百十四話 領域
(大魔女サン! 本当になんて事を――――!)
『ちょぉもぉ一体なんやねん! いい加減教えてくれや!』
この状況を一人飲み込めずにいるのは、関西弁を操る情報端末・スマホただ一機のみ。
大凡「一人」とは数えられない無機質の体が、この場で唯一の無事を囲ったのである。
医者はとっさに袖で口と鼻を塞ぎ、アルエにも同様掌で口鼻を塞いだ。
他人の吐しゃ物が手にかかる事などは、もはや些細な事でしかない。
事態はもっと深刻。この場に蔓延った毒が、吸い込む者を”無差別”に蝕むのだから。
(この子も少し吸い込んだのか……だから!)
「ん”ん”~~~~!」
アルエの苛まれる吐き気。
それは本人の体質でもなく異物のせいによる物でもなく、医者同様気化した毒を吸い込んだからに他ならなかった。
その事実を、この場の誰もが見誤った。
本来真っ先に気づくべき医者をも誤診せしめる大魔女の残り香は、むしろ姿を消してからが本番。
誰よりも強い悪意を放った、「負の遺産」となって未だ残り続けた。
「くそぉ……どいてろ!」
「オ、王子サン!」
王子は再び剣を構え、そして今まさに振るわんとする姿勢を見せた。
それは勿論、この場にいるべきではない植物を排除する為。
王子は全貌こそ理解せねど、自分の体に起こる異変が、この「花」による物だと言う事は気が付けた。
「オラァーーーーッ!」
「ギャァァ――――!」
そして直後、王子の六門剣が再びラフレシアに向かった。
斬る為ではない。この空間から存在そのものを消去する為。
その為に王子は六門剣の”魔力吸引特性”を遺憾なく発揮させ、花を乾かし朽ちさせた。
ギャァ――――……
「クソが……」
しかし、全ては”遅すぎた”。
今更花を消滅させようと、漏れ出た毒はすでに甲板中に蔓延し、その毒は敵味方関係なくすでに人体へと潜り込んでいる。
「やられたぜ……」
得てして、大魔女は自分が受けた足枷をそっくりそのまま王子に返した形になった。
ただでさえ逃げ場のない空の牢獄。
その牢の内側に、ありとあらゆる重しを王子に結んだのである。
(ア――――…………)
毒の狙いは王子一人。王子に「お返し」する枷の、ほんの一部に過ぎない。
しかし副産物として巻き添えを食った者が数名いるが、そんな事は”元凶”に取っては些細な事でしかなかった。
アルエは胃の変調。医者は嗅覚の障害。
そして肝心の王子の症状は――――その”全て”。
(――――)
「――――ウッ!」
王子の場合はより深刻である。
それは他の二名と異なり、毒を”直接”注入された事に起因する。
吸い込むだけで異常をきたす大魔女の毒。
それを体内へ直に流し込まれれば、急速かつ多大な障害を及ぼす事は、当然の成り行きであった。
「耳が……」
(~~~~)
「目が……!」
王子は全身の痺れに伴い、ついには視覚と聴覚にまで異常を来し始めた。
目の前の視界が陽炎のようにボヤけ、耳には綿でも詰められたかのように音が籠る。
手は相も変わらず痙攣を続け、足を支える力はより輪をかけて抜けていく。
一人急激な進行を見せる王子の症状は、直にまたも、膝を地に付かせた。
「く……そぉ……!」
毒が蔓延していく全貌を一目で見据える事が出来るのは、やはり唯一一人だけ。
この無差別生体兵器をばら撒いた張本人のみである。
(スゥ――――)
毒は、十分に浸透した。
その事を存分に確認した元凶は――――ようやっと、声を露わにした。
――――
「――――ざまぁ見晒せクソ王子ィ! そのじじいみたいなふらつき加減、とってもお似合いよ!」
「やっぱり……いやがったか……!」
苦しみ喘ぐ王子をあざ笑うかのように、大魔女の声が舟に響いた。
「あいつは確かに吹き飛ばしたはず」――――そんな王子の疑念とは裏腹に。
聴覚の鈍ったはずの王子に、大魔女の嬉々とした煽りのみが、透き通るように通り抜けた。
「まんまと引っかかったわね! その巨大化はアタシが育てた特別版よ!」
「ごはんを一杯食べれるようにってね! 一個能力を付けてあげたの!」
「やっぱり……てめえが持ち込んだものだったのか……!」
オーマの言う能力とは、無論この場に蔓延る「毒」の事を指す。
本来のラフレシアはその身に強力な溶解液を内包するものの、しかし液自体に毒性はない。
あくまでエサを消化する為の消化液。
それが大魔女と言う森の異物によって、より得物を仕留める為の武器として昇華したのである。
「でもでも実は、人に向けて試した事はなかったのよね! 魔霊の森には人の他にもエサになる物がいっぱいあったし――――」
「ちょうどよかったわ! いい実験台になったってなもんよっ!」
「実験台……だぁ……?」
オーマの、人を舐め切った声のみが存分に跋扈する。
姿を現さず味方すらも罠に変え、そうして見事に引っかかった得物の苦しむ様をどこかから見ているオーマは、やはり”魔女”と呼ばれるにふさわしい存在かもしれない。
「ほんと、持つべきものは友人よね!」
「この……やろぉ……!」
