百十五話 振り子
「「ギャギャギャギャギャーーーーーッ!」」
「おおおおおおおお!?」
王子の視界が、緑一色に染め上がった。
ぼやける視界と籠る音は一片。花の奇声がけたたましくつんざく、小さくも暗い森と化すした。
王子から見ればその光景は、突如瞬間移動でもさせられたかのように錯覚するであろう。
しかしそれは大きな誤解である。
場所は、何一つとして変わっていない。
「こ、こいつら! どこから湧いて出やがった!?」
「「ギャギャギャギャギャーーーーッ!」」
変わったのは――――王子の方。
「――――こ、これはッ! 【二重召喚!】」
「二重召喚?」
「一種の召喚獣に別の召喚獣を又掛けする召喚法です! 召喚獣に召喚獣を重ねて、新たな召喚獣を生み出す高等魔法!」
『が、合体技みたいなもんか?』
ラフレシアの群れに包まれた王子の姿は、もはや人のそれと呼べず、その様相はツタの絡まった大木。もしくはアサガオを植えた鉢のようである。
先ほどアルエの口から出たラフレシア。
以下に凶暴な魔物であろうが、所詮は王子の前では敵ではない。
だがそれが、一個人に対し単純な”数の力で”押し入ってきたならば、事情は大きく変わる。
「「ギャワ――――!」」
「いッ……でぇぇぇぇぇぇ! ま、また噛みやがった!」
ラフレシア達はもはや不意打ちなど必要とせず、ついには堂々と真正面から王子の肌に噛み付き始めた。
無数に群がるラフレシアの群れ。中には失敗し返り討ちにされる個体もあるだろう。
しかし、群がる花のどれかが失敗すれば、それはどれかが成功する事と同義。
それほどまでの数の力で持って、今度こそ王子は”閉じ込められた”。
「私もこの目で見たのは初めてですよ! 大魔女め……ここまで、できますか!」
(だから……花なのか……)
【二重召喚】――――その名の通り、召喚を二重に重ねる召喚術。
オーマ以外にその術を知るのは、この場に置いては医者のみ。
その由縁は医者がいつぞや読みふけった書物。
そこに記されていた「太古の高名な魔導士が扱う事ができた」とされる、伝説の大魔術である。
「まだよ! まだ王子は意識を失ってない!」
「頭ん中がぶっ飛ぶまで、ひッッッたすら! 噛み続けるのよ!」
しかし情報源が書物故か。
医者が認知しているのは、あくまで表面上の知識のみであった。
「「ギャギャギャギャーーーーッ!」」
「くっ、このっ……おおおおお!」
――――二重召喚には、相性があった。
相性とはすなわち属性。
仮に「火と水」、「雷と風」といった相反する存在を重ねれば、出来上がるのはただ歪なだけの魔法体となる。
二重と言えど、ただ闇雲に異種同士を重ねればいいと言う物ではない。
とある一定の法則があり、その法則に乗っ取った規定に沿わねば、結果「無駄に魔力を消費するだけ」に終わる。
「魔霊の森の魔物を召喚獣化……あそこに住んでたのは、その為ですか!?」
『あー……なんかなぁ……』
必要なのは、相反する物ではなく”相互作用”を生む属性を組み合わせる事。
加法ではなく乗法となる組み合わせを、あらかじめ把握した上で実践する事。
複雑で無限大のエネルギーを持つ、属性同士の掛け合わせ――――
これはむしろ、オーマが最も”得意”とする分野であった。
「【絡め(シュパ・ガット)】!」
「が……しまッ!」
繊細な力加減こそ不得意である物の、事”属性”に関してはオーマの右に出る者はいない。
それが大魔女が大魔女と呼ばれる所以でもある。
その程度は、”下手な落書きを魔法陣として最大限に作用させる”程に。
空を、大地を、風を、雷を。
持ち前の魔力を自然との調和に捧げる事で、彼女もまた、自然と融け合う事が出来た。
「今度こそ……捕まえた……!」
「てめッ……ハナッから魔装具を!」
オーマは、知り尽くしていた。
どれとどれを組み合わせれば、効率よくかつ最大限に効果を発揮するのか。
加えてこの場で「今すぐ」発現可能な掛け合わせは何か。
答えを出すのに時間はかからなかった――――すなわち、「土」と「花」である。
「そのおもちゃに六門剣を持たせたのは失敗だったわね! さすがの王子様も、直に持つのはしんどいのかしら!?」
「魔装具を狙ってやがったのか……!」
土は大地のカケラ。大地は全ての生きとし生ける物を育む。
その様を、オーマは生き生きとしすぎる森の中。我が目で持って目の当たりに続けて来た。
故にその例に漏れず、今回もまた一つ命を育んだだけにすぎない。
散りばめられた土のカケラに埋められた――――「花の種」を。
「くそ……! 動け! 動け魔装具!」
