九十九話 逃行
テロリストの襲撃――――
かねてからの噂通り、本当に真正面から襲撃してきたテロルの戦火に、江浦光治は「精霊使いアルエ」として否応なく巻き込まれていく。
多数の人々の助力の中、精霊使いとして急激に成長していくアルエであったが、魔法とはまた異なる力を扱うテロリストの猛攻に成す術もなく、次々と出会う者を死なせてしまう。
絶望に打ちひしがれるアルエであったが、唯一残った希望に縋り、そして見事テロリストの目的「渡り舟の強奪」を看破する。
テロリスト構成員最後の一人「医者」を下した後、英騎の居所を聞き出すべく尋問を開始するアルエであったが、医者は頑なに何も答えなかった。
堕ち行く舟の中焦り猛るアルエ。
そんな時、今まで姿を消していた大魔女が意気揚々と現れた。
それは帝国とはまた違う、第三者の立場として。
得体の知れぬ”悪巧み”を引っ提げながら――――
「――――渡り舟、依然として沈黙を保っています。動き出す気配、ありません!」
「よし……全軍包囲! 舟の軌道を覆うように取り囲め!」
それは、オーマらが飛び立った数分前に遡る。
大魔女の唱えた土の腕に掴まれた舟を一望できる場所。
すなわち王宮から、一連の様子を見つめる一人の視線があった。
帝国の長、「王」その人の物である。
「ペアヌットの様子はどうだ?」
「は! ペアヌット発現からマル・サン・マル刻。依然として安定を貫いております!」
「よし……」
王宮は今。焦りと緊張と期待が入り混じった今までにない興奮に包まれていた。
紆余曲折を経てついに辿り付いた英騎の尻尾。
その一員である医者を捕える事は、アルエのみならず帝国側にとっても、初の反撃となるまたとない機会であったのだ。
「帝都外への境界線は魔導車部隊で固めろ……舟へ近づくのは、あくまでペアヌットだけだ」
「決して先走るな。奴らには”我らの知らない何か”がある。と、重々伝えておけ……!」
「――――は!」
王の的確な指示が、軍の連絡網を介し速やかに全軍へと広まる。
かつて帝都の守護騎士として最前線を駆け周り、積み重なる程の武功を立てた経歴のある王は、目標を目の前に「功を焦る」事の愚かさを心に刻み込んでいた。
精神の高揚と場の雰囲気に飲まれ、一人先走った果てに命を落とす。その様子を王は幾度となく目撃してきた。
それが故の慎重さ。事を成す前のほんの一息。
その数秒にも満たない”間”の重要性を、王は重々理解していたのである。
「徐々にでいい……徐々に……総員で……捕縛に当たれ……!」
「王宮から各員に通達。各員ただちに配置に着け。”布陣を固めるのが最優先”との陛下からの指示である――――」
そんな王が取る指揮は、ある種の臆病とも取れる程に「慎重」を全面に出した策であった。
まずは舟と英騎を隔てる事を前提に、魔導車の群体を帝都の外枠いっぱいまで配置し舟の軌道を塞ぐ。
そして本命のテロリストを捕える役目を与えしは、それこそが帝都最大規模を誇る特殊召喚獣「ペアヌット」である。
王はペアヌットを召喚する際。
ペアヌット一個辺りに兵を一人乗せるよう命令し、騎馬隊の如き大隊を編成した。
強大な「魔力」と柔軟な対応が出来る人の「思考」を同時に合わせた、まさに「一石二鳥」の作戦指揮。
慎重さ故に欲する「利」の数。それは人一人捕えるのに盤石過ぎる布陣。
王の脳裏には、長年追い続けた「英騎の尻尾」を掴む未来が、ハッキリと見えた――――。
「ハッ――――陛下! 舟に動きが!」
「どうした? 英騎の手先が抵抗でも見せておるのか」
「いえ……変化を起こしているのは、大魔女様の召喚獣です!」
「パムの……? どういう事だ?」
「よくわかりませんが、なにやら少しずつ高度を落としているようで……」
「高度を……? 地上で包囲しろとでも言うつもりか……?」
そんな目先の未来は、かつて過去を未来へと送り届けた教え子によって塗りつぶされる事となってしまう。
王の思い描く未来よりさらに先を見通す、大魔女と呼ばれる一人の女によって。
「……い、いや違う! これは!」
「捻じれております! ゴーレムの腕が、舟の軌道と反対方向に!」
「……なにぃッ!?」
――――何の偶然か、ちょうど時を同じくして王と同じ叫びを発する者がいた。
此度の一連の騒乱。その中を精霊使いとして尽力を尽くした、アルエその人である。
アルエは舟上で、王と同じく叫んだ。
舟上でただ一人。大魔女が何をしようとし、これからどうするつもりなのかを。
