百二十四話 揺篭
「おまッ!? ええ!?」
「疲れてた……んですかね」
先刻までの混乱が、まるで就寝前のストレッチかのように安らかな寝顔を見せるオーマの姿。
その姿を前にしては、さすがの一同も驚きを隠しきれなかった。
醸し出す表情は驚愕と言うより「呆れ」に近い面持ちである。
この期に及んで誰よりも「安堵」に佇むオーマの図太さに、アルエは呆れと共にほんの少しの「羨ましさ」を燻らせた。
「――――zzz」
『あー、こりゃ熟睡やわ』
「かぁ~! ったくこのアマだきゃ……」
確かに特にする事のない現状。仮眠を取るには絶好の機会と言えなくもない。
だが、だからと言って「それができれば苦労はしない」。
同じ場面を共有したはずのアルエには、仮眠以前に眠気すらも湧いてこないのに。
二人は二人して、「どうしてこうも違うのか」。
この違いに――――”とある理由があった”事は、今のアルエは知る由もなかった。
「ま、まぁ彼女は一番激しく動き回りましたしね」
『あの王子はんとの超絶魔法バトルのせいか?』
「僕らだって激しくやり合ったろーが。まぁ、そりゃこいつらと比べると規模は小さいけど」
そして、直に目の当たりにする事になる。
オーマの身に”本当に何らかの異常”が、現れていた事に。
『……あれ』
「どうした?」
『なぁ、ちょっと……ここ見て』
「あんだよ……」
異常の片鱗に最初に気が付いたのは、スマホであった。
アルエが片時も離さぬせいで、ほぼ全ての視界をアルエと共有するスマホ。
その高感度カメラが確かに捕える――――。
異常が、「オーマの頭頂部」に現れている事を。
「……うおっ!?」
『これ絶対そーやろ。わいこの人ずっと”金髪や思ってた”んやけど』
「どーしました?」
横たわったオーマの姿勢が、動かず共目線を送るだけで視認する事を可能にする。
そしてスマホに促されオーマの頭頂部を覗き見たアルエ。
加えて医者もついでにと目を配る。
それは、確かに異常であった。
最初の出会いから今にかけて、幾度も見せられたオーマの白金色の髪。
陽の光に照らされれば時に煌めきすらも見せる、輝かしい色をしたあの髪が――――。
”頭頂部のみに限り、色を失っている”事など。
『知らんかったわ。ブリーチ当ててたとか』
「え!? 染めてたの!?」
髪の染色こそ未経験のアルエであるが、さすがにこの現象は理解できた。
それは、夏休み期間中にアルエの同級生に巻き起こった症状と同様の物である。
一言で言うなら「染色放置」。
髪を染め上げた後、定期的な染め直しを”怠った”結果生まれる現象である。
『だってほら、こんなクッキリ出てもーとるで』
「大魔女サンの地毛は、実は黒だった……?」
「いや……いやいやいや……」
染めた色が、地毛から離れれば離れる程より症状は重くなる。
新たに生え伸びる地毛は当然染色前の色であり、時を経る毎に色が戻って行くのは毛髪元来の性質。
しかしながら、染めた髪全てを「自然に」元通りに戻すにはかなりの期間が必要であり、それが女性ならなおさら顕著である。
『一応病気の可能性無きにしも非ずやけど、のう?』
「いえ……白髪とかならわかりますが……」
染色と原色の過程。その中に生まれるのは、見事なまでの「境目」。
そしてその現象は、オーマのような金髪のみに限り、とある物体に例えた名称が与えられる。
「プリンじゃん」
オーマのふわりと膨らんだヘアスタイルが、なおさらその物体を連想させた――――。
「…………ははっ、トコトン雑な奴め」
『ドンキでよく見る系女子やな』
見た目こそ少し衝撃的であるものの、その実情は実に下らない。アルエをして失笑が漏れる程の異常である。
「取るに足らない」。そう結論付けたアルエは寝息を漏らすオーマを放置し、ついでに【魔王と勇者】の件も置き去りにした。
「まぁ軽い余興にはなりましたけど」
「やっぱバカだぜこいつ。マジで」
一瞬脳裏を過った「最悪」が、その実「安堵」の現れであった事。
この「緊張と緩和」が絶妙な具合で働いた結果――――。
アルエの心中をも、急速な「倦怠」に色が染め上げられた事は言うまでもない。
「残念です。眠っているなら物語の詳細は聞けません」
『寝てる所わざわざ起こすのもなぁ』
「もういーわ……僕もちょっと寝よ」
『こんな甲板の上でか?』
「なわけねーだろ、オーマじゃあるまいし」
「ふわぁ……なんか、このバカのせいでだるくなってきたわ」
オーマの寝姿を契機に、アルエの中にもわずかな眠気が燻り始める。
