二十二話 愚行――後編――
「どいつもこいつもさぁーーーーッ!」
(やば――――)
少年がこれまでの声量を大きく更新する程の大きな叫び。
その叫びが何を意味しているのか、察せぬ程大魔女は愚鈍ではなかった。
「一線を越える気だ」――――それは声のみならず、少年が自棄の粋を極めた表情からも、すぐに察する事ができた。
「「官長ォーーーーッ!」」
「お前らに何がわかんだよォォォォ!」
少年の右腕には老人の首根っこ。そして左の手には先の尖ったペン。
少年は、叫びと共に左手を大きく点に掲げた。
その行為が意味する事。それは少年が向ける視線の先にある。
「僕が会いたいのはそんな、テロリストなんかじゃない…………ッ!」
”刺す”――――それはもはや誰しもが見える程の、数刻先の未来であった。
誰しも、決して予知能力を宿しているわけではない。
だがそれ以外に選択肢が見えない。
少年の鬼気迫る表情と、雄たけびと、そしてどうにもならない包囲が招いた自暴自棄とが、どう足掻いても一つの点にしか結びつかないのは明白であった。
「僕が、僕が会いたいのは…………!」
恐れていた事が、ついに現実にならんとしている。
もはや未来を見る事すらも放棄した、一人の疑わしき少年の手によって。
「ぐ…………!」
老人は、己が命の最後の瞬間が訪れる事を覚悟した。
厳密に言えば、首筋に小さな痕が残るだけで済む可能性、無きにしも非ずである。
運が良ければ怪我だけで済むかもしれない。
だが、それを行おうとしている少年からは、そのような慈悲が一切感じ取れない。
「本気で自分を殺す気だ」――――。
少年が発する決意を唯一肌で感じる事が出来る老人には、自身が無事で済む未来さえも見えなかった。
「会いたいのはァ――――……!」
(おじいちゃん、目を瞑ってて)
「――――!?」
その時、老人の耳にか細い声が一つ届いた。
少年の叫びに掻き消されてもおかしくない程の微かな声。
にも拘らず、聞き損じる事もなく、ハッキリと聞こえたのは何故なのか。
それは声が耳に届いたからではない。
老人の脳裏に、”直接”響いたが故である。
「は――――」
「目を瞑れ」。そう言われ反射的に瞼を閉じようとした老人。
視界が自身の瞼で遮られるわずかな間。刹那とも言える猶予の最中、老人は確かに見た。
「芽衣――――…………」
先ほどまで目の前にいた大魔女――――その姿と非常に酷似した”残像”を。
――――
……
「ハァッ! ハァッ!」
「お……お……」
その時、その場にいた全員が何が起きたのかを理解し切れずにいた。
老人を脇に抱え、人質とした少年。
その少年を捕縛せんと馳せ参じた執行官達。
そして少年を炊きつけてしまった大魔女――――。
少年は自棄の果てに人質を手に掛けんとした、そのはずである。
が、事の一部始終を見守った執行官達が覚えているのはそこまででしかない。
故に、今眼前に現れた光景は、突如降って湧いたかのような――――そんな錯覚すら覚える程の、急変である。
「…………んぐっ!?」
「ふぉ、ふぉのゴけェ(このボケェ)……!」
つい先ほどまで確かにあり、瞬き程の微かな時間に消えた現実。
そして同時に現れた変化。
今、執行官達の目の前に繰り広げられる光景、それは――――。
老人と少年の間に割って入った、大魔女の姿。
「――――ペッ! こら、何ボケっとしてんの!」
「確保よ確保! このド腐れ野郎を、さっさとふんじばってちょうだい!」
茫然とする執行官達の意識を呼び起こしたのは、大魔女の一言と、大魔女が吐き出したペンが落ちる音。
カラリとペンが落ちる音を契機に、ようやっと執行官達は現状を把握できた。
老人と少年の間に割って入った大魔女が見せた光景。それは――――。
老人に突き刺さろうとしていたペンを、歯で挟み込む大魔女の姿である。
「「か、かかか、」」
「「 確 保 ー ー ー ー ッ! 」 」
「んぐぅ~~~~ッ!」
人質に危害を加える得物が無くなり、止まる理由のなくなった執行官は、先程同様我先にと少年へ雪崩れ込んだ。
迫り来る人の波になす術の無くなった少年には、もはや捕縛から逃れる事は出来なかった。
服を引っ張られ、髪を掴まれ、床に叩きつけられ縄で縛られ、等々――――。
ありとあらゆる乱暴の限りを受ける少年。しかしそんなひどい扱いも、見方を変えれば「この程度」で済む話である。
