百三話 飛蝗
「うっし……後は、英騎のいるあの山のみ!」
「あそこを越える事が出来れば……ですが!」
『例の最終段階とやらまで……持つんか?』
「コポォ……!」
状況は、まさに五分と五分であった。
無事帝都を脱する事に成功したのも束の間。同じく帝都の境を越え追ってくるペアヌットの大部隊が、依然として逃げ続ける舟をしっかりと捉えていたのである。
『はっや。後ろの奴、もう先頭まで追いついてきとる』
「召喚士総動員っつってたわね……オヤジめ、本気の大ガチ体制だわ」
オーマの魔法によって追っ手を駆逐するのは容易い。
しかし分散複合型と言う特殊な性質を持つ以上、”一体一ずつ潰した所で大して効果はない”事を逃亡者サイドは知らされていた。
仮に目前の追っ手を潰した所で。後からやってくる「ペアヌット第二世代」が、前世代よりはるかに上位のスペックを携えて迫り来るのである。
「増援が到着したぞ! 全員続けェーーーッ!」
「あの舟は、必ず取り戻す!」
無論、それは速度も向上させて。
コォォォ――――
「距離は!? 英騎のいる山って、手前の低い山だったわよね!?」
「目測ですが……おおよそ60km弱といった所でしょうか」
『びっみょ~やな……』
「コポ……」
目標地点まで残り僅か。
しかし倍々的に向上するペアヌットの速度が、僅かを僅かと呼ぶ事を許さなかった。
此度の逃走劇をレースに当てはめるならば、「逃げ切り」を狙う舟に対しペアヌットはいわば「追い込み型」と言うべきか。
舟の速度を持ってすれば取るに足らない距離。
しかし余裕を持って逃げ切れるかと問われれば、それはあまりにも長すぎる距離であった。
「くッ……やっぱ成長がはやい……」
「せめて、舟にもう少しだけ加速をつける事が出来れば……」
「――――それだ!」
その時。オーマの脳裏にある打開策が浮かんだ。
キッカケは医者の何気ない一言。
その言葉の通り、”舟に加速をつける”方法である。
『いやもう、アクセル目一杯ちゃうん?』
「いいや、まだあるわ。この場に唯一一つだけ付けれる外部装置がね」
「確かにそういうパーツはあるらしいですがね……しかし、そんな物はこの舟にはありませんよ? そこまで奪う余裕はありませんでした」
「そこで――――コイツの出番よ!」
「えっ僕?」
オーマの言う外部装置――――それはアルエの事を指していた。
いつの間にかカスタムパーツにされていた事にアルエは若干の動揺を見せつつ、しかしそんな事はお構いなしとオーマの説明が続く。
オーマの唱える加速理論。それは端的に言えば、「お前が舟を回せ」である。
「聞いたわよ。随分パワーアップしたんですって?」
「パワーアップっていうか……その分ボッコボコにされたから差し引きゼロみたいな……」
「ノンノンノン、ユーアークレイジーボーイ。オーケー?」
「はぁ……?」
「余力もある! 実績もある! 加えてこんな上等な精霊石まである!」
「だから――――成長した精霊使いの力、今こそここで見せるべきよ!」
「そして、アンタが”機関”になんのよ! 今すぐに!」
「……はぁ!?」
「精霊使いが精霊魔法を駆使すれば、舟の速度を更に上げる事が可能」。
オーマは絶対の確信を持って自論を発するが、指名を受けたアルエにはどうにも腑に落ちなかった。
おそらく「水の力を使え」と言っているのは理解できる。
しかしそれが、何がどうなって速度に繋がるのか。
勉学に疎いアルエはそこがどうしても理解できず、そして術者が理解できぬ以上。
実行に移す事もまた、できなかった
「できんの……そんな事?」
「コポォ……」
『う、う~ん。一応理論上は可能やけど、お前の頭で理解できるかどうか……』
「ほら、私に使ったアレですよ。アレと似たような事をやれと言っているんです」
