二十六話 門出――前編――
「大魔女様! 出発はいつなされますか!?」
「そうね~……とりあえず、気が済んだら」
大魔女のやる気の無さが、見るからにより一層濃くなっている。
しかしもう、そのだらけ具合を非難する者は誰もいなかった。
僕がまさにその典型で、なんならむしろ大魔女の側なくらいなのだ。
「あんなバカデカイ山登ってられるか」――――そんな負の意識が、両者の間に思い浮かんでいる事だろうから。
「寄り道とか……ないのか?」
「あるにはあるけど、逆に”致死率”が上がるわよ」
それを言うなら「距離が伸びる」だろうとツッコミたかったが、そんな気力ももはや失せた。
と言うのも、間もなくして聞いてしまったのだ。
【ジュ=ボン山脈】。その雄大な峰を越えた先に、華々しい帝都の街並みが広がっているそうだが……。
曰く一応山越え以外のルートも「ない事はない」とは大魔女談。
が、山を迂回する分距離が嵩むのは勿論の事。
その間の道中には、魔霊の森の巨大花のような【魔物】が、それはもうわんさかいるとかなんとか。
「……かぁ~」
「山越えはむしろ一番安全なルートね。ちょっとしんどいけど、あくまで”それだけ”だし」
「それだけって……」
そのような地域の事を、こちらの言葉で「魔霊災害区域」と呼ぶ。
そう、分類上はあの魔霊の森と同じだ。
あの弱肉強食の世界が24時間営業で体験できる危険地帯が、これまた24時間営業店舗のように、山の直下に所狭しと詰まっている……らしい。
「えと……この点を、この街だとするじゃない?」
「うん」
個人的な衝撃を受けたのも束の間、絶望を重ねるように大魔女は続ける。
大魔女は、それらの危険地帯が道中にいくつあろうが、それでも「自分一人では問題なかった」と豪語する。
危険地帯に負けず劣らずな存在な危険な魔女。
そんな大魔女だから危険地帯に馴染むのは至極自然な事である。
だが、それが――――警護をしながらとなれば、話は大きく変わる。
「で、帝都は……」
「うん」
大魔女はつい先ほど整理した品々から、何やら長細い棒きれを取り出した。
続いてその棒で地面に小さな点を付ける。
どうやら、何も知らない僕にもわかりやすいよう、イラスト付きの説明をしてくれるつもりらしい……が、それを親切だと感じる事は、最後までなかった。
「こーーーー…………」
地面の点を起点に、そのまま線を伸ばし始める大魔女。
ガリガリと棒と地面が擦れる音が聞こえたのも束の間、その音は時間に比例して小さくなって行く。
そして線が伸びるにつれ、線を印す当の本人は……。
歩を二歩、三歩、六歩、十八歩と重ね続けた後、そのままどこかへ行ってしまった。
「ォーーーー…………」
「おい!? どこまで行くんだよ!?」
「ォーー……」。そう言って伸ばす声だけが耳に届いていたのだが、それも程なくして聞こえなくなった。
今はただ、点から伸びた線だけがひたすらに続いて行くだけである。
この時、よもやと思いふと線を目で追ってみたのだが……それはただの杞憂。
線自体は、何ら特別な物ではない普通の線だった。
「………………」
ただ、特筆すべき点があるとすれば――――線が長すぎた事。
「ォ――――…………」
(ま、まだ続くのか!?)
まるで永遠に続くかのように伸びる線を目で追い続け、そのまま幾分の時間が過ぎただろう。
線を見送る事に飽きた僕は、再び目線を大魔女のほうへ戻した。
そして不意に見上げた目線の先――――そこには、随分と小さくなった大魔女がいた。
「…………----こ!」
「…………どこ!?」
目線を上げると同時に、タイミングよく線も伸びるのを辞めた。
どうやら、大魔女の中で大体の距離比率は割り出せたらしい。
「やっと止まった」……だがそう言って一息つく間もない。
少し周りを見渡せば、パっと見で簡単な競争でもできそうな程の直線距離がそこにはあったのだ。
大魔女の停止地点。それは先ほどの線を引き始めた位置から遠く離れた場所。
先程回った商店街すらも突き抜けた、小さな路地裏の入り口だったのである。
(何万キロあるんだよこれ…………)
点と、線と、大魔女。これら三つの間が、一体実際の距離の何分の一のなのかは知らないが……。
ここまでくれば、むしろこれ以上は知りたくないと思えるから不思議である。
僕から見て手のひらサイズまで小さくなった大魔女。
妖精と見間違えそうなかわいらしいミニマムっぷりだが、だが所詮は大魔女。
いくら小さくなろうと、本人に可愛げと言う物が存在しなけば、それはただのチビスケである。
「だ――――この辺――――ォーィ」
(聞こえねっつの)
そんなこ憎たらしいチビスケをよく見れば、何かを言いながらトントンと棒で地面を叩いている姿が見えた。
声こそ聞こえないものの、身振り手振りを交える様から、どうやら僕に何かを呼びかけているようだ。
おそらくここから大体の距離感を割り出せと言いたいのだろう……が、わかるはずがない。
そもそも最初の点が、街の何万分の一なのかもわからないのに。
「めちゃくちゃ遠い」。それ以外の理解など、得れるはずもないのに。
「――――てな具合なわけよ。わかった?」
「わかるわきゃねーだろ」
一仕事終えたとばかりに意気揚々と戻って来た大魔女には悪いが、所詮は棒キレで引っ張っただけの線。
こんなほぼただの落書きで、帝都の位置を特定しろと言う方が土台無理と言う物だ。