そして自分も夢の世界へ旅立とうと決意した時、アルエは水を少し呼び戻した。
――――アルエの呼びかけに直ちに呼応するその水の出所は、貴重な精霊の半身。
アルエらが「水玉」と呼ぶ水の球体の総称であり、アルエに「精霊使い」の二つ名を与えた張本人でもある。
「――――コポ!」
「水玉、僕ちょっと寝るわ。ベッドになって」
「……コポ?」
アルエの数時間ぶりの呼びかけに、水玉はまるで待ちわびていたような反応を見せた。
水玉は、今の今まで主のそばにいなかった。
その理由は、水玉が王子によって斬り落とされた”左翼の代わり”を務めていたからに他ならない。
「コポォ……」
『戻っていきなりそれかいって言っとるわ』
「いーだろが別に。水玉、ちょっとこんな感じに――――」
そうしてようやっと呼び戻されたのも束の間。
次に与えられた命令が、ただの「雑用」であった事に水玉は少し困惑を見せた。
アルエが寝床のイメージを水玉に伝え、そして形作るよう命令を出す。
水玉はその命令に逆らうまではしなくとも、やや面倒そうな面持ちが出ているのは否めない。
「贅沢な精霊の使い方ですね……」
「いーだろ」
「形成と分配」。アルエは水玉に寝床と成り得る分の水だけを戻し、残りは引き続き翼の役目を与える。
呼び戻された水はアルエの想像に呼応して形を変え、瞬く間に人を包み込む「ゆりかご」の如き形に変貌していく。
これは形のない水だから可能な事である。
形はないが確かに存在する質量。この相反する二つの条件を満たすのは、全ての精霊の中でも「水」のみである。
『まさかパシリができるたぁーな。お前みたいなもんに』
「うっせ。水玉、できたか?」
「コポォ」
「おーいいね。良い感じ良い感じ」
しかしながら、精霊同調を粋まで極めたアルエには、この程度はすでに動作もない事である。
精霊同調術の最大にして最後の奥義・【感覚共有】までもを会得したアルエに取っては――――。
怠ける場を生み出す事など、本当に些細な事でしかない。
「いいですね……精霊のウォーターベッド」
『この器用さを現実世界でも発揮できればのぅ』
「はいはいその通り…………っと」
そしてアルエの想像通り、見るからに心地よさそうな「水のゆりかご」がアルエの眼前に現れた。
無論その水のゆりかごに横たわれるのは、主であるアルエのみである。
他人が羨む程気持ちよさげな水のゆりかごを自在に出し入れし、かつ濡れや液漏れ等の心配も一切必要としない。
このやたら気の利く万全の仕様は、精霊があくまで独立した存在である事に起因する。
「おおおお! これっすっげー! すっげー気持ちいい!」
『なんか、むかついてきたわ』
「にしても、たかが数日でよくぞそこまで操れましたね」
これが仮に通常の水系魔法ならば、同様の行いに相応の魔力を必要とする。
が、精霊魔法の場合”術者は一切の魔力を必要としない”のが最大の特徴である。
「術者はただ想像を伝えるのみでいい」。それだけで、後は精霊が自ら想像を体現してくれる。
これが精霊魔法と通常魔法の最大の相違点――――。
「共有」か「消費」かの違いである。
「寝スマホすっぞ。スマホ、こい」
『えーぶっちゃけ水はまだちょっと怖いねんけど』
「壊れますよ?」
そして独立した存在であるが故に起こるもう一つの長所――――。
精霊は時として、主の判断をも待たずして「行動も独立する」と言う点にある。
この精霊側の自己判断によって、主本人の意識の外にも自動で対応をする事が可能となる。
それは先の戦いでの防衛反応しかり。
そのもっと以前から、水でありながら「アルエが過度に濡れ」たり「電子機器が故障しない」事が代表的な例である。
『何見るねん。エロ動画か?』
「いや……んなもんこんな所でみねーよ」
「何を……」
そんな至れり尽くせりな状況を生み出せるのも、全ては精霊そのものが独立した存在であるが故の事。
魔法でありながら別の独立した一個。故に「魔力を使わず魔法を操る」事ができるのが、精霊使いの特徴とも言えよう。
魔法を操る者全てが、”魔法使いである限り”決して到達する事のない領域。
これはオーマすらも例外なく、精霊に見初められた物のみに可能な特技である。
「魔法と勇者の話はおいおい聞けばいい。ってか、言われなくても大体わかるし」
『ほぼ桃太郎やったもんな』
「後回しにできるのは後でいい。それよりも、今僕が聞きたいのは――――」
【精霊使い】
それは魔力の大小に関係なく「精霊に認められるかどうか」が鍵である為、事異界に置いても貴重な存在として扱われる。
