百十二話 橋――後編――
「アルエ、片手をこっちに出せ……二人で同時に引き上げる!」
「二人……?」
王子の予想外の提案に、アルエは思わず面食らう。
向けられた視線、警戒、態度――――
そのどれもが「これから自分を突き放す」物だと、そう思い込まされていたのである。
「お前だよメガネ。その他に誰がいるってんだ」
「どういう……つもりです……?」
しかし真実は違った。王子の真意はアルエの予想と真逆。
王子はただ、差し伸べたかっただけである――――アルエを救う手を。
「どういうって、アルエを引き上げるんだよ! 見りゃわかんだろ!」
『えーっとつまり、助けに来た?』
「これはなんとも……意外な提案で」
その言葉を体現するように。
テロリストの一味に対する警戒の為か王子の手には未だ六門剣が握られている。
しかし王子はもう、その剣を振るう事はなかった。
「言っとくがメガネ、お前に関しては一切信用してねえ」
「だから、妙な動きをしたらソッコーでぶった斬る。そこん所覚悟しとけ」
一本は自衛用。もう一本は医者への警戒用。
そして先ほど縁に突き刺した最後の一本。
これは、アルエを掴み引き上げる為の”支え”として突き立てただけにすぎなかった。
「何かしてやりたいのは山々ですがね。したくてももう、そんな力残されてませんよ」
「それが理解できてれば十分だ。ほら、せーので行くぞ!」
守護者と破壊者――――
相反する存在であるはずの二人が、何の因果かこうして肩を並べている。
それはただ一人だけの為に。
アルエ一人を助ける。それだけの為に。
もう二度とないであろう瞬間を、共に共有せしめた。
「さ、掴め!」
「……」
王子は背中に備え付けた機械の腕で。
医者はアルエの指に掛かったベルトで。
各々がなんらかの物越しに左右の腕を掴み、そして共に叫んだ。
「せーの!」――――寸分狂わず同時に発せられた掛け声が、小さく響く頃。
ようやっと、アルエの足は再び地へと帰還せしめた。
――――
「やっと……やぁっと……」
「やっと着いたぁ~~~~ッ!」
『大地が久しいのう』
「一応、礼は言ってあげますよ、王子サン」
「……ちかれたぁ~~~~ッ!」
アルエが足に伝わる感触を存分に味わっている頃。
王子も同様に、その感触を背で噛み締めた。
ただでさえ狭い縁の上を、危なげながら大の字で噛み締める王子。
その反応は苦労を重ねたアルエの凱旋よりも大きく。かつ、”本心”から来る様子が見て取れた。
「ったくよぉ……てめえらぁッ! ほんと、とんッでもねえ手間かけさせやがって!」
「それは……私共じゃなくて大魔女サンに言ってくださいよ」
「おりゃお前らの為だけに魔導二輪一台パーにしたんだぞ!? 飛び移る時に、こう、どうしてもよぉ!」
『あっら~……そりゃ災難』
「大変っすね」
奇しくも、愛車の二輪を二つともアルエのせいで破壊されてしまった王子。
しかしアルエに悪びれる様子は一切なかった。
「そんな大事な物なら、むやみに外に出さず大事にしまっておけ」。
王子の訴えを聞いたアルエの感想は、ただのそれだけである。
「俺のお気に入りだったのに! これからもっともっと改造する予定だったのに!」
(知るか)
しかしアルエはその言葉を内心だけに留めた。
「今しがた助けてもらった相手に、即刻悪態を突きつけるのはいかがな物か」。
アルエの心に残る僅かながらの良心が、非難の言葉を抑え込んだのである。
(ていうかさ……)
それとは別にもう一つ。一台目の玩具は確かにこの手で破壊した。それは認める。
しかし王子の本命であろう二台目に付いては、文句を言われる筋合いはない。
王子のお気に入りを無残にも空に返すハメになった、その直接の原因は――――
自分ではなく”もう一人の非難者”であるが為。
「オーマ……オーマは!?」
「あ? パム? あいつは今頃モグラの家にお宅訪問だよ」
『モグラ?』
「やはり……彼女は”落ちた”のですね」
