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百二十八話 吐息



――――ゴゴゴゴゴゴ



(くっ…………!)



 舟の、沈没発覚から今に至るまでの間。

 迅速な対応でもって事に挑む一同の面持ちは、まさに「万全」の二文字である。

 医者(ドクター)トラブルに対する案の速さに加え、今しがたのアルエの機転。

 さらにはそれらの要となる水玉の補助と、一同に緊張感を与えるスマホの雄たけびと――――。



(四の五の言ってても…………仕方がねえ…………)



「――――着水すっぞ! 全員備えとけ!」



 それら全ての要素は、今この時の為にあったと言っても過言ではない。

 「無に帰る」か「有に残る」か。

 その全てを委ねられたアルエの責任は、あらゆる意味で重い。



(………………zzz)



 【残り10秒】

 アルエの引き受ける重みは、この指折りで表わせられる時とは全くもって釣り合わぬ重みである。

 この偏りアンバランスが、急ごしらえながら確かに築き上げた「万全」をいとも容易く無に帰す一因となりうる事を、アルエは理屈ではなく肌で感じていた。




「…………行ッッッくぞォーーーーーッ!」




 「いくら事前に備えようと、本番では予期せぬ事態が往々にして起こりうる」。

 それは医者(ドクター)はもちろん、まだ齢14のアルエですらも幾度となく体感した出来事である。

 それらの現象は往々にして人外に例えられる。

 「妖精のイタズラ」「虫の知らせ」「狐につままれる」等々。



 しかし本当に人外の仕業ならともかくとして、それらの現象の主足る原因は――――。

 大抵が、ただの人的過失ヒューマンエラーである。




(……………………がッ!?)




 そして案の定、今回も”その例に漏れる事はなかった”。 

 【残り9秒】――――舟の着水と同時に起こった現象は。

 



(忘れ…………てた…………)




 アルエによる、「重みの失念」であった。




――――ズ ゥ ン !




「お、オオオッ!?」


『お、おいッ! これほんまに大丈夫なんか!?』




 【残り8秒】

 かねてからの段取り通り、大地への着水へと辿り着いた舟の姿がそこにはあった。

 しかしこの段に来てなおも、アルエ以外の面々は未だに不安を隠しきれない。

 「着地ではなく着水」。

 これは立案者である医者(ドクター)すらも気づかなかった盲点を、見事埋め合わせたアルエの機転である。



 が、そのはずなのに――――。

 この二段構えの作戦を駆使して、なおも「無事」の二文字が見いだせずにいた。



「ゴボボボボボ――――!」



「まじ…………やっべえ…………」



 その理由は、舟の不安定さにあった。

 着水と同時に、横に縦にとまるで地震のように激しい動揺を見せる舟体。

 その影響は無論搭乗者にも顕著に表れる。

 医者(ドクター)の身体は揺れに従い縦横無尽に振り回され、その医者(ドクター)より小さいスマホへの影響はより顕著である。



 アルエの機転は、言うなれば「安定の確立」であった。

 しかし現状は安定とはまるで無縁。

 どころか、”沈んでいる時よりも”不安定な様子を見せて言るのは、一体どういうわけなのか――――。




(つ、潰れ………………)



 

 答えは――――アルエの”強すぎる精霊同調”にあった。




「う………………がぁぁぁぁぁッ!」



「――――少年!?」




 【残り7秒】

 吹けば飛ぶほどのか細い猶予の中。

 アルエの身に降りかかったのは、人の身では到底抗えぬ「重み」であった。

 着水と同時にまるでアルエの周囲のみ重力が増したかのような重みが、出る杭かの如くアルエの身を甲板へとめり込ませる。

 元々肉体の鍛錬などしていないアルエにその重みは余計に顕著であり、そうなれば必然。

 舟体のどころか、自分の身体すらも安定から遠く離れて行くのは至極当然である。



「一体どうしたのです! こんな時に」


「お、お、重ッ…………!」


「おも…………?」



(――――ハッ!)



