二十一話 愚行――前編――
「近寄るんじゃねぇーーーーッ! お前ら、一歩たりとも動くなよ!」
「この……ついに本性表しやがったわね!」
叫び声に反応し、現場へと馳せ参じた執行官達は――――全員が全員、固唾を飲んで動きを止めた。
「誰も近寄るな」。そう叫んで止まらない少年の要求に、決して折れたわけではない。
だが執行官に取って、重要視すべきなのは少年ではなく”少年の手元”にある。
少年の肘から脇にかけて。そのわずかな隙間の間に、”自分達の長”がガッシリと収められていたとなれば、事態は大きく変わるのである。
「ハァ……ハァ……」
「少年……やめよ……このような無益な……」
「――――っせえじじい! お前は黙ってろ!」
「ぐッ……!」
少年の持つ光る箱を拾った際、そこに現れた英騎の姿。
それを見れば、誰しもが疑いの目を抱くのは当然であった。
故にこれから全貌を告げれば、「何らかのトラブル」が起こる事も、全ては織り込み済みのはずである。
だが――――これだけは予想できなかった。
「こんな所で……捕まってたまるか……」
「こんな所で……道を塞がれてたまるか!」
無知で彷徨うしかできないはずの少年が、よもやこのような凶行に挑もうなどと――――誰しもが予想し言えなかった事である。
スマホに保存された芽衣子の画像が「英騎」と呼ばれ、それ故に「英騎の手先」と疑いを向けられた少年。
これらを顧みれば、少年が追い詰められるのは最初から時間の問題であったとも言える。
しかし現実にその場面に直面して、なお少年が”抗う意志”を見せる事は、誰にもわかるはずがなかった。
「こんな所で……こんな場所で……!」
少年がそのような”事”を起こす一番のキッカケとなったのは、奇しくも大魔女の一言。
「お前を英騎と会わすわけにはいかない」――――。
その言葉は少年にとって、どんな言葉よりも”事を起こす”に至る一言であった。
「何ボケっとしてんだよ……どけよ! そこ空けろ!」
そしてついに感情を爆発させるに至った少年の取った手段。
それは誰かの命を盾にする事――――所謂「人質」である。
卑怯な手段を取っているのは少年自身も重々理解している。
だが、それでも少年には動かざるを得ない理由あった。
「「お、おのれ卑怯な……」」
少年が現状の打破に賭ける点で最も危惧すべきは、やはり大魔女の存在。
大魔女の秘めたる力を身をもって知った少年は、大魔女を下す事は事実上不可能であると即座に判断。
故に、諦めざるを得なかった。
故に、選ばざるを得なかった。
大魔女よりも弱い魔力の持ち主――――ちょうど脇にいた老人を。
「いいのかよ!? マジで刺すぞ!? このじじいはお前らの上司だろ!?」
「うぐ……!」
一瞬の隙を突き執行官長の首根っこを押さえた少年は、大魔女が迎撃態勢を取る刹那の間に、さらに加えて一つの”得物”を取る事をも成功するに至った。
それは本来武器とは到底呼べない日用の品。物書きを行う為だけにある、ただの「ペン」である。
無論、大魔女に対しそのような日用品が通用する道理もない。
ただし、ペン先を”掴んだ老人の肌に突き刺す程度”であれば、ただの中学生でも容易な事である。
「どけ…… ど け ェ ー ー ー ー ッ ! 」
――――覚悟さえあれば。
「が…………」
「――――おじいちゃん!」
事態は一刻を争う。
人質を盾にこの場から逃れようと目論む少年。その行為そのものは、実に浅はかな行いではある。
しかしそれでも、その場の誰もが動けなかった。
固唾を飲む事しかできない場の全員。
その最大の理由は、少年が興奮のあまり”人質の首を強く締め付けている事”に、当の本人が気づいていないと言う点にある。
「大魔女様……構いませぬ……わしの事など……放っておいて……!」
仮にこの場で誰かが動きを見せれば、興奮した少年が本当に人質を刺してしまうかもしれない。
そうでなくとも、興奮した少年がそのまま人質を絞め殺す事も考え得る。
付け焼刃の対処は事を更に荒立たせるだけ。