誰よりもいち早く、察知してしまったが為に。
(ま、待てオーマ! そんな事し――――)
「あれは……少年……?」
アルエが「待て」を連呼している頃。その様子が薄らとではあるが王にも見えた。
舟が王宮の方角を向いたが故に現れた、一時の視界である。
王から見て、今舟上で何が起きているのかの詳細は視認出来ない。
しかし舟上にいる者が何を思い、今どんな心情であるのかはハッキリと理解できた。
「ゴーレム、なおも廻転! あれでは、まるで……!」
「ま、まさか! あの阿呆!」
遠く離れた他者の心が理解できる。
一見すると不意に芽生えた超能力の用ではあるが、その実はなんて事はない。
単純に、「自分と同じ気持ちだから」わかっただけである。
まだ配置に着ききれていない兵、召喚獣、並びに魔導車。
その未完成な布陣の中、不意に捻じれ始めた土の腕。
そして、その不可思議な動きをし始めた土の腕の使用者が、一体どんな人物であるのか――――。
これらを考慮すれば、「イヤな予感」が的中するのにそう時間はかからなかった。
「 飛 べ ! 」
「「 な に ゃ ァ ー ー ー ー ッ ! ? 」」
その場の全員が、腹の底から叫んだ。人々が一つになった瞬間である。
その場の全員が同じ雄たけびを上げ、その場の全員が同じ方向を注視し、その場の全員が全員開いた口を塞ごうとしないまま。
ただただ呆気に取られていた。
「陛下……………ちょ、ええッ!?」
「なななな、何をやっとるかあのバカモンはァーーーーーーーーーッ!!」
キラリ――――昼に輝く星屑となった、舟を見送りながら。
――――
……
ゴォォォォォ――――ガガガガガガ――――
「う……」
土の腕の巨大質量から織りなす遠投の圧は、人間には過度の負荷となり、本人の気付かぬ内に意識までもを彼方に追いやった。
それは医者にも例外ではない。
土の腕が舟を「ぶん投げ」てから数分後。
ようやっと目を覚ました医者は、一瞬の混乱の後。緩やかに現状を理解した。
(そうか……どうやら、気を失っていたようですね)
(あの大魔女サンが舟をぶん投げたせいで……もう、トコトン粗雑な人です)
目を覚ませば甲板の光景はそのままに。外の景色だけが溶けるように流れていた。
その速度は流れる景色から察するに、スポーツカーのフルスロットル”程度”では到底追いつかない程の速度が出ている事がわかる。
(まぁ、無事逃げ切れれば何でも構わないですが……)
(にしても、わざわざ投げなくったって……)
医者は目を覚ますと同時に、まず体を起こさぬまま低く姿勢を保った。
髪が乱れる程の豪風が、頭を叩くように吹きすさんでいる為である。
豪ォォォォ――――と、まるで巨大扇風機を目の前で当てられているかのような風圧が、全身に絶え間なく当たり続ける。
枕元で流れれば明らかに安眠できそうにない豪速音が流れる中。それに負けじと、さらに舟に備えられた複数基ものプロペラまでもが、ガロガロと”過剰に”旋回する音を奏でていたのである。
(あ、そうか……)
(舟の向きが……逆になっているんですね……)
過剰な旋回音は、オーマが向きを反転させたまま投げた為、進行方向に対し「船首」と「船尾」が逆さになっている事に起因する。
その為、旋回するプロペラは全て”逆方向”に回っているのである。
ガロガロ、ゴォゴォ――――気を失っていた合間には感じ取れなかった騒音が、医者の意識を覚醒させる手助けをした。
これらの大喧噪から医者は理解する。あらゆる意味でここは、”まだ”安全ではないと言う事を。
(たばこは……吸えそうにありませんね)
荒々しい脱出。機関部の異常の可能性。さらに加えて帝国軍の追撃の脅威まで未だ残る現状。
今自分に出来る事は、とりあえずは「動かず騒がず冷静に」。
予期せぬ二次災害を防ぐ為、まずは身の安全を確保する事――――。
医者のやっている事は、さながら地震発生時のありようそのままである。
(ん……?)
『――――こうな、反対の手でハンマーを押しながら撃つねん』
「こう?」
『そーそー。その撃ち方やったら気持ちよくパンパン撃てよるわ』
そんな大災害にも匹敵する現状の中――――。
呑気に「雑談」を楽しむ声が聞こえて来た事だけが、今の医者に唯一理解できない事であった。
「でもすぐなくなっちゃうわね、コレ。何とかならないの?」
『そこはまぁ構造上六発までって決まってるからなぁ』
(何をしているんです……?)