アルエの場合もその例に漏れず、帝都にて「精霊使い」として実に特別な扱いを受けた事は記憶に新しい。
『ああ、これかぁ……』
「これは……」
――――が、それでもアルエの心中に”優越感”の類が湧く事はなかった。
誰しもが羨みそうな「重宝」の体験談が、アルエの中では同時に”忌まわしさ”をも内在していた事は、本人以外知る由もない。
そのアルエの感じる”忌まわしさ”とは、まさにその精霊使いについてである。
貴重で稀少なはずの精霊使い。
そんな存在が――――”もしも自分以外にいるのなら”。
そんなもしもの記録が、今現在アルエの所持するスマホの中にある。
「折角だから聞かせてもらおうか。この意味不明極まりない現象の事を」
「眠るオーマのせいで聞きそびれた物語の代わりだ」。
そう言わんばかりにアルエが問いただしたのは――――。
医者の仲間が引き起こした”精霊の所業”であった。
「教えろヤブ医者。お前らの仲間には”火の精霊使い”がいるはずだ」
「こいつは、僕が知ってる精霊魔法とは”全く別の手段”を使って来た……」
「……撮ってたんですね」
アルエが再生させた動画。それはスマホが偶然撮影した”貧民区消滅の瞬間”であった。
そこには確かに表示されている。
アルエに取っては忌まわしい記憶。しかし医者側にとっては功績の記録である。
「こいつは僕に語り掛けてきた。精霊同調術は僕の知らないもう一つの段階があると」
「大母と……話したんですか」
『ここにおった連中、全員”元”音の精霊使いなんやとよ』
アルエが指を動かすと同時に、画面いっぱいに広がる光景。
その光景は、確かに存在した。
叫び逃げ惑う人々と、鳴り響く爆弾の音。
その中で唯一、アルエを助けんと突進する貧民区の長の姿。
そしてその裏で――――水が燃える様とを。
「精霊使いの事は彼らに聞いたんだ……だからだ」
「こいつのしたことは、彼らの言う精霊使いとは全然話が違う!」
『”最後の段階を越えた段階”……とかそんな事言ってたな』
「おかげで…………貧民区が全滅になった!」
「それも、僕の目の前でだ!」
「それはそれは…………」
アルエは、ここで初めて火の精霊使いが「大母」と呼ばれている事を知る。
そしてアルエは火の精霊使いの呼び名を知るや否や、怒涛の勢いで責めたてた。
大母とは一体何で、どんな奴で、どういう風体を持ち、どのような性格をしているのか。
その他諸々の詳細を、事細かに――――剥き出しの怒りを露わにしながら。
「こいつは精霊越しに話しかけてきやがったんだ! わざわざこの瞬間を狙って!」
「まるで勝ち誇るかのように! あざ笑うように!……僕を、見下すように!」
「あぁ、確かに大母は、ちょっとそんな所ありますね」
再生された記録がアルエの記憶と重なり、その結果呼び起こされたのは、強い「屈辱」である。
アルエは大母について問いただす一方、答えを聞くまでもなくイメージを固めつつあった。
まずは名前からして「女性」である事。
そして能力は自分と同じ「精霊使い」であると言う事。
加えてあの場面では不必要なはずの勝利宣言を、わざわざ吐き捨てる為だけに声を現した、その「行い」からして――――。
「そりゃそうさ! 水を燃やす火なんて聞いた事あるもんか!」
『あんな奥の手があったなんてわかるわけないやろ、ボケ』
その内面は、炎の黒煙に負けず劣らずの漆黒。
誰もが嫌悪を覚える「ドス黒い心」の持ち主であると、アルエは結論を付けた。
「僕には、英騎の他にもう一人用事がある……いや、ついさっきできた」
「それがその大母とか言うババアだ。そのババアだけは……マジで許せねえ」
「私怨ですか?」
「あーそうさ! 英騎も大事だが、そっちも大事な用事だ!」
「僕はそいつに必ず復讐してやるつもりだ! あの屈辱は、ウン十倍にして返してやる……!」
「絶対に……そいつだけは……」
「……なるほど」
質問は、いつしか復讐の誓いにすり替わっていた事を当の本人は気づかなかった。
与えられた屈辱に対する怒りが冷静さを失わせ、同時にアルエの眠気をも吹き飛ばす。
今のアルエの怒りを何とか鎮めうる物。
それはひんやりと心地よい感触のする、「水のゆりかご」のみだけである。
『あれはなんやったのか聞きたい所やけど……どうせ無理なんやろ?』
「まあね。奴隷陣の禁忌事項です」
「タブー以外の事は言えるだろ! 言える範囲の事は言えよ!」
得てして、医者はアルエの要求を二つ返事で了承するに至った。
