七話 逆鱗――前編――
「いってぇ……」
「朝から元気ねぇ~……」
起床早々中々の目に合わされた僕を、あくび混じりに嘲る女に若干の殺意を覚える。
そもそもこんな目に合ったのは、「お前が出入り口を密封するからだろ」と言ってやりたい。
ドチャア――――何かが崩れる音が後ろからしたので、振り向くと……案の定だ。
さっきまでいた土の寝床は、土砂崩れの如く完全に崩壊していた。
「ゴーレムったら、相変わらず寝相悪いわね~」
やはりこのゴーレムとかいう化け物、思った通り朝はあまり強い方じゃないらしい。
散らばる土のカケラが、もぞもぞ・うぞうぞとさまざまな物に姿を変える様は、起き抜けから中々の嫌悪感を与えてくれる。
この安全意欲のカケラもない、さっきまで寝床だった土の性質は、おそらく……
いや、間違いなく「飼い主に似た」のだろう。
「んじゃま、始めますか」
「何を?」
「”契約”よ」
「契約……?」
女は女で、朝一番唐突に何か言い出した。
契約? なんだそれ。言っておくが連帯保証人にはならないぞ。
ハンコなんて持ってないし、第一僕はまだ未成年だ。
そもそも僕は誰かの保証なんてしない。するはずがない。
例え相手が旧年来の親友だろうが、「自分の事はやれ」とズバリ言ってやるつもりだ。
まぁそんな友と呼べる相手はいないのだが……とにもかくにも、そんな手口に騙される物か。
「お金、困ってんすか?」
「なんでそんなもんに困らないといけないのよ」
「じゃあなんの……」
「それはー……見てのお楽しみ、ね」
どうやら借金は関係ないらしい。とりあえずは自己破産の危険性を免れた事に安堵。
しかし女はその代わりと言わんばかりに、地面にガリガリと何かを描き出した。
内容は……よくわからないが、とりあえず一番の特徴は、人一人が余裕で入る大きな”円”だ。
「ひとっつふたつやみっついつつ~♪」
「……なにしてんすか」
もしかしてこれから「かごめかごめ」でもやるつもりなのだろうか。
いやいや、二人でやって何が楽しいのか。
それに、だったとしたら円の外枠だけで十分なはず。何もわざわざ”円の中身”まで描く必要はない。
円の中は、これでもかと言う程過剰な装飾が描かれていた。
全体を見渡せば何か模様のような物にも見える。
その様は言うなれば、まるでアートのような……
とかく、薄らとした芸術性を感じる、アーティスティックな何かだ。
(絵描き歌……?)
朝一発目から大地に描かれる前衛的なアートももちろんの事。
何よりも、それらを鼻歌交じりに進める女に若干の困惑を感じざるを得ない。
ほんと、昨晩の「邪悪な笑み」はどこへいったのかと言いたくなる程に……
このよくわからない円を描く女の表情は、言うなれば、楽しい物に夢中になる「無邪気な子供」そのものなのだ。
ガリ……
「よしっ、じゃあアンタ。そこ立って」
「はぁ……」
女は不意に、僕に円の真ん中に立つよう命令してきた。
何が何やらまるで理解できないが、まぁ断る程の事でもないので大人しく従ってやる事にする。
円の真ん中に立ち女の方へ振り返ると、いつの間にかゴーレムがしれっと女の隣に佇んでいた。
朝の挨拶もなく相変わらずの無言ではあるが、何となくこいつもどこか楽し気な感じがするのは気のせいか。
もしかしてこの二人と一匹を交えて、本当に「後ろの少年~」とか歌い出すつもりなのだろうか。
こんな辺鄙な所じゃ、そんな童謡しか娯楽がないのかも……そう考えると、少しばかりの哀れみが湧いた。
「オッケイ。ばっちり真ん中」
「そこから動いちゃダメよ? 後はもう、ボーっとしてて」
(ボー…………)
ボーっとしてろと言われたので、言われるままにボーっとする事数分間。
常人なら退屈以外の何物でもない間であろうが、僕に限ってはそうじゃない。
あまり自慢できる事じゃないが、ただ突っ立ってるだけってのは特技の一つなんだ。
それは主に「嫌な事」が起きた際に発揮される。
この身を空と同化させ、嵐が過ぎ去るまでただひたすら時に流される事――――
それが僕の特技であり、僕みたいな人間が生きて行く上で、必要不可欠な処方術なのだ。
(ふわぁ……)
「あ~……めんど。ったく、持って生まれた天才はこういう時不便よね」
(……ん?)
「ホントはこいつに直接パーっとやりたい所だけど、粉みじんになられても、困るしね」
(……は?)
