百三十四話 対面――後編――
「て、てめッ! 謀りやがったな!?」
「やっぱー持つべき者は騎士よねー」
「やられた」――――今のアルエの心中は、この四文字以外の思いが見当たらなかった。
巨人の強襲による状況の変化は、同時に3人の立場をも変化させたのである。
その内の一人医者は、「守るべき者」の意味でまさに王の立場とも言えよう。
「安心してメガネ! キングの傍らには常に最強のクイーンが佇んでるのよ!」
「ほほぉー、まるでチェスですね」
王の枠は最初から決まっている。
ならば、残りの二人はどの席に着けばいいのか――――アルエに不備があるとすれば、まさにその点である。
突如訪れた状況の変化に迅速に対応し、誰よりも早く良い駒に”成る”事。
その事実にオーマは即座に気づき、逆にアルエは全く気付かなかった。
『だったらお前歩兵やな』
「それは……将棋だろぉが……」
要は、最初から巨人に面食らっている場合ではなかったのである。
椅子取りゲームは、巨人が姿を現した時点ですでに始まっていた。
その事に遅ればせながら気づいたアルエは、すでに手遅れとなった現状を受け入れる他なかった。
「アル――――」
「あん――――」
直後、オーマは親指を立てる仕草をアルエに見せつけた。
片目を閉じ輝く白い歯をちらつかせながら出すその仕草は、まるで「この場は任せろ」と言いたげな、実に頼もしい意志表明にも見える。
しかしアルエは知っていた。
「この女に限っては仕草言葉をそのまま捉えてはいけない」と言う事である。
考えるまでもなく、事戦闘行為に関してこの場で最も適任なのはオーマである。
いかに高度な精霊使いとて、帝都から続く連戦で消耗した体は、魔力制限下のオーマを遥かに下回る事は明白。
にも拘らずオーマの取った行動は、適材適所とはまるで逆。
現状を顧みないこの行動の意図は、アルエ以外わかるはずもなかった。
「――――行っといで!」
「ふざけんなよてめぇーーーーッ!」
――――魔力節約。ただ、それだけである。
「アルがんばれー!」
「グゥ――――グゥグゥグゥ!」
「クッソォ……前にも似たような場面あったぞ……」
得てして、紆余曲折の果てに生まれたのは正式な見合いの場である。
片方は巨人。その相手を務めるのはアルエ。
それはアルエにとっては臨まざる席ではあるものの、それでもオーマの直々の押し付けともあれば、もはや逃れるできる術もなかった。
だが、それでも現実問題として無視できない要素が、一つある――――。
アルエ本人の体調である。
『四の五の言うても始まらんど。姉さんが動かん以上お前がやるしかあらへん』
(出るのか……?)
休む間もなく続いた連戦に次ぐ連戦。
それらの疲労が無論この短時間で回復しきれるはずもなく、そんな状況で人間の体躯を遥かに凌駕した相手と戦うとなれば、自信など湧くはずもなかった。
つい数刻前の大失態がその自信のなさに拍車をかける。
「今の自分はゲームで言うMP切れの状態」。アルエが自らに下したその診断は、ほぼほぼ正解である。
「――――ダメだ! やっぱ全然でねえ!」
「コポォ~……」
精霊魔法の基本は、自分の思考を精霊と同調させる事。
それが精霊同調術の一つ【思考共有】であり、戦闘に応用する際に達せねばならぬ最低限の水準である。
だが今のアルエにはそれすらも難しい。
積もり積もった疲労が、体力のみならず思考力をも低下させる。
つまりは、精霊使いなのに精霊を扱えないと言うこれ以上ないジリ貧な体調なのである。
「ほら! チンタラしてないでさっさとやる!」
「アンタがやんないといつまでも進まないでしょうが! このままここで一晩する気!?」
(じゃあお前がやれよ……)
そんな事情など一切顧みないオーマのヤジが、アルエに無駄な苛立ちを覚えさせる。
思い起こせば山越えでの出来事。
水玉と知り合って間もなかったにも拘らず、巨人よりもはるかに危険な魔霊生物と半強制的に戦わされた――――そんな記憶が、アルエの脳裏に再び返り咲く。
あの時オーマは、”本当に最後まで手を貸さなかった”。
現状はその当時と全く同じ。
故に今回も、「オーマの助けを借りる事は無理だろう」。
そんな後ろ向きの予想が、今のアルエにある唯一の確信であった。
「はーやーくーしーろー!」
「…………るせェェェェ! じゃあお前がやれボケーーーーッ!!」
――――”だったらせめて黙ってろ”。
そんな思いを堪えきれずつい声を荒げた、その間もなく。
オーマの急かしが、”決して嫌がらせの類ではなかった”事を、アルエは強く思い知る事となる。
「少年! うし――――」
(い――――!?)
