百四話 排気
「なんだ!? 舟が急に速度を……」
「だ、ダメだ! ドンドン引き離されて行く!」
アルエが余力を振り絞り発現させた【水飛蝗】の効果は、まさに火事場のなんとやら。
追いこまれたアルエが土壇場に見せた底意地により、推力を狙い通りを見事上昇させ、ペアヌットとの差をさらに広げた。
突然の加速に慌てふためく騎乗隊の面々をしり目に、ドンドンと差は開いて行く。
無論追手側もむざむざと逃げ切りを許すはずもなく、この事態を何とかせんと思案を働かせるものの――――
ペアヌットの成長をただ待つ以外、他に方法はなかった。
「く……お、おのれェ! ペアヌット! もっと、もっとスピードを上げんか!」
騎手の鞭打ちの如く、ペアヌットを叩く兵がちらほらと現れる。
しかし叩いて速度が上がれば誰も苦労はしない。
開く距離はさらに舟を小さく見せるまでに。
より輪をかけて、伸びて行った――――。
――――
「ひゃっほーーーーィ! さっすがアタシ! 読み通りドンドン追手が引き離されて行くわ!」
「まだこれほどの力があったとは……さすが精霊使い、末恐ろしいですね」
「……」
「やればできると思ったわよ。やれば」
「近頃の子供は本当に恐ろしいですよ、ええ」
消耗具合が、わかりやすく大蛇の数から見受けられる水の精霊使い。
万全の状態から実に四分の一までに落ち込んだが、にも拘らずこの働きぶりに一行は称賛の言葉を贈らざるを得ない。
医者は畏怖の言葉で。オーマは自画自賛で。
各々が各々の言葉で、アルエに労いを言葉を投げかけた。
「……」
『褒められてるぞ。礼くらい言ったらどやねん』
「……ふぃぃ~」
『あーーーーッ! こいつゥーーーーッ!』
「ハッ! やべっ!」
が、そんな労いも虚しく――――
アルエは、そんな感謝の念を即座に全て無に帰した。
『ちょっとねーさァーん! この子”サボリ”決め込んでるゥーーーーッ!』
「ちょ、言うなって!」
「お、おのれゴルァ! この土壇場でよくそんな事ができるわね!?」
「度胸!? 度胸アピールなの!? 精霊使いが到達する余裕の境地的なアレなの!?」
「ち、ちが……あだだだだ!」
アルエには大蛇発現の際にとある一つの特徴が現れる。
「瞳が蒼く染まる」――――これは精霊使いが精霊との共有を最大限まで同調させた為に起こる、感覚共有発現のサインである。
言わば、意図的に解除するまで常時点灯し続ける電灯のような物。
それが何故かチカチカと不穏な点滅をしていた様子を、スマホの高感度カメラは見逃さなかった。
アルエがため息を吐くのと同時に消える、蒼と黒の交互変色を。
「関心しませんねぇ……少年」
「ちょっと褒めたら、すぐこれね!」
「だ、だってさあ! これすんげーしんどいんだよ!」
「しんどいのはみんな同じじゃい! なぁにを一人楽しようとしてるの!」
「いや、マジで……何かもう頭がなんか……」
【水飛蝗】は半分以下の大蛇でも十分な効果を見せる程の力を見せた。
が、しかしそこはさすがジェットエンジンのイメージと言うべきか。
反面欠点として、非常に”燃費”が悪い。
舟を推進させる出力ともう一つ。それを維持し続けるだけの、”維持力”が必要となるのである。
「ゴール……まだぁ?」
『ついに人前で堂々と手抜きし始めよった……』
「……マジどしたの? こいつ」
「う、うーん。少々の外傷がありますが、それは元からですし」
『おいおいスタミナ切れかぁ? 確かそんな場面何度かあったぞ』
「考えられるとすれば、そうですね……スマホくんのおっしゃる通り、スタミナ切れですかね」
「まぁこの場合体力の方ではなく、精霊使役と言う意味でしょうがね」
ジェットエンジンの「常に燃料を消費し続ける」と言う妙な所まで再現したアルエ。
万全の状態ならいざ知らず、ここまでに何度も繰り返した連戦に次ぐ連戦が、本人の予想以上の消耗振りを見せていた。