そんな特技も、この現在なんら不愉快な事がないほのぼの空間では、本当に何の意味もない。
朝日に照らされた森の光景は、昨日の不気味さ加減とは一変。
幻想さすら感じる程の、実に爽やかな朝の風景だ。
どこからかラジオ体操のテーマが流れ出しても、何ら不思議ではない風景。
唯一の不満があるとすれば、「正直まだちょっと眠い」。精々行って、その程度である。
「――――アンタもそう思わない?」
「……何がっすか」
「アタシが以下に、凡人と一線を画す存在かよ」
だが女が始めたプチ自慢話が、そんな眠気をも乱雑に紛らわしてくれる。
話の内容は主に「自分がどれだけすごいか」「どれほどの天才なのか」――――やっぱり自慢以外の何物でもない。
突然何を言い出すんだと思ったが……ここで一つ、とある仮説が浮かんだ。
もしかして、”気を使ってくれている”? 僕が退屈しないように。
「すいません聞いてませんでした」
「聞けよ。天才のありがたい言葉を今アンタは独り占めしてるのよ」
「え~っと……天才なんすか?」
「アンタ、アタシの事も知らないのね……この完璧超人のアタシすらも」
聞けばこの女、どうやらこの世界では少し名の知れた存在らしい。
それは女が自称する「天才」としてなのか、こんな所で一人住んでいる「変人」としてなのか……
それはさておき、女が雄弁に語る自慢話には随分と退屈を紛らわせてもらった。
途中からまるで聞いてなかったのはご愛嬌。
そこは素直に感謝しよう。下らぬ与太話をありがとう、と。
「ったくこれだから最近の若者は……」
「若者て……そんなに歳、変わんないっすよね?」
「あ? お前みたいなガキと一緒にしてんじゃないっつの」
「ガキって……じゃああんた何歳なんすか」
「え? え~っと」
「今年で999歳……だったかな」
(――――ッ!?)
これは存外予想に反した答えだった。
よもや退屈を紛らわすだけでなく、未だ残る眠気までキレイサッパリ吹き飛ばしていただけるとは……
「999歳」――――今女は確かにそう言った。
桁を間違えたとしても、それでもほぼ100に等しい数である。
所謂これは「逆サバ」と言う奴なのでは……
しかしにしても、「スリーナイン」はあまりに、あまりにもな数である。
「あ~、来年でアラサーになっちゃうわー」
(ア、アラサー……)
女の語りは、聞こえているのにまるで耳に入らないと言う摩訶不思議な現象を引き起こした。
だってそうだろう? アラサーを「アラウンド・サウザンド」と解釈する女の、一体何が耳に残ると言うのか。
そんな僕の呆れに反して、女の語りはまだまだ続く。
そのほとんどが真っ当な自慢。そしてたまぁーに、「自虐風の」自慢を交えながら。
「600過ぎたあたりかなー。もう最近、何もしなくても魔力の貯蓄が溜まっちゃって溜まっちゃって」
「たまーにここの魔物相手にして発散したりしてんだけどねー。どいつもこいつも最近はてんでヤワなのばっかで……」
(正気か、こいつ……)
「やっぱねー、こう、使っても使っても貯まっていくと、結局はあっても意味ないじゃんっていうかさ」
「ただただ、毎日が虚しいのよねー」
「…………」
女の語りはすべからく意味不明極まるが、一つだけ既視感があった。
いつぞやテレビでやってた大富豪共と、同じ事を言っているのだ。
奴らはこぞってこう言う。
「今の地位を確立する為に流した汗と苦労の数々、それこそが真の財産だったのだ」と。
そしてその後にこう加える。
「その段階を過ぎてしまった今となっては、余った人生のなんと虚しい事か」。
「アンタもそう、思わない?」
(いえ、全く)
僕にはてんでわからない感情だ。
何故彼らは自分から苦労をしたがるのだろうか。じゃあその、辛く苦しい貧乏時代に「逆戻りしたい」とでも言いたいのだろうか。
今が楽ならそれでいいじゃないか。そこまで言うなら、じゃあ一日でいい。
貧乏時代に戻してやるからその全財産よこせよと、一体何度思った事だろう。