「……さっぱりわかんねえ」
急遽、アルエに臨時家庭教師が付く。
確かな情報を元に解説できるスマホと、医師免許取得に成功る程の学歴を持つ医者。
この教えると言う点で強力無比なタッグが、アルエになんとか理解させようと四苦八苦するものの――――
基礎テストもままらないアルエにいきなり「専門知識を会得せよ」と言うのは、二人を持ってしてもあまりに無謀過ぎた。
「もう、もっと……基礎物理くらいマスターしときなさいよ!」
(無茶言うな)
『まぁ……よーするに、とにもかくにもまず大蛇出せっちゅーこっちゃ』
「でもさっきは半分しか出なかったんだけど」
「オ医者ァ! ちょっとこいつ見張ってて! こいつ、やっぱ不安だわ!」
「……」
「まぁ……職業柄診る事は得意ですが」
『勉強せえよ』
そうこうしている間にも刻一刻と追手は迫り来る。
王がペアヌットの召喚士を総動員させた事により、オーマの予想に反して成長が随分と速い。
オーマにとっては一刻も速く加速をつけたい所ではあるが、肝心のアルエがあの体たらく。
多少の時間が必要と察したオーマは、またもアルエの尻拭いをするハメになった。
「くっ、すごいんだかへぼいんだかわかんない精霊使いね!」
ガチャリ――――弾倉の壊れたリボルバーをオーマが魔力で無理やり修繕し、そして再び砲身を追っ手へと向けた。
この際修繕されたリボルバーはもはやリボルバーの形をしておらず、銃と分類できるかどうかもわからぬ程無残な姿になり果てていたが、そんな事は現状些細な事。
「アタシが時間を稼ぐから、さっさとやれ」――――そう言ってオーマは、引き金を引いた。
「くんじゃねェオラーーーーッ! てめぇらは帰ってオヤジの世話でもしてろ!!」
「「くあッ! また大魔女様が撃ってきたぞォーーーーッ!」」
パンパンパン――――……
「少年、彼女がペアヌットを退けている今のうちに、速く!」
『やるしかあらへんでこれ。もはやお前に決定権はない』
「はぁ……もう……水玉!」
「コポ!」
「とりあえず、大蛇出せばいいのね!? 後は指示してよ!」
『ちょっとは自力で考えんかい』
未だよく理解できぬまま、アルエは大蛇を出した。
アルエの目が蒼に染まり、そして水玉が巨大な龍へと変体を遂げる。
アルエの大蛇を確認した後、間髪入れず医者が助言を添えた。
「舟を支えてください」――――そう言われるがままに、大蛇が舟に巻き付いた。
――――しかし。
「くおッ……!? おッッッも!」
『おい! 大丈夫か!?』
ズン――――アルエの身体に強烈な重みが被さる。
大蛇が舟を持った直後、アルエは妙な呻き声と共に両手足を床に着け、そしてそのまま動かなくなった。
舟の巨大質量が大蛇との共有により、アルエの体にまでその”重み”を反映させたのである。
「何やってんのォ! 誰が持つだけっつった!? とっとと速度上げろ!」
「…………無理!」
持つだけで精いっぱいのアルエに、とてもじゃないが速度を出す余裕はなかった。
アルエの危惧した通り、大蛇は案の定八頭とはならなかった。
先ほど出せたのは半分の四匹。しかし今回はそのさらに半分。
消耗に次ぐ消耗により、たったの二匹しか出なかったのである。
「くっ! 数が増えて来た……」
「――――臆するなァ! 援軍は続々と増加中、利は我らにあるのだ!」
「大魔女様さえ攻略できれば、もはや勝ったも同然だ! 帝国魂、今ここで見せるときぞ――――!」
「…………やれるもんならやってみろ一兵卒ゴラァーーーーーーッ!」
オーマの健闘も虚しく。舟は依然として速度を上げないまま、ペアヌットのみが確実に距離を縮めていた。
アルエの理解できぬ物理法則に加え、大蛇がさらに半減する程の消耗。
