百三十三話 対面――前編――
「きょ、巨人…………!」
「グゥゥゥゥ――――!」
アルエは、この時点でようやっとオーマの表情の理由を悟った。
儚げと感じる程に目を細め、やたらと視線を回すその行為は、全てはこの目の前の「巨人」による物であったのだと。
『あわ、あわわわわ!』
「ゴボボボボ~~~~!」
【巨人保育園】――――。
危険地帯に似合わぬほがらかな地名は、先程オーマが述べた通り「企業コンプライアンス」重視の賜物である。
その内訳は「巨人」と言う固有種が分布する土地である事。
加えて元々は、人に危害を加えてくるような種ではない事。
だがしかし、一たび興味を持たれれば、その図体も相まって非常に「邪魔」な存在になる事。
「無垢ながら時として人を煩わすその様は、まさに童の如し」。
どこかの誰かが発したその言葉は、たちまち連盟全体の賛同を得る事に成功。
巨人を童と比喩した上で、「童の集う地」と言う意味を込めてこう名付けられた。
「にしても保育園って……なぁ!?」
『いや、まぁ、会社って大体そんなもん』
「ユニークさとかインパクト重視、そんなキャッチコピーの為に命かけてるような連中なのよ」
帝都商業連盟の思惑通り、確かに地名から「危険」なイメージは感じられなくなった。
純粋な利益追求の為、イメージ優先で付けられた名ではある。
が、やはり「実態と理想は大きく異なる」のは、残念ながら資本主義の常でもあった。
「グゥゥ…………グゥゥ!」
「あのさ、やっぱりこれって……?」
「うーん、まぁ、確かに元々は危害を加えて来るような魔物じゃないんだけど」
「…………」
その「理想と剥離した実態」を生み出した張本人は、ただ寡黙に巨人を見上げるのみである。
「自業自得」「因果応報」――――。
この場の窮地を招いた人物は、巡る因果を目の前にその言葉を噛み締めた。
(――――あんだぁ!? でけえ巨人が大群でやってくんぞ!?)
(――――邪魔だてするなら始末しましょう。今の我らに、魔物に構ってる余裕などありませんから)
(――――あっちいけ~!)
「その時振るった刃が、まさかこんな所で帰ってこようとは」。
そう思うも間もなく――――医者のメガネに、拳を振り上げる巨人の姿が、しかと映り込んだ。
「 グ ゥ ゥ ゥ ゥ ゥ ゥ ゥ ! ! 」
「やっぱそうなる!?」
ボッ――――。
そうして巨人の巨なる腕が、一行の脚元を中心に、大きな穴隙を開かせた。
「グゥゥゥォォォォ――――!」
「う…………たいぃぃぃぃ! バリッバリの激おこ状態じゃねえかよぉ!」
「くぉらメガネ! やっぱりアンタやる事やらかしてんじゃない!」
「げほ……畜生風情の類と思い……侮っていました……」
巨人の振るいし腕の、軌道の中心に位置していた一行は、案の定その衝撃を直に浴びる運びとなった。
直撃こそ免れた物の、その衝撃は人一人を吹き飛ばすには十分であり、結果として全身が土で汚れるという惨事を招く。
加えて荒野の乾いた土は土埃として辺りを漂い、汚れのみならず一行の呼吸をも阻害する。
しかし、この一瞬の間に起きた出来事を遥かに凌駕するダメージを受けた人物が、この場に一人だけいる。
臨戦態勢の巨人の責を一身に受ける、医者その人である。
「どうみてもガッツリ覚えられてるわね! 巨人の目線、さっきからアンタを掴んで離さない感じだけど!?」
「刺激しなきゃああならなかったんだろ!? つかもうその辺もちゃんと調べておけよ!」
『この情弱が!』
「コポ!」
(ひぐぅ……)
医者のダメージは、巨人の腕撃よりも味方の口撃の方が多大であった。
よってたかって浴びせられる責めの言葉は、大人一人の精神を摩耗させるに十分である。
罵詈雑言の果てに自分の甘さを認識させられる医者――――。
しかしそれにも、やはり限度はある。
「だ~~~~らっしゃい! 過ぎた事をいつまで言っても仕方がないでしょうがぁ!」
「ぎゃ、逆切れしやがった!」
『こいつ、ほんま……』
「コポ……」
必要以上の責めは相手の反省を通り過ぎ、その奥にある自己保身までもを揺り起こす。
高学歴であろうとその例に漏れず、責められ続けた医者は、怒涛の勢いで自己弁護を展開するに至った。
「今は自分を責めている場合ではない」「優先すべきはこの場の解決」。
