百九話 開門
「ぬおぉぉぉぉぉッ!?」
「オララララララララララララーーーーーッ!」
ボボボボボ――――王子の視界を目一杯覆う紅い拳の連弾が今、王子に向かって飛び出している。
舟の側面から現れたこの無数の拳は、無論オーマの手による物。
その正体はオーマが魔巡糸を用い、自身の魔力を100%反映させた召喚獣。
オーマが個人的に愛用する、色んな意味で便利な土の腕。ゴーレムの変わり果てた姿である。
「それさえぶっ壊せば、六門剣は全部構えらんないわね!?」
「てめッ! 最初から狙ってやがったな!?」
オーマがひたすらに沈黙を貫いた理由。それは、オーマはただひたすらに狙っていたのである。
自分が全力を出す姿勢を見せれば、王子も必ず本腰据えて襲い掛かってくる。
オーマに取っての魔巡糸に当たる得物。
三本の六門剣の同時装備を可能にする、魔装具と呼ばれる腕を作動させる事を。
「卑怯だぞてめーーーーッ! こっちが構えてる途中によォーーーーッ!」
「バカか!? んなもん悠長に待つ馬鹿がどこにいんだァーーーーッ!」
オーマの思惑通りまんまと魔装具を作動させた王子は、唐突な猛攻に徐々に追い詰められていく。
今、王子が手に持つ六門剣は一本。
残りの二本が抜かせてもらえない以上、現状この一本のみで対応するしかない。
しかし六門剣が以下に宝剣と呼ばれようと、オーマが繰り出す圧倒的な”物量差”の前には、いささか心許なかった。
「ほぉぉぉぉ…………アタタタタタターーーーッ!」
「きめぇ声出してんじゃねぇよ……このォ!」
この状況を絶好の機会と捕えたオーマは、知ってか知らずか段々と中国拳法風動きを見せ始めた。
「アチョー」「ホァター」とどこかで見た事あるようなポーズを取るオーマ。
それがこの大魔女流大魔法に必要な事なのかどうかは、今のアルエらにはどうでもいい事であった。
オーマのふざけた動きに反応するまでもなく――――それ以上の”ふざけた事態”に陥っていた為である。
「ちょぉぉぉぉ! も、もうちょい加減しろよ……!」
『回復が全く意味なくなってるやん……』
それは、押し流される舟を食い止める為にわざわざ回復してもらってまで大蛇を戻したアルエの役目が、当のオーマによってものの見事に無下にされていたからである。
二匹から四匹。単純計算で倍の出力を取り戻したアルエであったが――――
反対側から”三桁以上の倍掛け”を加えられれば、なす術などあるはずがなかった。
「無理無理無理無理! こんなの、フルメンツでも止めらんないよ!」
「焼け石に水とはまさにこの事ですね……」
オーマがノリにノる程、比例して舟はさらに大きく航路を外れていく。
オーマが繰り出した無数のゴーレム。それらを全て全力で放てば、反作用的にそうなる事は至極当然の話であった。
しかし「手加減」を要求するアルエの訴えは承認されすはずもなく。
所か耳に届く事すらなく、オーマはさらに輪をかけて”ハイ”になって行った――――。
「ハイヤァァァァァァァーーーーッ!」
「くッ……この……!」
叩き続けるオーマに受け続ける王子。
王子から見てやや”卑怯”な連打が、ようやっと王子を黙らせた。
「舟が流されようがどうなろうが、まずは王子をどかさねば話は始まらない」。
そう言わんばかりにアルエの訴えなぞまるで意に介さず、引き続き無数の「紅い拳」で持って、ひたすらに旧友を叩き続けた――――
「もぉ……誰かアイツにもうちょい抑えるよう言ってくれよ!」
「できないんですよ! 加減ができる相手なら、最初からこんな事してません!」
『相手が相手やからな……』
この一連の事態はある意味ではいつものオーマのいつもの”雑”さとも言える。
しかし舟を支えるアルエ以外の面々は、珍しくオーマに味方した。
今はその雑さが、今後の行く末を決める何よりの生命線が故に。
「クラスニー・ルカ・サブラット……!」
そしてオーマが技名らしき言葉を呟いた時。
朧げにチラつく行く末を、これまた”雑に”掴み取ろうとする意図が、言葉を介さずとも一行に広まった。
「来ますよ! さらにおっきい反力が!」
「え!? ちょ、まじかよ!」
『性根場やどーーーーッ! 根性見せろォーーーーッ!』
「ハァァァァァ」と大きく息を吐きながら、引き続き中華風の体制のまま、オーマの腕が緩やかに回り出す。
この見覚えのありすぎる構えをどこで見聞きしたかはどうでもイイ。
「気合いの入った一撃」と言う物は、万国を飛び越え、この異界に置いても共通なのだと言う事でアルエはなんとか納得した。
――――問題は、その内訳の方である。
オーマがどのような手段を決着を決めようとしているのか。
それ次第でアルエの対処法が変わってくる為、アルエにすれば是が非でも知りたい所であった。
(たっ頼むから舟ぶっ壊すような事すんなよ!?)