『ええやん別に。弾ならなんぼでもあるねんから』
「それもそっか……ほら、ボサボサしてないで弾ドンドン持ってきて!」
「はいはい……パシられてやるから責任は持てよ」
そして一連の会話を見届けた後。
現状を完全に把握し切れない自分に、「別れ」を告げる気づきがやってきた。
「おっし……じゃあ、次は”必殺連射撃ち”よ!」
『ねーさんがんば』
「コポコポコポ!」
「意味が被ってるよ、言葉の」
――――愛着の湧いた品々との、”別れ”と同時に。
「 あ” ~ ~ ~ ~ ッ ! 」
パァーン――――……
医者の悲痛な叫びは、それを大きく超える”銃声”によって掻き消された。
「あ、持ち主起きちゃったんだけど」
「おはよう。いい夢見れた?」
医者の所持していた「リボルバー」が、いつの間にかオーマの手に渡っていた。
どう考えても、気絶っている間に霞め取られたのは明白である。
抜け目のないオーマの手癖に呆れつつも。
その実リボルバー自体は、一度アルエに奪われているのでさほど問題ではなかった。
「ちょッ! そ、そそそそれ……!」
――――問題は弾の方である。
三発しか残されていなかったはずの弾が、西部劇劇中でよく見る「連射テク」が使える程に大量保持されている事の不自然さ。
一体どこから調達していると言うのか。
その答えは、これまた気絶る間に霞め取られた大量の「愛用品」から来ている事を、医者は強い喪失感と引き換えに気が付いた――――。
「まだ疲れが残ってるでしょ? 二度寝してていいわよ」
「わ、私の「医療器具」じゃないですかァ――――!」
次々とリロードされる弾薬の正体。
それは医者が、コートの裏に忍ばせていた医療器具によるものであった。
「いつでもどこでも何にせよ」――――をモットーに、常に持ち歩くよう心掛けている医者の生真面目な性格が、この場に限り仇となろうとは、本人すらも思ってはいなかった。
「いい金属使ってるわね。おかげで精製がしやすいわ」
「非常に助かるわ。”アリガトウ”」
心ない礼を述べるオーマの指には、ドロリと溶けた金属の液体がへばりついていた。
まるで綿菓子のように指に絡みつく溶湯は、オーマがクルリと軽く指先を動かすと同時に、瞬く間に一粒の金属粒へと凝固して行った。
そしてオーマが生み出した金属粒は、生まれたと同時に暗い鉄の檻へと閉じ込められる事となる。
「わわわ、わたわたわた、私の大事などどど道具が」
「落ち着け」
出所不明のリボルバーの弾薬。それはオーマが魔力で精製した「即席の弾薬」である。
その元となるのは、アルエから教わった銃の知識を元に選んだ、弾の代替品として最適な素材。
錆びず、研ぎ澄まされ、生体親和性も考慮されたこの場で唯一の優良合金。
それが医者愛用の「医療器具」達なのである。
『ハハ、ねーさんの前で寝てるのが悪いわ』
「別に……眠っていたわけじゃ……」
「まぁこっちもまさかぶん投げるとは思わなかったけどさ」
「くぅ……私の大事な器具で、一体何を……!」
「そんなの決まってるだろ」
パァンパァンパァン――――!
