百二十一話 脅威
「ま、気持ちはわからないでもないですがね」
「く……」
うなだれるオーマを軽い言葉で励ました医者は、それ以上の言葉は不要と判断した。
いくら自分を責め立てた所で、今更英騎が止まるはずもない。
オーマもその事は、重々承知しているはずである。
――――後は本人の問題となる。それはオーマがこの現実を受け入れる事。
現実は時として非情となり、非情となった現実はいくら願おうと思いを受け入れる事はない。
その世の理とも呼べる事実を、オーマが自分自身で理解するしかなかった。
「「 ァ ァ ァ ァ ァ ー ー ー ー ー ッ ! 」」
――――そうこうしている内に、また誰かが落ちた。
重なる断末魔はもはや一人や二人どころの話ではない。
三・四、五――――いやもっと。
重なり合う断末魔を正確に聞き分ければ、実に二桁に昇る複数人が、同時に消失した事を表している。
恐怖に慄き、我を忘れて逃げようとする者。
消えるとわかりつつ、せめて一矢をと立ち向かう者。
現状を理解できず、意味も分からずただ落ち行く者――――
そんな色取り取りの心模様を見せる兵達を、英騎は無差別に”近い順から”落として行った。
ァァァァァァ――――……
「……降って来たな」
そんな地獄絵図のような光景の中を、依然として顔色一つ変えずただ駆け抜けるだけの英騎。
英騎に取って、この人間豪雨はただの雨模様と同じであった。
それはまるで、帰り道に振り出した小雨のような――――そんなイメージを助長するかのように、兵達の身に着けた甲冑がチラチラと光を反射している。
さらには断末魔の群れが雨音のように響き、絶え間なく振りゆく鈍い光が、地面に着くと同時に土の飛沫を少し撥ねさせる。
故にやはり、同じであった。
英騎の目に映る彼らは、一寸違わず全てが同じである。
英騎にとっては落ち行く兵士達の全てが――――”無色透明の”雨粒と。
ゴゴゴゴゴゴ…………
「……む」
英騎の進路に重なる騎乗隊は、本来ならば英騎を食い止める防波堤となるはずであった。
しかし今は、大地へ突き落されるのを待つだけの「死出の行列」と成り果てている。
そんな中、唯一一つだけ落ちぬ物があった。
それはまるで、列が乱れぬよう監視する整理人かのように。
「死出の行列」を一望できる位置にいる、空駆ける舟が、英騎の視界に映った。
「あれは……」
前だけを見ていた英騎は、ようやっと一つだけ行動を変えた。
変えたのは視点。前しか見ていなかった英騎が、自身の側面を流れて行く舟に対し目を配った。
空駆ける舟の姿は、見上げる視点も相まって実に雄大であった。
しかし目を配った理由は、その雄大な姿の為ではない。
理由は――――特になかった。
ただ何となく、”誰かに呼ばれるような気がして”振り向いた。
ただ、それだけの事である。
(――――――――ッ!)
英騎は、空駆ける舟の雄大さ改めて認識した。
不意に見上げた舟は今、自分の進行方向に対し交差するように、側面を逆方向へと進んでいる。
その動き自体になんらおかしな点はない。
当初から決められていた、作戦展開における予定通りの動きである。
だが――――自分でもわからぬ呼び声がした”気がした”英騎は、意味もなく舟を注視し続けた。
遥か上空にいる舟は、見上げる視点も相まって内部が見えるはずもない。
声の主も見えない。
そもそもこのただでさえ喧しい場に置いて、自分を呼ぶ声だけが鮮明に聞こえるはずがない。
しかしにも関わらず、どうにも気になる舟の存在が英騎の関心を引き続け、ついには手綱を持つ手を少し緩ませるに至った。
「…………?」
英騎は、舟をしばらくの間、嘗め回すように見渡した後――――
”空耳だった”と言う事で、片づけた。
「―――― ハ ァ ッ !」
それはちょうど、平面上に置いて、舟と英騎が重なった瞬間での出来事であった――――。
――――
「時に大魔女サン、衝撃的な出来事だったのはわかるのですが」
「何……よ……」
「彼……ほっといていいんですか?」
「――――ッ!?」
『ねーさーん!』――――医者の問いかけと同時に、スマホの叫びがこだました。
オーマはうなだれる暇もなく、その声がする方へと素早く振り向く。
振り向いた先はちょうど自分の真後ろ。
そこには、”さっきまでいた人物までも”がいなくなっていた。
『ねーさん、ここ! ここ!』
「は――――」
振り向いた先には、スマホ”だけ”がいた。
いたと言うよりは”落ちていた”と言う方が正しいか。
アルエの世界に置いて、スマホは今や一人一台の万能情報機器である。
老若男女問わず、所持していて当たり前という風潮すら流れていると、何を隠そう本人から聞いた事である。