今しがた人一人の命を危機に晒した行いを顧みれば、少々雑な目に合わされるだけで済む、特例とも言える温情処置である。
「ち、ちくしょ~~~~ッ!」
そして少年は捕まった。
今度こそ、なす術もなく――――。
――――
……
「ハァ……ハァ……あ~、焦った」
「大魔女様……面目ない……」
「いいっておじいちゃん。まさかあんな事されるなんて、誰にもわかんないって」
「しかし……」
得てして、無事解放された人質は「窮地を救われた恩」を告げるべく、直ちに大魔女のそばへと歩みを進めた。
そこにあったのはいつもの大魔女の姿。
少々の無茶がたまにキズだが、なんだかんだで街に有益を与えてくれる存在である。
大魔女は老人の例に笑顔で答えた。
「気にしないで」――――そう言ってパンパンと服を払う大魔女の姿は、傍から見れば頼れる存在にも見えよう。
しかし老人は一つだけ気がかりな事があった。
それは大魔女が自分を助ける行動の際、「余分な行為」が一つ混じっていた事である。
「どうして……”彼の口”を……?」
「あ~……それはね」
誰しもが認知できなかった変化の過程。
その過程を唯一見届ける事ができたのは、救われた当の本人のみである。
その時その場面、老人は確かに見た。
それは、瞬きよりも短い至極か細いな時間の中で――――何よりも、”少年の口を塞ぐ事”を優先した事。
「あいつ……多分ね…………」
「――――なんと!」
大魔女の耳打ちの後、老人は全てを悟った。
その結果――――人質であった頃よりも、さらに顔面が青ざめる事となる。
自分の命の危機など”比べ物にならない程の危険”が、あの刹那に現れようとしていた事を告げられたとあっては、それも当然の事である。
「だとしたら……いやしかし!」
「多分マジよ。あの反応にあのテンパリ方。それに……」
老人が見た大魔女の動き。
それは大魔女らしく、溢れる魔力を存分に使った「超高速移動術」である。
光の如き動きを発現させた大魔女は、駆けよると同時に左手で老人を掴んだ。
掴んだ老人を解放しようと手前に引こうとするが、少年の右腕が掛かりこれに失敗。
その間にも、少年の振るった「尖」が、割って入った大魔女目掛け着実に振り下ろされていた事は記憶に新しい。
(――――刺さる……!)
この時、老人は空いた右手で受け止める物だと、そう”思い込んでいた”。
このままでは「尖」が自分ではなく大魔女に突き刺さってしまう。それ以外にない可能性を考えれば当然である。
しかし実際に大魔女が取った行動は――――空いた右手を、”少年の口に乗せる事”であった。
「これに多分……その辺、全部書いてる」
「この箱に……ですか……?」
それは老人同様、自分の身に「尖」が突き刺さる事以上の危険を察知したが故の判断。
大魔女がその確信を得たのは、やはり少年の持つ異界の機器がその大元であった。
大魔女にとっても、先の行動はある種の賭けであった。
策を練り上げるにはあまりに短い刹那の間。
怪我を覚悟で突っ込んだにも拘らず、放棄した「尖」をも防ぐ事ができたのは――――。
「尖」の軌道がたまたま大魔女の口と重なっていた。それだけの事である。
「書いてるだろうし、もちろんあいつ本人だって知ってるはずよ」
「だからああいう行動を取った。いや、取らざるを得なかった」
「もしもあいつのお友達ってのが、本当に英騎の事だったとしたら――――あいつはそこに”気づいてしまった”」
「なんとも……やり切れぬ話で……」
これほどの蛮行を見せた少年に対する二人の目線は、怒りではなく「哀れみ」であった。
そんな事とは露知らず、少年は押さえつける執行官に相も変わらず罵詈雑言を吐き続けている。
罵り、暴れ、そして押さえつけられ――――ついには縄で縛られるに至るまで、それは延々と続いた。
「――――捕縛完了!」
「――――く……そ共がぁ……!」
「この見た事もない文字……多分あいつの言ってた別世界の文字」
「読めなくて……よかったですな」
「ほんとよ。知らずに読めてたら”アタシも危なかった”」
両腕を後ろに拘束された少年は、ついに観念したか程なくして押し黙った。
その沈黙振りは、先ほどまであれほど苦情を付けた、「人のメッセージを勝手に見る事」を引き続き行う二人を見逃がす程までである。
