八話 逆鱗――後編――
「ちょ――――ええっ!? なんで!?」
「 お” 前 ェ ェ ァ” ァ” ー ー ー ー ッ ! 」
この状況を一体誰が説明できるのか……わかる人がいたら、今すぐラインで教えてほしい。
女はもう、見るまでもなく「ブチキレ」状態真っ只中であった。
さっきまであんなに和やかだったのに。ちょっとした雑談を交わす程、ほのぼとしてたのに。
それが何故に――――こんな修羅場に成り果てているのか。
早急に理由を教えていただきたいと思う、朝の一幕である。
「おまえッ! よくも! よくも命の恩人にそんな事が言えたわね!?」
「え、ちょ、だから! 一体何がッすか!?」
「こんな屈辱は初めてよ……やっぱりあの時”やっちゃう”べきだったわ!」
まるで訳が分からないが、どうやら僕が何か粗相を働いたと言う事は伝わった。
だが――――それがどれかがわからない。
直ちに土下座したい事山の如しなのだが、肝心の”怒りの琴線”がどれかがわからなければ、頭の下げ用がない。
それに、これはもう……ちょっと詫びったくらいじゃ収まりがつかない……
(マジの怒りじゃねえか……)
「使用人として使ってやろうとも思ったけど、も~やめた! も~いらないわ!」
「こんな事されてまで面倒見てやる理由はない……お前は今! ここで――――」
こういう場面に必ず実感させられる、一つの感情がある。
それはズバリ「後悔」――――言い換えれば、以下に自分の”普段の行い”が悪いかを思い知らされるのだ。
普段から反抗的な態度ばかり取っているせいか、僕は些細な事ですぐに詰められる変な癖がある。
曰く「そういう風に見える」らしい。
だから、その時その場面では、確かに「これからは気を付けよう」と反省するのだが……
まぁそれも、三日もすれば大体忘れている。
「――――消す!」
(はぁ――――!?!?)
そもそも相手がなんで怒っているかもわからない。
当然だ。最初から”何一つ聞いちゃいない”んだからな。
だから――――今もまた、わからないのだ。
目の前の怒れる魔導士に、”自分が一体何をしてしまった”のかが。
「この屈辱を糧に――――集え我が魔! 我が力!」
「我が御前に、いみじくも佇むこの背徳者を―――― 焼 き 払 え !」
女がまた、詠唱っぽい事を唱え出した。
しかしそれは先ほどのとは違い、もう、言葉のチョイスからして、明らかに危害を加える旨の物だと言うのがわかる。
「焼き払え――――」その言葉と共に女の周囲から光の柱が拡散し、そして辺り一帯に降り注いだ。
放たれた魔の光りは、着弾すると同時に激しい爆音を轟かせ、この広大な森を瞬く間に火の海に変えていく。
そうして、穏やかな”はず”だった森は――――一瞬にして、”地獄”へと変貌を遂げた。
「くたばりやがれこんガキがァーーーーッ!」
「う、嘘だろォーーーーッ!?」
ボ――――比較的近くに着弾した光の爆発が、その余波を僕にまで届かせた。
ドン――――ボン――――バン――――そんな爆発が至る所で起こり、森を森足らしめる木々が次々と折られていく。
ゴォォォ――――轟音と共に崩れる木々の代わりに、別の物が周囲を埋め尽くした。
「焼き払え」と言われたが為に馳せ参じた、激しく揺らぐ炎である。
「ひぃぃぃぃ~~~~ッ!」
「何今更ヘタレてやがんだてめェーーーーーッ!」
「ちょぉマジ……ブレイク! マジでブレイクプリーズ!」
「何がブレイクだオラァーーーーッ! まだまだこんなモンじゃ終わんねェぞォーーーーーッ!!」
女は依然として、まるで聞く耳をもたず怒号を叫び続けている。
その轟く声量に比例して、元来危険地帯であるはずのこの森が、”それ以上に危険な女”によってみるみるうちに破壊されて行く。
怒り狂った女が、脇目もふらずそこかしこを火の海に変えて行く様――――
その光景はまさに、地獄絵図と呼ぶにふさわしいだろう。
「オォォォルゥゥゥァァァァーーーーッ!」
「ひ、びぁぁぁぁ~~~~~ッ!」
燃え上がる炎に負けず劣らず、怒り狂う女のあまりの鬼気迫る姿を前に、僕も思わず悲鳴を上げざるを得なかった。
冷たすぎる冷や汗と、気が失いそうになる程の恐怖が溢れて止まらない。
破壊を目的とした魔法の光弾の超速連射が、女を中心に無差別に散らばって行き、そして引き続き雨あられのように降り注ぐのだ。
そしてそんな光景を見せられて、今一度”強制的に”再確認させられた。
――――この女はやはり、「人ならざる存在」だったのだ。
もはや「魔法使い」なんてファンシーな呼び方じゃ到底収まりがつかない。
言うなればこいつそのものが【魔】。
【魔】を用いて破壊を繰り返し、人類に恐怖を植え付ける存在。
僕らはそんな存在を、某国民的RPGに準えて、こう呼ぶんだ――――。
(魔王――――)
悲鳴、怒号、そして爆音。
魔がもたらすこの悪夢の三重奏は、僕が気を失うまで鳴り響き続けた――――
(マジカヨ……)
――――
……
「う……」
最初に、小さな一言が僕の耳に届いた。
それが”自分の発した呻き”だと気づくと同時に、僕の五感が湧くように戻って来た。
何かに触れる感触。どことなく焦げ臭い臭い。キーンと鳴る耳の奥。
舌は何故か妙にしつこいしょっぱさを感じている。大量にかいた冷や汗が、口の中に入ったのだろうか。
とりあえず感覚がまだこの身に残っている事に安堵――――だが、目は戻らなかった。
「どこ……だ……」
瞼を開閉する感覚自体はする。だがいくら開いたところで、視界の全ては全くの”黒”である。
どこもかしこも黒・黒・黒……おかしいな、さっきまであんなに色取り取りだったのに。
ここで僕は、考えたくなかった一つの結末を思い浮かべてしまった。
もしかして――――死んだ?
