九十六話 悪
「ま、欠点らしい欠点と言えばやたらめったら時間がかかる事だけど」
『あ、もしかして』
帝都が守護獣と崇める、分散複合型召喚獣【ペアヌット】。
その姿をまじまじと見せつけられたアルエは、嫌が応にも理解せざるを得ない。
「テロリストの目論見は、完全に崩れた」。
魔法に無知なアルエでもわかるほどに、ただの一目見るだけで。
ペアヌットは”脅威”以外の何物でもなかったのである。
「ナイスファインプレーよスマホちゃん。さすが異界のマドーワね」
『でへへ』
(指示したの僕なんだけど)
「発現までに時間がかかるのが欠点」と語る割には「思ったより速かった」と述べるはオーマ談。
オーマの口ぶりは、まるで「何とかしてもう少し話を引き伸ばしたかった」と言いたげな口ぶりである。
しかしそれは単なる杞憂に終わる。
これは、アルエの半場ヤケに近い「追い込み」が思わぬ所で効果を生んだ為である。
「そういや誰もこねーなと思ったら……」
『準備してはったんやな』
振り返れば医者との戦闘中での出来事。
事前に情報を拡散したにも関わらず、帝国軍側が誰一人として救援に来なかった。
これは今思えばかなり不自然な事態ではある。が、湧いた疑問はすぐさま解きほぐされる事となる。
杞憂と知った途端、あからさまに肩の力を抜いたオーマによって。
「英騎の居場所が割れた以上、どっちにしろ行けばわかる事」
「で、それらはこれから捕まるアンタには関係ない事」
「……」
医者の執拗な揚げ足取りは、むしろ望む所であった。
オーマと医者の論争合戦は言わば穴埋め。
ペアヌットの発動をもう少し先と踏んでいたオーマの、「何でもいいから適当に放り込んどけ」を口に出した、ただの引き伸ばしである。
そして、そんなオーマを気苦労から解放した本命は――――
アルエの行った、追撃行為自体にあった。
「少年……」
医者が、不意に物寂しい目線をアルエに送る。
しかしその視線はアルエに届く事は無かった。
アルエもまた、視線を送っていたのである。
山中に一人佇む、英騎に向けて。
『ついにみっけたな』
「ああ……」
「コポ!」
アルエの視界に自分はいない。
この事を悟った医者は、グラリ――――最後の支えが消えた感覚に襲われた。
高く積み上げられた全ての事象。それらを支える”作戦”と言う名の柱。
その一本一本が静かに音もなく抜き取られ、気付いた頃にはか細い枝が一本。辛うじてバランスを取っているだけの状態であった。
そしてそんな細い枝もたった今。舟に吹雪く風によってどこかへ飛んで行ってしまった。
「ふわぁ……ねむ……。ま、よく頑張った方よ」
「こいつちょっと騙されかけてたし」
医者は、認めざるを得なかった。
静かかつ爆発的に、手遅れな程すでに。
末期まで達していた――――この、二つの病巣が。
「……一本、いいです?」
「え、アンタたばこ吸うの?」
「医者だろお前……」
「いいでしょ別に……私成人してますし」
医者はそう言うと、腰のポケットからくしゃくしゃになったたばこの入れ物を取り出した。
箱型ではない、パック状のタイプである。
ただでさえ脆い入れ物をポケットに入れたまま激しく動き回ったせいか、中身のたばこまで吸い殻のようにボロボロになっている。
が、そんな事はおかまいなしと言いたげに火をつける医者の姿を見て。
「意外とズボラ――――」アルエはそんな印象を受けた。
「フゥ――――まさか、こんな事態になるとはね……」
「お、その発言。敗北宣言と取っていいのかしら?」
「どうとでも……ただ一つ言いたいのは……やはりあなたは、要警戒人物だったと言う話です」
「とーぜんっ」
イメージと異なる医者のズボラさ加減は、ある意味で自暴自棄のようにも見えた。
もはやどう足掻いても八方塞がりと知り、全てがどうでもよくなったか。
状況こそ異なれど、アルエにはその気持ちを十分すぎる程理解できた。
自分が、常に苛まれている心情だからである
「社会人になるとね、様々な理不尽が付きまといます。逆らう事の出来ぬ理不尽、虐げ」
「職業は関係ないんですよ。社会のもたらす「ストレス」と言う物が、たかが煙で緩和するとなったら……そりゃ吸いますよ」
「ま、学生の君にはわからない事でしょうが」
「嫌味かよ……」
「たばこは体に悪い」これは誰もが知っている周知の事実である。
だがたばこは吸わない選択ができるのに対し、医者の言う「ストレス」は避けて通れぬ物である。
