百十七話 一手――前編――
「たぁ~~~~ッ! ちかれたぁ~~~い!」
『おつかれやわ。ほんま』
紆余曲折の末のオーマの帰還。
一時は本当に「終わった」と思わざるを得なかった劣勢ぶりから一片したこの大逆転劇は、確かな勝利をオーマの気の抜けた態度が示していた。
しかし今のこのオーマの気の抜き用が、どこか「デジャブ」に感じられるのは、オーマには与り知らぬ事である。
「ほんとあのバカ! 好き放題暴れてくれやがって!」
「大丈夫かな……あの王子」
「大丈夫よ。こんなたかが数百mから落ちた程度でくたばるようなヤワな奴じゃないって」
『あ、同じ事言うてはるわ』
旧友だけあって王子と似たような発言をするオーマ。
二人の古い付き合いとやらが発想や言語までも似通った物にさせたのか、それは本人のみぞ知る所ではある。
しかし今のアルエに取ってはそんな事はどうでもよかった。
むしろアルエの関心はこっち。
オーマによって仕込まれた我が身の罠が、「見覚えのありすぎる植物」と酷似していた事を、アルエは見逃すことができなかった。
「ていうかさぁ……」
「何?」
「さっきの……ラフレシアとか言う奴?」
「一番最初に僕を襲った奴と、同じ奴だよね」
「――――ギクッ」
アルエに取っては忘れるはずもない出会い。
この異界に着いた早々、人ですらない異形に命を狙われた事は多大な記憶を植え付けた。
あの土地に住まう凶暴な魔物。そう説明されれば一応の納得はできる。
だがそれが「誰かが使役していた」魔物となれば、話は大きく変わる。
「ご、誤解よ! あの時のアレは一匹だけやんちゃな奴が勝手に逃げ出して勝手に――――」
『逃げ出した?』
「はッ!? しまッ――――」
「やっぱりアレお前のだったのかよ!」
アルエは「やっぱりな」と言わんばかりにため息を吐いた。
人をも食らう魔霊の森産の凶悪植物。
そんな危険な生き物が口から飛び出て来た時点で、ありすぎる見覚えがその発想に至らせるのにそう時間はかからなかった。
「僕の前にタイミングよく現れたのは、逃げ出したペットを探してたからか……」
「ペットじゃないっつーの! なんであんな気色の悪いもん飼わないといけないのかって」
『ちゃうちゃう、毒まで仕込んでありえへん魔改造しまくっとんねんど? つまりアレは――――』
「うわぁ……」
「だーから違うつーのっ!」
この二人がどんな想像をしようと、本人がそうだと認めぬ限りそれは事実とはならない。
しかし繁殖性の強い魔物をいつでもどこでも呼び出せる召喚獣化したあげく、本来ないはずの毒まで紛れ込ませていたとあっては、将来帝国に「別の意味で」猛威を振るうであろう事は容易に想像がつく。
それらは、魔王として本格的に動き出す前の下準備のつもりなのか。
だが目的はどうあれ、現状ガムパッチンレベルの下らないイタズラレベルのシロモノでしかない事は、ちょっとした幸いである。
「だーから誤解だっつってんでしょ! どうせ使役するならちょっとでも便利な方がいいじゃん?」
『毒の何がどう便利やねん……』
オーマ曰く、ラフレシアに施した毒はラフレシアの持つ強力な溶解液にある種の化学成分を付け足しただけの物。
科学的に見ればちょっと特殊な効果がある胃液に過ぎない。
よって、「正確には毒ではない」と述べるは製作者であるオーマ談。
「モロに漏れてたろうが! 僕まで具合崩したんだぞ!?」
「改良の余地があるのは認めるわ」
あくまでこれは、ラフレシアが捕食をしやすいように作った痺れ薬。
つまり「毒じゃないから問題ない」――――。
とってつけたような解説から察するに、どうやら追及された際はこの弁明で押し切るつもりらしい。
実際の効果は、一切顧みずに。
「ったく……ただの無差別兵器じゃねーか」
「だーから後で直すっての! おかげでこの場は何とかなったんだし、いいじゃないの!」
『毒作るんなら解毒剤もセットで作っといた方がええで。悪用するつもりがないんやったらやけど』
「毒じゃない。痺れ薬」
痺れ薬だろうが毒だろうが人体に有害な事には変わりはない。
本来なら、医学の見地から見て使用不許可のお達しが出されるべきではある。
