三話 運命
「シャァァァァ――――!」
「おぉぉぉおお――――!?」
突如現れた巨大花。
僕の目の前に仁王立ちならぬ仁王咲きを悠々とかまし、そんな巨大花が何故か。道を譲る所かそのまま僕の方へと猛進してきたのである。
どこのどなた科は存じませぬが、おかげ様で今心身共に大パニックだ。
これが欧米式スキンシップならまだ考えようがあったものの。
そんな腹をすかせた子犬みたいな涎を出されては、服を汚さぬべく限界超越式鬼ごっこを開始せざるを得ないのだ。
クン――――
「ッたッたッだァァァァ~~~~!」
鬼ごっこ開始にしてたったの数秒後。何かが僕の足首に絡まりついた。
物の見事に引っかかった僕は、何年ぶりだろう。在りし日によくやった”転ぶ”と言う経験を再び思い起こすハメになる。
だが、不思議と痛みは感じなかった。
半狂乱状態における脳内何とか物質とやらが、一時的に痛みを制御してくれているのだろか。
「くっそ、この! 離せよ……もう!」
人間ってすごい。
だが、身体がくれる優しい気遣いに、当の主が答える事ができない事をどうか許してほしい。
前代未聞。鬼ごっこ開始と同時に鬼が交代する事案。
僕は捕まってしまったのだ。文字通り――――巨大花に備わった、鞭のようなツタに。
ギュルル――――
「おいおいおいおい、マッッッッジかよ!」
そのツタの繋がっている先。
そこには、巨大花をなんとか花と分類させる事が出来る巨大な「花弁」があった。
さらに目を引くのはその花弁の中心。
通常の花なら、花粉のついた「めしべ」もしくは「おしべ」と呼ばれる細長い突起物が付いているはずなのだが……
だがこの巨大花の中心には、突起所か奥行が見えないくらいに深い”穴”が開いている。
しかもご丁寧に、わかりやす~く牙のようなトゲトゲまで付けて。
「もしかして……腹減ってんの?」
「シャァァァァ…………」
トゲトゲの生えたその穴の内部には、よく見ると粘度の混じった液体が溜まっていた。
よだ……液体は、僕が見つけると同時にみるみる内に嵩を増やし、あっという間に穴から溢れる程増えた。
ポタリ――――不意にその一滴が、地面へと零れたのが見えた。
零れ堕ちた液体は「ジュウッ!」と肉でも焼くかのような音を立て、これまた肉でも焼いたかのような煙をモワモワと燻らせる。
しかし匂いだけは違った。
音だけ聞くと焼肉っぽい音ではあるが、そこから発せられる匂いは、至極”甘い”のである。
(あ……いい匂い)
ふんわりと漂う上質のスイーツのような匂いに少しだけ心が安らぐかに思えたが、残念ながらそれはただの杞憂だった。
燻った煙が晴れた時、ハッキリと見えた。
涎が垂れた場所を中心に、小さなクレーターのようなくぼみが”ドロリと”広がっている事を。
「い、胃酸的な……?」
「シャァァ…………」
「いや、ていうか」
(どう見ても……食われるだろこれ!)
新鮮でイキのいい肉となった僕を巨大花のツタがしっかりと捉え、そして「いだきます」も言わずズルズルと僕を穴の方へと引きずっていく。
穴は口。液は消化液。ツタは獲物を捕らえる手と、こう考えるとしっくりくる。
おそらくは人類初であろう。今まさに僕は、植物の肥料にされようとしている――――
「ぬ……ノォォォォォ!」
「シャッ!?」
しかし当たり前だが、そのまま「どうぞ召し上がれ」とはなるはずがない。
僕は食べ物じゃない。仮に食べ物だったとして、食事マナーもなってない奴に食わすメシはないのだ。
――――と言うわけで、とりあえず全力で抵抗。
その辺の草を鷲掴みにし、取っ手代わりにしようと試みた。
「ふんッ!」
ブチ
(おい!? せめてもうちょっと耐えろよ!)