「そーゆー事。こんな所であんな不安定な戦い方すりゃ、そりゃそーなるわな」
(やっぱり……)
王子の一言が確信をより確かな物に塗り固めた。
アルエが朧げに見た「宙に舞う」オーマの姿は、幻ではなく列記とした現実であった。
そうなるよう仕向けた張本人の弁があれば、その後の想像は実に容易である。
(せめて……せめて……)
要するに、オーマはやはり”強制的に退場”させられたのである。
帝国に仇なす存在として。破壊者と共謀し、逃亡の手助けをした異端者として。
王子と、王子の振るう六門剣の、その軌跡によって。
「錯覚じゃ……なかったのか……」
『だ、大丈夫なんか?』
「大丈夫だよ、アイツがこんな程度で死ぬもんか」
「んな事言い出したら過去にもっとひどい目にあってら。それに比べたらこんな、たかが数百mから落ちるくらい」
『これよりって、どんな目やねん……』
人一人を高所から突き落しておいて、その様子を実に軽い口調で語る王子。
別に殺人を肯定しているわけではない。
王子にとってそれは、本当に”軽い事”だったのである。
「そりゃお前、でけー魔物に食われそうになったりとか、薬の調合に失敗して大変な事になったりとか、後色々――――」
「あーもういい。大体わかるわ」
「結構、日常茶飯事な感じで」
常人であれば死を覚悟する出来事――――が、事大魔女に関してそれは当てはまらない。
何度も危険な目に合いながら、それでも先ほどまで元気に暴れるあの姿を思い起こせば。
王子の言う通り、数百mからの落下は”たかが”で済む話なのである。
そしてそれが不運や不幸の出来事ではなく、ほぼ九割方が自身が巻き起こした”自爆”であると言う点を考慮すれば。
もはやそれは案件ですらなく、ただの笑い話である。
「やっぱアホだぜアイツ。自分の安全を優先すればいい物を、何を思ったか舟を真っ先に庇い出したんだからよ」
「舟を庇う?」
「そうだあのアマ。アイツはあの時、あの土壇場で……」
舟が垂直になる数秒前。オーマの体が宙を舞う、さらに小数点以下の時の前。
その時、その場で一体何が起こったのか――――
その全貌は、同じくその場にいた王子にしか見る事が出来なかった出来事。
(【ラ】連奏――――ニザクラ)
「せめて」――――その言葉に続く一言を、オーマは発する事が出来ぬまま終わった。
しかし、その代わりに”行動で示した”。
王子が六門剣を構え、舟を斬らんと動きを見せたまさにその時。
王子の斬撃と、オーマが宙を舞う、刹那に近しい一瞬の間の出来事――――
(せめて……せめて……)
舟が縦になったのは、この直後の事。
(――――”盾”に!)
それはまさに、オーマの望み通りの展開であった。
――――
「アイツはあの土壇場で舟を思いっきり跳ね上げたんだ。俺の一撃を防ぐ為にな」
「”舟を丸ごと”盾に使いやがった……お前らを守るためだ」
「なんと……」
オーマは自身の持つ膨大な魔力を、保身ではなく”舟の防衛”に全てを当てた。
繰り出したゴーレムの連弾を全て一か所へと集中させ、固め、そしてその全てを舟底に回す。
そうして舟そのものを骨組みに形成された、即席の「巨大な盾」は、オーマの魔力も相まってこれ以上ない”最硬”の盾と化したのである。
「ではこの、さっきから舞い落ちる土クズ……」
「そ、全部ゴーレムの土だよ。お前らの代わりに召喚獣をも犠牲にしやがったんだ」
「ったく、ゴーレム君もカワイソウったらありゃしねーぜ。無茶な主にこき使われてよ」
盾が出来上がれば、後は相手に向けるだけ――――その結果は現状の通り。
舟を盾にする事により六門剣の斬撃を防ぎ切り、加えて舟の崩壊をせき止める事までも見事成功を収めたのである。
「大魔女サンが、自らを犠牲にしてまで……?」
「大方舟さえ守り切れば、まだ可能性はあると思ったんだろうな」
『なんの?』
「お前が、英騎に届くまでのだよ」
(オーマ……)