だがこの場に置いてはそんなもの存在しない。
それはこの場における唯一の医療関係者が、あろう事か”見て見ぬふり”を決め込んでいた為である。
『のう? 医者から見てもそう思うやろ?』
「あっ」
「――――」
医者は身を持って、”毒の効能”を確かめている最中だった。
「効いちゃったのね……」
『こいつ……』
いつの間にか白目をむきながら大きく大の字に倒れていた医者を余所に、それらをひっくるめて一行は「些細な事」であると気にも留めなかった。
多種多様の事象が入り乱れる中、多大な混乱を巻き起こしたこの逃亡劇も、そろそろ終わりが見えてきた事を一行は肌で感じていたからである。
最大の難関であった王子の襲撃。それを退ける事が出来た今、すべき事はただ一つ。
無事、逃亡を完遂させる事――――ついにはそれのみとなった。
「さて……」
「どしたの?」
「どしたのじゃないでしょ。あの王子のおかげで航路は大幅に外れてるのよ」
「はぁ……」
「アンタ絶対忘れてるでしょ。まだペアヌット共が後ろを追って来てるのよ?」
「とっとと立て直して今度こそ逃げ切らなきゃ。まだまだ休憩なんてしてる暇ないわよ」
「まじか……」
関所は、まだ残されていた。
元々王子の登場は不確定要素。
どうやって嗅ぎつけて来たのか、王子が現れる事は予定には入っていなかった事である。
故に今は、振出しに戻っただけ。
残された最後の関門を越える。これこそが本来の山場であったのだから――――
『なあ姉さん、その事やねんけど……』
「何?」
しかし事態は、そう単純ではない事もまた事実であった。
『今ちょっと地図アプリ使って計算してみたねん。それでな』
『まぁ……こういう感じなわけやねん』
「――――!」
スマホが陰ながら表示させていた物は、王子の残した置き土産であった。
王子は、退けられはしたものの、大局的に見れば役目を立派に果たしていた形になる。
王子からすれば、本来なら我が手で捕縛してしまう事が最善であった。
それが失敗した今、追撃部隊の指揮官として”代替え案”を提示する事は至極真っ当な判断である。
「並……ばれてる……!」
「え!? なんで!?」
『わいら最初に大きくリードしたやろ? その直後に王子はんの襲撃や』
『そこでこう、思いっきりボーンッとやらかされたからよ……つまり……』
「口で言うより見せた方が速い」。そう判断したスマホの画面は、地図とその上にいくつかのアイコンを表示させていた。
今自分達の乗っている舟を「緑色のアイコン」に。そして追手のペアヌット隊を「赤色のアイコン」に。
スマホが時系列を追って簡略な動画で詳細を見せる。
まず最初の引き離し。この時舟は、アルエの【水飛蝗】により一端は追手を大きく引き離した。
しかしその直後突然降って現れた「青色のアイコン」が、舟を大きく外へと追いやる。
これは青で表示するに相応しい青髪の人物。王子の襲撃である。
「進路短縮……!」
「先回り……されたのか……!」
そして青と緑のアイコンが先ほどの再現と言わんばかりにぶつかり合うその間。
赤のアイコンはいつの間にか、目的地へと進路を変更させていた。
赤いアイコンの一つ一つが無数に連なり目的地に関所のような壁を作り上げる。
その間も、緑は相も変わらず青に押されている最中である。
「クッソーあの野郎! やけにガンガン来ると思ったら……!」
『言うても王子やからな……そんくらいの指示はお手のもんやろ』
オーマが事前に目的地を告げていた事が、ここへ来て裏目となった。
おかげで王子が舟を止めている合間に、ペアヌットは舟より先に目的地へと向かう事ができてしまったのである。
そうしてしばらくして、青いアイコンはフッと消えた。
これは先ほどの決着の二次元上での再現である。
そして地図には今、緑の光点と目的地との間に、無数の紅い斑点が並ぶ形になっている。
紅く不均一に集まるアイコン。それは傍から見ると、両者の間を隔てる川のようでもある。
「今度は数の壁ってわけ……」
「ど、どーすんだよ! 目的地はあのすぐ後ろなのに!」