そんな様子が見て取れる程に――――少年は、冷静さを失っていた。
「「大魔女様……」」
「く……そ……」
大魔女は、人質を取られる事を許した挙句、少年が「このような行動」に出る事すらわからなかった体たらくを悔いた。
「予想外」。それは大魔女にとってもそうである。
力を見せつけ、恐怖を植え付けたはずの少年。
それが何故、ここまで逆らう事ができるのか――――大魔女は、依然として理解できぬままであった。
「お前マジいい加減にしろよ! 会ったばかりでズカズカと好き放題しやがってさぁ!」
「お前……? 誰に言ってんだこの野郎ォッ!」
「お前だよお前! 大魔女とか言われて調子こいてるそこのバカ! さっきからベラベラと疑いばかりかけやがって!」
「僕がテロリストの仲間だと!? なわけあるかボケ! 人を探しに来たばかりだとさっき言ったばっかりだろう!?」
「大魔女の癖に言葉もロクにわかんねーのかよ! 英騎? そんなのハナから知らねーよ!」
「この……」
ついには、少年の溜まりに溜まった鬱憤が、大魔女に向けて怒涛の勢いで炸裂する。
その言葉の一つ一つが、平時なら”今度こそ”本当に殺されてもおかしくない程の暴言の数々である。
「自分が今誰に何を言っているのか」――――それすらも自覚しているか怪しい少年の自暴自棄さに、周りは直、別の意味での危機感も抱くようになった。
「大体初対面で図々しすぎるんだよお前! 他にも勝手に奴隷にしようとしやがって!」
「いい加減人の事も考えたらどうなんだよこの巨悪がッ! お前だけがここで捕まればよかったんだ!」
「黙って聞いてりゃ調子乗りやがって……!」
「「おい――――やばくないか――――あいつなんで大魔女様に喧嘩売ってんだ――――」」
執行官から見て、目の前にいる二人の内一人は「つい先ほど森を焦土に変えた」大魔女である。
その報は無論執行院の末端まで行き届いている。
故に、一歩間違えば「この場でもソレが行われるのではないか」と、執行官の危惧が段々とそちらに傾いていくのは当然の事である。
無知故の所業――――それはやはり”召喚者”固有の特徴。
もはや周りの誰もが疑わなかった。
やはりこの少年は、”別のどこかから来た存在”である言う事を。
「この……この……!」
気づけなかったのは大魔女ただ一人だけである。
この場で今繰り広げられる「無知なる者の所業」が――――”大正解”だったと言う事に。
「一言謝罪くらい言えよコノヤロー! 誰のせいでこうなったと思ってんだよッ!」
(く…………そぉ…………!)
大魔女は――――唯一一つだけ、弱点があった。
それは”力加減が苦手”な事である。
言い換えればやや「雑」な性根を持つ大魔女は、その雑さが故に何度も執行官に足を運ぶに至った事を、本人以外の全員が自覚している。
「大魔女……様……わしの事など……かまわず……」
「――――っせえじじい! 黙ってろ!」
少年の取った行動は、「対大魔女」に限り非常に有効な手段であった。
少年が感情のままに暴言を吐くように、大魔女が、怒りのままに魔力を放てば――――。
地に伏せるのは”一人だけではない”と言う事である。
「この……ド腐れがぁ……!」
大魔女は、嫌が応にも軌道修正を余儀なくされた。
すでに「少年を屠ってもかまわない」程の殺気は十分に溜まっている。
だがそれでも実行に移すわけにはいかなかった。
少年の腕の中にいる老人が、自分の魔法に巻き込まれる事を考えれば――――。
目の前の「ド腐れ」と同じになってしまう事を、強く拒んだのである。
吐き出したい殺意を抑えつつ、別の解決法を見出す事。
大魔女は認め、そして自らを押さえつけた。
改心の機会を”強制的に”押し付けられた大魔女に、与えられた課題は――――実に、前途多難である。
「こうでもしねーと黙って聞かねえだろお前は! 今まで人の話をまともに聞いた事あんのかよ!?」
「この”鎖”の常連なんだろ!? 毎回毎回事あるごとにとっつかまって、全然何にも反省してない証拠だろがッ!」
(そうだ…………!)