が、引き込むツタの力の前に草が命綱となるはずもなく、ブチブチブチブチと瞬く間に引き抜かれていく。
なんの頼りにもない掛かりに愕然としつつ、ふともう一度巨大花を見ると。
さっきよりも大きくなった"気がする”口が、すでに目前へと迫っていた。
「あああああヤーーーーダーーーー!」
不意に、先ほど手に握っていた土混じりの草を口に向けて投げつけた。
抵抗の、つもりだった――――が、草土は消化液同然の涎により瞬時に解かされる。
ジュワ――――またも、炙るような音が聞こえた。
焼肉の音と強力な酸が何かを溶かす音はちょっと似ている……等とどうでもいい事を思ったのも束の間。
それでもやはり気を紛らわす事はできなかった。
それも当然。何せ次にジュワっと炙られるのは、何を隠そう”僕自身”であるのだから。
「逝ったァーーーーッ!」
「シャァァァァァーーーーッ!」
到着早々ジ・エンド。
あっけないにも程がある終わり方だが、だからと言ってこの状況を打破する術などありはしない。
あの溶解液まみれの口に放り込まれれば一体どうなってしまうのか。
それは、考えるだけで恐怖なのでやめた。
この時は、せめてありのままを受け入れようと思ったんだ。
「清く、正しく、潔く」。
別名「諦め」とも言われる悟りの境地を、こうして散りゆく間際に開く事ができた事が。
この場における、唯一の救い――――。
と、感じた直後の事であった。
「我が身宿る魔の英霊よ、この世を総べる大地に身を宿し、その形を今ここで成せ――――」
「土人形――――!」
(んあ――――?)
不意に、何やら呪文めいた声が聞こえた。
その声はやや甲高く、どちらかと言うと女性の声のように聞こえる。
よくわからないが……誰かこの場にもう一人いるようだ。
異界にいる僕以外の女性――――「まさか」。一瞬だけ、そう思った。
ズッ
――――ゴ ォ ッ !
(ブッ)
そのまさかは見当違いもいい所。「まさか」はまさかの人間ですらなかった。
どこかから聞こえた女性の呼び声を合図に現れたのは、どうみても人間とは異なるどでかい「土の塊」。
土の塊はズズズズと轟音を立てながら競り上がり、そして同時にグネグネとうねり出した。
粘土細工のようにうねりながらみるみる内に形を変えていき、そして直。僕のよく知る”形”へと変貌していった。
パラ……パラ…………
「……手?」
土の塊が成したのは、ズバリ一言「手」であった。
不意に現れたこの土の手。形こそ手であるものの、今僕を丸飲みしようとしている巨大花をさらに丸握りできそうなまでに大きく、それでいて広い。
そして余った土を回したのか、手の付け根にはえらく長い”腕”まで備わっている。
これじゃ、黄色く塗ればひまわりになれそうなシルエットだ。
「ガァァァァァッ!」
「お? やる気なのこいつ? ほほーん、近頃の魔物にしては珍しいわね」
「いーわ。来なさいよ……身の程を教えてあげる」
また、どこかから女の声がした。誰の声かは知らないが、わかる事はただ一つ。
明らかに”喧嘩を売っている”――――口調、ニュアンス、発言、それら全てが”挑発”とわかる程に。
そして巨大花サイドとしては、この食事を邪魔せんとす土の手を今ハッキリ”敵”と認識したのだろう。
さっきまで僕に夢中だった癖に。
巨大花は今や僕に目も暮れず、土の手にあからさまな威嚇をし始めた。
「シャァァァァァ!」
「キャッハッハ、やる気まんまんじゃな~い!」
――――正直言って、とんだ災難である。
着いて早々食料にされかけたと思いきや、何故にこんな所で怪獣大決戦を見せられねばならんのか。
ガアガアゴワゴワと、どっちも非常にうるさい。さっきまであんな静かな森だったのに……
「グルルル…………ガルルルルル!」
ジュッ
「たあああああ! 汁飛ばすな! ボケェッ!」
巨大花が威嚇がてらに撒き散らす涎が、無意味に僕の方へも飛んできた。
おかげ様で服が少し溶けてしまったじゃないか。
しかし苦情を申しつけるにも専門部署が見当たらず、そして今の涎が肌に触れればどうなるかは……言わずもがな。
今僕が出来る事は一つだけ。
涎がかからぬようシャツを頭まで被り、全身の肌と言う肌を覆いつつ、終わるまで事の成り行きを見守る。
それしか、ないのである。
「ラッキー! 私と会って逃げ出す所か立ち向かってくるなんて、随分”活きのイイ”のに当たったみたいね!」
「なんか今日ついてるかも~! じゃあ……久々の発散タイムよ!」
(何言ってんだ……?)