「噂をすれば」――――そう言わんばかりに、その川のようなアイコンの「実物」が肉眼で見え始めた。
さらに間の悪い事に、王子との攻防戦を過ごしている合間にペアヌットはすでに第三段階まで成長を済ませている。
説明を受けず共一目でわかるほど、大きく、逞しく。
その光景は例えるなら、ちょっとした要塞のようでもある。
『ちなみに計算上、このまま航路修正したら99・99%の確率でぶつかる』
「ただの突撃じゃねーか!」
「見りゃわかるわよ……」
アルエはこの光景を、戦国時代における合戦の図と想像を被せた。
違いは空か地上かでしかない。
数の力を余す事無く使った陣系で持って待ち受ける、ペアヌットの大部隊に対し。
舟一隻で持って単身走破するには、一体どうすればいいのか。
その方法は――――思いつくわけがなかった。
「どーすんだよ! もうあんなもん跳ね除ける力残ってねーぞ!」
「ったく! バカに物持たすとほんとロクな結果を生まないわね!」
『ねーさん……これ、どうするよ……』
「どーするもこーするも、ここまで来たらもはや”一つ”だけしかないでしょ」
「一つだけ」それはオーマに限らずアルエも同じ事を考えていた。
確かに現状、策は唯一一つしかない。しかしそれは策とも呼べぬただの「力押し」。
躊躇に至るのは、当然の事あった。
それは論理的にも、感情的な意味でも。
「強・行・突・破――――これしかない!」
「 無 理 ! 」
アルエの言う通り、どう考えても「無理」である。
しかしでは別の手段があるのかと問われれば、そんなものは存在しないのもまた事実。
アルエは、嫌が応にも覚悟を決めざるを得なかった。
先ほどイヤと言う程決めさせられた覚悟。
それを今また決意を新たにする事に、少々の辟易を感じる次第である。
「アタシが散らす――――無理やりこじ開けて、そのまま突っ切るきゃない!」
『突破するんはお前の仕事やな』
「ええ……」
この力押しの作戦に不安を覚えるのは何もアルエだけではない。
言い出しっぺであるオーマもまた不安を感じていた。
それは、先ほどの王子との攻防とは180°性質が異なる事に起因する。
「我慢しろ! アタシだってあんまり自信ないんだ!」
「我慢しろったって……」
王子と違い今度の相手は帝国の一般兵。
しかし騎乗する召喚獣は帝都の守護獣ペアヌット。
そして今、舞台は空――――。
邪魔をするなと力任せに吹き飛ばせば、相手は一般兵。
この高所から突き落とせば本当に命を奪ってしまうかもしれない。
しかしだからと言って生半可な攻撃はたちまちペアヌットの的。
下手すると王子の時と同じく、舟を丸ごと破壊されて食い止められる危険性があったのだ。
「あの中を……突っ切るのか……?」
兵の命を奪うことなく、ペアヌットの攻撃を無事防ぎ切る。
この現在要求されている絶妙で繊細な力加減。
これは、不運にもオーマの最も不得手とする所であった。
「毒は……無理ね。ここからじゃ届かない」
「ゴーレムは?」
「無理。勢い余ってぶっ飛ばしちゃう可能性大」
『さっきのあの、花弁ブアーッ! は?』
「出した瞬間ペアヌットに食いちぎられるのがオチね」
「じゃあ無理じゃん!」
「だぁーもううっさい! 為せば成る! ほら、向き変えろ!」
渋るアルエを無理やり立たせ、水玉に命令させ半強制的に準備をさせるオーマ。
不安があるのはお互い様。しかし二人の間に唯一ある希望は、正真正銘”これが最後”であると言う事。
ペアヌットの群れのすぐ裏には、目的地がハッキリと肉眼で見える。
踏ん切りなど着くはずもない。
しかし今二人は、目に見える確かな希望に縋る他なかった。
「アタシが来た奴だけを払いのけるわ! アンタは何も考えず、ただまっすぐ……ただ、まっすぐに突っ切る事を考えてればイイ!」
「ただ……真っすぐ……?」
『今度こそ最後の関門やぞ。男見せんかい』
「機械に男がどうとか言われたかねーって」
煮え切らないやりとりが続く中、反面舟はしっかりと方向を見出した。
舟の先は守護獣の壁。内部事情は決して準備万端とは言えない。
しかしその様子は舟の見据える先。ペアヌット側からはしかと視認する事が出来た。