アルエの脳裏に浮かぶのは漫画・アニメでありがちなエネルギー波の類。
もしくは無数にある腕をさらに数を増やした猛ラッシュ等々――――
今まで見て来た様々な必殺技が浮かんでは消える。
一つだけわかる事は、どちらにせよ”多大な反動”が跳ね返ってくる事である。
しかし、堂々巡りを繰り返すアルエの思考も虚しく、”答えはすでに出ていた”。
「クラスニー・ルカ・サブラット」――――この言葉が意味する事。
それは”集結する赤い腕達”である事を、アルエは知らなかった。
ズ ッ
「 ほ あ ッ チ ュ ァ ー ー ー ー ッ ! 」
そして――――答えは出た。
威勢よく吼えたオーマが付き出した”縦拳”に連動するように。
ゴーレムも同じく、見事な縦拳を突き出した。
「うぉぉぉぉ! やっぱ……やっぱ、浮っくゥ~~~~ッ!」
「まずい! 少年、私に捕まって!」
それはシンプルかつ雑とも言える、まさに言葉通りの意味で。
無数の紅い腕達が、終結し一つの巨大な腕となって――――。
「 お ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ ー ー ー ー ッ ! 」
未来の帝国を担う王子の御姿を、視界の及ばぬ所へと追いやった。
――――
……
「ゼッ……ゼッ……まじあっぶね……」
『ねーさぁん……カンフータイム終わったぁ……?』
「……」
舟は、無事大きく航路を外れるに至った。
オーマの付き出した連なる巨大な拳打の反動は、案の定アルエの限界を遥かに超えており、結果として王子のみならず目的地までもを遥か遠くに吹き飛ばした。
「王子の姿が見当たりません……やりましたか?」
『おい今がチャンスやぞ。とっとと押せ押せ!』
この波乱続きの脱走劇における最後の難関。
その大元である王子が姿を消した事で、一行の心中に幾ばくかの安心感が芽生えた。
しかし同時に同量の危機もまだ残っている。後続に続く、ペアヌットの大隊である。
「もう……どいつもこいつもこき使いやがって……大蛇! 聞いての通りだ!」
「ゴボォ!」
この機会を逃さずして、いつ航路を元に戻すのか。
アルエは疲労困憊の身体に鞭打ち、自身の役目を果たさんと再び舟を押すよう大蛇に命じた。
「……」
文句を垂れながら務めを果たすアルエに対し、オーマはまだ縦拳の姿勢のまま一人沈黙を貫いていた。
寸分の動きも見せぬまま姿勢を固定するオーマは、まるで甲板に飾られた置物のようである。
そんなオーマの動きと連動して、紅く染め上がったゴーレムの巨大な腕も、未だ縦拳のまま栄え続けていた。
「……おっ?」
「ゴポ!」
この時。ピンと張ったゴーレムの腕が斬り落とされた左翼の代わりとなり、偶然にも舟が安定を取り戻すキッカケとなった。
その安定具合がわかるのは、大蛇と感覚を共有するアルエのみである。
『どうした?』
「あ……いや……」
グラグラと不安定な中軌道修正をかけるよりも、安定状態ままただ押すだけの方がはるかに楽。
故にアルエが、「出来ればそのままの状態でいて欲しい」とオーマに頼むに至るのは至極真っ当な発想であった。
それはあくまで自分が楽をしたいが為。
「そんなに魔力があるなら少しくらい手伝え」と言う本音を、少しばかり表に出すだけである。
「……」
「あのさ~、オーマさん……」
そんな事とは露知らず。
未だ拳法家風の姿勢を取り続けるオーマに、アルエが背後から近づいた時。
近づいたが故に――――聞こえてしまった。
「しくった……!」
(えっ)
ピシ――――パキ――――何やら固い物がひび割れる音がする
パキキキ――――音はさらに連続的になり、ついには一瞬の間すらなくなる。
ミシリ――――そして一瞬だけ、音が鈍く沈んだ時。
…………
バ リ ィ ィ ィ ィ ン ―――― !
((な――――!))