つい数秒前にも拘らず――――全く同じ過ちを繰り返していた為に。
「グ ゥ ゥ ゥ ゥ ー ー ー ー ッ ! 」
ドーン。
また一つ、大地に大穴が開いた。
――――
……
「グゥゥ! グワッ! グゥアアッ!」
「アホめ。敵前でいつまでも後ろ向いてるからよ」
アルエが文句を垂れる間にも、当然巨人は動く。
リアルタイムで変わる状況の変化に、対応せねば後手に回るのは真っ当な道理である。
そんな道理からまた目を逸らしたアルエを、オーマは一言「当然の結果」と切り捨てた。
「だ、大丈夫なんですか……?」
「大丈夫だって……”その辺”はアンタもよくわかってるでしょ」
だが――――冷淡とも言える一言は、その実”信頼”の裏返しである。
先の帝都での攻防を代表に、それ以前。
アルエが精霊使いとなる前から行動を共にしていたオーマにとって、その実績は信頼に十分足る物であった。
オーマは確信していた。
自分が安心して節約に励める相方。
少々悪態がすぎようと、その秘めたる実力は、少なくとも自分に出る幕を与えないだろうと。
(――――)
そんなオーマの信頼は――――直後、見事なまでの的中を見せる事となる。
「――――ペッ! ペッ! 口ん中ジャリだらけだ……」
「コポ! コポポポポ!」
『ツバ吐くのはええけど、ワイにつけんなよ?』
「ほらね」。立ち込める土煙の中を指さし、オーマは誇らしげにそう呟いた。
土煙の中から徐々に露わになるアルエの姿は、多少の汚れが付着しているものの、それ以上でも以下でもない。
結論から言うと、全くのノーダメージである。
これは、降りかかった不意打ちを”余裕を持って”回避した事の紛れもない証明である。
「無、無傷……」
「ふふん、宅のアルはそこまでヤワじゃありませんっ」
後手には後手の対処がある――――。
先手こそ相手に譲る物の、そこから先の巻き返しで最終的に追い上げる、所謂「後追い」タイプ。
アルエの場合が、まさにその典型と言えよう。
与えられた問題にを”見てから”最適解を導き出す姿勢。
訪れた環境に”適応”する事で居場所を作る処世術。
そんなアルエの個性を、オーマはとっくの昔に存じ上げていたのである。
『てかさ、後でカバーかなんかつけてくれん? 中に不純物とか入ったら誤作動起こすかもねんけど』
「コポォ!」
「ゲホッ! 安心……しろよ……」
「カバーでもイヤホンジャックでもストラップでも……後で好きなだけつけてやるよ……」
そんな実力をまたしても見せつけた直後――――。
アルエが、この場で”さらなる信頼を得る”事に成功しようとまでは、オーマすらも予想だにしなかった。
『えっマジ? デコに関しては誰よりも無頓着なお前が?』
「コポォ~?」
「嘘じゃないさ……キャバ嬢よりもド派手なスマホにデコってやる……」
「――――あいつでな!」
「「おおおおお~~~~ッ!」」
巨人の不意打ちをもろともせず、声高らかに宣戦布告を宣言するアルエの姿は、一同に強い「期待」を植え付けた。
口に入った砂をペッと吐き捨て、下剋上のように巨人を睨みつけるその仕草は、この場においては紛れもなく騎士そのものである。
医者はそんなアルエに安心を見いだし、反面オーマは湧き立つ感情を隠しきれなかった。
信頼と実績の精霊使い。その期待は今、本人が思っている以上に厚い。
「すぐに後悔させてやるよ! 僕に舐めたマネしやがった事をなッ!」
『なんなんオマエ!? 急にめっちゃやる気やん!』
「コポォォォォォッ!」
そんな周囲の面持ちも知る由もなく、アルエの「らしくない勇ましさは」依然とどまる事を知らない。
自身よりはるか巨体の巨人に向かって中指を突き立てた挙句、出て来る言葉は挑発に次ぐ挑発である。
巨人は、決して人語を理解できる種ではない。
しかしこの「自分より遥かに小さい生き物」が、何故にこんな自信満々に喧嘩を売ってくるのか――――。
少なくとも、その効果は巨人の興味をアルエに向けさせるには十分であった。
「――――ほら見てよ! やっぱアイツはやる時はやるんだって!」
「追い込まれないと実力を発揮できないタイプ……と、言う事でしょうか」
「グゥ……グゥ?」
「のん気に見てんじゃねーぞてめー! すぐに引きずり込んでやるから、覚悟しとけ!」
『どこに?』
「――――修羅場に!」
「ゴボボボボボボ!」
アルエの啖呵はまるで試合前のマイクパフォーマンス。見る者全てを魅了する千両役者と言っても遜色がない。
そんなパフォーマンスを特等席で見せつけられるオーマは、余る興奮を抑えられず合いの手まで入れ始める始末である。
医者も同様に、まるでプロレス観戦でもしているかのような感覚に陥った。
自身の役目も忘れ完全にイチ観客と化した二人。
そんな観客をここまで沸かせるそもそもの要因は、これが本当の戦いだからである。
『で、威勢はええけどどうするつもりよスーパースター』
「スマホ出して――――英――――の――――……」
『……こんなもん何に使うつもりやねん?』
演出ではなく本当。
都合優先の台本では決してあり得ない、本物の戦いにしかない物――――それは何か。
【緊迫感】か、【気迫】か、【雰囲気】か、【想定外】か。
聞かれれば十人十色の答えが返ってくるであろうこの問。
しかしその中で一つだけ、全員が全員思い浮かべる共通の答えがある。
「ゥラック・シズゥズ・ペィポゥ――――……」
「キャーーー見て見て! あのバカ、なんか呪文チックなの唱え出したわよ!」
「じゅ、呪文……?」
その答えは、決して口には出される事はない答え。
だが確かに存在する、たった一つの共通認識。
「ゥラック・シズゥズ・ペィポゥ・ゥラック・シズゥズ・ペィポゥ」
「ワッシュ・ド・アメィク――――ワッシュ・ド・アメィク!?」
「…………グゥ?」
(なんかどこかで聞いたような……)
――――確かな【勝算】である。
つづく