四話 来客――前編――
「お、おええ~~……」
『…………』
数分間の移動の最中。
土の手の内部はこれでもかと激しく動き回り、僕の体は上下左右と縦横無尽に掻き乱された。
そんな数秒の我慢もキツい状況が分単位で長引けば、一体人はどうなるであろうか――――
土の腕がペッと吐き出すように僕を外へ投げた。そして地に足着く事で案の定思い知らされる。
解放された今――――僕は完全に、酔っていた。
「も、もうちょい丁寧に運んでくれませんかね……」
『…………』
唯一にして幸いだったのは、シャカポテよろしくブンブンと振り回されたものの、それでも吐くまでには至らなかったと言う点だろう。
状態は最低ながらも、一応ながらこの扱いに対する文句を言える気力は残っていたのがせめてもの救いか。
だが少々のクレームを付けた所で、この生き物なのかどうかすらわからない土の手は、依然として一切の反応を見せない。
そのそっけない態度に、少しだけイラッと来た。
いつぞやの芸能人よろしく、まるで高飛車な女が「なにか?」とふてくされているかのように見えたんだ。
「お高くとまってんじゃーよ、化けもんめ」
『…………』
(所でここは……)
お高く止まった土細工野郎は無視し、不意に頭をあげる。
目前にはこの不気味な森の中には似つかわしくない、素朴と言う言葉が似合う、小さな煙突が付いた「家屋」らしき建築物があった。
しかし家屋と言っても、それは不動産屋が勧めるような一戸建て住宅の類ではない。
壁はパズルのようにツギハギで、屋根は積み木のように、底が平たい物を上に乗せただけに見える。
そしてその屋根から生える煙突からは、煙突らしく煙がモワモワと漂っているが――――屋根と煙突のつなぎ目から、思い切り煙が漏れている始末である。
この手作り感あふれる家屋”風”物体は、不動産所かマップデータに登録すらされていないかもしれない。
一言で言うなら――――完全に「廃墟」である。
「い、家……なのか?」
『…………』
僕がこの物体を廃墟か住居か判断しかねている頃、その答えを示すように、不意に土の手が身を乗り出した。
ツギハギだらけの壁はどれが扉なのかが非常にわかり辛いが、そこはさすがと言うべきか。
土の腕は一切の迷いなく「正解の扉」を引き当てた。
――――と、言う事はつまり、やはりここは家なのだろう。
ここは断じて廃墟ではない。住まう者がいる「住居」なのだ。
その答えがわかった所で、同時にもう一つ疑問が湧いた。どうみても家と土の腕の”サイズが合っていない”。
「ただいま」と玄関を開けるには、土の腕はいささか巨大すぎる。
ひょっとしてこのツギハギの正体は、こいつが帰宅する度に壁を破壊するからこうなっているのだろうか……
等と下らぬ妄想が湧いたが、もちろんそんなわけはなかった。
パラ…………パラ…………
「小さくなれんのか、お前……」
扉に近づくと同時に、土のカケラがパラパラと落ち始め、あっという間に人間大サイズまで縮小された。
まぁ冷静に考えると当然の事ではあるのだが、今の僕にそんな柔らかい発想ができるはずもない。
通常の思考なんてできるはずもない。本当に、随分とテンパる目に合わされた物だ……
この廃墟寸前の住居だってその要因の一つだ。
今の僕は、ここがどこで、この家が一体誰の家で、そもそもこの場所がなんなのかすらわからないのに。
『…………』
唯一一つだけわかるのは、サイズが変わった所で、こいつ自体は何も変わらないと言う事。
相変わらず高飛車な気配すら感じられる程に、全くの無言である。
勝手な決めつけながら、なんとなく「なれるけど、それが?」と言ってる気がしたので、心の中だけで返答をしておいた。
「零れ堕ちた土が玄関に散らばっている」――――完全に散らかす行為と同義になっているのだが、そこはあえて教えなかった。
理由は簡単。こいつの態度が気に食わないから。
――――コンコン
「ん……もう一人、誰かいるのか?」
小さくなった土の手は、扉へ向けて小刻みに数回ノックをした。
一人暮らしならば必要のない動作。つまり、この中にはもう一人”誰かが”いる事となる。
そして予想は案の定。その音に合わせるかのように、「ギィ……」とゆっくり扉が開いた。
扉の向こう――――”家主らしき人物”の姿と共に。
(あ……)
「――――おかえり。随分遅かったじゃない」
土の腕を迎えるその声には聞き覚えがあった。
覚えていて当然だ。つい先程、例の巨大花に向かって「オラァ!」と叫びながら突撃して行った女の声だ。
あの時は薄らとしか見えなかったが……全貌を露わにした女の姿に、不覚にもちょっと面食らってしまった。
先程の威勢の良さからは想像ができないくらい――――初々しさが残る”少女”の姿だったのだ。
(同い年……いや、ちょっとだけ上か?)