 アルエの、明らかな異変にたまらず医者(ドクター)は駆け寄る。

 そしてアルエの身体に触れた時――――医者(ドクター)は全てを悟った。



 「重い」――――。

 自分よりはるかに小柄なはずの少年の身体が、まるで金属製の人型かのような異様な重量を示している。

 これは医者(ドクター)にとってはもちろん、アルエ本人にも予想外の出来事である。



「舟の重み…………!」



 舟を、無事大地へと「着水」させる為に必要となる大量の水。

 それらを生み出すべくアルエの掛けた、高水準の「精霊同調」。

 高い同調は術者の想像通りの水を生み出し、結果乾いた大地を湿潤な汚泥の沼へと変貌せしめた。



 だが――――高すぎる同調は、同時に別の結末をも連れて来た。

 空から落下する巨大質量と、それを支える大量の水。

 それらが重なった時に発生する重量エネルギーもまた、全てがアルエへと同調する事を、当のアルエがすっかりと失念していたのである。



「う…………がぁぁぁぁぁ! 無理! マジで無理無理無理ィーーーーッ!」


「ちょ、ちょっと――――!」



 【残り6秒】

 時の刻みに比例してアルエへかかる重量はさらに増し、ついには身体のみならず心すらも折らんと重く圧し掛かる。

 周りから見れば魔法使いが魔法の力で支えようとしていると、あくまでそういう風にしか見えないであろう。

 だが、その実態は大きく異なる。

 それは現状に限り、舟を支える物は水ではなくアルエが”直接鷲掴みに”している事とほぼ同義である。



 「精霊は術者と独立した存在である事」。

 この通常魔法とは異なる独特の体系が精霊魔法の最大の長所メリットであり、同時に短所デメリットでもあった。

 別個を同一と成すのが精霊魔法の神髄。

 なればこそ――――精霊の受けた感覚をも共有フィードバックしてしまうのが、アルエの最大の弱点であった。



『え、ちょ、なになに!? なんなん!?』


「同調…………舟の重みを一身に受けていると言うのですか!?」


『…………なにゃぁーーーーッ!?』


(ぐ…………ぉ…………)



 本来、この場所に水などない。

 故に発生する水は全て精霊の織りなす水であり、それはイコールアルエの半身でもある。

 結果――――皮肉な事に、アルエの類まれなる精霊同調が、さらなる窮地を招いた。



 大の男が束になろうと持ち上げられぬ重みを、肉体鍛錬とは無縁のアルエが一身に受ける。

 普通に考えれば到底無理でしかない状況である。

 が、しかし別案を模索する時間はもうない。

 「現状をなんとか凌ぐ」しかないと言うこれほどなく勝ち目のない賭けに、一同は全てを委ねるしかできなかったのである。



『うぉぉぉぉい! 粘れ! 粘んやジョォォォーーーーッ!』


「もう着水は済んでます! 後は支えるだけなんですよ!」



 それはまさに、アルエに取っては「根性一本勝負」であった。

 狙い通り、舟の着水はもう済んでいる。

 故に後は舟を安定させ、水の上に浮かべる事。ただのそれのみでしかない。

 後ほんの少しだけの努力――――。

 が、肝心のその「少し」が、アルエに取っては今まで訪れた事のない重しなのである。



「う…………ぎぎ…………」



 舟は、着水してなお激しい動揺を見せる。

 しかしそれはあくまで一過性の物に過ぎない。

 決着ゴールは、衝突の重みエネルギーが消え舟が自力で浮かぶまで。

 言い換えれば、アルエが「同調を切っても問題なくなる」その時まで。



 【残り5秒】

 その時は決して長い時ではない。

 眼を閉じれば一瞬にして過ぎ去るような、気に留めるにも値しないか細い時。

 結果はもう目前である。

 「耐える」か「潰れる」か――――時は、どちらの結末も含んでいる。



『とっ取りあえず立て! おいヤブ! こいつ立たせろ!』


「ぐ……ほら、立って!」



 【残り4秒】

 医者ドクターがアルエの脇を抱え、無理やりに立たせた。

 同時にスマホが画面に動画を表示する。

 現状を何とかすべく思いついた、お得意の動画再生である。



『ええか、見ろ! 今は降りた直後で物理エネルギーが残っとるだけや!』


『”流体の密度による反力”。一度お前におんなじ事教えたはずや!』


(………………なんだっけそれ)


『ああもう、なんていうかな…………ていうか、こんくらい理解せえや!』



 【残り三秒】

 教えるには早口すぎる口調で問題点の指摘を終えたスマホ。

 その直後、医者(ドクター)が次いで、これまた早口で問題の解決を教授した。

 医学に基づいた、「重い物の持ち上げ方」である。



「こう……ハァーと息を吐きながらの方が、筋肉は力を出しやすいんです」


(息…………?)