「たばこ」と「ストレス」、共通するのはどちらも非常に体に悪いと言う事。
医者の喫煙行為は、そんな二つの「悪」どちらを取るかと言う、理不尽な二択の果てに選んだ選択なのである。
「てかさ、そもそもこんなもん奪ってどうするつもりだったの?」
「フゥ――――ま、戦力強化の意味合いが強いですね」
「魔力を用いない浮上機関でしたっけ? 大空を自由に駆ける事ができれば、我々の戦いもグっと楽になるでしょうから」
「無関係な街を、襲う事が?」
「……」
医者はオーマの質問に対し、煙で持って返事を出した。
フゥ――――吐き出された煙をオーマが吸い込み、そのせいでゲホゲホとむせ返りを生じさせる。
直後、医者に軽い災難が降りかかった。
鼻をヒクつかせたオーマから、煙以上の罵詈雑言文句が吐き出されたのである。
「ゲホッ! くさっ……このっ……! くぉらヤブ医者! 挑発!? 挑発なの!?」
「いや……風下にいるからじゃないですか……」
『なんかまたもめ始めたで』
「知るか」
しかし医者に悪びれる様子は一切ない。
「言われなくてもわかっている」のである――――自分達が、受動喫煙所ではない非道を行っている事を。
「まぁ、英騎が何を考えているかは、本人に直接聞いたらどうですか」
「エスパーじゃあるまいし、他人の考えなんて私にはわかりませんよ」
「ついでにチクっといてあげる。あいつ、任務サボって一服してましたって」
「デマを流すのはやめてください」
医者とオーマのやり取りは、再びアルエの耳に届かなくなった。
オーマの推理を医者が自ら裏付ける。
これにより、”機は熟した”――――
アルエと英騎の間を阻む物は、これにて一切が消失したのである。
『おいこーじ、お墨付きもろた所でよ。そろそろ……』
「ああ……」
間に阻む物は無くなったが、その代わり後方から競い迫る物が生まれた。召喚獣ペアヌットである。
オーマの手により英騎の居所が帝国にも知れた。
これによりペアヌットの向かう地点が、アルエとの同一線上に被る事となる。
これからアルエがすべき事は、ペアヌットより速く英騎にたどり着く事。
すなわち「召喚獣」対「精霊」の、一人の女性を求めた熱い”争奪戦”の始まりなのである。
「まだ距離的にはこっちがリードしてる……水玉! 行けるか!?」
「コポ!」
水玉に注入された麻酔の具合が気がかりではあるが、完全回復を待ってる暇はない。
アルエは水玉の減速を考慮に入れつつ、ペアヌットとの距離差から今なら”まだ”こちらが有利と判断を下す。
ジュルリ――――アルエは、足裏を水玉に包ませた。
王宮を脱出する時同様。
初速を限界一杯までトップスピードと近づけた、爆発的スタートダッシュを切る為に。
「よし……行くぞ!」
阻む物はない――――はずであった。
ガ シ
「へいちょっと、待ちなそこのおにーさん」
「え……なに!?」
消失したはずの障害物が、まだ残っていた。
正確に言うと”障害物と認識していなかった”物である。
それはこれから発進しようとするアルエの肩を、いつもいつも乱雑に握りつぶすように掴む人物。
いつもアルエのすぐ後ろにいる、オーマその人である。
「アタシに断りもなく、どこ行こうとしてんの?」
「いやだから、英騎の……」
『危ないでねーさん。どいてや』
「えっ、もしかしてこの距離を走っていくつもりなの?」
「いや……それしかねえだろ!」
オーマは、これからアルエが何をするつもりなのかをわかっていた。”その上での妨害”である。
アルエにとっては煩わしい事この上ない邪魔立て。
時間が惜しい状況の中にも関わらず、この意図不明な急き止め。
ついつい感情が表に出てしまうのも、至極当然の事である。
「邪魔すんッなよ! もう、どけよ!」
『せやせや、このままおいそれと逃げられたらかなわんしな』
「コポォ!」
「あ、何その態度。ひどーい」
それでもなおしつこく肩を掴むオーマ。
アルエのムカつきは限界目前まで近づき、最悪の場合「そのままぶん殴ってしまおうか」と言う衝動にすら駆られる。
噴火寸前のアルエの苛立ち。それがどういうわけか。
邪魔立てをする本人の手によって急速に沈められていくとは、誰が予測できたか――――。
「何よその口の利き方。それが助っ人に対する態度なわけ?」
「だ……から……!」
「せっかく、送ってあげようと思ったのに」
「英騎の所まで」
「……」
(――――え?)
