九十七話 同盟――前編――
「え……え?」
「お前マジ何言ってんの!?」
先刻まで完全に敵対していた二人が、この場限りの同盟を組む事になるとは当の本人らすらも思ってはいなかった。
手を組むきっかけとなったのはオーマの一言。「逃がしてやるから手を貸せ」――――。
まるで、今までの意地の張り合いを全て無に帰すかのような、邪悪を前面に出した表情からして。
まさにそれは「悪魔の囁き」と呼ぶべき提案である。
『ねーさんほんま何言い出しますのんな!?』
「コポォ!」
「言葉の通りよ。協力するなら脱走を手伝ってやる」
「自ら捕まりたいってんなら別だけど。違うなら、願ってもないチャンスじゃなくて?」
オーマの言う通り、オーマの提案は医者にとっては願ってもない機会であった。
だが、それ故に逆に躊躇せざるを得ない。
「虫が良すぎる」――――幸運と言うにはあまりにも大きすぎる機会。
舞い降りた幸運が巨大すぎて。視界から大きくはみ出すぎて。
医者にはそれがなんなのかすら、わからずにいた。
「えー……と、ちょっと待ってください。状況がいまいち飲み込めません」
「いーや待てないね。決断の時は今この場しかないのよ、オ医者サン」
(さっきまで一番タラタラしてた癖に……)
「急きますね。何か事情でも?」
「大有りよ……さっき、ペアヌットは時間を食うって言ったけど、それは”発動後”にも同じことが言えるの」
「……と、言いますと?」
「”段階性”なのよ。分散型であり複合型であり、かついくつかの段階も持った特別な召喚魔法」
「ペアヌットが特殊召喚と言われる所以ね。召喚プロセスが特殊過ぎるってわけ」
「段階……」
無論オーマもこの提案を、ただの思い付きで発したわけではない。
ないが、やはりこの場に流れる「突然意味不な事を言い出した」感はぬぐいきれない。
オーマは自分に向けられる白い目から、説明の必要性を実感する。
余裕のない中煩わしい手間ではあるが、何より単純に”そう思われる事”が不快であったのだ。
『こいつの共有みたいなもんか?』
「コポォ……」
「違う違う。時間ないからよく聞いてよね」
「何を……」
「ペアヌットの段階とは、ズバリ”時間”。時間を掛ければ掛ける程ペアヌットはどんどん強力になっていく」
「今はまだ”初期段階”なのよ。アンタらが前にボッコボコにされたのは、ただの小手調べだったってわけ」
「な、なんですって!?」
特殊召喚獣ペアヌットの発動段階。それは精霊の共有段階とは似て非なる物である。
段階性とは言う物の精霊と違い、一・二と明確な分け目はない。
が、その代わり、時間が過ぎると共に”徐々に”強力になって行くと言う「時」に比例した性質を持つ。
「数も量も質も、今よりウン倍は上がるわよ」
「六門剣を奪ってとっとと逃げたのは大正解よ。そのまま王宮まで行ってりゃ、確実に返り討ちに合ってたわね」
「な、なんと……」
(こいつも知らなかったのか……)
すなわちオーマの唱える「ペアヌットの段階」とは、彼女が独自に付けた便宜上の分類である。
曖昧なまま気づかぬ内に、いつの間にか手に追えぬ程までに”成長”をし続けるペアヌット。
長く帝国に君臨する大魔女だから観察できる、「発現当初」と比べた際の成長度合いの差分である。
『う~ん、赤ん坊から大人になってくみたいな感じか?』
「こ、こんな短時間の間にですか……?」
「そして召喚士の魔力と、膨大な時間を全て食らい切った時――――ペアヌットは成長を止める」
「それがペアヌットの【最終段階】よ。その姿は、長い歴史の中でも一握りの人間しか見た事がない……」
(こいつは見た事あるのか……?)
「このままちんたらしててもし最終段階まで達したら……いくらアタシでも、ちょ~っと自信ないわ」
「だから、決断は今なのよ。最後のチャンスは、生まれたての今。この時しかないの!」
オーマの口ぶりからして、おそらくオーマは「その最終段階とやらを目撃した事があるのだろう」とアルエは察した。
そして、この場で唯一完全体を見た事のあるオーマをして「自信がない」と言わしめるまでに、それが以下に桁外れな魔法なのかを物語っている。
今の時点で十分驚愕に値する印象のペアヌット。
あの創作動物がもしさらに巨大になれば。そしてその後、飴に群がる蟻のように増え出したら――――
(やっぱ水玉だけではキツイか……!?)