――――にも拘らず、である。
『あのアホ! あのテロリストの後を追うつもりや! なんでもええからはよ止めてくれ!』
「――――アル!?」
スマホには、主がいなくなっていた。
あんなに大事そうに肌身離さず持っていたはずの持ち主が、スマホだけを残して一体どこへ消えたのか。
その答えは、つい先ほどまで所持されていたスマホにしかわからない事である。
しかし手足のないスマホが、持ち主から放されて後を追えるはずもない。
『あのバカを止めてくれ』――――続けざまにそう訴えたスマホが、画面いっぱいに矢印を表示させる事で、オーマに対し精いっぱいの助けを求めた。
「待って……」
アルエは、いつの間にか船尾へと移動していた。
その運びはフラフラとした足取りで、今にも転びそうな頼りない足運びである。
が、しかしその分”音”を出さなかった。
忍び足――――本人にそのつもりはないが、結果的にそうなった。
オーマが医者に詰め寄り、そしてうなだれ頭を垂れた一瞬の間の事である。
「待って……ねえ、待ってってば……」
姿を現した当初、英騎は舟の前方。遠巻きながら辛うじて顔が見える位置にいた。
その後英騎は馬を走らせ、守護獣をかき消しながら前へ前へと駆け抜けて行った事は記憶に新しい。
英騎にとっての前――――それは、舟にとっての後ろに当たる。
逆転した前後関係が互いの方向を真逆へと向け、そしてそのまま進み続ければ、いずれ”一瞬だけ”交差する。
交わった互いの延長線は、交わると同時に即刻離開し、ついには「向きその物」を逆転させる。
故に、それは当然の事であった。
英騎がアルエに背中を向け、まるで”アルエから逃げるように”離れて行く事は――――。
「聞こえてるんだろ……? 僕の声……聞こえてるんだろ!?」
アルエは、英騎が自分から離れて行くと言う事実が耐えられなかった。
「英騎と芽衣子は別人だ」――――そう周りに主張し続け、そして内心でも実際にそう思っている。
しかし蓋を開ければどうだろう。
先ほど一瞬だけ向かい合った二人の、アルエ側だけが見れた英騎の素顔。
――――それは、紛れもなく「北瀬芽衣子」の顔貌であった。
声をかければ今にも微笑みだしそうな、いつものあの優しい顔。
才色兼備を兼ね揃えた、同じクラスの”特別な”女子。
可能であれば今すぐにでも切り離したい、学校と言う社会の一部に、唯一自分を繋ぎとめてくれる人。
そんな彼女が、自分から瞬く間に離れて行く――――まるで「バイバイ」と手を振っているようにも見える、束ね髪と共に。
「さっき振り向いたじゃないか! 僕の声! 聞こえてたから振り向いたんだろ!?」
「なのになんで……なんで、何も言わないんだよッ!」
舟と馬がちょうど交差した時――――
英騎がチラリと舟を見た事を、アルエはしっかりと視認していた。
アルエはこの時、「自分の思いがようやっと報われる時が来た」と、そう思い込んだ。
現実世界からはるばる異界へと、北瀬芽衣子と言う名の女子を迎えに行く為に。
そんな思いを、彼女と同じ顔をした「英騎」と言う女騎士に、やはり案の定”無意識に”重ねてしまっていた。
――――だが、英騎がその思いに答える事はなかった。
英騎は、アルエの身を焦がす程の思いを、あろう事か「空耳」で済ました。
英騎が再び前を向いた後。
「今のはただの気のせいだった」と勝手に自己解決を終え、そして、”二度と振り向く事はなかった”。
「――――やめろバカ! また落ちたいの!?」
『お前まで騎乗隊と同じ目に合うつもりか!? ちょっとは冷静にならんかい!』
一人舟の縁から身を乗り出し、今にも落ちそうなアルエを強引に捕まえるオーマ。
だが、掴んだアルエの体からはっきりと伝わるのは、自分に対するあからさまな「反抗」である。
掴んだ腕から確かに伝わる抵抗の力は、アルエが今表立って、自分に「小さな反逆」を起こしている事を示していた。
オーマは、そのアルエの反抗に何とも言えぬ違和感を感じた。
助けようとしているのに、何故アルエは自分に逆らおうとしているのか。
そんな湧き出る疑念も無理に飲み込んで――――オーマはやはり、力づくで引きずり込んだ。
「は、離せ! やっと会えたんだ! やっとここまで来たんだよ!」
「そーよ! アンタの言う通り……やっとここまで来たのよ!」
「やっと追手を振り切れる所まで来たのよ! わかるでしょ!」
「アイツが……あのアンタの友達が……」
「アイツが……全てを…………」
オーマは、言いかけた「全て」から先の言葉を、これまた力づくで抑え込んだ。
それは「言いたくない」言葉であり、同時に「言ってはいけない」言葉でもあったが為。
未だ止むことなく消され続けている守護獣、および兵士達の”命”。
