牛
「わかったらほら! さっさと行く!」
(だりぃ~……)
予想外の襲撃にやや面食らった物の、肝心のカンニング行為自体はバレてないのでまぁ良しとしよう。
その怒ってるのか張り切っているのかが、非常にわかり辛い口調が未だ癪に障るが、ここで変な刺激をして本腰の説教を入れられるのも困る。
触らぬ神に祟りなし。いらぬ疑いを掛けられない内に、さっさと退散するのがこの場の最善だと言う物だ。
「すんませ~ん」
「ったくお前は……」
いつの間にか、ベルは鳴り止んでいた。
担任に言われるがままに、飛び出るように繰り出した廊下には今、僕一人だけがポツンと佇んでいる形になる。
誰もいない、シーンと静まり返った廊下。
通常とは違う静寂に包まれた光景は、それはそれでそれなりの非日常感を演出してくれる。
本当に、誰もいない。正真正銘僕が一人だ。
そして、その事実が突きつけるのは――――「孤独」。
(うわ……なんか)
クラスの連中があれだけだるそうにしつつも、行動そのものはちゃんとしていたのが意外だった。
絶対一人くらいは、僕みたいなのがいると思ったのに。
群れとはぐれた小鹿と言うのは、今まさにこういう気持ちなのかも知れない。
”僕一人だけになった”と言う事実が、今更になって焦燥感を駆り立てたのだ。
「……やべぇ!」
「速く集合しなきゃ」――――その気持ちで溢れた僕の内面が、自然と足の回りを速くした。
タッタと階段を二段飛ばしで降りる僕は今、ある種「最速」を名乗れる存在かもしれない。
――――が、今にして思えば、そんなに焦る必要もなかったと思う今日この頃。
所詮はお飾り程度の避難訓練。わざわざ必死になるに値する事じゃない。
「いっそげ~ッ!」
だからなのか……この時は気づかなかった。
変に焦ってたからか、いや違う。最初っから、わかるはずがなかったんだ。
駆け抜けられる校舎に、僕の中に渦巻く逸る気持ちが――――
(………………カ チ )
現実を、瞬く間に遠くへと追いやる事なんて。
――――
……
「点呼とりまーす! 番号を呼ばれたら返事してくださーい!」
「んだよ……全然じゃねえか……」
結論から言うと、やはり必死になるに値はしなかった。
人が息を切らしながら慌てて走って来たのに関わらず、うちのクラスの連中と来たら、集合直後から一切変化していないのだ。
てんでバラバラな列順。そこかしこから聞こえる雑談。中には影でこっそりスマホゲーで遊んでる奴すらいる始末。
さっきの教室での光景とまるで同じだ……こいつら、”一切全く何も変わっていない”。
「「ハハハ――――でさ――――」」
「すいませーん! ちゃんと並んでくださーい!」
だが、おかげで助かった部分もある。
僕がしでかしたありえないレベルの遅刻っぷりが、こいつらのおかげで全てうやむやにされるのだ。
普通、こういう時って大体白い目で見られたりするもんなんだがな。
「お前のせいでみんなに迷惑が」とかなんとか言って。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」がモットーの我がクラス。
その善悪はいったん置いといてだな。
僕としては実にぬるく、適当で、なんだかんだで――――結構居心地がよい環境だったりするのだ。
(みんな何かしらやらかしてるしな)
そう考えれば、このダラけきったイベントもまぁまぁの気分転換にはなる。
完全に前言撤回だ。たまには、こういうのも悪くないかもしれない。
「退屈で眠気しか湧いてこない日々に、一筋の刺激を」。
そういう意味では、ある意味必須の行事なのかもしれない。
「1! 2! 3! 4!――――」
誰とも話さず、何も努力しない。
そんな日々を送る僕だからこそ、むしろ逆にこのクラスと巡り合わせたのかもしれない。
行きつく所にしか行かない”運命”って奴か?