だが、どうやら――――。
「状況は意外と速くに打破出来そうだ」。大魔女は、そう直感した。
「そもそもテロの脅威って何!? なんだそれ!? んな事情知らねーよ!」
「そっちの問題はそっちで解決しろよ! 何で、何で僕を巻き込もうとする!?」
(鎖……)
「こんな鎖まで打ち付けられて……何が連帯責任だ! 何がキュッ&ボーンだ!」
「これじゃ……これじゃもう、人探し所じゃねーよ!」
(そうよ……鎖よ……!)
「鎖」――――罵詈雑言の中で放った少年の一言が、大魔女に一つの気付きを誘発する。
それはまさに今、二人を繋ぐ「鎖」についてである。
つい先刻言い渡された判決。それに伴う「断罪の鎖」。
少年が言うように、この鎖は大魔女にとって、ある意味で慣れ親しんだシロモノでもある。
故にわかる――――一つだけ、見過ごせない”不可解な点”が見受けられた事に。
「このじじいの目ン玉でも突き刺してやればお前らも目ェ覚ますか!? ああ!?」
(おかしい……)
「僕をここまで巻き込んだんだ! 今更じじい一人巻き込むくらい、わけねーだろ!?」
(鎖が……動かない……?)
鎖の過敏な反応を、大魔女はよく知っている。
それは過去幾度となく「刑に処された」体験談から得た知識である
道端に唾を吐いた程度で激しく縮み上がる鎖の首輪。
その首輪が付いた状態で、これ程の大立ち回りを演じているにも関わらず――――少年の鎖が”微動だにしない”のは、一体どういうわけなのか。
「どうせもう払拭できないんだ! だったらこのまま本当にテロってやるよ!」
(なんで……)
此度の鎖は「連帯責任方式」。
故に、打ち付けられた大魔女と少年。そのどちらかが罪を犯せば、もう片方の鎖も縮み上がる”はず”である。
聞くに堪えない暴言が響く中、大魔女はあえて目線を外し、チラリと自分の鎖に目を向けた。
そして改めて再確認する。
目の前の鎖は――――やはり一切の反応を見せていない。
「どう言う……事……?」
「ほら、やっぱり聞いてない! どうもこうも今何回説明したと思ってんだ!?」
「大魔女様たるもの下々の声は聴くに値しないってか!? もうほんと死ねよ! お前は今すぐ小学校からやり直せ!」
(そっちじゃないっつの……)
あらゆる悪を罰するはずの鎖が、あらゆる悪を実行する少年に対し微動だにしない。
その現象の詳細を得る事は不可能である――――だが、仮説の材料には成り得る。
この時大魔女が浮かべた仮説は、実に単純な話であった。
やってる事は最低そのものである。
しかし鎖の反応からして、それは「悪」ではないという事でもある。
「何度も言ってるだろ! 僕は人探しに来ただけだ! こんな所、どーなろうが最初から知ったこっちゃないんだよ!」
(無知……召喚……探し人……)
「その英騎とか言う奴、そこまで言うならさぞかし似てるんだろーな……だからなんだ!? 他人の空似で疑われちゃたまんねーよ!」
(英騎……酷似……空似……)
「そもそもその画像だって僕のじゃない! モノクロと対峙してる時に、突然どっかから送りつけられてきた奴だ!」
(モノクロ……人質をエサにこいつをここに飛ばした奴……)
少年の相も変らぬ暴言が大魔女に降りかかる。
しかしもう、大魔女は言葉に怒りを覚える事がなかった。
煽り、罵り、ありとあらゆる負を並べた言葉遣いの中に――――”打破への可能性”を見出す事が出来た為に。
「普通に考えて常時鎧を装備した中学生がいるか!? なんでそんな映画みたいな格好してんのか、こっちが聞きてーくらいなんだよ!」
「あ~~~もうわかんねえ! 全部だ! 全部わけわかんねえ!」
(わかる……わからない……)
「お前も! お前らも! お前らの使う魔法も、お前らが持ってる物も! 全部!」
「わかるのはお前らが、お前らこそが邪魔者だって事だけだよ! わかってんのかコノヤロォッ!」
(わからない……そうだ……)
(こいつは……”わからなかった”んだ……!)