地べたに描いただけの簡素極まりない指標。いや、一応これは「導」と呼ぶべきか。
「まぁ、そんくらいクッソ遠いって事よ」
「わざわざ線を引く必要はあったのか」
そんな雑な導ではあるものの……まぁ、一応導は導である。
「ないよりかはマシか」そう言って自分を無理に納得させようとした――――その矢先だった。
ふと見れば、何と不吉な暗示だろう。
「あっ」
(大丈夫かよ……)
――――線はすでに消えていたのだ。
「……まぁ、あの線の延長線上に、山とか、魔物とかその他諸々が一杯あんのよ」
「もう消えてんだけど……」
考えるまでもなく、当然の事だった。
ここは通りのド真ん中。道行く人々や馬車が、当然その存在に気づく事すらなく何度も線を踏みつける。
加えてよりにもよって”大魔女本人の足跡”がトドメとなって、線は生まれて間もなく掻き消された形となった。
描かれて即消える導。それが意味する事――――。
”踏まれた線の数だけ”苦難が待ち受けていると言う事だ。
「山越えかぁ。大分久しぶりだから、道覚えてるが微妙」
(もうやだ……)
不安感に満ちた僕の心情などいざ知らず。
大魔女は一言「微妙」と漏らすと、いよいよもって覚悟を決めたか、自分が買い占めた荷を整理し始めた。
独自の基準でいる・いらないを判別し、そしてあえなく落選となった品はその場でポイと捨てられる。
そうやって捨てられた品はポイポイと瞬く間に詰み上がって行き、僕の横ですでに小さな山となりつつあるのだが……。
僕にはその判断が、正しいのかどうかすらもわからないのだから、どうしようもない。
今は、全て大魔女委ねるしかない。
やや雑な面が否めない整頓方法だが、今はその行為に文句など言えるはずがなかった。
これから行うのは決死の山越え。
無駄な物を積んでいれば、その分だけ重しとなるのは僕にもわかるつもりだ。
「後、これとこれとこれも……これも、いらないかな」
「食料とかは置いとけよ」
いくら大魔女がいるからとは言え、相手は自然が育みし雄大過ぎる山。
大魔女をして、自らの口で「僕を庇いきれる自信はない」と豪語させる山に挑む事は、僕にとっては生き死にを賭けたサバイバルって奴だ。
故に……この荷に限らず、無駄な物を持てる余裕など、もはやどこにもありはしないのだ。
「こんなもんかなぁ」
「おーすっきり」
そうしてしばらくが経った後。
あれほど無駄な物が所狭しと並んでいた荷台が、何と言う事でしょう。最低限の寝床になりそうなスペースにリフォームされていたのである。
無駄をすべからく排除し、その分ガランと寂しくなった荷台を見て……何故だろう。
僕も、これからの旅路に挑む「覚悟」が出来た気がしたんだ。
「じゃあこれどうすんだよ」
「知らない。誰かがその内拾うでしょ」
そして会えなく同行を拒否された荷達は、品の希少さに関係なくフリーペーパー同然の価値に成り下がった。
無論、「最低限必要な物」は置いとくようにと事前に念を押して言っておいた。
山越えの障害を少しでも減らすために……が、少々やりすぎな面は否めない。
整理整頓をした結果がコレと言う事は、やはりほとんどが無駄な物だったのだ。
「勿体ねー……」
無駄なのはこいつの雑い性格だけでイイんだ。それだけでもうお腹いっぱい
その分、僕は残しておきたかった。
これから訪れる苦難。そして――――。
見つけ出した芽衣子を、ちゃんと受け止める事が出来る余裕とを。
「…………じゃ、行く?」
「ちゃんと庇ってくれよ」
「行く?」――――大魔女が尋ねた、このたったの二文字。
ただのそれだけの言葉を一言聞いただけで、なんだろう。胸が強く、ギュっと閉めつけた気がした。
雑ながら小奇麗になった荷台もそうだ。
この締め付けの正体は……「時来たれり」。その、実感なのだろう。
「人任せにしてんじゃねっつの」
「お前こそ、道中で発狂すんなよ」
そして、それに立ち向かう”覚悟”も出来た。
覚悟と言っても、それはあくまで打算と損益を考慮した上での覚悟であるが……。
これから訪れるであろう苦難に対し、僕の生存確率を一定水準まで引き上げてくれる保証。
この二つを天秤にかければ、少々小高い山など、もはや意に介す程ではなかったのだ。
「あ~やっぱめんど!」
「そう言えば、馬車ってどうやって動かすんだ?」
そんな僕の保証が、この未だ腰が重たげな大魔女様。
あの怒りを焦土に変えることができる大魔女が、その怒りを障害に向けるとなればこれほど頼もしい事はない。
加えてしかも、嬉しい事に大魔女は”僕の身を守る事を第一に考えざるを得ない”立場なのだ。
何故なら僕らはすでに一蓮托生の身。
つまり僕の身に危険が訪れると言う事は、イコール大魔女自身も危険と言う事なのだから。
「なぁ、馬車ってどうやって動かすのって」
「知んない。テキトーにケツ叩いとけばいいんじゃない?」
旅路の出発にしてはややけだるめな空気が二人を包む。
国民的RPGよろしく、出発こそ壮大なオーケストラと共に迎えたかった本音は否めない。
でもまぁ、所詮現実なんてこんなもんだ。
僕だって毎朝登校の度に、ベタな少女漫画ばりの運命の出会いが起こるわけじゃない。
「現実なんてこんな物」。
そんな事は僕に限らず、誰しもが骨身に染みるほどわかっている――――はずだった。
「「 大 魔 女 様 ッ ! 」」
「「――――ッ!?」
――――二人の間に割って入る声が、三度耳奥へと響いた。
つづく