そして、過去に英騎が起こした「六門剣強奪事件」からも考えて。
帝都から人も魔法も象徴も、ありとあらゆる物を奪い尽くす英騎の所業を――――事もあろうに「おかげ」等とは、口が裂けても言えなかった。
「アル……!」
「――――あう”ッ!?」
「いい加減に……しろッ!」
ダダをこねる子供のように反抗するアルエの髪を、オーマは強く掴み上げ、そして顔を自分の方へと”力づくで”向けさせた。
そして続けざまに強い叱責の言葉を浴びせた。
まるで、自分にも言い聞かせるように。
「自分だけが……辛いと思うな……」
「自分だけが……失ったと思うな……!」
オーマの怒気は、今だかつてない程鬼気迫る物であった。
目は血走り、声は明らかに”キレ”ているのがわかる巻き舌口調である。
勢い余って殺してしまいかねない程のオーマの険しい形相。
しかしそれは、誰よりもアルエに”共感”しているが為である。
オーマは、アルエの今の心情が痛いくらいにわかった。
死なせるつもりなどなかった人々をむざむざと殺され、しかもその「おかげ」で自分は一人悠々と脱走を決め込む事に成功する事実。
代償は、あまりにも大きすぎた。
安易に首を突っ込み、その結果”失った”物の重み。
これは、今まさに英騎を見失おうとしているアルエと同じである。
「喪失」――――二度と戻らぬ失くし物を前に、二人はただ、現実を受け止めるしかなかった。
『そもそもここからどうやって降りるつもりやねん!? 高度見ろアホォ!』
「う……ぐ……」
「アイツを追ったら……アンタも、死ぬわよ!」
「う……」
「 う” ぅ” ぅ” ぅ” ぅ” ぅ” ぅ” ―――― ! 」
――――アルエの、実に情けない嗚咽が場にこだまする。
卑屈でヘタレで屁理屈だけは一丁前のアルエが、他人の為に何故にここまで荒ぶるのか。
その理由をオーマは知る由もない。
アルエがこれほどまでに取り乱すのも、本人からすれば至極当然であった。
誰かの為に命を賭ける――――そんな事ができるとすれば、アルエの場合その対象は北瀬芽衣子が唯一である。
芽衣子はアルエに取って、ただの顔見知りではない。
出会いから今まで思いを重ね続けている、誰よりも特別で、誰よりも強く惹かれた”思い人”であったが為――――
「う……うぐぅ……」
「化け物め……!」
そんなアルエの取り乱し方が、一つの印象を決定づけた。
守護獣を無作為に蒸発させ、兵を空から叩き落し、そしてアルエにまで自発的に死出の道を辿らせようとする英騎は、いよいよ持って得体の知れない存在である。
この瞬間、オーマの中で決定的な印象が固まった。
「英騎は死神である」――――。
近づく物をすべからく死に追いやる。そんな存在は、どう考えても「死神」以外に浮かび上がらなかった。
「大丈夫ですよ、少年。君は何も失ってなんかいない」
「……?」
オーマが英騎の死神の面影を見出した頃。
その死神の使いである医者が、アルエに語りかけた。
医者の語りかけは、それも職業柄による物なのか。
まるで不治の病に侵された患者に応対するかのような、それはそれは”優しい”口調であった。
「英騎は、用事があって少し出かけただけです。ちょっと遠いですが……待っていればいつか帰ってきます」
「帰って……くる……?」
「君だってそうでしょう? 何も永遠にこの異界にいるつもりでもないし」
「仕事、学校、買い物、旅行……用事が済めば、誰しもが帰路に付く。でしょ?」
「…………」
医者の語りはすなわち諭し。
荒ぶるアルエを力で抑えるオーマに対し、医者は言葉で抑えた。
効果は、まさに覿面であった。
的確かつわかりやすい例えの医者の諭しは、瞬く間にアルエの心に”納得”を植え付けた。
「大魔女サン、あなたもです」
「何が……よ……」
アルエが少しばかり落ち着きを取り戻した事を察知した医者は、次なる諭し相手としてオーマに対象を変えた。
先ほど同様、オーマに対し実に優しげな口調で語り掛ける医者。
――――しかしオーマは、すぐにその真意を見抜いた。
不要なまでに優しく、丁寧に語り掛ける医者のその真意。
それはやはり、”死神の使い”以外の何物でもなかったのである。
「心配せずとも、ちゃんと紹介しますよ……ここまで助けていただいて、今更反故にする道理もありませんし」
「何が……言いたい……!」
「ご安心下さい。あなたの言いつけ通り、私が”責任持って”英騎とあなた方を仲介します」
「だから……」
「だから……?」
次の瞬間――――オーマは、思わず手を出しそうになった。
「だから、大魔女サンも……ちゃんと”会って”くださいね?」
(こい……つ……!)
それは実に――――わかりやすい”脅し”であった。
つづく