その場の全員が、大きく目を剥き開いた。
オーマが今しがた放った渾身の一撃とも言える巨大腕が、独りでに亀裂を走らせ、そして一行の眼前でものの見事に割れたのである。
まさに仰天を絵にしたかのような一行の形相。
その最中。当のオーマだけは、まるで”こうなる事が分り切っていたか”のように、表情を変えなかった。
「オーマのガチパンチが……」
「割れた……と言う事は!」
『おる! そんなん、ほぼ確実にーやん!』
一行の予想は三人揃って一つの結論を導き出した。と言うよりも、それしか考えられなかった。
その予想を裏付けるように、巨大な土の拳が割れたと同時に聞こえ始めた排気音。
ドッドッドッド――――先ほど聞いたばかりの違法改造の音。
それが舟の下部から、競りあがるように昇ってくる。
視界を外れたのは吹き飛ばされたからではない。
寸前の所で”回避に成功”したが為に、一時的に見失っただけに過ぎない。
人知れず冷や汗をかくオーマよりも、危機は去っていないことに身を引き締め直す医者よりも。
英騎への道を塞ぐ分厚過ぎる関門が、アルエの心に絶望を押し込めた。
そして――――短い別れが終わった。
「相も変わらず……きたねえマネばかりやりがやって……」
(やっぱり……)
分厚い壁は人の形を成し、再び全員の眼前に現れた。
対峙する相手の攻撃を「汚いマネ」と罵るに値する。それほどまでに、”綺麗過ぎる”体のままで。
「ノ、ノーダメ!?」
『完封やないか……』
「では! 大魔女サンのあの猛攻を、全て防ぎ切ったというのですか!?」
オーマは、王子が魔装具を装備している事をあらかじめ知っていた。
それが六門剣の三本同時装備の為と、そしてほんの少し当人の趣味趣向が入った武装である事とを。
故にオーマは思った。
「あの魔装具が動き出した瞬間を狙って破壊すれば、六門剣の同時装備は叶わない」、と。
「くそ……」
あの背中から生える三本の腕を破壊さえすれば、六門剣が三本共こちらに向く事はない。
王子が使う剣術は基本的に一刀流。
仮に複数扱えた所で、本物の腕が新たに生えるわけではなし、精々二本までが限界である――――
と言うのが、オーマの読みであった。
「抜かれた……!」
しかしオーマの誤算は、王子本人はともかく”魔装具まで王子並みの耐久力を持っていた”事である。
王子が必死に抵抗する最中、数にかまけて何発か直撃が入る手ごたえはあった。
だがその感触はへし折れるどころか、拳の連弾一発一発を優に耐え、しまいには王子を守る”盾”の役割まで果たし出す始末であった。
オーマ渾身の一撃が無傷で済まされたとあっては、大魔女の名に傷がつく。
本来ならありえない事態。耐えきられるにせよ、傷の一つくらいは付いていてもいいはず――――。
オーマは、再び疑問に真っ向から挑んだ。
この正体を解明しない限り、勝利の糸筋は見えないと思い知らされたが為に。
「今更何呆けてんだバカが! 何年お前とやりあってると思ってんだ!」
(そう言えば……)
――――その答えを真っ先に示したのは、意外な事にアルエの方であった。
(へへ、俺もよぉ~自動で発動する”組成式魔法”持ってんだよね)
「そ、そうだ! バリアだ! 王子はなんか、自前で作ったバリアを常に張ってるんだ!」
「その腕にも、仕込んでやがったのか……」
長年苦楽を共にした同期の桜。元い腐れ縁。
共に過ごした時が故に馬が合うのか、それとも元々似た物同士が惹かれあったのか。
その答えは当人同士にもわからない。
一つわかるとすれば、ただ王子も同様の事をしたまでである。
オーマの魔巡糸同様。自分で作った魔装具の隅々まで、自身の魔力を巡らせる事を。
「知ってるだろ! お前が不意打ちばっかしてくるから、昔から自前で組んでたんだよ!」
「ぐぎ……」
オーマの表情が何とも言えぬやりきれなさを醸し出す。
王子が過剰なまでに強靭なバリアを組むに至ったのは、何を隠そうオーマに対する対処法。
つまり、今のこのオーマの失策を招いたのは、皮肉にも自身の過去の行いのせいであったのである。
「学生時代から何度も言ってるだろ。お前のしてきそうな事はもう大体想像がつく……」
「で、やらかした結果毎回どういう事になんのかもな!」
大魔女と呼ばれるほどの魔力があり、将来帝国をも覆す魔王を目指しながら。
未だ何一つ進展せず、暗い森の中でボロ小屋を建てて日々を送るに留まるその理由は――――