「コポォ……」
「あれが……初期段階……?」
「知らなかったでしょ。でもそんなの、当然よ」
「だってそうでしょ? 帝都に真ッ正面から仕掛ける特攻集団なんて、アンタらくらいしかいないのよ」
「それも……そうですね……」
帝都の。いや、帝国の長い歴史を紐解こうとも。
帝国そのものに堂々と喧嘩を売る集団等、”英騎”以外にはいなかった。
帝国との戦火の口火を切る事がどれほどの事なのか。それは一員である医者も重々承知していた。
「長期戦は覚悟の上――――」自身が発した言葉を再び思い返す事となる。
何枚皮を剥ごうとも。まだまだ帝国は分厚い皮膚に覆われているのである。
――――
「てなわけで、返事は今出せ。やれ出せ。ほれ出しな~」
「じゃないと・舟から・蹴落とすぞ」
「リズム作んなって」
アメとムチ――――助けと脅しを同時に掛けたオーマの策略は、本人からしてもこれ以上ない出来栄えであった。
「ここまでやれば首を縦に振らざるを得ないだろう」そうタカを括ったオーマは、気分よく鼻歌を歌い出す始末にまで舞い上がっている。
「……解せませんね」
「……はん?」
そんなオーマの思いとは裏腹に、医者にはどうしても拭い去れない疑念が一つだけ残っていた。
単純明快。そもそもな話「大魔女が英騎に何の用があるのか」である。
「何がよ。何が不満なのよ」
「英騎を倒しに行くと言うならまだしも……”お近づきになりたいから仲を取り持て”ですって?」
「ふざけているようにしか聞こえません。一見好条件の提案に見えますがね」
「ハッキリ言って、”あなたのような得体のしれない人を英騎と会わしたくはありません”と言うのが正直な気持ちです」
帝国の刺客として抹消を目論むのであれば。英騎の元に集った一員として、オーマの提案は絶対に乗るわけにはいかない。
それならこのままペアヌットの供物に捧げられる道を選ぶ。
しかしそれとはまた違う目的があると言うのであれば――――
アルエ程ではないが医者もまた、オーマの人となりを薄々感づいていた。
この女が自ら出向くと言う事は、「絶対にロクな事ではない」と。
「……今、軽くこの辺がヒクってなったわ」
(まぁ、そらそうだろ)
「かの大魔女が英騎とお友達になりたいとでも言うつもりですか? 馬鹿も休み休みに言いなさい」
こめかみをヒクつかせ、隠す事すらせず苛立ちを全面に押し出す大魔女。
「自分の意のままにならない怒り」。例えそれが大魔女による怒りであろうとも、医者は確かな決意を持って頑なに首を縦に振らない。
”英騎に対する絶対の忠誠”。これは医者に取って、死よりも優先される事項なのである。
「その手には乗りませんよ。英騎に手を出させてなる物ですか」
「……」
例えその決意が――――取るに足らない勘違いであろうとも。
「なんだ……そんな事でごねてたの」
「そんな……事……?」
「いやていうか、もしかして……まだ言ってなかったの?」
「……えっ僕?」
オーマの怒りの矛先は、医者ではなく何故か側近に向いた。
大魔女が放つのは「耐え忍ぶ者への苛立ち」ではなかったのである。
それは言うなれば、部下への叱責――――それよりもっと程度の軽い「目上のお叱り」。
肝心な奴が肝心な時に肝心な事をしない段取りの悪さ。
この”また”尻拭いをするハメになったアルエの不手際振りが、オーマのイラつき原因なのである。
「いや、何を?」
「何をじゃ……もういい! スマホちゃん貸せ!」
『ぬおっ!? なんでわいが!?』
「あっちょ、何すんだよ!」
オーマはスマホを乱雑に奪い取り、慣れぬ手つきで指を雑に操作した。
しかしスマートフォンの操作法など知らないオーマが意のままに操るなど出来るはずもなく、結局はスマホの中の関西人に頼る事になる。
『ああ、これかぁ』
「拡大できる? スマホちゃん」
オーマが出したかったのは――――ある一つの画像データ。
「……多分これね」
『ぽいな』
「何をしているんです……?」
「この右端に映ってるの。ちょっとわかりにくいけどアンタとシルエットが似てる……」
「そ、それは!」
それは――――アルエが所持していた英騎の写真。
「見覚えないとは言わせないわ。なんてったって貴重な英騎の顔写真ですもの」
「どこかの街か、あるいは帝国軍の施設を襲った時か……ただ一つわかるのは、この写真の中にアンタもいる事」
「何故あなたが……いや、君がそれを!?」
「それ……」
その写真の詳細は当のアルエも知らない。
それも当然。モノクロと対峙した際、芽衣子のアカウントから”一方的に”送信されただけの意図不明の画像。
その時は映し出された芽衣子そのままの姿に目を奪われ、特に注視しなかった。
が、オーマの指摘通り。そこには確かに「医者らしき人物」が密やかに映し出されていた。
『あーそっか……』
「コポ……」
「今見ればこれも、何か気づく事があるんじゃない?」
オーマに促され、アルエは数日振りに見るその画像を改めて見回した。
その結果、見知った顔が何人かいる事に気づく。
正確に言うと”異界に来てから”知り合った人物の面影である。
「ほら、こっちの奴も見覚えあるわよ。さっきアタシがぶっ飛ばした奴だわ」
「こっちのは……あの大男か!」
「後のは知らないわね。変なチビ助に……なんか、ロン毛の奴」
(ドナと大母……)
その見知った顔とは、今まさに帝都に戦火を放つテロ集団そのものである。
オーマとアルエは自身が出会った者らしか知らないが、医者は当然全貌を熟知している。
それどころか今提示されている画像が、いつどういう状況でどういう言葉が発せられてたのか。
医者には、全てが鮮明に記憶されている。
医者は確信する。
アルエの英騎に対する異様な固執振り。その全てが、たった今紐解かれたのである。
『ちゅう事は……やっぱこれ、本物なんやな』
「コポ!」
「そんな……じゃあまさか、君は本当に英騎の……!」
「えと……まぁ……はい……」
アルエは、思わず敬語を使ってしまった。
深い理由はない。遅ればせながらの自己紹介に、ただなんとなく「ちゃんとしなければ」と思い込んだのである。
思えば最初に山で出会った際、互いに素性は明かさなかった。
明かす必要もなければ、明かした所で何の意味もない。”当時は”その程度の関係だったのである。
しかしその実、二人は出会う前からすでに繋がっていた。
出会う前から一つの縁で結ばれていたのである。
「お友達に”なりたい”んじゃないの。”すでにお友達”なの」
「わかるかな~、この違い」
(なんて……事です……)
「えと……まぁ……はい……ヨ、ヨロシク?」
――――「英騎」と言う名の女を介して。
後編へつづく