あまりに急で、あまりの勢いだったから、死んだ事にも気づかずに、依然として感覚だけが残っているとか、そんな感じの……
(嘘だろ……)
まさか命の恩人に命を取られるとは、誰が予想できただろうか。
ゲームで言えば完全にゲームオーバーでしかないこの黒い視界は、いくら探せどもどこにも「コンティニュー」の文字が見当たらない。
この状況はまさに「詰み」。
やり直しの効かないたった一つの機を、今この場で使ってしまったのだ――――あの女のせいで。
「あっ……」
不意に、どこからか差し込むように光が漏れた。
これが噂の「天の使い」とやらだろうか……なんとなく、光に向けて手を掲げる。
掲げた手を天使が柔らかく包み上げてくれる――――かと思いきや。
手に触れたのは、パラパラと付着する細かい粒子だった。
「お前……」
その細かいカケラが手に触れたと同時に、黒一色だった視界に光が広がる。
突然の光に目が眩み、一瞬何も見えなくなるが……すぐさま視界は回復していった。
――――ここで僕はこの黒と白の視界の正体を知った。
僕は手を掲げるまでもなく、すでに包まれていたのだ。
この、闇と光の正体によって。
『…………』
「ゴ、ゴーレム……」
ゴーレムは相も変わらず何も話さないが、それでもこいつが、今なんでここにいるのかは理解できた。
どうやら――――こいつがとっさに”庇ってくれた”らしい。
破壊される森。崩れる木々。広がる火の手。
その全てから僕を守る為に。”主の意に反してまで”僕を助けてくれたのだ。
僕の覚醒を契機に、ゴーレムが僕を包む手を再び広げる。
飛び込む光がまたも僕の目を眩ませたが、それは所詮は一時的な事。
しばらく目を細めれば、すぐに視界は戻ってくる。
だが――――森は、そういうわけにもいかなかった。
「……まじ?」
あれだけ広く、あれだけ広大で、あれだけ不気味だったあの森は――――
水平線が見えるほどの「更地」に変貌していた。
折れた木々が所々に倒れ、黒く変色した草木が、黒煙を出しながらへたり込んでいる。
他にも焦げ臭い異臭や、まだ小さく残っているボヤの火、クレーターだらけの地面等々、etc……
破壊の限りを尽くされた、確かな”大災害”の痕跡が、そこには無数に点在していた。
「てかさぁ……」
『…………』
「なんでお前のご主人様、いきなりキレてんの?」
『…………』
ゴーレムは何も語らない。だがこいつの今の気持ちは、手に取るようにわかる。
ズバリ一言、「こっちが聞きたい」だろう。
主の意図に反した行動がいい証拠だ。
ご主人様の行動は、咄嗟に僕を庇わざるを得ないくらい――――”予想外”だったのだ。
「つかこれ……あのねーさんがやったのな」
『…………』
「この森が……一瞬で……」
ゴーレムは語らずとも頷く素振りを見せた。
あの女の言っていた「天才」だの「溜まる力」だの、正直言って下らない吹かしだと思っていたんだ。
周りに誰もいない事を言い事に、ありもしない虚栄を好き放題振りかざす奴。
そういう奴は僕自身も、ごまんと見て来た。
――――しかしこの光景を目の当たりにすれば、信じざるを得なかった。
サッカー部のエースストライカー。野球部の四番バッター。バスケ部のポイントゲッター。
それらと同じように……あの女も”魔法”の才能があるのだと言う事を。
「いや……でもさぁ」
『…………』
――――それも、ぶっちぎりに。
「これ……」
『…………』
多少の落ち着きを取り戻した今、冷静にこの光景を考察してみた。
こんな焦土を生み出す程、シャレにならない魔力を持つあの女……
天才を自称するだけあって、その片鱗は痛すぎる程に見せてもらった。
確かに、紛れもなく天才だ。
こんなマネができる奴はそうそういないだろうと言う事は、いくら来たばかりとは言え僕にもわかる。
(――――アンタ、アタシの事も知らないのね……この完璧超人のアタシすらも)
だが――――残念ながらそれでも”完璧”とはならない。
今思えばあの女、昨晩の時点ですでにその片鱗を見せていた。
気づくべきだった……あの自他ともに認める「天才魔法使い」様に、唯一一つだけ、”致命的な欠点”がある事を。
それは……
「お前のご主人様……”力加減”とか、出来ないの?」
『…………』
「これってやっぱ……お前が建て直すの?」
『…………』
だから、勢い余って破壊してしまうのだ――――”自分の家”まで。
つづく