誰のせいでもない。オーマ本人の詰めの甘さが、その最大の原因なのである。
「でもパム、喜んでいいぜ……見ろよ」
「六門剣を、三本同時に”開門”すんのはよ……実は、お前が初めてなんだぜ……?」
『おいっ! あの剣全部揃ってもーたぞ!?』
「一本だけでもシャレにならん威力だったのに……」
今回の失策もそれらと何一つ変わらない。いつものオーマが招くいつもの結果。
ただしこの場に限り、その代償はあまりに大きすぎた。
六門剣三本全ての抜刀を許した挙句、後続には依然増え続ける追手。
加えてオーマ側には、守らざるを得ない”御供”までもがいる。
これら三重の足枷は、以下に大魔女と言えど――――少しばかり、重すぎた。
「く……そォォォォ! 全員下がれ! できる限り遠くに!」
「いや、どこにだよ!?」
六門剣――――帝国の宝剣だけあって存在自体が脅威そのものであるにせよ、二本までなら何とか捌き切る自信があった。
それはオーマがかつて、王子と決着をつけるべく挑んだ王の試練にて。
自身も一度だけ、六門剣を手に取った経験があった為。
「逃げ場何て……そんな物、ありませんよ!」
『ていうか、いい加減この舟持つんか!?』
英騎に奪われるまで、本来六門剣は四本あった。
当時の王子が王子と呼ばれる前。一人の若造は自身の魔力を証明すべく、一度に限り六門剣を同時に四本所持すると言う荒業を見せた。
オーマもこれに負けじと同様の無茶を行い、同じく己が魔力を確かに示し、そして次期王の座は二人のどちらかに絞られる――――かに思われた。
「そんな矮小なる舟如き、超弩大鑑の前には無益と知れ……!」
しかし結果は現状の通り、オーマは破れ王子が残った。
内訳は勝ち残る為に行ったオーマの不正が、全て明るみに出た為。
やや変則的ではある物の、その時点で確かに決着は付いていた。
勝者と敗者。その過去の烙印はいくら時を重ねようと決して消えない。
過去を変える方法なぞ、どの世界にもありはしないのである。
「ゴ、ゴーレム! もっパツよ! さっきよりももっと……もっと……!」
過去は変えられない。故に過去の経験もまた同様。
オーマは過去の六門剣四本同時装備の経験から、大凡二本までなら自力でもなんとかなりそうだと憶測を立てた。
だが、憶測は所詮憶測。
一本だろうと十本だろうと、使用者が変わればその力もまた変わるのである。
「いいぞ六門剣……許可する……”全開門”だ……」
「俺の魔力を、思う存分吸い取れ……そして全てを、力に変えろ……!」
六門剣は本来次期王を決める為の宝剣。決して武力の類ではない。
故にオーマを持ってしても、その全貌は全くの未知数であった。
三本全てを、王子が全力で振るった際のその力たるや――――。
ボッ ボッ ボッ――――
ボォォォォォ…………!
『うわっ! なんやあれ!?』
(火……?)
【開門】。王子がそう唱えると、三本の六門剣は直ちに王子の魔力を吸い始めた。
通常、持つだけで魔力を吸われる六門剣。
しかし意図的に吸引量を増やし、そして腹を満ちさす事で完全に覚醒状態へと変える。
これら一連の動作を【開門】と呼ぶ事は、六門剣”本来の”所有者である王子でしか知らない事であった。
「これが……六門剣の正統後継者の力……」
その吸い込み量は、目に見えてわかるほどであった。
吸われる魔力がゆらゆらと黒い炎のような形となって、王子の身体から六門剣へと伝わっていく。
そして魔力が剣の刃先にまで達した頃――――王子は構えた。
「くるッ……!」
魔装具と呼ばれる三本の腕が何らかの”型”を取った時。
王子の空いた手が、魔導二輪のアクセルを捻り、ハンドルの向きを変えた。
行き先は無論、オーマの立ちはだかる「舟」。
「ゴーレム――――【無数に生える拳の連弾】!」
そして近づく王子を迎撃すべく、再び舟体側面より無数の拳が飛び出した。
しかしもはや、王子の顔に焦りはない。
「何も問題はない」そう言わんばかりに落ち着き払った王子の眼差しが、仕掛ける紅い拳の一つ一つを捉えた。
――――六門剣の、刃先と共に。
「【ト】連奏――――サンケイ」
王子は、文字通り真っ向から迎え撃った。
その様子はまた、偶然にもオーマの魔法と似たり寄ったりである。
王子にも無数の剣が生えたと見間違うような――――残像が色濃く残る、”超高速”の斬撃を奏でて。
つづく