それは怒れるアルエに物怖じしたからではない――――。
医者の中には、アルエに対しわずかながらの”親近感”ができつつあったからである。
「なるほど……ねえ」
「どうせ暇なんだろ……何でもいいから、今すぐ吐け!」
それは同じ英騎を求める物として。並びに同じ世界の住人として。
加えて”似たような苦悩”を持つ者同士として――――つまりは、同類のよしみである。
「そうですね……大母は、まぁ大体君の想像通りの人です」
「私だって幾度面倒事を押し付けられてきたか……今こうして君と対峙している事がまさにそれです」
『性悪な感じか?』
「と言うより、無駄に回るんですよ。口が」
「円滑な指揮系統の為には必要な能力と言えますがね。でもおかげで、口喧嘩ではまぁまず勝てた試しがありませんよ」
「けっ、なさけねえ高学歴だな」
医者と大母は同じ集団の仲間でありながら、少なくとも医者の心象はあまりよろしくはない。
それはアルエに述べた通り、やや利己的な面がある大母本人の性格。
加えて何故か、自分にだけやたらと面倒を押し付けてくる事。
その他諸々。毎回口八丁に振り回され、いいように扱われる煩わしさ――――は、”ほんのおまけに過ぎない”。
「まるで子供を諭す母親のようと言いますか……気が付けば、いつもまんまといいように操られているんです」
『だから大母なんかな』
「かんけーねーよ! 僕の母さんはそんなんじゃねー!」
「君の母親の話はしてませんよ」
「コポ……」
明確に嫌うわけでもなく、表立って内部紛争を起こす程でもない。
だが、医者が忠誠を誓うのは”あくまで英騎ただ一人”。
そんな医者同様、医者を含めた英騎の軍勢とは、すなわち英騎に惹かれし同志の集いである。
だがその中でも、あくまで医者に限った話ではあるが――――。
医者は内心、大母を同志と”認めていなかった”。
『そっちはそっちで大変なんやな』
「ええ、そりゃもう……」
「そりゃあ…………もう…………ね」
「……ん?」
その秘めたる心中が醸し出す表情は、どこか哀愁に似た侘しさを醸し出す。
無論アルエにその内訳はわからない。
だが、何となしに「何かあった」事だけは察する事が出来る。
医者の少し細まった目つきが、そんな思いを少しだけアルエに悟らせるに至った。
『大きい母と書いて大母……どんな仇名や』
「火の精霊使い……大母……」
『名前には特に火との繋がりは特に見えへんな。まぁ、それはお前にも言える事やけど』
医者は、大母に対する心象を誰にも漏らす事無く、ずっと一人で抱え続けた。
同志にも、忠誠を誓う英騎にすらも。
そんな積もり積もった鬱憤があったからだろうか。
味方のいないこの場で、まるで吹き荒ぶ風に紛れ込ませるように――――。
医者は小さくひっそりと、積もる思いを言葉に乗せた
「そりゃあ……色々ありますよ……」
「何て言ったって……”反乱の元凶”なのですから……」
(元凶…………?)
「大母は反乱の元凶である」――――その言葉が密やかにアルエの耳に届いた時。
まるでその言葉を掻き消すかのように、アルエの耳に別の言葉が届いた。
「――――え!?」
「ん?」
『なんや?』
報を聞くや否や、アルエはゆりかごから直ちに飛び起き、ついには折角生み出したゆりかごそのものを消滅させるに至った。
医者の吐露と重なり届いた報は――――水玉による物である。
「コポッ! コポコポコポッ!」
「――――はッ!?」
報は言葉ではなく泡。
「コポッ」と弾ける小さな泡立ちで持って、水玉は報を確かに主へと届ける。
そして飛び起きたアルエは、消滅させたゆりかごの代わりに、直ちに瞳を蒼へと変色させた。
アルエの目に現れた蒼――――それは、精霊同調術の奥義・【感覚共有】の証である。
『な、なんやねん?』
「何かありましたか……?」
脳裏に渦巻く思考すらをも飛び越え、精霊とあらゆる五感を共有する精霊使いの最終奥義。
その共有した五感で持って――――アルエは確かに見た。
「舟…………が…………」
貴重な余暇を食いつぶす、元凶の正体である。
「沈ん…………でる…………?」
『――――は!?』
「――――なんですって!?」
「――――コポッ、コポコポコポッ!」
一体いつからなのか。
何が原因で、何がどうなって、そして今どれほどの猶予が残されているのか。
その全てを誰にも悟らせぬまま、舟はひっそりと、かつ穏やかに――――。
粛々と、大地に向けて傾いていた。
(………………zzz)
まるで眠り子をあやす、ゆりかごのように。
つづく