百十六話 応答
「か――――」
「シ…………ッ!」
小さな森の一部と化した王子に、二つ新たな感覚が生まれた。
一つは顔面に走る強烈な衝撃。
降り注いだ靴裏の衝撃をまともに浴びた王子は、毒とは関係なしに思わず意識が飛びそうになった。
(あ……)
しかし王子は堪えた。
今にも飛びそうな意識を、なんとか支える二つ目の感覚があったが為である。
その、感覚とは。
(俺……浮いてる……?)
支える物が、ない感覚。
ヒュゥ――――
王子は、これから間もなく豪の速度で持って落ちる。
その瞬間まで一時の間を「一つの疑念」に注いだ。
あれほど全力で抵抗したにも関わらず、まんまとしてやられてしまった敗北感。
そして、そうなるまで何故に六門剣は主に”答えなかった”のかを。
(ギギ…………)
六門剣は、その疑念にはすぐ様答えた。
剣は、答えなかったのではない。答える事ができなかったのだ。
オーマの行動は一貫して「六門剣封印」への尽力。
その為にまず試みた魔装具の破壊。
だが結果は王子も見た通り。これ以上ない「大失敗」である。
(もしかして……)
この大失敗にも関わらず辛うじて退場を免れたオーマは、自身のミスを即座に学習。
そして魔装具の破壊は不可能と判断を下す。
学習を済ませたオーマは、次なる一手に打って出た。
破壊が不可能であるならば、実質破壊と同義の状態にすればイイと。
絡みつかれ縛り付けられた魔装具は、そうしてオーマの目論見通り「機能不全」に追い込まれた。
かなりの力技であるものの、しかしその実は「相手が力で押さえつけてくるだけ」ならば”まだやりようはあった”。
六門剣を掴む背中の腕。
仮にこの腕が、実際の手に届く位置に移動できれば――――
「着地準備ィ! 舟戻せーーーーッ!」
『オイ、面舵一杯や! 逆にやぞ!』
『ねーさんも落ちんように甲板を水平に戻すんや! 急げ!』
「も……復活早々せわしない奴だな……!」
――――だが、それはできなかった。
いっそのこと締め付けついでに千切れてくれればまだ可能性はあっただろう。
しかし、そうはならなかった。
その理由は、実に簡単な話である。
(……俺のせい!?)
オーマの攻勢を見越して堅牢に作り上げた腕が、逆にツタの緊縛から逃れる術を詰んだ為である。
「くぉ……こ、こんなもんでいいかぁ!?」
『オーライオーライ! こっち、こっちやで~!』
「おし……おし……オッケイ!」
王子の顔面を蹴り上げた反力が、魔巡糸をまたも振り子のように右往左往へと揺らす。
そして収まる兆しを見せない糸を直接切り離し、再び舟へと帰還せんとタイミングを計るオーマ。
戻る女に去る男。
皮肉なのは、本来の舟の持ち主がこの男女で逆と言う事である。
「と……と…… せ ー の ! 」
オーマが糸を自分の意志で切り離した頃。
偶然にも、落ちるタイミングはこれまた同時であった事に、王子は叫ばずにはいられなかった。
「 パ ム ゥ ァ ー ー ー ー ー ー ッ ! 」
「――――ッ!?」
そうして、悲痛な叫び声だけが落ちて行った。
ァァァァ――――
ァァ――――
ァ…………
ド ン ッ !
「フゥゥゥ…………」
王子の叫びが大地に消えて行った直後。入れ替わるように大きな衝突音が鳴った。
飛び降りるにはまだ少し高かった、女性一人分の重量が落下した音である。
「お、おお……」
『随分とまた、ダイナミックな帰還で……』
オーマは、着地そのままの体制で動こうとしなかった。
片膝を縦に、片手を床に付け、頭は下を向いたまま微動だにしない。
これは着地の衝撃で足でもくじいたか。はたまたこの攻勢による疲労が一挙に噴き出たか。
オーマが口を開かぬ以上その真意が知れるはずもない。
今はただ、目の前におわす「動かぬ凱旋者」を、一行は見守る事しか出来ずにいた。
「あ、あの……」
突如この場を包む沈黙。
それに何とも言えぬ不気味さを感じたアルエは、一人掛ける言葉を模索していた。
それは、攻防の果てに見事勝利を収めた者に対しての労いの言葉。
気を利かせるつもりではあったものの、しかし当のオーマが出す無言の圧力が、そんな気遣いすらも圧殺しようとしていた。
『えーっと、その……』
「なんつーか……その……」
オーマがにじみ出す謎の空気が時を無駄に引き伸ばし、引き伸ばされた時がアルエの中に湧いた文を一文字ずつ削いでいく。
「それでもなんとか」といつの間にかこの空気感を打破する事が目的となった労いは、さらに「そんな事知ったこっちゃない」と言わんばかりの沈黙によりたびたび妨害されるに至る。
折角の労い。
それを掛けるべき当人に邪魔をされ、そのせいで言葉を徐々に見失い始めたアルエは――――
直に、考える事がめんどくさくなった。
「……おかえり?」
『ベタ……』
考える事を放棄した結果出た、ベタでなんの捻りもない一声。
しかしその一言が、この沈黙を破る唯一の鍵となった。
「……っと……」
オーマは速やかに立ち上がり、首や肩、体の節々を鳴らしながら不意に大地を見下ろした。
その表情は先ほどの大混乱にも関わらず不自然なまでに凛々しく磨き上げられており、まるで何かを”隠そう”としているようにも見受けられる。
オーマの無言の理由。それは足をくじいたわけでも、疲労が噴き出たわけでもなかった。
オーマもまた、探していたのである。
味方を無断で罠に仕立て上げた功罪を、”うやむや”にする一言を。
「ふふん」
王子落下の軌跡を我が目で感じ取ったオーマは、ここぞと言いたげに振り返る。
アルエと目が合ったオーマは、親指を剃り立った突き出しつつ、必要以上に自信を乗せこう言い放った。
「――――いっちょあがりィッ!」
(お、お見事……)
一同は、思わずそう返さずにはいられなかった。
アルエにとっては色々文句の一つでも言いたい所ではある。
が、悪事を功績で持って無理に捻じ曲げようとするオーマの姿は、どこか滑稽で、しかし無駄に自信の溢れた表情は何故だか妙に似合っていた。
この表情を見たアルエは、一つの確信を得た。
それは自分の単なる思い付きに対する確証。
まさかこういう形で現れるとは思わなかったものの、形はどうあれ訪れた「結果が全て」だと言う事を、オーマが顔で示していた。
(あー……なるほどね)
アルエは、理解した――――
どうやら、女神は「ウケた」らしい。
つづく