「でもこうしてさ、あんたが現れてくれた事で、ひっさびさに派手にババーンとできそうなのよね」
「と、言いますと」
「いやー助かったわ。アタシが魔力全開にしちゃうと、こんな森あっという間にふっとんじゃうからさ」
(…………)
今さらっと恐ろしい事を言った気がするが、もう全て年寄りの戯言だと思って聞き流す事にした。
率直な感想としては「アラウンド・サウザント」、その呼称に偽りなしと言った所か。
要はこの女。見た目こそ若いが、中身は愚痴の多いボケ老人なのだ。
老人はボケ始めると意味不明な事を言う。ある意味中二病と一緒だ。
そう、これは所謂「ごっこ遊び」。
言い換えれば、暇を持て余した老人の些細で哀れな退屈しのぎ。
そういう事ならしょうがない。
一泊の恩もあるし、じゃあちょっとだけ付き合ってやるとするか――――。
「ところでババ……お姉さん。無知な私めに今あなたがやっている事を説明できないでしょうか」
「あんた、ほんとに何も知らないのねー。こんなオーソドックスな【契約陣】すらわからないなんて」
「もしかして、どっかで【記憶操作系魔法】でもかけられたりした?」
「ええ、ものすごい物をかけられました」
相変わらず魔法だの契約だのよくわからん事を言っているが、適当に合せる事ですんなり会話が成り立つのでまぁよしとしよう。
どうせ考えてもわからないんだ。この女の老人らしい小言さえ我慢すれば、わからない事はなんだかんだでキチンと教えてくれる。
所々雑なのが玉にキズだが、この女。どうやら年の功だけあって面倒見はイイタイプらしい。
所謂姉御肌って奴か……さすが、アラウンド・サウザントを自称するだけはある。
「――――まぁ、とりあえずはこんな感じね」
「終わりましたでございますか」
「敬語が変よ。若者よ」
「申し訳ありませんでございます」
それならばこちらにとっても好都合。この何もかもがわからない世界で、案内もいないとは少々心苦しいと思っていた所だ。
どうせ、本当にわかんないんだ。だったらこのまま無知なフリをして色々と教えて貰おう。
そして知りたい事だけ聞いたら、後はいつものように右から左へ受け流せばイイ。
それがこの場における最善策だと――――僕はそう結論付けたのだ。
「これは【契約陣】つってね。契約陣ってのは術者が契約者と契約を結ぶ時に使う物なの」
「ほぉほぉ」
「契約って色々あってね。例えば相手の血で契約書にサインさせたり、逆に術者の血を飲ませたりとか」
「え……怪我とか嫌なんですけど」
「アタシだってそうよ。血を飲ませる為にわざわざ指切ったりとか、したくないもの」
「昔の契約はそんなんばっかでねー。他にも生贄を捧げるとか、毒の湯に長時間浸からせるとか」
「うわぁ」
「で、そんな痛い思いはイヤだーって人の為に作られたのがこの【契約陣】。痛みを伴う事無くお手軽にできるのがいい所ね」
「契約者は契約陣の真ん中に突っ立ってるだけ。後は全部こっちでちゃちゃっとやっちゃうから」
「楽っすね」
「ま、陣にも色々あるんだけど……言ってもどうせわかんないだろうから、言わないでおくわ」
いちいちトゲのある言い方が軽く不快だが、そういう奴と言う事で片づけといてやろう。
とりあえず現時点での意味不ワード。
その筆頭、【契約陣】について教えて貰ったのだからそれくらいは許してやる。
――――【契約陣】はその名の通り何かを契約する時に使う陣だ。
大まかな生い立ち内容は女の説明した通りであるが、この「誰でもすぐにお手軽に」をモットーに生み出された【陣系】と言う奴が、曰くそれは産業革命レベルの画期的な手法だったらしい。
手法が確立した直後。陣のあまりの利便性からこの世界の全土へと急速に広まり、そして今や一般常識レベルの浸透を見せているとの事。
陣を介する事で、「誰もがありとあらゆる物と契約を結べる可能にした」と力説していたが……
それは例えるなら、こっちで言うスマホみたいなものか?