「解かすなラフレシア! もっとキツク、強く締め付けるのよ!」
ラフレシアは持ち前の胴に当たる部位。
花弁と根とを結ぶ緑の長いツタを用い、王子の全身をくまなく縛り上げた。
全身が埋もれる程の「ツタの縄」は縛ると言う点で過剰とも言えるが、とりわけ必要以上の縛りを見せるは王子の腕。
それは”六門剣を所持したまま”の機械の腕。
王子自慢の魔装具が今、オーマによって集中的に拘束させられたのである。
ギリ……ギリ……
「こ……の……!」
「じっと……してろ……!」
――――オーマに取って、まさにこの場面が正念場であった。
先手は取った。奇襲は当てた。
念には念をと自前の毒まで用意し、警戒を解かせるべく自分から舟を降りると言う行動まで取る始末。
考え得るありとあらゆる方法を用い、相手の五体満足を奪った。
オーマがそうまでしてしたかった事――――
それは、”六門剣を使わせない”事である。
「その剣は……振らさない……!」
「うお……お……!」
六門剣を武装として扱った際の脅威は、対峙前から容易に想像できた。
そして実際に浴びる事で、”自身の予想を遥かに超えていた”事もまた思い知らされた。
六門剣は帝国の宝剣。決して王子の”個人的”所持物ではない。
オーマの記憶の中の王子は、元来剣士などではなかった。
元は単なる「元」見習い魔法使い。
自分と同じ、優秀ながらその分どこかに欠陥がある腐れ縁の同期。
オーマの行いはただ、元の鞘に戻すだけ――――。
王子から六門剣を引き離す事で、ようやっと”同じ土俵に立てる”。
「六門剣さえなければ……アンタなんか……」
「う……が……」
「王子でさえなけりゃ……アンタなんか……!」
ギリギリと強く締め挙げるラフレシアを、王子はひたすらに堪えた。
オーマの「六門剣を振らさない」と言う行動は、王子からして。
逆に言えば「振るう事さえできれば」勝機が見えると言う事でおmある。
「こ……んな……」
そして王子はついに毒に侵された我が身すらも度外視し、魔力の全てを魔装具へと注ぎ始めた。
毒の中和を止めた事で王子の体調不良がより深刻になる。
しかしその分、拘束に抵抗する力が強まった――――六門剣を振るえる可能性が、見える程に。
「こんな……もんで……!」
強まる魔装具を感知したオーマは、それを食い止めんとさらに輪をかけて締め付けを強くかけた。
締め付けを感知した王子は、振りほどかんとさらに魔力を放出する。
それを感知したオーマがまた締め、王子はまた力む――――
――――得てして、二人の我慢比べが始まった。
どちらかが力を加えればどちらかがさらに力を加える。
言うなればただの力比べ。
言い換えれば、六門剣を巡る同期同士の「意地の張り合い」とも呼べる。
しかしこの事実は、かつて二人が争った戦いの「再現」であると言う事を、ふたりは気づく間もなかった。
『オイオイこりゃもしかして、歴史的瞬間に立ち会ってるんちゃうか!?』
「壮絶……の一言ですね」
「勝ち」への貪欲な姿勢を見せたオーマはもちろん。
それらを真っ向から浴び、それでもなお「反撃」を伺う王子。
二人の攻防が、直接的な殴り合いから精神的な我慢比べに移行する様。
それを目の当たりにするアルエらにとって、もはや勝敗は予想を付ける事さえできず、どちらに転ぶかは神のみぞ知るとしか言えなかった。
「オーマ……」
この時――――アルエはふと思った。
勝利の女神は気まぐれだとはよく言った物。
女神が微笑むのに理由はない。時として、微笑む事さえしない場合もある。
「あ……あ…………」
故にアルエは思った。
これもまた理由はない。漠然とした無意味な結論。
気まぐれで微笑むのならば、だったら「女神を笑わせる事をすればよいのでは」と。
「あぅ…………ア…………」
そんな何気ない思い付きを、”実証できる機会”が訪れようとは。
まだその時は、当人すらも思ってはいなかった。
――――
「 ア ル ー ー ー ー ッ ! 」
キッカケは、女神とは程遠い魔女の一声。
「 や れ ェ ー ー ー ー ー ッ ! 」
「アル」・「やれ」――――。
この合図なのか呼び声なのかさえもわからない漠然すぎる掛け声。
「何を?」と返されてもなんら不思議ではない唐突すぎるオーマの叫び。
しかしそれが何故か、アルエには、オーマの声が”しかと伝わった”。
―――― ゴ ォ ン !
「なッ……!」
『おッ、おまえっ!?』
グラリ――――舟が、三度急激に傾き始めた。
『うォォォォイ! お前何やってんねん!?』
(これで……いいんだよ!)