スマホが、アルエに向けて懸命に指示を出す。
しかし舟の重みを直接に受けるアルエには、その言葉は届かなかった。
「おんもォ……! か、な、何これェ……ッ!」
『そっからアレやアレ! 水をバーンさせたらええねん!』
「二匹だけじゃ……さすがに無理だって……!」
オーマの案は企画倒れ寸前であった。決してアルエが頼りないわけではない。
要因。それは確かな実力を持つ精霊使いが、その持ち味である「精霊をうまく使役できない程」に消耗している事をオーマが気づけなかった事に起因する。
「もっかい……矢撃つ……?」
しかしこうなった以上。できる事ならしたくなかった”最終手段”を取らざるを得ないと、オーマは判断しつつあった。
誰の力も借りず、自分一人で何とかするしかない。
自身の持つ莫大な魔力を用いて追っ手を一掃。
有り余る魔力が例え、”他者の命を奪う危険性”があったとしても。
――――オーマは魔力が莫大な反面、扱いがやや雑な事が欠点である。
故に相手が一命を取り留めつつ、うまい具合に”戦闘不能状態のみ”にする等と言った器用さには、いささか自信がなかった。
「つ、潰れる~~~~ッ!」
『うぉぉい! 耐えろ! 耐えるんやジョ~!』
怒りに任せて王宮に矢を放った直後の現状。
さらに加えて帝国兵に危害を加えれば、今度こそ「自分は完全に裏切者」になってしまう事は、さすがのオーマも理解できた。
しかし横で舟の重みを一身に受けたアルエが呻いているのを見て、放置しておけば今度はアルエが危ないのも理解できてしまった。
「く……そ……」
ある種究極の選択。
自身が嫌がらせ目的でさんざ行ってきた無理難題を、自分が受けるハメになれば当人はどう思うのか――――。
オーマの指先からパチパチと点滅する電気が、その迷いを表していた。
――――そして、その迷いは直ちに消え去った
「ん?」
『お?』
「わっ」
「ハァ……ハァ……み、皆さん……お、お待たせしました……」
人知れず姿を消し、そしてまた人知れず現れた医者に一同は思わず面を食らう。
何故マラソン完走後のように息切れしていのかはさておき。
医者の行った咄嗟の機転は、オーマの迷いを掻き消し、同時にアルエの苦痛すらも消滅させた。
――――クンッ
「わっ! 何!? いきなり軽くなったぞ!?」
『高度も目に見えて上がっとる! 急に、どないしてん!?』
「いつつッ、何分アバラを壊している物でね……余分な時間を掛けた事をお詫びいたします」
「私ともあろう者が、すっかり忘れておりました……帝都を脱したら、すべき段取りがあった事を」
「何……したの……?」
医者はアルエの身体から重みを取り去り、同時に舟の動きをも活性化させた。
曰くそれは、機転ではなく元々の段取り。現状の混乱で失念していただけと医者は言う。
アルエ以上に重体な体を引きずりながら、それでも遂行したすべき段取りとは。
「この舟の目玉の……”魔力を用いない浮上機関”とやらを、今作動させて来ました」
「どうやら、帝都内外の使い分ける”変形機構”があるようですね……いただいた設計書にバッチリ書いてましたよ」
舟には、二種類の運航形態があった。
帝都内では魔導車同様、帝都の魔力を用いて浮上する為舟は舟らしい姿形のままで問題なかった。
しかしひとたび帝都の外を出ればどうなるか。
空力を考慮しない構造は浮力を生まず、結果空駆ける舟とはならない。
言うなれば、ただの大きなモニュメントである。
「まぁ、やっぱり……空を飛ぶのなら欠かせない要素ですよね」
「その説明書、例のスパイにもらった奴……?」
では、魔力に頼らないならどうすればいいか――――その答えは「物理法則を頼る」である。
そうして帝国が試行錯誤の上生み出した設計構造が、所謂”可変”構造。