挑発の連弾に王子は怒りを露わにしつつ、しかし頭はどこか冷静を保っていた。
注入された毒が体内に染みわたる。由々しき事態ではあるが、だが今は”まだ動ける”。
王子の脳内が整理された本棚のように組み上がっていく。
今すべき事。
それは、姿を消した大魔女を、何としてでも「見つけ出す」事。
(舟が縦に跳ね上がり、その衝撃で外に放り出された……)
(だとすると、方角的にはあっちのはずだ……が、そのどこにも姿が見えない……)
王子は冷静でいられる猶予を存分に使い、大魔女特定の論理を積み立てた。
王子の脳裏には今、出会いから今までの全ての記憶が掘り起こされている。
毒が脳に回る前に。完全に思考が途切れる前に。
なんとして大魔女を見つけ出し、そして今度こそ排除せねばならなかった。
――――そんな王子の考察を、狙いすますかのように。
オーマの「物言い」が割って入った。
「王子! アタシがいないと思って、よくも好き勝手ほざいてくれたわね!」
「誰がアホだ! 誰がマヌケだ! 誰が魔法以外取り柄のない女だ、このバカ王子がッ!」
「そこまで……言ってねーだろが!」
「おんどれこそその剣がないと何もできない分際で! 知ってんのよ!? 夜な夜な人気のない所で剣の練習してる事!」
「技にダッサイ名前付けて悦に浸ってるんですって!? 何それ!? ペット!? とにもかくにも気持ち悪すぎるんですけど!」
「それは……それは今関係ねーだろが!」
オーマが何を思いそれら言葉を投げかけたかは、本人以外に知る由もない。
が、その言葉は旧友に対してほんの少し”本音”が出た気がする事は否めない。
結果だけ見れば、オーマの絶え間ない文句が王子の思考を妨害し、そして真実から遠ざけた形になる。
毒が回り切る前に解決を図らねばならない王子に対し、その時間稼ぎ”風”戦法は、知ってか知らずか大いに有効に働いたのである。
「いいや大いにあるね! いい加減気づいたら!?」
「お前がこうやって強くなれたのはその剣のおかげだ! その剣がなければアタシにいいようにされるだけのボンクラだって事、改めて認識しろ!」
「今この場で! 今すぐに! そして過ちを糧に今から生まれ変わった存在になるのよ!」
「……だぁ~もううっせえな! 今考え事してんだから黙れよ!」
しかし王子が姿の見えぬ魔女と口論を交わしている頃。
真実に近づかんとする者が、もう一人いた事を二人は気づかなかった。
哀れにも罠に仕立て上げられた毒の媒介――――アルエその人である。
(うぷ……クソ、あのやろー)
(人の体に……えらいもん仕込みやがって!)
アルエもまた、オーマを探すべく思考を巡らせていた。
立場上オーマ側の人間ではあるものの、今のアルエは味方としてではない。
むしろ心情的には王子側に味方したいぐらい、自分に対しての仕打ちに「文句」を言いたかった。
「ぐ……相変わらず……小汚ねえ真似ばかりしやがって……」
「は!? 勝負にキレイも汚いもあるか!」
「勝てば官軍なのよ! わかる!? ほんと、いくら言ってもわかんないのね!」
「その為にこいつら巻き添えにすんのかよ!? 見ろよこいつ! さっきからゲーゲー吐いてっぞ!」
毒気に当てられ満足に話せないアルエの気持ちを、王子が代弁するようにがなり立てる。
この時、王子とアルエの間に奇妙な連帯感が生まれた。
王子がアルエの文句を代弁する事によって、図らずとも、アルエに溜まった鬱憤のはけ口となったのである。
「もう、てめーほんとどこいんだよコノヤロー!」
「誰が言うかボケェ! そのまま一人でラリってろ!」
幾分か胸がすいたアルエは、口喧嘩は王子に任せる事によって、その代わりにオーマの居所を突き留める論理を組み立てる事が出来た。
王子と違いアルエの耳は未だ無事。
その事もまた、特定への大きな手掛かりとなった。
(そうだ、仮に地上に落ちたとするならば、ここまで声が届くはずがない……)
(こっちは声しか聞こえないのに、けどあいつは、こっちが丸見えできる位置にいる……)
オーマが消えた時――――
オーマが吹き飛ばされた方向は、舟から見て右。傾いた甲板が表に見える方角にあった。
その後、アルエが王子の指示によって再び傾きを直し始めた。
落ちる事に臆したアルエが、鈍い動きで角度修正を施した事によって、舟は未だ大きくナナメの姿を見せる。
故に、舟は今この時点でようやっと80°を切る程度の角度。
これは本来、隠れる所かしがみつくのも困難な角度である。
(――――自分で出したんですよ。魔法で繊維質を精製する……それ自体は対して珍しい事ではありません)
しかしオーマが声を露わにしたのは、潜伏に不向き極まりないまさにこの時。
しかも加えて、無事なら無事でそのまま隠れていればいい物を、わざわざ「自分から声を発し」敵に存在を知らしめる始末である。
アルエには、これらが単純なミスとは思えなかった。
この不可解な行動の数々が、先程の罠のように”なんらかの意図”を持って起こしているのだと、そう感じずにはいられなかった。
(糸……!)