最初は、王子の手による左翼の切断の為であった。
二回目はオーマが繰り出した大きな掬い上げ。
そして実に三回目の傾きをしでかしたその人物は、王子の命で傾く舟の角度調整を担っていた張本人。
「大蛇……いいぞ……”思いっきり”跳ね上げろッ!」
『はぁーーーーッ!?』
急なアルエの行動に向けられる罵詈雑言も何のその。
アルエはただ心の中で言い返した。「僕はただ、言われた事をやっただけだ」と。
右へ傾いた舟を大蛇で直せと言ったのは王子本人。
だから自分は、「命令に忠実に従っただけだ」と――――
シュル…………
そんなアルエの用意した言い訳には、一つ致命的な穴があった。
王子はその時、確かに一言付け加えた。
「ゆっくりやれ」――――そんな都合の悪い事は、アルエの中で瞬く間に「なかった事」になった。
クンッ
「今度は外さない……!」
「――――!?」
アルエの突発的な行動は、まさにオーマが最も望んだ行動であった。
オーマは宙に浮いてこそいるものの、何も本当に空を飛んでいるわけではない。
それは魔法と言うよりどちらと言えば手品と呼ぶべき、タネも仕掛けもあるトリック。
それも狙ってそうしたわけではない。”結果的にそうなった”だけである。
「大蛇――――”面舵イッパイ”!」
計三回にも渡る激しい舟の揺れ。
その振れ幅は、仮にこの場所が海の上であったならほぼ確実に転覆している事だろう。
そんな舟に取ってあってはならない揺れが、一番の最大を迎えた時。
それは甲板が丸ごと縦になった、二回目の舟の傾きの時。
「ゴポッ! ゴポポポッ!」
その瞬間をアルエは鮮明に覚えている。
とりわけ脳裏に強く焼き付くは、オーマが勢いのままに吹き飛ばされる様。
ただでさえ目立つ見た目。
そこに加え、あの全てが縦となる空間で、「一人だけ横を向く姿」は実に目を引いた。
横が縦に変わる中、逆に横が縦となる物。
それは、何もオーマ一人だけではなかった。
オーマと同じく、縦が横に変わる物がそこにはあった。
「さあ……行くわよ――――!」
それは――――王子が斬り払ったプロペラの支柱。
舟のマストに当たる部分が、オーマに手を伸ばすかのように生えていた。
「「ギャワワワーーーーッ!」」
「ど…………ど け ェ ー ー ー ー ッ ! 」
よからぬ危機を察知した王子は、視界を遮るラフレシアの一匹にお返しとばかりに噛み付いた。
ガブリ。王子の咄嗟の攻撃に「顔にかかる部分」のラフレシアが思わず仰け反る。
ラフレシアが顔から離れた事により、王子の目に再び光が戻った――――
しかしもう、”遅すぎた”。
「アンタに言われた事、そっくりそのまま返してやるわ……」
シュュルゥ――――
――――オーマは、すでに動き始めていた。
引力の法則に従うままに。アルエの生み出した傾きに流されるように。
それは宙に浮く自分の体を上下逆さにさせた原因。
大魔女を舟へと紡ぐ、一本の”糸”によって。
ゥ――――
オーマは吹き飛ばされたあの時。自身の落下を阻止すべく、咄嗟に糸を紡いだ。
その糸を括りつける先がプロペラの備わっていた支柱。
王子の手によって鋭角な切れ味を所々残すマストは、都合よく糸をしっかりと絡みつかせた。
そうして落下の危険を回避したのも束の間――――勢いのまま、今度は上に跳ね上がった。
…………
その結果オーマは空を浮く事となり、その際足と頭が逆さになった。
だが、”それが功を奏した”。
強制的に下を向かされた頭は舟の全貌を見渡す事に大いに寄与し、散らばったゴーレムの残り土が二重召喚発動の余地を与えた。
――――ゥゥ
その時、オーマの中で今この場面の絵が描かれた。
空へと跳ねた自分に待ち受けるのは、急速な大地への誘い。
考える時間はなかった。しかし下地は出来上がっていた。
何の偶然かオーマにとって都合のよい状況が、本人の意に反してできあがっていたのである。
オーマには、決断するしか選択肢がなかった。
その決心を固めさせたのは、保険で掛けた仕掛けの成功。
ラフレシアが噛み付く様を見て、オーマは決心を覚悟に変えた。
つまり――――キッカケは、アルエであった。
ゥゥゥゥゥ――――
やる事は―、すべてやった。
流されるまま、振り子のように舟へと落ちる自分に許された行動はただ一つ。
旧友に言われた悪態を、言い返す事だけ。
―――― ゥ ゥ ゥ ゥ ウ ウ ウ !
だから、オーマは言い返した。
自分が言われた事を、本当にそっくりそのままの意味で。
(お前には、そのまま落ちてもらう)
声、高らかに。
「 て め ー が 落 ち ろ ! 」
――――
「メキッ」――――鈍い音が、オーマの足裏から聞こえた。
つづく