「筋肉には安定した酸素を供給する事が大事なんです……重い物を持つときは、特に……」


「……???」


「ああもう、とかく、息を止めてはいけませんと言う事ですよ!」



 【残り二秒】

 いよいよ持った土壇場の中放った、各々が持つ知識を詰めた助言は、不幸にもアルエの記憶力を遥かに超える教授であった。

 無論アルエにその全てを理解し切れるはずもない。

 「そんな一変に言われてわかるか」。

 アルエに過った真っ先の感想であるが、許容を遥かに超える重みの前に、その言葉すらも即座に体の奥深くへと沈んで行った。




(つまり…………要は…………)




 しかしながら、その代わりではないが――――。

 偶然にも両者にして”共通の示唆”があった事に、アルエは気が付いた。

 「吐き出す」行為にかかる「反力」。

 「吐く」と「反」対の行為――――すなわち、「吸う」事である。

 



「…………オラァァァァァァ!」



(――――!?)




 アルエは、文字通り吸い上げた。

 舟を支える水を――――自らの鼻に溜まる汁のついでに。




「こういう…………事なんだろがぁーーーーーッ!」



(何を………………!)




 その、結果――――。





――――





……





「ハァ……ハァ……」



「ちょっと……楽になった……」



「お」



『おおおおおお~~~~ッ!』



――――二人の助言に独自の解釈を施したアルエは、身に圧し掛かる莫大な重みから、辛くも逃れる術を得た。

 その術とはズバリ”吸い上げる”事。

 「精霊が舟の重みを同調させるならば、逆に自分の行為も同調させる事が出来るはず」。

 そう気づいたアルエは、自らの肺を最大に膨らませるべく”鼻から”思い切り吸い上げた。



「揺れが……止まった……?」


「水が重みを被せてくるなら……同じ水で持ち上げればいい……」


『持ち上げた!? でもどうやって!?』



 その結果――――舟はわずかながら、確かに”浮いた”。

 言う慣れば「火事場の馬鹿力」に近い、一回こっきりの底上げである。

 しかしながら、アルエにはただそれだけで充分であった。

 潰れそうな程の重しがほんの少し浮くだけで、アルエに掛かる負担は見た目以上に軽減される。



「あーぐぞ…………全然どばんべー」


『あっ』


「これはこれは……」



 その時、アルエの鼻から巨大な膨らみが生まれ出た。

 アルエが「吸った」分だけ「吐いた」息が、未だ止まらぬ鼻汁に混じった物である。

 ある意味では、体を張った一発芸とも言えよう。

 だがまるでギャグ漫画のように巨大なソレは、見た目からして実に滑稽ながら、現状を打破した確かな答えである。



『――――”バブル”か!』



「……うわっ! なんじゃこれ!」



 当の本人は、その鼻から膨らむ泡に遅ればせながら気づいた。

 浮かす為に吸い上げる行為が招いた、意図せぬ結果である。

 鼻にできた巨大な鼻提灯こそ予想外であったが、しかしそれ以外は概ね意図通りである。

 「着水の仕切り直し」――――その目的を、アルエは「泡」で持って無事やり遂げる事ができた。



「泡で浮力を……まるで炭酸ですね」


『そういや水玉は元々泡やったの』


「そんな事より誰か拭く物貸して……」



 アルエは、今を含む幾多の混乱の中で、無意識ながら精霊同調のコツを掴みつつあった。

 理屈ではなく感覚での理解である。

 同調とはすなわち共有。故に精霊を「使役」するのではなく、自らも精霊とならんと「歩み寄る」事。



 そして、アルエの精霊は「水」。

 その為同調をより高みへ登らせるには――――自らも限りなく水に近づくよう努める事。

 実体験に基づく、確かな”悟り”である。



(zzz………………へっぷし)



 先程の騒乱が、その論を証明する格好の実験場であった。

 その結果は――――言わずもがなである。

 鼻から息を吸い込む事で、巻き込まれる形で奥深くへと登る汁。

 その鼻腔内の動きを再現するかのように、”吸い”上がる直下の水。

 このように、自らが身をもって再現する事で、水の精霊との同調に多大な付加をもたらす行為。

 