だとすれば、仮に本当に神様と言う存在がいるとすれば――――
なんだかんだで、仕事はしてくれていると言う事だ。
「8! 9! 10! 11――――」
そして何よりの理由。
ぬるい環境、影った空間。向上心のない同級生に空回りしかしない熱血担任。
そんな必要性をまるで感じないこのクラスに、唯一僕を繋ぎとめてくれる存在がいると言う事。
彼女がいるからこそ無意味が無意味じゃなくなるし、彼女がいるからこそ、僕は今、ここにいる事が出来る。
「22! 23! 24! 25――――」
ここには無を有に変える事の出来る人がいる。
何もない荒野に、一つの道筋を生み出す事の出来る人が。
その道は何よりも明るく、何よりも暖かい。
勉強も運動も友人も恋人も、「甘酸っぱい青春」とやらなんて、この際全部どうだっていい。
ただ僕は、その光を浴びていたい――――それだけの為に、ここにいるんだと思う。
「……あれ」
(ん?)
「一人、足らない……?」
点呼係が、見るからに混乱しているのがわかった。
曰く、1から順に数えて、どう数えても”一人足らない”らしい。
遅刻した僕を数に入れてなかった……いや、それはない。
ちょうど今、点呼係と目が合ったからだ。
「……あっれ~? おかしいなぁ」
(何やってんだよ)
それでも点呼係は悩む事を止めない。
うちのクラスは総勢30名。僕を入れていなかったとしても、数え順は29になるはずだ。
みんな並ばず好き勝手に動いているから、きっと自分が数え間違えたと思ったんだろう。
点呼係は、今度は一人一人を指を指しながら丁寧に数え始めた。
僕もその指の動きを、何となしに目で追ってみたんだ。
(22……24……26……)
おかげで――――誰よりも先に、気づいた。
(芽衣子がいない……!)
――――光が、途絶えている事に。
「どうかしたのか?」
「あ、先生……なんか、一人足らないんです」
遅れて担任が姿を現した。
僕が一人で残ってたせいで、他にもそういう生徒がいないか見回りをしてたらしい。
その担任の証言が決定的だった。
最後まで校舎に残ってた人がこう言うんだから、まぁまず間違いはない。
――――「校舎には、誰もいなかった」と。
「え、あれ、おかしいな……江浦が最後だったはずなのに」
「ですよね」
考えられる線としては、見回りの目を逃れてうまい事サボってる奴がいる――――
可能性はゼロではないが、だが足りないのはあの北瀬芽衣子。
彼女がサボリを実行するとは、どうにも考えられなかった。
芽衣子はサボる所かサボリを諫める側の人間だ。
しかもこんな、数えるだけですぐバレるような愚直な真似。果たして彼女がするだろうか。
(……もしかして)
だとすれば、最も考えられる可能性。
あまり想像したくないのだが――――もしかして芽衣子は今「花を摘みに」行ってるのでは?
それなら一応の理屈は立つ。
教師と言えど男性。女子トイレなんて、おいそれと気軽に入れないだろうからな。
「あ……先生。北瀬さんだ。北瀬さんがいないんだ」
「芽衣子が!? お前らと一緒じゃなかったのか!?」
(お、お前も知らないのか!?)
が、やはりそれも考えにくい。
もし用を足すのが我慢できなかったんなら、単純にそう担任に言ってるだろうからな。
――――クラスの連中が、少しざわつきだした。
奴らもようやっと気づいたのだろう。「芽衣子はどこ?」そんな声が、しきりに聞こえ始めたんだ。
普段からだらけてばかりいるこいつらとは違う。
真面目で、勤勉で、クラスの中心人物である一人の女子。
そんな人がいないとなれば……みんながうろたえるのも、当然だった。
「あれ? めーこがいないよぉ~?」
「なあ、北瀬いなくね?」
「ホントだ。トイレか?」
「めーちゃん、どこ~?」
姿を消した芽衣子。その理由は誰も知らない。
誰にも告げず。誰にも姿を見せず。
それはまるで、存在そのものが無くなってしまったかのように――――
それは、他人からすれば大げさだと思われるかも知れない。
大局的に見れば、ただ集団行動に遅れた生徒が一人いるだけの事。
しかし、先ほど言った通り、彼女だけは僕にとって”特別”な存在。
いて当たり前。いや、いなくちゃならない人。
ずっと目に映ってて欲しい人。存在を感じたい人……その人がいないと言う事実。
(……いやだ)
その事実に、耐えられなかったんだ。
「――――せんせぇ! 僕、探してきます!」
「は!? な、なんでお前が!?」
「ちょ、ホントに――――行ってくるわ!」
「あ、オイ! 江浦!」
突然の僕の行動に周りも驚いたのか、突き刺さるようなの目線を肌で感じた。
が、そんなものは意にも介する事もなく、僕は再び校内へと駆け出て行った。
皆が驚くのも無理はない。
自分の行動に一番驚いているのは、何を隠そう僕自身なのだから。
「「――――えっ江浦何してんの――――便所じゃね?」」
「「――――いや、多分あいつはそのままサボるつもりだ――――あ、俺もそう思う」」
言い換えれば赤の他人が一人や二人遅れた程度。
普段の僕ならきっと、そんな事気にも留めないだろう。
だが、それは――――”人による”。
今いなくなったとされているのは、僕を照らしてくれる唯一の光。
その光が不意に無くなれば……僕の目の前は、きっと暗闇のまま元に戻れなくなってしまう。
(芽衣子――――!)