通常であれば、少年は犯罪者としてそのまま檻へと押し込まれる手筈である。
だが、今回はそうはならない。
これからの段取り。それは執行院側にとっても、超が付く程の特例処置が行われようとしている事など――――少年には、わかるはずもなかった。
「さて……やっと大人しくなった所でっと」
「んだよコラ……」
捕縛された少年は、しばらくの放置の後、再び大魔女から尋問を受ける運びとなった。
縄で両手を縛られ、両膝は強制的に床に付けられ、両脇には武器を装備した執行官が何十人もいる厳戒態勢の中でである。
少年は、「座らされた自分」に対する「直立した大魔女」の、見下ろす視線を強く睨みつけた。
大人しくなったのはあくまで口だけ。少年の心中には、未だ衰えぬ深い怒りが内在していたのである。
「色々聞きたい事はあるけれど……その前に一つ、教えとかないといけない事があるわ」
「てめえらが馬に蹴られて死ぬべき存在だって事がか?」
少年の不遜な態度。並びに明らかに煽るような口の利き方。
しかし大魔女はそれらを全て不問にした。
これからその舐めた態度が崩れる様を、すでに予知していたからである。
「アンタさぁ……絶対忘れてるでしょ」
「何をだよ、ボケ」
「こ・れ・よ」
(あ…………)
直後。大魔女の予想通り、少年の顔はみるみる内に青ざめて行く。
少年は、大魔女の一言で思い出した。
自分がどれだけ非道な行いをしたのか――――ではなく、”どれだけ危険な行為をしようとしていたか”である。
「あ……あ……」
「そんな事だろうと思った。だって、見るからにテンパってたもん」
ジャラリ――――。
首元にぶら下がった大魔女の鎖が、その事実を少年にも思い起こさせた。
「でも……覚えておきなさい。これから先は、冷静を保てないと死が待ってるって事」
「そしてそれはアンタだけじゃない……アタシにも同じ事が言えるって事」
そして少年は連鎖して思い起こした。
それは鎖だけに――――つい先ほど教わった事をも、すっかり忘れていた事を。
(――――まぁ、てーわけでまた誰かに名前を尋ねてごらんなさい)
(――――今度はその首が、夜空の星に届くくらい勢いよく吹っ飛ぶわよ)
「は……はは……」
「わかるわ、その気持ち。笑うしかないわよね」
少年は不意に笑みをこぼした。無論それは嬉しい事があったわけではない。
大魔女も同じ経験がある故にわかる、歪んだ笑み。
抗えぬ運命――――その当事者になってしまった事に対する、逆説的な笑い声である。
「さて……じゃあ、自分がやった事が何かをわかってもらえた所でっと」
「…………」
内心に蠢く怒りすらも消え、少年は真なる意味で静寂を取り戻した。
少年の心を落ち着かせた――――否。”折った”のは、自分に打ちこまれた鎖と、その制約である
感情のままに他者に危害を加えようとした自分。
その行為が逆に、自分に危機をもたらす事だったと思い知らされれば――――少年は、それ以上深く考えるのを辞めた。
(…………スゥ~)
感情がもたらす失念。
それ自体は少年の人生において多々あった事であるが、それが自分の命に関わるとなれば話は変わる。
ただでさえ忘れ物の多い自分。過去幾度と同じ忘却を繰り返し、にも拘らず直る事がなかったのは、あくまで”その程度の結果”しか生まれなかったと言える。
失念が引き込む現実の重さを改めて知った少年は、ようやっと考えを改めるに至った
たかが失念。されど失念。
世の中には決して忘れてはならぬ事があるのだと、少年は齢14にして思い知ったのでる。
(ゥゥ――――……)
この忘れ癖はただちに直さねばならない。少年は、両手の拘束と引き換えに一つの学習を身に着けた。
その決意が少年の今後の人生においてどんな効果をもたらすのか。それはその時が来るまでわからない。
だが、少なくとも悪いようにはならないはずだ。
忘れる事など、ない方がいいに決まっている。
そんな考えが脳裏で固まり始めたが故に――――また、”繰り返した”。
「この」
反対に、少年のもたらした危機に”連帯責任”を負わされそうになった人物がいる事も――――。
少年は決意にかまけ、忘れていたのである。
「 ボ ケ が ぁ ー ー ー ー ッ ! 」
「 い ぃ ! ? 」
ゴッ――――少年の脳天に、鈍い衝撃が染み渡った。
つづく