女の身なりはこう。
金色の髪が肩に付くかつかないかぐらいのボブヘアー。その上には赤いシンプルなカチューシャ。
肌は透き通るように白く、眼は真っ新な淡い青色。召し物は修道院のような上下一体の紺色の服。
その上から薄い白のブラウスらしき物を羽織っており、靴は艶が光るロングブーツと言う、中々にエキセントリックな恰好だ。
コスプレに近い感覚を覚える恰好ではあるが、しかしそんな事は些細な事でしかない。
少々恰好が変だろうが、それ以上に女は、僕に深い「安心」を与えてくれる。
女は――――紛れもなく、”人”であったのだ。
(人、いたんだ……)
とにもかくにも、人である事は間違いなかった。
二足歩行に二本の手は、類人猿だったってオチでもなけりゃそれは確実に人類と呼べる存在だ。
女は今、ハッキリとこう言った。
「おかえり」――――その四文字は、確かな安心を与えてくれる言葉だった。
『…………』
「ん? 何? なんかあったの?」
唯一の違いと言えば、少なくとも近所にいそうなタイプじゃない言う所だろうか。
白金に近い煌びやかなブロンドヘアーは、完全に海の向こうのあの人達だ。
コーラとポップコーンと、バレルタイプのチキンナゲットを抱えながら高笑いをする感じの人種。
ともすればこの少女は……少女と言うより、「ガール」と言う呼び方がしっくりくる。
「――――え、何? こいつが怪我しないようゆっくり運んでた?」
『…………』
――――僕はここで一つ思い出した。そう、ここは異なる世界、「異界」。
さっきの花やこの土の手みたいな”人ならざる者”が当たり前のようにいるこの場所じゃ、人種の違いなんて至極些細なことでしかない。
僕の他にも人がいる。たったそれだけの事実で、なんとまぁ救われる事だろう。
「あーまぁ、あんたが全力でやったら握りつぶされちゃうもんね。こいつ」
『…………』
だから、全ては些細な事でしかないんだ。
言葉が聞き取れる事とか、言葉を発しない土の手と意思疎通ができる事とか、今しれっと「こいつ」呼ばわりされた事とか、なんでこんな薄気味悪い所に住んでるんだとか、そもそもこの廃墟寸前の家屋はなんなんだとか――――
「ん、なに? 死なないように丁寧に運んでやったのにぶー垂れててムカツク?」
『…………』
「ふーん……助けてやったのに、えらくいい御身分じゃない……」
そして、このグレープ味の風船ガムが好きそうな女が、僕には一切脇目も振らず――――
帰ってきた土の手と”よからぬ事”を話し始めた事とか。
「恩売り損ね。いいわゴーレム」
「こいつもついでに”や”っちゃおっか」
(えっ)
と女が発言するやいなや。
土の手は崩れた土を再びズゴズゴと吸い寄せ集め、あっというまに元のサイズに膨れ上がった。
「やっちゃおっか」の”やっちゃう”とはもう完全にそっちの意味での”やる”なのは明白であって、女の言葉と連動した土の手の巨大化は、十分にその意図は伝えてくれる。
そしてその、やられる側の僕としたらこの状況は――――全然些細な事じゃない。
『…………』
(う、嘘だろ!?)