それはアルエにとって、高ぶる怒りが収まらざるを得ない程の、”予想外過ぎる”一言であった。
「さ、役者が揃った所で本題といこうかな」
「本題……?」
オーマはアルエの動きが止まったのを確認した後、ようやっと掴んだ手を離した。
そして今度は医者の所へ向けて、揚々と歩み出す。
「ふふ~ん」
(何してんだ……?)
医者の目の前に着いたオーマはそのまま膝を曲げ、両者の目線が平行になるまでに腰を降ろした。
つい先ほどたばこの煙を真正面から浴びたにも拘らず、どころか火種をそのまま咥えてしまいそうな程までに”顔を近づけて”である。
『近い近い近い、近いて』
「な、なんですか……? またむせますよ?」
「オーマ! いい加減に――――」
不可解なオーマの行動に再び苛立ちを覚えるアルエ。
「この時間が惜しい時に何をやってるんだ」アルエは心の中でそう激を飛ばし、ついでに直接吐きかけようと口を開いた。
が――――できなかった。
浮かんだ言葉をそのまま喉奥に飲み込むハメになったのは、開いた口が反射的に閉じる程の”瘴気”がそこに湧いていたからである。
「――――ウッ!」
「……ふふ」
その暗黒の瘴気は、いつかどこかで浴びた事があった。
本能が音量一杯に危険を鳴らす、邪悪の化身がオーマの顔に現れていたのである。
『うわぁ……わっるい顔……』
「コポコポコポ!?」
アルエは、オーマを殴ろうと一瞬でも思った事を悔い改めた。
「少しワガママだけど、なんだかんだで助けてくれる人」――――そんなプラスのイメージを全て覆す、禍々しい「悪魔の笑み」。
それがオーマに宿っている事を、たった今思い出したのである。
(これは……)
――――そしてこうなったオーマは、絶大な信頼と経験を元に、必ず”ロクな事を言い出さない”と言う事も。
「いーいーオ医者サン、よく聞いてね……」
「は、はい……」
「ペアヌットが発動した以上、アレはどこまでも追ってくる……魔導車と違って、召喚獣だから帝都の外でも動けるの」
「知ってますよそんな事……何を今さらなんですか」
「仮にこの場をどうにかできた所で、アレから逃げ切れる自信ある? しかもたった一人で」
「あなた方がいなければ、まだ勝機はありました……そもそも、ペアヌットが動き出す前に抜け出す予定だったんですよ!」
「へえ~……」
オーマの痛い所のみをピンポイントで突く発言に、先ほどまでアルエが持っていた「苛立ち」は医者へと感染する。
医者は再びたばこに口を当て、気を紛らわすように大きく吸い込んだ。
「行く先はもう決まったのに、まだこんな嫌がらせを受けるのか」。
心休まる暇もなく降りかかるストレスに比例して、自然と喫煙量も増えていく。
「もう、何が言いたいんですか……いい加減いたぶるような真似はやめていただきたいのですよ」
「私、これから帝都に捕らわれの身になるのですから……」
「そうね。とってもカワイソウね。同情するわ」
「憐れむならあの土の腕を解放してくださいよ。すでに計画は大幅に遅延……可能であれば、せめて逃げ出すチャンスくらいは欲しいんですから」
「いいわよ」
「それができれば…………えっ」
「舟、解放してあげてもいいわよ」
この場に、全くの同タイミングで同じ言葉が二つ湧き出た。
(えっ)
それは医者に取って、閉じられたはずの扉が再び開いた驚き。
「仲介してくれるなら……送ってあげる」
「英騎の所まで」
アルエに取っては、英騎へ続く道が何故か「全自動エレベーター」に発展した事の驚き。
『なんか……なんか、言い出しよったって』
「コ、コポォ……」
オーマは、人間の姿をし、人間のような思考で、人間と同じ心を持った一人の女性である。
――――そう、”思い込んでいただけ”であった。
アルエと出会う何百年も前からこの世界に君臨し、知らぬ者はいない程名の知れた存在。
今日まで続く高名振りが、いかにして定着したか。
アルエはそれを半強制的に再確認させられる事となる。
「聞こえなかった? じゃあもう一度だけ言うわね……」
肺活量を目一杯使った、オーマの轟きによって。
「――――”逃がしてやる”から、アタシ達を”英騎の所まで案内”しろッ!」
「 今 す ぐ に ッ ! 」
――――オーマは、「大魔女」であると言う事を。
((はぁーーーーーーーーッ!?))
つづく