その仮説は十分理解に足る説であった。
満身創痍の精霊使いが自力で逃げるよりも、技術の力を借り空を駆け抜けた方がはるかに芽があると言う事は、アルエにも重々理解できた。
事実帝都の放つ追手はアルエの力量を遥かに超えており、オーマの提案がなければとおの昔に捕まっていただろう。
ましてや、肝心の案内人はアルエよりも満身創痍。本来ならば安静必須の大怪我人。
舟は逃亡の要――――舟の存在は、必要不可欠な要素であった。
「が、あいつが消し掛けた”盾”のおかげで、俺はこうしてお前らに辿り着くことができた……皮肉だな」
「俺は舟を壊さずに済み、かつお前らも無事回収できる。そして邪魔者だけを見事に排除できた」
「むしろ俺に取っての好都合になったんだ。アイツのやった事、全部な」
王子の言う通り、オーマの行動の全ては王子の目的遂行に寄与した。
元々が大分無茶な逃亡計画。
以下にオーマと言えど、全てがうまくいく等という考えは、いささか虫が良すぎると言う物である。
「いつもそうだ。望んだ結果と逆になる……」
「いくら経っても治らねえ。パムの、昔からの悪癖だな」
事実、オーマの目的の”一部”は達せられた。
舟の破壊を防ぎ、アルエの無事を確保。
これはアルエの知る所で言う「二兎を追う者はなんとやら」――――
この上さらに逃亡まで完了させると言う事は、人呼んで「高望み」と言う物である。
『年貢の納め時ってか……』
「ま、そーゆーこった」
「もはや……どうしようもありませんね」
「まー心配すんな。お前は重要参考人だ。悪いよーにはしねーよ」
(……)
先ほどまでの鋭い眼光はすっかり鳴りを潜め、いつもの王子が帰って来た。
これから大変な目に合うであろう医者に対し、投げかける言葉のなんと軽い事か。
しかしこの軽さが事実上の終焉であった。
軽い態度――――すなわちもう、警戒の必要はなくなったことを意味する。
「とにもかくにも舟を立て直そう。アルエ、精霊に命令して舟を元の向きに戻してくれ」
「言っとくがゆっくりやれよ? 焦って一気にやったら、また落ちるぞ?」
「……」
アルエもまた、言葉にせずに行動で示した。
ほぼ垂直と化した舟を元の向きに戻すべく、王子の言いつけ通り”必要以上に”ゆっくりと元に戻し始めた。
「やけに緩やかですね……」
『しくって今度は向こう側に落ちたら笑うねんけどな』
「ハハ、ちょっとビビるくらいがちょうどいいさ」
そうしてほぼ90°に近かった舟の角度は、数分に1°程度の低速で再び傾きを減らし始めた。
次いで、命令通りに傾きを見せる舟の動きを察知した王子は、未だ急勾配の中を悠然と立ち上がった。
「さて、と……」
立ち上がった王子の足裏には、またも魔力らしき靄が揺らいでいた。
何の魔法を使っているのかアルエにはわからないが、おそらくは先程壁を歩いた時と同じ。
勾配で安定を保つための魔法だろうと言う事は想像に難くない。
王子はコキコキと軽く首を鳴らし、少々の伸びを済ませた後。
少しばかりの溜息と共に、次なる目標を一行に告げた。
「どこへ?」
「俺はこの間に舟の補助魔力を作動させてくる。大分ボロボロになったからな……このまま自力航行で帰るにゃちと不安だ」
この空駆ける舟の責任者は、何を隠そう王子本人。
王子は王子であると同時に、所謂「現場監督」でもあったのである。
その監督から見て――――今の舟は、筆舌に尽くしがたい状態であった。
『まぁ、随分派手にやり合ったしなぁ』
「ほんとだよ、くそ。おかげで魔力を使わないって触れ込みが台無しだぜ」
緻密な計画と膨大な時間と民の希望とを一手に担った舟は、大魔女の手によってあらぬ姿となった。
しかし人々の希望の体現とも言えるこの舟が、この程度では屈しない事もまた王子はわかっていた。
「舟を我が手で抹消する」と言う事態を何とか避けられた王子は、内心少し安堵していた。
そして警戒を解いた王子の頭に、もはや大魔女の脅威は存在しない。