土の手がゆっくりと近づいてくる。それはまるでさっきの悪態の仕返しだと言わんばかりに。
そしてその「やっちゃう」許可を与えたのは、目の前のこの女――――
この女。見た目こそ人のそれだが、内面はやっぱり人ならざる者だったようだ。
さっきの巨大花となんら変わりはない。
いや、むしろ下手するとあっちの方がマシだったのかもしれない。
女は、腹を空かせてない分純粋な”悪意”だけを内在した、まさに悪夢の如き女であった。
「どっから来たのかしんないけど、こんな所まで迷い込むなんて不幸な奴」
「ちょ……待てぃ!」
待て、本当に待ってほしい。
不幸なのは寸分違わず認めるし、多少の無礼があったのも認めよう。
認めるが、折角助かったのにここでまた命の危険に晒されてたまるかって話だ。
(こ、こうなりゃ……!)
――――とここで、脳裏にあるひらめきが湧いて出た。
それはこの状況を打破する確率が一番高い、現状僕にできる唯一かつ最善の一手だ。
僕は知っていたんだ。悪夢から覚める方法。窮地を切り抜ける方法。
言い換えれば――――「嫌な事から逃げる方法」を。
それが、これだ。
「助けて頂いてありがとうございましたぁーーッ!」
「うわっ! 何こいつ急に!?」
「このご恩は一生忘れませぬーーーッ!」
「…………はぁ?」
経済大国ニッポンが生んだ誠意を込めた謝罪のポーズ。その名も「土下座」である。
このポーズで全てが丸く収まり、全ての事象が許されるのだ。
その効果は目を見張る物がある。例え他校だろうが他府県だろうが、まして他国ですらも。
たかがポーズ一つで、万国共通でその意志は伝わるのである。
「よ、よくわからないけど、降伏……してるのかしら?」
「まじで……あざす……」
「……まぁいいわ。とりあえず頭上げなさいよ」
なればこそ、この異界に置いてもきっと通用するはず――――その目論見は、大正解だった。
女は少々面食らった様子を見せたが、その様子からは悪意が速やかに消えて行く感覚がした。
僕くらいになるともう、その辺は勘でわかるんだ。
僕が普段からいかに土下座を軽んじ、そして値崩れを起こす程乱発し続けて来たか。
この「土下座」があったからこそ、すべからく嫌な事から逃れる事ができたんだ。
唯一僕だけが持つ、信頼と実績の必殺ポーズ――――
それでも、やはり多少の誤差は付き物である。
「――――あだだだだ! おい! どこ掴んでるんだよ!」
「ゴーレム、そいつちょっと持ってて」
「アタシ部屋片づけて来るわ。客何てひっさびさだから散らかりたい放題だし……」
唯一の誤算は、この女の至極”雑い”性質を見抜けなかった事にある。
女が指示を出した土の手が、僕の「髪を掴んで」無理矢理立たせようとするのだ。
そしてその事になんら違和感も持たず、一人奥へ消えて行く女。
つまり女にとって、それは「普通の事」なのである。
「だ~もう、痛いんだよ! せめて服持てよ!」
「…………」
あの女にも髪があるなら、引っ張られるとどれだけ痛いかは、言われなくともわかるはずなのだが……
不満の声が心の中で起こる。
しかしこの場合、不満の態度は「即・死」を意味するので、ここはグっと堪えた。
女が使役するこの土の手が、突然「やっちまうか」等と言い出したら、土下座の意味がまるで無くなるからな。
「ああもう……絶対この辺ハゲたわ……」
「…………」
待たされる事数分後――――女は再び扉の前へと戻って来た。
片づけ……の割には、いささか早すぎる帰還な気もしなくもない。
再び姿を現した女は、親指をクイと内側に向けつつ「はいれば?」と一言だけ発すると、またも家屋の中へと消えて行った。
女の合図と共に、土の手が僕の背中を軽く押す。
押す力加減こそ適切であったもの、なんとなく「はやく入れ」と言っている気がした。
わかったわかった。入るよ……
少々の不安は残るものの、仕方がない。
僕は意を決し、未踏の地ならぬ「未踏の家」へと、その一歩を踏み出した――――
「お、お邪魔しま~す……」
――――すぐ様後悔する事となるとも、知らずに。
後編へつづく