シャツを頭まで被った為よく聞こえなかったが、とりあえず何らかの指示を出したと言うのだけはわかった。
土の腕は、主らしき声の指示の元に五本の指をギュッと詰めた。
指と指の間が隙間なくひっつき、その代わりピンと剃り立つように指が真上を向いている。
この形は所謂、空手家御用達の「手刀」と呼ばれる物である。
(こ、これはもしや……)
手刀の構え……これはつまり攻撃の構え。
食らわせる相手は勿論こいつ。この、食事の邪魔をされ怒り満開中の巨大花だ。
怒っている割には僕の足首をギュッと縛ったまま離さないのは、ある種ちょっとした萌えポイントかもしれない。
これが花が似合う美少女ならよかったのに……などと思いつつ、いつしかこの怪獣大決戦に目が釘付けになっていた。
(や、やっぱり! チャンス! チャンスだよこれ!)
恐怖が、一気に薄らいだ。今の状態を軽いジョークにできる程に。
それもそのはず。この展開は、もしかしてひょっとしてひょっとすると――――
前世の分まで持ってきた”超絶ウルトラスーパーラッキー”って奴なのでは、ないだろうか。
「おお~~~~い! どこのどなたか存じませんがァーーーーーッ!」
「たたた、助けてくださぁーーーーーいッ! ぼぼ、僕はここでーーーーっすッ!」
「……は? 何アイツ」
この神が与えし機会を逃す手はなく、どこかから聞こえる女の声に向けて声高らかに叫んだ。
荒ぶる巨大花相手にやる気マンマンと言う点から察して、声の主はこの場を解決できる手段を持っていると推察できるのだ。
「おおお、お願いだ! 食われたくないィーーーーッ!」
「……ゴーレム。いけ」
声は、どうやら無事届いたようだ。
手刀の構えをした土の手が、僕の存在に気づいた素振りを見せた。
見せたと言ってもそれは僕の勘でしかないのだが。ただ、一つだけわかるのは――――
この窮地を、何とか無事脱出できそうだと言う事だ。
グォン――――そして主に服従する巨大な土の手が、ついに行動を開始する。
土を伝いズゴズゴと勢いを増しながら、巨大花に向けて勇猛果敢に突進し始めたのだ。
この突然変異を起こしたかのような巨大植物に、一切臆する事無く特攻をかける土の手。
戦況はサイズの分土の手の方がやや有利か。
とにもかくにも、僕は心の中で一言そっと呟いた――――「助かった」、と。
「うぅぅぅぅるッッッさいのよ! このボケがァ!」
(えっ)
土の手は、それはそれは巨大なる手刀を繰り出した。
――――僕の方に向けて。
ド ォ ッ !
「おぁぁぁぁーーーーッ!」
(ってなんでだよ――――!)
その威力は、瓦割りに換算すると一体何枚分になるのだろうか。
地割れ――――例えるならそんな表現がピタリと当てはまる程に、地面がパックリと割れてしまっていた。
巨大化の涎同様。ブワンとむせ返る程の土煙を舞わせながら。
「相手が……ちげえだろが……」
「ゴーレム、そいつちょっとつまみ出しといて」
「完全に邪魔」
(ええっ!?)