今王子の頭にあるのは、この二人の”来客”を万全の状態で帝都へと送り届ける事のみである。
「いよっ――――ほっ!」
「……」
よっほっは――――そう言いながら王子は一歩進む毎に歩を止め、そして少し間を置いてからまた一歩。という不可解な歩き方を始めた。
これはアルエの織りなす傾きに合わせた動き。
速い話が、”遊んでいる”のである。
「可能性を見出された分……落胆が半端じゃないです」
『お前もダイビングエスケープしたらええやん』
「いや、死にますし。洋画じゃないんだから」
『ま、言うてもさすが王子って所やの。な?』
「……」
『なんか言えや』
陽気さを全面に出す王子に対し、アルエはどこか不機嫌そうな表情を浮かべていた。
落下の危機から無事免れたアルエを、今度は別種のストレスが覆いかぶさったのである。
その正体は、「脱走失敗」の四文字。
「おお――――とぉ!」
『まぁでも、あの余裕な感じがイラっとくるのはわかる』
「あまり下手な事言わない方がいいですよ。あなた方もそれなりの裁きが待っているでしょうから」
「……」
しかしながら。アルエの不機嫌と沈黙を貫く行為には、その実なんの因果関係もなかった。
寸前の所での失敗。その悔しさは確かに相当な物である。
が、そんな身を焦がす程の感情が今――――
急速に”中和”している事は、本人しか与り知らぬことであった。
「――――おっし着いた! じゃあ、行ってくるわ!」
『行ってら』
「……」
王子は陽気な態度のまま、実に機嫌よく扉に手を掛けた。
その扉は舟の内部。例の補助装置に繋がる扉である。
王子は満面の笑みで「いってきます」を告げた後、扉を開くべくクルリと一向に背を向けた。
「…………うぷっ!」
――――この瞬間。
アルエの「悔しさ」はカケラも残さず消え去り、代わりに”それ以上の強いストレス”が襲い掛かった。
その強いストレスはアルエの腹部より急激に立ち上り、言葉を奪う程に強烈な”嘔吐感”が、強く口腔へとこみ上げる。
(ゴポ……ズリュ……)
いつしかアルエの目は、赤く潤んだ涙目になっていた。
それは舞い散る土のカケラによる物ではない。
内からこみ上げる”衝動”が、ついにはアルエの呼吸すらも塞ぎ――――
今まさにこの空駆ける舟の上で、ただ一人”窒息”しかかっていた。
「…………んッ! ん”ん”ッ!」
『うるさいぞ。黙れ』
「どうしました?」
そんなアルエの異常を誰も気づかぬまま、アルエは一人苦しみに喘いでいた。
原因はわからない。しかし発生時期はわかる。
「王子が歩みを始めた」直後である。
「~~~~ッ!」
この時、アルエはふと思い出した。
先ほどの王子が向けた、警戒の眼差しである。
普段陽気な王子からは想像がつかぬ程に、冷たく尖ったあの眼光。
あれは一体何に向けて放った眼差しだったのか――――答えは、王子の発言の中にあった。
(――――どうせお前の事だから罠でも張って身を潜めてるんだろ! その手は食うかっつの!)
(罠……罠……!?)
アルエの気付きと同時に――――口から”罠”が吐き出された。
ガ プ ッ
「……え?」
”罠”は、背を向けた王子の肌に、鋭い牙を突き立てた。
『おあッ!?……ええッ!?』
王子の肌に強く噛み付く”罠”――――
その全貌は見る者に恐怖とおぞましさすらをも感じさせる。
その原因は罠そのものの姿もさることながら、”アルエの口から飛び出て来た”と言う様相に起因する。
「なッ!? なんですそれッ!?」
まるで寄生虫が巨大化したかのような長細い姿が、事もあろうに人の口から――――
その有様は、少なくとも和やかな空気を絶望の淵へ叩き落すには、十分過ぎる程の印象であった。
「アルエ……それ…………!」
この瞬間。
アルエと王子は文字通りの意味で繋がった――――
(シャァァァァ…………)
「――――!?!?!?」
二人を繋ぐ、【巨大花】によって。
つづく