そして、これらの行動が一つの”線”に結びついた時――――
「て……事は!」
真実の扉は、開いた。
(――――上!)
――――アルエは、無意識に空を見上げた。
その行動に釣られ医者、スマホともにアルエの視線の後を追う。
「どこ見てやがんだ、クソ王子ィーーーーッ!」
「あんな……所に……」
そこには、確かにいた。
頭と足が反転した、大魔女が宙を浮く影が。
「パム! どこだよ! パム!」
一人大魔女の姿を視認できずにいたのは、皮肉にも長い付き合いであるはずの王子のみであった。
この場で唯一ただ一人、アルエの「上を見上げる」行動に釣られなかったのである。
それは意識して止めたわけではない。
アルエの目線を追えぬ程に。王子の目はすでに侵されていた。
「み、見えねえ! 聞こえねえ! アルエ! 教えろ!」
「アイツは今、どこにいる……一体どこで、何してる!」
「……」
アルエは、王子の問いかけに答えなかった。
それは大魔女が仕込んだ反撃の機会。
絶望かと思われたこの脱出劇に、唯一開いたか細い突破口。
それをなりふり構わぬ手段で無理やりこじ開けたオーマに対して。
大部分を占める不満の中に、ほんの少しばかり芽生えた「敬意」であった。
パラ……パラ……
機は熟した――――そう言わんばかりに、場に変化が訪れた。
今この場で一番見て取れる変化は、小雨のように舞い散る土クズである。
それは、王子に破壊されたゴーレムの骸かと思われていた。
そしてそれは、寸分違わずその通りである。
(土が……)
――――ゴーレムとは、その名の通り土の召喚獣。
時に魔法で精製した土を。時に大地を包む本物の土を。
いずれにせよ、見たままに土属性に帰属する。
土に召喚する者の意志を内在すれば。媒介が土でありさえすれば。
それは立派なゴーレムと言う存在となる。
――――パキッ!
(膨らんでいる……!)
土とは、世界を支える大地のカケラ。
大地とはすなわち自然であり、そして太古の昔より幾何百の生命を育んできた。
それはまさに「母なる大地」と呼ぶにふさわしい。
その形容にふさわしき大地の恵みは、幾多の生命を見守り続けるだろう。
これまでも――――そして”これからも”。
「【融合昇華】――――」
オーマが何度も手痛い失態を犯しながら、にも拘らず今日まで生きながらえて来た理由。
それはオーマが守るある種の自戒。
すなわち”保険”を打つ事を怠らない事に起因する。
現に、オーマ当初の目論見はものの見事に失敗した。
無論一番良かったのは、最初の攻勢で無事王子を撃退する事である。
しかし万が一うまくいかなかったら。
万が一、「大が付く程の」失敗となったなら――――
「みんな、いいわね……狙いはあの六門剣!」
(ギャワ――――ギャワワッ――――!)
幾多の失態が経験が、潜在意識としてこびりつき――――
そして逃げ道へと、導いた。
「王子から離れるぞ! アイツ! またなんかやるつもりだ!」
「もう巻き添えは御免ですよ……!」
オーマの真意。
それは、舟が縦になる事でもなく、盾にする事でもなかった。
その真意をようやっと気づいたアルエは、再び大魔女側の人間となった。
心も体も、魔を司る存在へと。
心身ともに、魔に捧げた。
「生まれろ……森の眷属……生み出せ……あるべき場所を……!」
「なんだ……何してんだアイツ……!」
王子は、攻め入るつもりがまんまと踏み込んでしまったのである。
利己的で、排他的で、踏み込む者を惑わせる。
欺瞞と不遜に満ちた”大魔女の領域”に。
「”断て”!――――この場にいるべきではない物!」
「「 ギ ャ ワ ァ ァ ー ー ー ー ッ 」」
そして直、王子の周りに”だけ”
――――
「【花の楽園】…………」
――――小さな、森が出来た。
つづく