舟は、帝都の外と中を使い分けた二つの形態を有していたのである。
「これは……」
「羽……?」
オーマはそれの変形を、一瞬「鳥になった」と錯覚を起こした。
しかしその錯覚はあながち間違いではない。
オーマの錯覚が理解出来る程、アルエと医者の「現実世界の住人」はよく知る物であった。
「私ね、小さい頃は飛行機の操縦士になるのが夢だったんです。まぁ、結果として全然関係ない職に就いてしまいましたが」
「やや歪な形ですが……その夢が叶ってよかったです」
舟の大元のコンセプトである。魔力を用いない浮上機関。
それらの条件をクリアする為に備えられた帝都外運行形態。
その最大の特徴。所謂――――「翼」である。
「飛行機……そう、飛行機だ!」
「ねえ、ヒコーキってなに?」
『お、やっと理解しよったか』
「ちょうど大蛇は二匹だ……これなら!」
『そうそう。揚力を上げるねん』
「ねえ、ヒコーキって何よ!?」
翼が生えた事により、アルエは理屈ではなく感覚で理解した。
持つべきイメージはズバリ飛行機。
アルエの連想するごく一般的な飛行機。その左右の翼には、所謂「ジェット」と呼ばれる機関部が備わっているのは周知の事実。
これはちょうど、今の大蛇の数と同じである。
『ほれ、GIF作ったったから見ろ。あれはこうやって動いてるねん』
「回転……回転だ!」
大元の連想が掴めれば後は芋蔓式に掘り起こされる。
細かな仕組みをスマホが提示する事で、アルエの脳裏には再現度の高いジェットエンジンが出来上がった。
大きく吸い込んだ空気を圧縮し、燃料と混ぜ放出する。
これは、自分が編み出した精霊魔法とほぼ同義の物である。
「要は……バーニア的な事だろ……!」
『そうそう、お前にはそういた方がわかりやすかったかもな』
回転と圧力の操作。この二つの要素はアルエが水玉を使役する上で最もよく使われた手法である。
理屈は依然として理解できぬままではあるが、しかし感覚として身に染みているのでなんら問題なかった。
基礎ができていれば、後は多少の応用を効かせるだけ。
今のアルエには、それは至極用意な事であった。
「ねぇってば! ヒコーキって何なのよって!」
『ごめん、ねーさんちょっと黙って』
「大蛇……水を目一杯溜めろ……限界まで溜めて溜めて溜めて、それで一気に放出する!」
「ゴボォゥン!」
本物のジェットエンジンに加えロボットアニメでよくあるバーニアの加速描写。
それらを脳内で一つに混ぜれば、自然と浮かぶは舟の超加速光景。
アルエは、舟に生えた左右の大翼に二匹の大蛇を絡ませた。
そして大蛇の口を推進方向の逆に置き、大きく口を開かせ、その後水をただひたすらに溜め続けた。
大きな推力を生む為に。これは、初速を限りなく最高速度に近づけるイメージ――――
今まで、アルエが何度も試みた事である。
「こんだけ膨らませりゃ……十分だろ!」
「おっ来ますか!?」
『ボンキュッボーンやぞ。ボンキュッボーン』
「もう、いい加減ヒコーキって何なのか教えてよ!」
アルエの常用する高速移動術【水蛇】。
水を巨大に膨れ上がらせる【水牛】。
そして大きく破裂させる【水風船】。
これら三つを術を混ぜ合わせ思いついた、巨大質量運搬用加速移動術。
アルエは、大質量の重みを跳ね返す程の巨大な力を”瞬発的に”放出する事が必要な点から、この術をこう名付けた。
「”跳”べーーーーッ!」
「ヒコーキって何よォーーーーッ!」
【水飛蝗】、と。
――――
……
舟は、アルエによって加速が付き、結果として追手を大きく引き離した。
しかしこの時一行は気がつかなかった。
【水飛蝗】が生み出した加速の裏で――――
――――ピシリ。舟に、小さな亀裂が走った事を。
つづく