 結果として、一連の窮地はアルエの修練に多大な寄与をもたらした。

 過程のドタバタはある種の儀式だったとも言えよう。

 そして、この結果だけを別の言葉に言い換えれば――――。

 ”オーマがいなくともなんとかできた”とも。



「なるほどね……下から上に吸ったわけですか」


『元ネタは鼻水やろ? ばっちぃ技やで』



 そうして吸い上げられる水が空気を巻き込み、重しの抵抗となる「泡」が次々と生まれ、溢れ、支え――――。

 スマホのデジタル数字が指す猶予は、実に【残り一秒】であった。

 まるでフィクションかのような瀬戸際に、念願の「安定」を取り戻すに至る事は、水のみならず周囲の気分をも高揚させる。



「ハハ……まさか泡で浮かすとはね……なんともファンシーな魔法です」


『本人はぶっさいくな鼻提灯垂れてるのにな! 笑かしよるでほんま!』


「…………」



 アルエの鼻に浮かぶ大きな泡が、精霊の同調に寄与したかは定かではない。

 しかし一同はもはや、それを安堵の象徴にすら見出していた。

 大きな泡として膨らむ鼻汁は、すなわち毒の進行度。

 通常ではまずありえぬ過剰な体液は、そのままアルエに訪れた症状の深刻化と捉える事が出来る。



 それが大きく膨らむ前に――――間に合った。

 こうなればもはや精霊など関係ない。

 「持ち上げて・落とす」。たったそれだけの事に、魔法も年齢も、何もかもが関係ないのは明白である。



『オーライオーライ、後はそのままゆっくり落とすだけや』


「全く…………君といれば心休まる暇がありませんよ」



 舟は、安定した姿勢を維持したまま緩やかに水面へと着水していく。

 アルエの「火事場の馬鹿力」と言える一瞬の持ち上げは、瞬く間に潰え、そして力の消滅を具現化するように泡の一つ一つがプチプチと潰されて行く。

 だが、今はそれでいい。

 今すべき事は、卵を持つように優しく、丁寧に扱う事。

 それさえできていれば、終末はおのずと向こうからやって来る。 



(………………ふあっ)



 此度の問題トラブルの解決に、最も寄与した人物は誰か。

 そう問えば、誰しもが満場一致でアルエを指すだろう。

 アルエの精霊の力なくば、今頃舟はあわや墜落の憂き目にあっていたはず。

 この舟のような巨大質量を、高所から何の緩衝もなしに叩き落せばどうなるかなど、もはや想像にすら値しない。



『とりあえずいい加減に鼻をかめ。ジュルジュルと汚いねん』


「ティッシュ、使います?」



 窮地から脱出出来た今、一同が改めて認識するのは、アルエの持つ高い精霊同調率である。

 アルエと医者ドクターが初対面を果たしたのは、わずか三日前の出来事。

 その時には精霊の影など微塵もなかったのに――――。

 たったの三日でこうも精霊を使いこなすなど、誰しもが予想できなかった事である。



(あっ………………あっ………………)



 アルエの類まれなる才能をこの場で最も噛み締めるのは、やはり医者ドクターその人であった。

 それは医者ドクターがこの場に限り、術者以外で唯一精霊と縁ある為である。

 医者ドクターのそばに常に佇む女騎士・英騎――――と精霊使いの女・大母。

 いつぞや聞いた「精霊同調は一日にして成らず」の言葉は、その大母本人の言葉である。



 にも拘らずアルエの成した功績は、同じ精霊使いである大母の言葉を真っ向から否定する物であった。

 昨日会ったばかりの少年が、次の日にはもう精霊使いとして大成している様。

 医者ドクターからすれば、一日どころか一朝一夕の間にすら感じられる、短すぎる時の中での出来事である。



『はい、ちーん』



「………………ふえっ」



(…………ん?)



 それはアルエの持つ、誰にも知られる事のない秘めたる才能だったのか。

 もしくは――――”別の原因がある”のか。

 その真偽を医者ドクターが知る事は叶わない。



 同時に、知る必要もない。

 今の医者ドクターが知るべき事は、アルエは紛れもなく精霊使いである事。

 そして同じ精霊使い達と比べても、まるで遜色のない、高次元の同調を果たせる人物であると言う事。

 その事実のみが、医者(ドクター)の知るべき事であった。




(……………………)




 ”だからこそ”である。

 これから起こる事が、事実に基づいた”当然の成り行き”である事は――――。






「 ぶ え ッ ッ く し ょ ー ー ー ー ィ ッ !」






『 ボ ケ ェ ー ー ー ー ッ ! 』






 【残り0秒】

 そして舟は、同調のなすがままに――――無事、泡のように割れた。





                     つづく




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