六話 夢現
サァァァァ――――……
「…………」
時間がただ流れるように過ぎ、いつの間にか辺りは夜に更けていた。
ただでさえ薄暗かった森。日も暮れ完全に視界も効かぬ闇となったこの中で、サァサァと葉が擦れる音だけが聞こえるのは、「先程の件」も相まって至極不気味に感じられる。
――――あの後、なんだかんだでなんとか解放された僕は、あの女からようやっと就寝の許可を得た。
曰く「夜中にこの森をうろつくのは危険だから、死にたくないならここにいろ」との事だが、その気遣いが逆に不気味である。
見ず知らずの相手にいきなり罠を仕掛けて来る女の、一体何を信じろと言うのだろうか。
(――――とりあえず今日の所は泊めてあげる。その代わり、その分明日からキッチリ働くのよ?)
(――――え、ええ~……)
が、だからと言って現状を打破できる物でもないのもまた事実。
女曰く、「あの問答無用で襲い掛かってくる巨大花みたいなのがこの森にはウヨウヨいる」との事。
そう考えると、辛うじて意思疎通だけは図れるだけ女はまだマシな存在と言えるかもしれない。
――――と言いつつも、人を問答無用で陥れようとしてくるあの女の言葉は一つ一つが不安でしかない。
明日から一体何をされるのだろう。
拷問か、人体実験か、はたまた今度こそ人形にされてあの家に吊るされてしまうのか。
考えるだけで恐ろしい……願わくば、このまま夜が明けなければいいのに。
そんなありえぬ事すらも、思い浮かぶほどに――――僕はどうやら、かなり参っているようだ。
「腹……減ったな……」
あの女はきっと、客人をもてなした事など一度も無いのだろう。
僕があのボロ小屋の中で受けたのは、「歓迎」と銘打ったただの「暴行」でしかなかった。
さっきもそう。あの後疑う事を止めない僕の心情を察したのか、「今度は大丈夫」と前置きした上で、夕飯らしきスープを用意されたのだが……
が、渡された直後。例の宙に釣られた人形が「垂直落下」してきたせいで、そのほとんどを床にこぼされてしまった。
(――――あっごめ~ん。なんかこの辺、緩んでたみたい)
(――――でも大丈夫、まだ残ってるわ。ほら、また落ちてこない内にさっさと飲んじゃって)
曰くどうやら縛りが甘かったらしい。
結局スープこそ本物であったものの、ありつけたのは本来の三分の一以下の量。
カップ麺の残り汁だってもうちょっと量はある。あれじゃもはや、ただのお通しだ。
「体中が……痛い……」
多分今日は眠れないだろう。精神的にもそうだが、肉体的にもヒリつきが止まらない。
と言うのもさっき、風呂に入りたいと言ったんだ。
「できればでいい」とちゃんと前置きはしたんだが……女はその言葉を聞くや否や、どこからか突如ホースのようなものを取り出してきた。
そしてその先から出たのは、完全なる「熱湯」であった。
すざましい熱だった……あれは風呂の熱じゃない。多分だがあれは、スープを作った時の残り湯だ。
それを野郎は、僕に向けて思い切り浴びせかけてきやがったんだ。
服すらも脱いでいなかったのに。ていうか、そもそもそれはどっちかって言うと「シャワー」だし。
(――――あじゃじゃじゃじゃじゃァ~~~~ッ!)
(――――よわっ! え、アンタ、こんなぬるま湯でもダメなの?)
女にとってはちょうどいい湯加減だったらしいが、それは僕からすると単なる沸騰水。
そのあまりにも耐えがたい熱に悶えていると、今度は「体温を下げる」と言い出し土に埋められた。
曰く「土の中はひんやりしているから」との事だが……それは「気温と比べて」だとは、ツッコメなかった。
(――――多分土が水とか吸い取ってくれるから。さ、さっさと入って)
(――――入ったらアタシももう寝るから。んじゃ、おやすみ)
その土の中が、今僕がいる――――この”寝室”だ。
「ありえねえ……」
女のベッドに男が寝るわけにもいかず、かといって外で野宿はできない。
そこであの女は寝床を用意するといい、僕を外に連れ出しあの「ゴーレム」と呼ばれる土の手を呼び寄せた。
ゴーレムは女の命令で器用に姿を変え、あっという間に「手」から「寝床」となった。
出き上がったのは中をくり抜いた丸い球体上のほこら。一見するとかまくらの土バージョンと言うべきか。
「あのさ……空気穴、ちゃんとあけてくれてるよな?」
そして無事寝床が完成した事を確認した女は、「おやすみ」と言い残し去って行ったのだが――――
入口を”隙間なく”ピッチリ閉じられたのが、非常に気になる所である。
戸締りしてくれてありがとうと言いたいところだが、よーく考えるとこれは監禁と言う奴なのではないだろか。
だってこれ……こっちから開けれないよな?