そうがなり立てる医者の意見は、反省の気配こそないものの、大局的に見れば至極真っ当である。
「私を責めるよりも前にやる事があるでしょうが! 案内できなくなってもよいのですか!?」
「ほらしなさいやれしなさいさっさとやりなさい! 巨人と戯れる暇が今の我らにあるのですか!?」
『こんなんでよう医師免許取れたな、オイ』
「てめぇ~~~~! 他人事だと思って!」
責任の是非を問う場合ではない事は、皆重々承知している。
それでも追及が止まらぬのは、やはり張本人の態度による物が大きい。
――――そうこうしてる間にも、またも巨人の腕が天に翳された。
太陽を掴みそうな程巨大な巨人の腕は、もちろん空ではなく大地を目指しているのは明白である。
巨人の腕が目指す座標は、大地のただ一点。
言い訳と逆切れの合わせ技で絶賛非難轟々中の、白いメガネの男のみである。
「グゥ――――!」
「どぉぉぉぉぉ――――!?」
『――――おい! やっぱあのメガネ完璧にタゲられとんぞ!』
「くっそ……守る相手が中年のオッサンとか!」
「ゴポォッ!」
アルエは、文句を垂れつつ粛々と事態の頻拍さを察しつつあった。
巨人が一行に牙を向く事こそ約一名の自業自得であるものの、同時にその約一名が”必要不可欠な案内人”であるのもまた事実である。
医者が痛めつけられる様は、アルエに取ってはただの見物。
しかし医者の持つ「縁」までもが傷つけられるとあっては、もはや動かない理由はなかった。
『お水の救助隊緊急出動ォーーーーッ! お医者様の救助活動や!』
「コポ!」
「医者の癖に……普通逆だろ!」
戦いは免れないと悟ったアルエは、渋々ながら臨戦態勢に入った。
精霊石を備えた杖を片手に、瞳を蒼に変え水の気を全身に侍らかした姿は、精霊使い特有の戦闘姿勢である。
――――精霊使いとしてもはや高水準の域にまで達したアルエの同調は、迅速かつ淀みない物であった。
見る者全てにあからさまな変化を感じさせるその体制は、アルエの実力が「精霊使いとして」遥か高みに君臨する事を示している。
「ったくよぉ! ほんといくら働かせる気だっつんだよ!」
『おっしゃぁ! 行け!』
(…………ん?)
だがその、類まれなる才覚が――――。
そう遠くない未来。よもや”自分をも窮地に陥らせよう”とは、さすがに思い浮かばなかった。
「とと……メガネ、無事!?」
「つぅ……大魔女サン、面目ない」
(オーマ…………?)
結論から言うと、医者は無事であった。
巨人の振るう手が大地に当たる直前、アルエよりも速くオーマがすでに動いていた。
オーマが繰り出したのは、所謂「土の盾」。
オーマが頻繁に用いるゴーレムを、防御よりに変形させた亜種魔法である。
『なんや、すでに動いてたんか』
「先に動くなら……そう言えっつーの」
「コポ!」
オーマの活躍によりとりあえずの危機を脱したアルエは、まずは一安心。
案内人を失うと言う最悪の事態は免れた。
――――同時に、とある疑念が湧いた。
元々医者を守る役目は、”てっきり自分だと思い込んでいた”が為に。
「たばこ、吸う?」
「あ……すいません」
(あれ……これって)
先ほど一緒になって医者を責めたオーマが、自ら一服を仕向けると言う非常にらしくない姿。
親切心――――とは到底思えなかった。
オーマが他人を気遣う素振りを見せると言う事は、必ず何らかの意図がある。
そんな常識をアルエはとっくの昔に存じ上げていたのである。
「安心して、ここにいれば安全だから」
「こういう時のあなたは、本当に頼りになりますよ」
「でしょでしょ。だから、ゆっくりしてましょ」
(ん…………んん!?)
突然巨人の強襲。原因はただのとばっちり。
しかし同時に「原因が防衛対象」であることが、アルエに渋々ながらの臨戦態勢を取らせた。
――――そんなアルエに失策があるとすれば、その動きすらも予期していた者が、そこにもう一人いた事である。
さながらまるで将棋のように。
巨人も味方も防衛対象も、ついでに自分自身をも大板上の駒と見据えた人物が。
「――――あいつが巨人を倒すまで」
(おぃぃぃぃぃぃ――――!)
この時アルエは、ようやっと気が付いた――――。
いつの間にか、自分だけが巨人と対面している事に
後編につづく