万端も万端。もう間もなく、舟が突撃を敢行する予兆として――――。
コォォォォ…………
「来ました! 渡り舟、方向転換!」
「やはり……連中はここを強行突破で突き抜ける腹積もりのようです!」
「なめられた物だな……このペアヌットの大隊を、たった一隻の舟で突破しようなぞと」
「迎撃方法は以下ほどに?」
「変更なしだ。殿下の指示通り、最優先に捕縛すべきは英騎の仲間の男と精霊使い」
「その際舟の無事は問わず――――ま、大魔女様がおられる以上ほぼ確実に大破する事になるだろうがな」
舟の内部を見る事ができない迎撃側に取って、逃亡組の動きは実に「やる気マンマン」に映った。
幸いにも王子が先行して撃沈してくれたおかげで、手の内も多少ではあるが読む事を可能にした。
そして王子が事前に残した指示によって、兵士間の連携は混乱らしい混乱も別段ない。
今はただ、万全の状態で持って逃亡犯を待ち構えるのみである。
「だーからアタシがなんとかするっつってんだろ! いい加減信用しろコノヤロー!」
「その、お前のなんとかが一番信用ならねーんだよ!」
「は!? 今さっき舟を奪い返したのはどこの誰だと思ってんの!?」
「途中ちょっと、いや、”大分”押されてたろーが! あんなもんまた繰り返す余裕あるかっ!」
万端の迎撃側に比べ、逃亡組は逃亡どころか実行すら怪しいプチ内部分裂状態に見舞われている最中だが、それは逃亡側にしかわからぬ事態。
相手が万全であろうがなかろうが関係はない。
王子が落とされた以上、もはや自分達が最後の要。
「止める」その三文字に秘められた決意は、軍人らしく常人とは一線を画する心構えであった。
『揉めとる場合か……おおい水玉、邪魔くさいからもういてまえ!』
「――――ゴボ!」
「あ、コラ! 勝手に動くなよオイ!」
「アンタもいい加減ダダを止めろ! 英騎に会えなくってもいーの!?」
アルエが見苦しくあがき、それほどまでに踏ん切りの付かない理由。
それは「失敗」を誰よりも恐れたが為である。
アルエに取っての「失敗」は英騎への会合が閉ざされると言う事であり、この機会無くして”次なる機会の保証はない”と言うのが最大の理由であった。
故にアルエは恐れた。唯一の機会と最も可能性の低い事態が同時に起こるこの状況。
一歩踏み出す勇気が湧くはずもない。
「何故こんな時に限って」――――アルエは、自分に巻き起こる不運に頭を抱える他なかった。
「オッケー水玉ちゃん、3・2・1で行くわよ!」
「ゴポォ!」
「なんでそっちの言う事聞いてるんだよ!? 主が誰か忘れたか!?」
『流れを止める奴は嫌いなんやろ。水だけに』
「てめ~~~~! この裏切者!」
水玉の思わぬ裏切りにより、舟は完全に突撃体制へと移行する事ができた。
もはやこの場において、アルエの意志は完全に封殺されている。
アルエの思い描く通り、この突撃が失敗すれば全ては水の泡。
追い求めた英騎と会う機会は、カケラも見えぬ”次”までの間キレイサッパリ立ち消える事となる。
そんなアルエの気持ちを、誰もが、何も全く理解できないと言うわけではなかった。
だがこのまま手をこまねいていても事態が好転するはずもない。
結果はどうあれ、動く事――――それもまた、事実なのである。
「渡り舟、来ます!」
「総員、迎撃準備ィーーーーッ!」
――――
「さ……行くわよォッ!」
「ゴボボボッ!」
しかしこの場の全員は気づけなかった。
最後の攻防。この緊縛する雰囲気に飲まれ、誰しもが一歩踏み出す事をよしとした。
一人を除く全員が包まれた何とも言えぬ高揚感は、それはそれで一種の集団催眠とも呼べる。
そして逆に言えば、アルエだけがそれに掛かっていないとも。
(フゥ――――)
(……ん?)
多数決が必ずしも正しいとは限らない。
それはこの状況にも言える事。
故に、結論から言うと――――”正しいのはアルエの方”であった。
「ふぅ……目覚めの一服はどうしてこれほどおいしいのでしょう」
「あ”~~~~ッ!」
その事実を、不意に立ち込めた「たばこの煙」が示した。
後編へつづく