そして――――ついに辿り着く。
怒れる異界人を鎮める、その解決の糸口が。
「そうか――――これだッ!」
閃光の如き閃きを得た大魔女が目を向けたのは――――少年の所持していた異界機器である。
老人が大魔女に渡し、今現在も大魔女の手の中に納まる「異なる文明の機器」。
無論大魔女にその扱い方はわからない。
どころかそこに、何が記されてあるのかすらもわからない。
だが唯一、たった一つだけ。
少年の発言と合致する「二文字」だけは、見つける事が出来た。
(――――にげって書かれてあって、だからこれはまずいって思って、ここへ来たんです)
(――――……まるで意味がわかんないんだけど)
そう遠くない過去の発言。
その直近の記憶を呼び起こせば――――画面には、確かにあった。
少年の言う「書かれてあった文字」が
『にげ』
「これしかない……わよね……?」
異界の文字を大魔女が読み取る事は叶わない。
しかし少年の発言と照らし合わせれば、画面の中にある唯一の二文字は、やはりそれしかなかった。
「にげと書かれてあった」――――その時大魔女は、発言の意味が理解できずにいた
だが、今ならわかる。
こうして実物を見れさえすれば、後は過去が”真実”へと競り上げてくれる。
「てめぇゴラァーーーーッ! 人のメッセ勝手にみてんじゃねえぞッ!」
「プライバシーの侵害だ! 個人情報漏えいだ! ネットリテラシーを学べコノヤロー!」
(やっぱり間違いない……これだ……!)
大魔女の中で、「確信ある仮説」が急速に積み重なって行く。
少年の経緯。発言。行動――――それら全てを組み込んだ上で。
そして積み重ねられた説は、無駄な情報を精査された上で、間もなくより”真実に近い仮組”となった。
(おそらく……)
第一に、第三者が何らかの目的で少年の身近に現れた。
第二に、その第三者が少年の友人を連れ去った。
第三に、その第三者が今度は少年を狙った。
最後に、第三者は(モノクロ)は少年をもまんまと異界に送り込む事ができた。
その時少年の首を降らせたのは、友人と言う名の人質。
”英騎に酷似した友人”を引き合いに出した事で、少年を向かわざるを得ないように仕向けた。
そして、それらの行動を把握している人物が、この画面の中にもう一人だけいる。
(人探し……)
それが少年がしきりに発する、例の”英騎に酷似した友人”。
その意図は――――ただ、”巻き込みたくなかった”と言う事である。
友が友を思いやる様。それは世界が違えど大魔女にも理解できた。
惜しむらくは今、その思う相手が、第三者と同じ手段を取っているとは知らずに。
(じゃ…………これッ!)
仮に友人と英騎が同一人物だったとして、だとしたら何故英騎は少年にそのような言葉を投げかけたのか。
仮に少年が英騎と深い関わりを持つならば、何故少年は英騎の言葉を反故しこの場に馳せ参じたのか。
噛み合わない各々の行動が、英騎と少年とを結ばせない。
それらの不可思議な全貌が記されてあるはずのこの画面。
それをを読む事が出来るのは――――やはりこの場では、少年が唯一である。
「ま…………さか…………!?」
しかしそんな中で唯一、大魔女がわかる「にげ」の二文字。
それが、そのまま「逃げ」る事を意味するのならば――――。
「オイ! 聞いてんのか!? オイ!」
「今度は…………シカトかよ!?」
「…………」
大魔女は今一度冷静に立ち返り、率先して少年の罵りに”耳を傾けよう”と構えた。
「少年の発する言葉を、一言一句逃してはならない」。大魔女はそう確信したのである。
異界の機器の中に――――少年の日常とこの異界を結びつける”可能性”を、見出してしまったが為に。
「くっそォーーーーッ! どいつもこいつも…………ッ!」
だが――――そんな決意も直ちに水泡に帰す事になる。
それが他でもない、少年自らの手によって。
「どいつもこいつも…………どいつもこいつもォーーーーッ!」
「まずッ――――!」
全ての発言を聞き取らんと、少年に全神経を集中した大魔女。
その心構えが故に、誰よりも抜きんでて”察する事”が出来たのは、不幸中の幸いである。
「 う あ あ あ あ ッ ! 」
これから少年が、何をしようとしているかを――――。
つづく