「~~~~」
女は両手を握りながら目を瞑り、聞き取り不能な言語をブツブツと呟き出した。
するとどうだろう。女の言語に反応して、この契約陣とやらが何やらフツフツと輝き始めたじゃないか。
ほぉほぉなるほどこれが……すごいな。これが【魔法】って奴か。
そう、契約陣が生み出した物――――
それが女が先ほどからちょくちょく言っていた、【魔法】と言う存在である。
「~~~~~~」
――――女曰く、この場合は正式名称【陣系魔法】と言うらしい。
陣を介して扱う魔法。その為に描かれたこの陣は、通称【魔法陣】と呼ばれる物だ。
魔法には大別していくつかの方式がある。
しかしそのどれもが個々の【魔力】に強く依存し、結果魔力の大小が激しいバラつきを引き起こすと言う「魔法的格差」を生んだ。
この格差を解消するに至った手法こそが、この陣系魔法。
女が力説する画期的の意味は、つまりそういう事なのである。
(誰でもすぐお手軽に……陣さえ描けば、みんな一定以上の魔法が使えるって事か)
この【魔法】と言う存在が全ての謎を解いてくれた。
「魔法を使う人」なのだから、その者は必然として【魔法使い】もしくは【魔導士】と呼ばれるのだろう。
そして、現在進行形で魔法を使用しているこの女も、当然それに当てはまる。
なるほど、アラウンド・サウザントもあながち嘘ではないかもしれない……
魔法の事はよくわからないが、そんな物があるならあのバカげた桁の年齢も納得。
若くなる――――それか”歳をとらない”魔法が、本当に存在するのだろう。
「~~~~~~~~」
契約が生み出した魔法。すなわち契約する物は魔法。
そしてその魔法を生み出したのは人――――
とどのつまり、契約とは人と魔法が結びつく縁なのだ。
意味合いとしては僕の知る契約と何ら変わらない。やっぱり、スマホを買う時と一緒だ。
スマホを買う時だって、プランと称して色々小難しい事を言われたっけ。
やれデータ量がどうとか、料金体系がどうとか――――。
そう考えれば、この魔法陣もなんだか急に親近感が湧いてきた。
女が魔法で陣を光らしているせいだろうか……段々と陣が、「ハンコ」に見えて来たのだ。
キィィィィィン――――!
(おおおおっ!)
魔法――――誰もが一度は聞いた事があるであろう、RPGでよく聞く二文字。
無論僕もその手のゲームは網羅している。
近頃のゲームはグラフィックの向上も相まって、魔法使用時のエフェクトが実に美しい。
美しいのだが、いざ実物を目の前にすると……これは……どうして中々……
(まじ……すっげー……)
不覚にも、今僕は完全に魅せられてしまっていた。
本物の方の魔法もゲームに負けず劣らず、釘づけになる程に、実に煌びやかで美しいのだ。
陣から発生した魔法の光は、女が詠唱を続ける事で、さらにさらにもっと輝きを増していく。
うねり、ねじり、弧を描き、そしていつしか光は、湯気のような発散性すら醸しながら……
色取り取りの「輝き」が、僕の周囲をグルグルと巡り出すのだ。
(ゴーレムもこれで……作ったのかな……)
この頃にはもはや、昨晩女から受けた仕打ちは脳裏から消え失せていた。
どころか昨日、あんなにガサツだったあの女に、”憧れ”に近い感情すら抱く始末。
【魔法】。この二文字を嘘偽りなく、本当に目の前で見せつけられては、心躍らざるを得ない。
この僕をしてこうまで言わしめるとは……この女は本当に、本当の本当に――――
(【魔女】…………)
999年を生きる魔法使いの女。
自称天才の名に恥じぬその真価、この僕がしかと見届けた。
認めよう、魔法使い……お前は紛れもなく、本物”だった”。
だからこそ、ぜひ知りたいと思った。
今この瞬間を、忘れてしまわない為に。
この魔法と言う現象をこの目で見た、その証として――――
「あ、あの……」
「あによ! 今詠唱中だから黙ってろ!」
「いや、なんていうか、その……」
「もう……何よ。言いたい事があるならさっさと言いなさいよ」
――――女の名前を。
「………………」
「………………」
「………………………………ア”?」
――――この瞬間、辺りに強烈な殺気が漏れた。
激しい怒気を内包した確かな殺意が、僕の肌と言う肌にヒリヒリと突き刺さるのがわかる。
この感覚は――――教師や親連中から説教を食らう時の感覚と同義だ。
あのガチギレされる寸前の、何とも言えないドロリとした感覚。
それがどういうわけか、今この場に漂っている――――それも、”何十倍も濃縮”されて。
ゴゴゴゴゴ…………
気が付けば、女は詠唱をピタリとやめていた。
代わりに――――唇が、震えているのが見えた。
(え……何?)
ギャーギャー・ザワワ――――森が、一斉に鳴き始める音が耳に届いた。
森に棲んでいたのだろう鳥らしき生き物が一斉に飛び立ち、木々や大地に生い茂る草葉が、強風に見舞われたかのように激しく暴れ回っている。
明らかに、空気が変わった。
さっきまでのほのぼのとした空気が、一体どうしてしまったと言うのか。
これじゃ和やかの和すらもない――――ただの”修羅場”だ。
「……った」
「はい?」
そしてその修羅場が、何故に突然この場に振って降りたのか――――
答えは、至極簡単な事だった。
「 今 な” ん つ っ た お” 前 ェ ー ー ー ー ッ ! 」
(ええええーーーーッ!?)
――――僕の、せいだった。
後編へつづく