び出そうとする思いもあった。
こっちは、すぐにわかった――――”嫉妬”だ。
「あーはいはい、アタシの人気っぷり羨ましかったのね」
「お前じゃなくて、お前の立場がな」
帝都への道は大魔女にしかわからない。
そしてこの広大な異界を辿る道筋をも、現状はこの揺らめく馬の歩幅任せ。
僕はただ佇むだけ。僕にはついに、”決定権すらもなくなった”。
(…………はぁ~あ)
自分が”持たざる者”だと思い知らされた今。
あるのはただ、こうして流される事しかできない道筋だけだ。
――――その道に、これから僕は飛び込んでいく。
何も持たないまま。何一つ与えられないままに。
ただ流されるしかできない自分。だが流れに抗う術はない。
だから今、そんな僕に……唯一一つだけ、出来る事。
(………………よーに)
それは――――願う事。
これから先、なるべくなら最小限の苦労で済むと願って。
そして仮に、なんらかの困難が訪れようとも……。
この全てを持つ大魔女が、きっと導いてくれると願って。
「頼むぞ……マジで」
「あ! ラッキーこれ前から欲しかった奴だ!」
「聞けよ」
そしてその導きが、流れの終着点にならん事を願って。
【余談】へつづく