完全に、油断した……
よく考えればこの大きな土の手と主の女は、そもそもどこのどなたさんなのがわからない。
もし逆の立場なら、僕は一体どうしただろうか。
少なくとも、あちらさんサイドには僕を助ける義理等あるはずもなかったのだ。
ズズズズ――――
「ちょ、ちげーよ! あっちだってば!」
そんな事も気づかないくらい、能天気に「助けが来た」と気を緩ませた僕のなんと浅はかな事か。
パックリ割られた地面が僕と巨大花を完全に分かち、おかげで目の前にいるのに決して届かないロミオとジュリエットの関係になってしまっていたのである。
――――巨大花の脅威はとりあえず去ったと言ってもいいだろう。
しかし一難去ってまた一難。
これもまた勘ではあるが……土の手が、巨大花ではなく僕の方を向いている気がするのは気のせいだろうか。
――――ズズズズ
「うそだろ……」
ふと足を見れば、いつの間にか僕の足首に絡まっていたツタが千切れていた。
どうやら今の手刀がうまい具合にちょんぎってくれたらしい。
だが、それでもまだ身動きは取れない……と言うか、状況はよりひどくなった。
要するにこの土の手は、助け等ではなく――――
”新手”だったのだ。
グ ワ ッ
「ぬあっ!? は、離せ!」
土の手はカブト虫を捕まえる少年のように。優しく、繊細に、僕を摘まみ上げた。
そして摘まんだ僕を完全に握りこむべく、また指を器用に動かし僕を奥へ奥へと押し込んでくる。
「ババババカヤローーーーッ! アホか!? お前の相手はあっちだってば!」
「シャァァァァ……」
巨大化が僕の様子を娘を見送る親のように見ている。
いやいや、じゃあせめて助けろ。お前に取って僕は貴重な食糧じゃなかったのか。
摘まんだ指をグイグイと押してくる土の手に対し、抵抗がてらとりあえずもがいては見たものの。
自分の背丈以上の大きさをした指の圧力に逆らえるはずもなく、あっという間に手のひらへと押し込まれてしまった。
「……うわっ!」
「くっそ~~このやろぉ……出せ! ここから出せよォ!」
まるで、牢屋にぶち込まれた囚人の気分だ。
巨大植物に食われる事は回避できたが、その代わり土に飲み込まれる事になるとは一体どういう皮肉なのか。
指と指の隙間が辛うじて外の様子を見る事を可能にする。
そこから見える巨大花は、お菓子を食べられてしまったた子供の用に。
僕の方をそれはそれは切なそうに、見つめていた。
(いやだから、お前はお前で見てないで助けろと)
ズ…………
「ッ!? またかよ!」
しかしそれに気づいたのも束の間。
逃げ道を塞ぐよと言わんばかりに、土の手は三度器用に土をうねらせながら、指の合間を詰めて来た。
――――これで、外すらも見えなくなった。
そうして出来上がったのは「完全なる闇」。
光すら届かない土の牢の中に、僕は今。完全に幽閉されてしまったのだ。
「とりあえずゴーレムは先帰っといて。こいつはアタシがやる」
「シャァァァァ!」
「ま……待て待て待てィ! ちょっとそこの人! 出して! ここから出してよ!」
「ほんともうギャーギャーうっさいな~……ゴーレムいいわ。行って」
「耳障りすぎるわ」
手の中から女の声だけが聞こえた。どうやら単身であの巨大花に立ち向かうらしい。
この時点で、もはや「助けてもらった」と言う気はカケラも残さず消滅した。
いきなり閉じ込めておいて「失せろ」と言い放つ女に感謝の情等湧いてくるはずもなく、むしろこの女のやろうとしている事は助けと言うより誘拐に近いのだ。
ズズズズ――――土の手のが織りなす牢獄の、光も差し込まぬ暗闇の中で。
視界は効かずとも、女主人の言いつけ通り。
土の手が、”どこかに”動き始めたのがわかった。
「ちょ、おい! どこへ連れて行くつもりだ!?」
(オラァァァァ…………シャァァァァァ…………)
土の手が移動を開始する際、少しだけ指と指の間に隙間が開いた。
この隙間からなんとか逃げれないかと顔を近づけて見た物の、残念ながら人一人分が抜けれる程まで開きそうにない。
代わりに。そこからほんの一瞬だけではあるが、チラリと一つの光景が見えた。
この土の手の主人らしき女が、「オラァーー!」と叫びながら巨大花に突っ込んで行く姿である。
「おい! おい! おいってェーーーーッ!」
ズズズズズズ――――!
僕の呼びかけも虚しく。
土の手は”どこかへ”向けて、その場を去った――――
つづく