その時、まるでタイマーでもセットしていたかのように、砲口が火を噴く音が鳴った。
――――
「オラオラオラーーーーペアヌット共! 舟に近寄んじゃねェーーーーッ!」
「おわぁ! 大魔女様! 一体何をッ!?」
「大魔女様、おやめください! 何故我らの妨害をするのです!」
発せられた弾薬はペアヌットの至近距離スレスレを通り、瞬きする間もなく視界から消える。
おおよそ肉眼では捕えきれない弾丸のスピードは、目に見えず共。
持ち前の炸音を持って十分に役目を果たしていた。
「キャッハッハ、さすが異界の武器っ! 威嚇効果も抜群だわ!」
「殿」
「ただの無作為射撃じゃないですか……」
オーマの投擲は、医者のみならず帝国側にとっても完全に予想外の物であった。
味方であるはずのオーマが何故か敵の逃走の手助けをし、かつ自ら矢面に率先して妨害しているのである。
王ですら予想不能であったオーマの行いに兵が対応できるわけもなく。
兵を乗せた「ペアヌット騎乗部隊」は舟に対し、完全に”後手”に回る形となってしまった。
「まるで……強盗ですね……」
「まぁアイツは元からそんなもん」
オーマは、射撃は初体験にも関わらずそれはそれは見事に使いこなしていた。
それはアルエの入れ知恵を万遍なく取り入れた結果である。
しかし知識を授けた本人すらも予想してなどいなかった。
さながらハリウッド映画のような井出達で、小気味よく銃を振るう「魔法銃士」が目の前に誕生する事など。
「よっほっはっと……次は、何人か当ててこうか!?」
『ジェジー・ジェームスみたいやな』
全弾を撃ち切った後に決める華麗なガンプレイを披露し、しまいには砲口をフッと吹く仕草までもを学習。
軽い脅しと共に器用さと学習能力の高さを披露した後、オーマはまた次なる発砲を行うべく再装填を敢行。
そしてまたオーマの指にドロリと溶湯が絡みつく。
同時に、医者の医療器具を減らしながら。
「――――弾補充完了! さっさと引かないと、当たっても知らないわよ!」
「「な、なにゆえ~~ッ!」」
オーマの、唐突すぎる裏切り行為により。現場の帝国兵は未曾有の大混乱に見舞われる事となる。
指揮系統の本陣「王宮」すらも混乱に見舞われているのだからそれも当然の事である。
幸いにもペアヌットに跨った事が功を奏し、命の危険性自体は大きく緩和される。
しかし相手がかの大魔女である以上。現場の独断で特攻を敢行するには、いささか差がありすぎた。
それは距離的な意味でも。実力的な意味でも――――。
「平衡を保ってますね……」
『ねーさんがおるから攻めるに攻められんねやろ』
「影響力でけーなぁ」
数に勝る「ペアヌット騎乗大隊」が大魔女一人に完全に気圧されている。
アルエはオーマの影響力を再確認すると共に、確かな実感を感じた。
このままオーマが追手さえ何とかしてくれれば、ついに辿り付く――――。
飢えるように待ち望んだ、英騎との会合である。
(――――)
ブブブブブブ――――その時、全員の耳元に微かながら振動音が聞こえた。
風とプロペラの織りなす轟音の中ではあるものの、アルエと医者にとっては日常生活の音であるが故に、辛うじて聞き取れた。
アルエと医者に共通する日常生活音。すなわち「携帯のバイブレーション」である。
「ん、着信?」
『いや、わいじゃないで』
「私でもありません」
しかしスマホはもちろんの事、医者の携帯による物でもなかった。
それもそのはず、このような場面で電話を掛けて来る者なぞいるはずもない。
よって残った候補は、自然と約一名に絞られる事となる。
「……何もう! このクソ忙しい時に!」
(お前かよ!)
ピッ
「――――もしもし!? 誰!? 今忙しいんだけど!」
携帯電話の帝国版、通称「魔導話」。
その形状は携帯電話の黎明期に普及していた所謂「スティック型」の形状をしており、内容も通話機能とメール代わりの「魔送文」のみと、非常に簡素な物である。
スマホに慣れたアルエにとっては半ば都市伝説に近いシロモノであるが、これからマドーワが普及する予定の帝国に取っては、これ以上ない画期的な発明品なのである。
「あの人も携帯……じゃなくて、マドーワ持ってたんですね」
『盗品やけどな』
「誰からだ……?」
画期的な物ではあるものの、その実まだ帝都全域に普及はしていない。
単純に量産体制の規模と、新しい文化に対する市民の意識がまだ追いついていない為である。
故に現状は、まだ一部特権階級、および要職。そして”軍部”にのみ与えられているのが実情の魔導話。
「新しい物は往々にして受け入れられるまでに時間がかかる」――――これは当時を生きた医者が詳しい。
『こ』
長らく帝都を離れていたオーマが、そんな新製品を目の当たりにする機会があったはずもない。
彼女の持つマドーワは、一言で言うと「他人の物」である。
王宮内の警備兵から”借りた”と主張するマドーワ。無論名義上は軍の所有物に当たる。
『の』
軍備品である為、当然私用は厳禁である。
そんなマドーワを全て把握し、個人的な用事で電話を掛けられる人物。
そんな事が許される人物は、現状帝都内において唯一無比。
ただの一人しか、存在しなかった――――。
『 ヴ ァ ッ ッ カ モ ン が ぁ ァ ァ ァ ァ ァ ー ー ー ー ッ ッ ! !』
「ひあああああああーーーーッ!」
受話器越しでもハッキリと聞こえる”怒声”が、船上に轟いた――――。
「お、王様――――!」
つづく