杞憂――――その可能性、大いにある。
だが、ちょうどさっき感じた湧き立つような「孤独感」が、悪い意味で現実味を持たせてくれたんだ。
あの窮屈で閉じ込められたような感情を、今現在芽衣子も味わっているのかと考えたら……
まるで自分の事のように、いてもたってもいられなくなった。
(チッチッチッチッチッチ……………………)
僕を呼び止める声。
加えてサボリだ便所だと好き放題言われている声が、背中越しにヒシヒシと伝わってくる。
が、それらも直に遠のき――――そして、消える。
代わりに現れたのは、またしてもあの静寂。
誰もいない校舎の音無き空間は、またしても僕に例の「孤独感」を運んで来た。
だが、今度はそんな物に気圧される事など、微塵も無かった。
心を蝕むようにこびりつく「孤独」。
しかし今は、その先にある光が――――ちゃんと見えていたから。
(チッチッチッチッチッチ――――)
芽衣子はこの静まり返った校舎のどこかにいる……それは確実だ。
冷静に立ち返り、今一度現状を顧みる。
――――まずサボリの線は真っ先に消えるだろう。
芽衣子の普段の生活態度からしてそれありえない。
そして次に消える可能性は「花詰み」。
私立の進学校じゃあるまいし、元々そんなに広い校舎じゃないんだ。
ただトイレに行っただけなら、こんなに時間はかかるはずがない。
そして何より、芽衣子が不在な事を”担任も知らなかった”事が大きい。
芽衣子の性格上、何らかの理由で遅れるのならば、ちゃんと事前にそう伝えるはずだ。
というよりむしろそれが普通で、その辺はうちのクラスが特別だらけきっているだけの所はあるが。
その唯一の例外が芽衣子――――だが、担任はそれすらも知らなかった。
「て事は…………!」
つまり――――”突然動けなくなった”。
そう、結論付ける事が出来る。
「やっぱり…………どこかで…………!」
急に体調を崩したか、または階段から転げ落ちてしまったか。
とにもかくにも、”本人すら予想しいえなかった”事態が起きたのは間違いないだろう。
そしてタイミング悪く、今は避難訓練中。
校舎の誰もが出払ってしまい、誰にも気づかれぬまま、今も一人で苦しんでいる――――。
そう考えると、全ての合点が行く。
恥を忍んで飛び出して、本気でよかったと思う今日この頃。
そこまでの事なら、これは本当の意味での緊急事態。下手すると病院沙汰にすらなり得る事態だ。
避難訓練……やっぱり必要なイベントなんだと、再認識させられた。
もしもこれが本当の災害だったなら――――こんな程度じゃ済まない”不測”が、星の数ほど発生するのだから。
「多分……教室の近く……」
そしてその不測に陥っているのが、よりにもよって芽衣子なら――――。
迎えに行くのは、僕しかいない。そう思ったんだ。
「探すっきゃ……ねぇ!」
僕は再び無人の校内へと繰り出した。
静寂を保つ空間に、僕の足音だけがハッキリと響き渡る。
その足音を絶やさぬように、なるべく”大げさに”動くように心掛けたんだ。
それは忍び寄る孤独を掻き消す為の意味合いもあった。
だが本来の目的はそうじゃない。
僕の迎えに行く足音が、芽衣子の耳に届けば、きっと――――
(芽衣子、どこだ!)
きっと何らかの返事が返ってくる。そう思って。
(チチチチチチ………………)
――――だが、返事をしたのは芽衣子じゃなかった。
( カ チ )
ズ ド ォ ン ッ !――――静寂は、瞬く間に”爆音”に掻き消された。
つづく