最初から残り少なかったアルエの燃料。そこにジェットエンジンなど積めばどうなるか。
答えは、言わずもがな明白である。
『まぁ、よーするに』
「バテたのね……」
「マヂ無理……」
しかしアルエの消耗を考慮する余裕なぞ逃亡犯一行にはあるはずもなく、責任者であるオーマが身を持ってアルエに激を飛ばす。
掴み、立ち上がらせ、揺らし――――
まるで無くなりかけのケチャップのように、最後の一滴まで搾り取ろうと奮い立てた。
「ほら、もう後ちょっとなんだから踏ん張りなさいよ! 逃げ切ったら存分に休んでいいから!」
「後で頑張るから今休まして……」
「だ~もう、いちいち精霊切るな! やれよ精霊使い! 目蒼くしろ!」
「ヤレヤレ、困りましたね……」
アルエが「バテ」を理由に所々手を抜く物の、しかし「逃げ切り」と言う点ではすでに十分な速度を維持できていた。
アルエが舟に付けた加速分を加味すれば、計算上”ギリギリ”逃げ切れる段階にもう達しているのである。
――――脱出成功地点まで残り30kmを切った。
アルエの掛けたラストスパートの甲斐あって、現状勝算は限りなく100に近い。
これは見方を変えれば、アルエの英騎に対する執着心が帝国の威信よりも上回ったとも言えよう。
妨害さえ、なければ。
ガ ク ン ッ !
「「ッッッ!?」」
――――その瞬間、突如として舟は大きく揺れた。
左右に大きく揺れる舟体が一行の姿勢を大きく崩す。
そしてこの大きな揺れの後、反作用の力によりゆらゆらと断続的な揺れが続いた。
それはまるで、大波に飲まれた小舟のように。
「な、何事です!?」
「だから言ったろ!? ちゃんと舟支えろ~~~~ッ!」
「いや、ちがッ……」
急に起こったこの揺れは、誰しもがアルエが手を抜いたせいだと思った。
その証拠にオーマが激を飛ばすと揺れは収まっていくのである。
(今何か見えたぞ……?)
しかし真実は、舟を支える大蛇と感覚を共有しているアルエにしかわからなかった。
舟が大きく揺れる何らかの要因が起こったのは事実。
しかしそれを伝えようにも、あまりに”形容し難い”現象に、アルエは弁明すら出来なかった。
「次サボったら――――」
「だ~からちげえっての!」
うまく言えない不備の要因。これを何とか伝えようと言葉を探すアルエ。
そんな、まさにちょうどなタイミングであった。
誰しもが、予想しい得なかった――――
第二波の、到来である。
(――――ピッ)
ゴ ォ ウ ン !
「「 う あ ッ ッ ッ ! 」」
第二波――――それは一波とは完全に規模が異なる、もはや地震に近い振動であった。
今しがたの強い揺れを更に上回る大震動に、ついに一行は全員が全員足を滑らす事態となってしまう。
医者は背中から大きく崩れ落ち、オーマは縁に頭を強くぶつけた。
しかしこの事により、アルエに対する嫌疑は晴れて無罪放免となる。
これはもう、”外的要因”による物なのが明白であった為――――。
「ぐはッ……!」
「いったぁ……一体何よもう……!」
「だから言ったろ! 今のもさっきのも僕じゃない!」
「急に”支えが無くなった”んだよ! なんかいきなり、フッと”消えた”ようにさぁ!」
それは、舟を支えるアルエのみがわかる感覚であった。
異変を感知したのは、両翼に乗せた二匹の内の「左翼側」の大蛇である。
チラリと見えた妙な影。その直後に感じた無の感覚。
すなわち左翼の感覚が、忽然として”消え去った”のである。
ギィ――――……
『わわわ、傾く! 支えろ支えろォ!』
「うあ……大蛇ィ! 二匹とも左に回れ!」
「くっ、一体どうしたと言うのですか……!」
揚力を生み出し舟体を宙に浮かせる役目の両翼。その片側が、運行中に突如消え去ればどうなるか。
答えは――――”消えた側に偏る”である。
その法則は異界の飛空艇であろうと例外ではなく、傾く舟体が直ちに甲板を、滑り台に変えた。