「硬い…………」
横になって寝ようにも、そこはさすが土。硬くて最高に寝心地が悪いのだ。
最初はあの女が布団を持ってきてくれないかと期待したのだが、何の音沙汰もないまま今に至る所を見るとどうやらそれは杞憂だったらしい。
しかし土自体はゴーレムそのものである。
言葉が通じる様は僕も目撃している。だから、こっそり「土を柔らかくしてくれないか」と頼んだのだが……
完全に、無視である。愛想なんて初めから無かった。そう言わんばかりに。
主以外の命令は聞かないのか、それともこいつも眠っているのか……
誰に似たのか、相も変わらず無言一辺倒である。
「これから……どーなっちゃうんだろうなぁ……」
口を開けば不満ばかりが出て来る。
「住めば都」とはよく言うが、どうやらここに限りその言葉はは当てはまらないらしい。
多分無人島生活を送っている芸能人だって根を上げると思う。それほどまでにここは”過酷”で……
それでいて、そんな辛さに耐えられないまでに僕は、日々の”ぬるい日常”に漬かり切っていた。
――――僕は芽衣子を追ってここへ来た。
しかし着いたのは、土と花の化け物や、得体の知れない女がいる「超」危険地帯。
そんな場所に、もし本当に芽衣子がいるのならば……
考えたくない可能性が浮かんでは消えない。願わくば、夢なら速く覚めてほしい。
この謎の世界が本当にモノクロの言う通り、現実とは異なる別世界と言うのであれば。
名付けるなら――――「悪夢の世界」。そう呼ぶのが相応しい。そう思った。
(…………めんどくせぇ)
そして気が付けば、夢の世界へと旅立っていた――――。
――――
……
「オーオー、初ッ端カライキナリエライ目ニ合ワサレテルネ」
(――――!?)
「ア、ソノママデイーヨ。今日ハモウ、ユックリシテナ」
(お前……モノクロか?)
「噂ニハ聞イテタガ……本当ニ、雑ナ女ダネ」
「ムシロコッチガビックリダヨ。言ッテモ”大魔女”。モウチョイ威厳アル感ジダト思ッテタンダケド」
(大……魔女……?)
「アリャマジデ唯ノ”ガキ”ダワ。マーマズ間違イナイネ。イヤー間違イナイ」
(知り合い……か……?)
「イロイロ不満ハアルダローガ、支エテヤンナ。ソレガ君ノ、探シ物ニモ繋ガルダロウカラ」
(どういう……事だ……)
「ジャ、オヤスミ」
(待て……説明しろ……)
(せめて…………教えろ…………)
(芽衣子は…………どこだ…………)
夢の中で、誰かと話していた気がする。
だがその相手が誰で、どんな内容で、どんな結末だったのか――――
思い出す事は、なかった。
……
――――
「う……」
朝――――隙間なく閉じ込めるこの土の寝床にも、薄らと日の光りが漏れる。
どうやら、なんだかんだでいつのまにか眠ってしまっていたらしい。こんな所でも無事眠れた自分に称賛の拍手を送りたい。
アラームに頼る事無く自力で目が覚めた事にも驚きだ。
今日は記念すべき一日かもしれない……そう、今この目覚めを持って、人生初の「二日連続早起き」の達成なのだ。
「……ん?」
早起きはなんとかの得とやら。きっと今日は恵まれた一日になるかもしれない。
だったらいいなと淡い期待を抱きつつ――――所詮は迷信であったと、すぐに思い知らされた。
「…………ぬあっ!」
眠気眼の目を擦ると、とある違和感を感じた。なんだろう、ジャリジャリと細かい異物感がする……
その正体はすぐにわかった。土だ。細かな土が僕の顔面に付着している。
気が付けばそれは、顔だけでなかった。
僕の”全身”に、何故かふりかけをかけた白米の如く、まばらに土が付着しているのだ。
(まさか……!)
土と来れば当然、犯人は一人しかいない――――こいつだ。
この徹底した無言と何とも言えぬ高飛車感を醸し出す、ゴーレムと呼ばれる土の化け物。
上を見れば案の定、寝床の上。土の天井がパラパラと崩れ出しているのが見えた。
崩れる土のカケラは、塊ではなく砂状だった。
この砂がまるで砂時計をひっくり返したように、僕の顔に垂れ下がってくる。
――――最高に、嫌な予感がした。
もしこいつに自我と言う物があり、そして昨日からどことなく感じられる高飛車感が、本当にこいつの内面を表しているとするならば……
「うぉぉぉぉい! 起きろゴーレム!」
――――答えは、一つしかなかった。
『…………』
「起きろ! 寝ぼけんな!……僕を生き埋めにする気か!?」
土でできた化け物が砂状になる。
これを人間に例えると、所謂「寝ぼけ」に相当する物だとはすぐに察知できた。
言っても朝一発目。それ自体は構わない。それ自体は、みんなにある事。
だが……どうか忘れないで頂きたい。
この休み明けの中学生みたいな感じになっている土の中には今、本物の中学生がいるのだと言う事を。
「うわっぷ! 土! 土が……」
『…………』
「マジで……この……とっとと起きろボケェ!」
土の寝床の崩壊が徐々に激しくなっていく。
零れる砂の粒が段々と大きくなり始め、天井どころか壁も床も。全体が土だけにまるで土砂のように崩れ始める始末である。
身の危険を感じた僕は、今すぐにでもここから脱出したかった。
――――だが、できなかった。
昨日あの女が、ご丁寧に出入り口をしっかり塞いでいきやがったせいだ。
「うぉ~い! 誰か! ここを開けてくれ~!」
半狂乱状態で土壁を何度も叩くが、まるで開く気配がない。
土壁は音を塞ぐといつかどこかで見た気がする。そのせいか、僕の「助け」が外に届いていないようだ。
いやいや、言ってる場合ではない。こうしている間にも刻一刻と”崩壊の時”は近づいてきている。
こんな所で土葬されてたまるか――――となればもう、やる事は一つしかなかった。
「ぬ” お” ぅ ぅ る ァ ァ ー ー ー ー ッ ! 」
強行突破――――もうなりふりは構っていられない。
骨が折れようが肉が切れようが、もうどうなってもいい。
「例えこの身朽ち果てようと、せめて再び生きて外を見れるなら」。
齢14歳にして生の悟りを開いた僕の、捨て身の心構えが織りなす神風特攻。
その効果は――――
「朝からうっさいのよ。アンタ」
(えっ)
グパリ。不意に開かれた出口に向かって、僕は勢いよく突進していき――――
無事、二度寝を迎えるに至った。
つづく