「ストップストップストォーップ! これ以上傾いたらマジ落ちるって!」
『水玉ぁ! こっちやこっち! こう、傾いてる方と逆向きに圧を変えるねん!』
「ゴボボボォ……!」
アルエが大蛇を急遽左に集中させたことにより、転覆は辛うじて防ぐ事が出来た。
仮にこのまま放置していれば、舟は高速で「左回り」に回転し出したあげく、そしてあわや墜落――――。
奇しくもアルエが、疲れを理由に所々手を抜いていた事が、転覆を防ぐ猶予を稼いだのである。
「止まった……?」
『あっぶ~……』
「――――お、大魔女サン! あれ……!」
「なッ……!」
この突如現れた急傾斜。アルエ曰く「支えが突然無くなった」との事。
転覆を免れた事に安堵する間もなく。舟体が左へと大きく傾いた事で。その原因を一行に見せつけた。
そして、この場の全員が目を疑った。
それはまさか、アルエの言葉のままに――――
本当に”左翼が無くなっていた”とは、誰も思わなかったのである。
『ちょ、ええ!? 左翼無くなってるやん!?』
「故障!? 私が何か、操作をしくじったのでしょうか!?」
消えた左翼はよく見れば根元部分が多少残っており、それにより変形機構らしき構造部品が少し見えた。
しかし肝心の、翼を翼足らしめる先端部分がない。
消えた先端に注目が集まる中、オーマだけはその逆。未だ残る根元部分を注視していた。
「違う違う! なんかさっき、一瞬変な影が見えたんだよ!」
「そのすぐ後にこれだよ! なんか、どっかからなんかされたんじゃねえの!?」
「では……ペアヌットが魔法を放った……?」
オーマも、アルエと大凡同様の考えであった。
「何かされた」。それは疑うまでもなく明白である。
しかし両者の意見が異なる点は、その”手段”である。
「いや、違う……これは……」
それは、自身も遠隔魔法を使用できるが故に理解できる事。
仮にペアヌットが何らかの遠隔魔法を放ち、それに直撃を受けたのならば。
絶対にありえない現象が、右翼に起こっていた。
分断された右翼の直線的すぎる痕跡は、破壊を主とした魔法を浴びたのならば不自然なまでに均一すぎる。
その他周りの一切に痕跡が見られず、直線に沿って一切のズレなく通る。
これらの事から、オーマは「射撃」ではなく「斬撃」を受けたと結論を下した。
「これは……この”斬り口”は……!」
同じ斬撃と言えどその差は千差万別。
研ぎ澄まされた日本刀と粗悪なナマクラ刀を比べれば、切れ味の差は一目瞭然なのは当然である。
そしてオーマの目から見て。
この左翼に付いた斬り口は、オーマの知る限りにおいて――――
これほど極上な斬れ味を持つ”刀”は、ただの一本しか考えられなかった。
ボボボボボ――――……
バン――――ババンバンバン――――
バンッ” バンッ! バーババババーババーババァーーーーッ!
「ちょ、うっせ!」
『今度はなんやぁ!?』
ゴゥン――――無理に傾かされた舟体の軋む音を上塗りするように、塞いでも塞ぎきれない爆裂音が鳴り響いた。
その爆音は爆音にも拘らず妙に規則性を見せており、「バン・ボン・バン」と妙に陽気なリズムを刻んでいる。
それはまるで、不良が好んで行う二輪車のアクセル刻みのように。
「これは……排気音ですか……?」
『族!? でも、あいつらは……!』
「まさ……か……」
爆音を楽器代わりにすると言うこれ以上ない「アホ」な事をする人物。
この瞬間、オーマは疑惑を確信に変えた。
そしてアルエが「まさか」と発した裏で、一人「やっぱり」と呆れ混じりに呟いた。
今から現れるはずの人物が、当人もほとほと呆れる程に。
謎の”腐れ縁”で繋がっている人物であったが為――――。
バ ァ ゥ ン !
「パムバッキャロォーーーーッ! お前、一体何やってんだァーーーーッ!」
((お、王子――――!))
つづく