九十五話 開帳
「英騎の役目は退路の確保! 舟の奪取から直ちに行方を眩ませる為の、最後の砦!」
「それがあの山! 死の谷との境! 殿が待機すべきベスト・ポジションはあそこしかない!」
「どう!? これでもまだ文句付ける!?」
「う……ぐ……」
オーマが小気味よく指を指す。
指を指された医者は遺憾な表情を見せつつ、反論どころかもはや口を開く事すらしなくなった。
正確に言えば、なんとか揚げ足の取れる箇所を探して脳裏を働かせていたものの、しかしいくら考えようとも言葉を挟む隙が無い。
それはオーマの指摘が寸分違わず”正しい”からであり、同時に”正しい”事を知っているが故。
医者はただ、眉を引きつらせながら睨みつける事しかできなかった。
ピーーーー…………ルルル…………
「ん?」
『なんや?』
「コポ?」
テロリストの作戦を完全に看破した――――その直後。
アルエらその場の全員の耳に、薄らと響く「笛の音」が届いた。
耳を澄まさねば判別できぬくらいに小さな音色ではあるが、ただ一つ「遠方から」鳴っていると言う事だけは理解できた。
土の腕に鷲掴みにされた船首と逆の、船尾の方角。
――――すなわち、王宮からである。
「お、噂をすれば……きたわね。もうちょいかかると思ってたけど」
『何? マスゲームでも始まるん?』
「違う違う。これは、さっき言ってた帝都の”追手”」
「でしょ? オ医者サン」
「……」
アルエら初見の者は、この甲高く聞こえる笛の音から点呼や交通整理などの光景を連想した。
所謂、笛を扱った日常の光景。しかしその正体を知る者に取っては大きく事情が異なる。
オーマにとっては、絶対の信頼から成り立つ”始まり”の音色。
そして医者にとっては、作戦失敗を告げる”終わり”の合図なのである。
「んん……?」
ピィーーーーと続く甲高い笛の音の中から、少し間をおいて今度は正反対の「重低音」が響き出した。
ドッドッドッド――――笛の音の合間を縫うように鳴る、一つ一つが重い音である。
笛の永続的な音に対し、リズムを取っているかのような重低音。
これらが合わさる事により、アルエはある”特別な楽曲”を思い浮かべた。
(祭囃子……?)
『太鼓……っぽいよな?』
「コポ……」
「う~ん、この音色、結構好きなのよね~。なんか、テンションあがるって言うさぁ~」
オーマの感想は何ら特別な物ではなく、アルエもひっそりと似たような感想を浮かべていた。
よほどの事がない限り、聞けば誰しもが心躍るであろう、太鼓と笛の織りなす「祭り」の音色。
そんな楽し気な音色が今、空一面に流れているのはどういうわけか――――
その答えは、アルエを余所に未だ問答を繰り返している二人の会話が示唆している。
「さて、じゃあ」
「く……大魔女ォ……!」
「被告人は・弁明があれば・おっしゃってください。まだいちゃもんをつけたいなら、全ッ然聞くわよ?」
「語れば語る程、落ちるのはそっちだし」
ドンドン・ピーピー・シャンシャン・カンカン――――
このやり取りの間にも、音は瞬く間に混ざり合い折り重なって行く。
薄らとしか聞こえなかった笛の音が、いつしか毎年観光客でごった返す大祭並みの喧噪に変わっていた。
そして祭りのイメージが固定された所で、アルエの脳裏に続く連想は――――
お祭り騒ぎに欠かせない”アレ”である。
「もう……いいですよ……とんだ茶番だ」
「あら? 何がさ」
「しらこいんですよ……あなた、”時間稼ぎ”がしたかっただけでしょ?」
「さぁね~」
”時間稼ぎ”――――その言葉を聞いてアルエは、やはりこれは”祭り”なのだと確信する。
全国規模の有名な祭りには、大抵の場合タイムスケジュールが組まれている。
それは祭りによりけりではあるが。大抵の場合仕切りがあいさつを交わした後、前座代わりの催し物がいくらか出るのが通例であろう。
「アンタらもラッキーねぇ。こんな特等席で、あんないいもん見れるなんて」
「時間切れ……か……」
オーマと医者の論破合戦は、それらに当てはめれば前座に当たる。
確かに、時間は稼げた。と言うよりも”時間を忘れる”事が出来たと言うべきか。
そして前座が終了した後、見物客が「待ってました」と囃し立てる祭りのメイン。本番。主役。
祭りを祭り足らしめる、それぞれの祭りで異なる”大本命”――――。
「来るわよ! アタシも見るの超ひっさびさ!」
「何を……」
オーマは興奮を抑えきれず、アルエを荒々しく掴むとそのまま大きく身を乗り出した。
オーマの期待を秘めた表情が、これから現れる物のハードルをグンと上げる。
そしてそれは医者にとっても、決して超える事のできぬ障害と化す。
そして
ド ン ッ ――――大きな太鼓の音が、一つ響いた。
(おわ!?)
次いで
ラ・セ・ラ・!――――大きな掛け声が、一つ轟いた。
「ラセラ~!」
「えっ何? 呪文?」
その後――――現れた。
ズ ン ッ
ドンッ ドンッ ドンッ ドンッ――――
……………… カ ッ
「う…………おァーーーーッ!?」
『ちょっええっ!? ななな、何アレ!?』
「【怪鳥ペア・ヌット】帝都が守護獣と崇める、帝国お抱えの高位召喚獣よ」
オーマの説明などまるで耳に入らず。聴覚を丸ごと遮断する程の興奮が、アルエの心に湧いて出た。
それもそのはず。今この舟を天高く押し上げるゴーレムよりも雄大であり、かつ優美な姿をした「何か」が眼前に現れたのである。
心躍る掛け声と、祭囃子の音と共に。
ラセラ・ラセラ・ラセラ・ラセラ・ラセラ・ラセラ――――
「いつ見ても……ほんとすごいわ」
(や、やべぇ~……)
何度か拝見済みのオーマですら、未だ慣れぬと言いたげに目を奪られるその姿。
初見であるアルエには当然、その興奮はとても抑えきれる物ではない。
――――【ペア・ヌット】と名付けられた召喚獣は、他の召喚獣との違いが一目でわかる、ある”特徴”があった。
召喚獣にしては異様に「色鮮やか」かつ、独特の存在感を醸し出す”質感”である。
視界を覆う巨体以上に、柔らかな光が内包された薄手の紙細工のような質感。
そんな紙の質感から透過された光が、より一層優美さを引き立てている。
(怪鳥……?)
アルエは興奮でざわめく心を落ち着かせるべく、自身の知る限りの知識において無理やり何かに当てはめた。
その結果、見た目は召喚獣と言うより――――”灯篭”に近い物があると判断する。
光の透過具合からして、石の方ではなく紙の方。
そんな灯篭を極限まで巨大化し、ついでに形も付与したら……「きっと、ああいう感じになるのだろう」と。
(怪鳥ってか……)
そう結論付けて、無理やり納得するしかなかった。
――――形容可能な姿を、していなかったから。
『鳥!? アレ鳥なん!?』
「どう見ても鳥じゃねーだろ!?」
「正確に言うと鳥”も”ある、かな」
「”も”って何だよ!?」
「ま……そこの冷や汗駄々漏れ状態のオ医者サンなら、詳しく知ってるわよね?」
「まぁ、ね……」
質感こそ揶揄可能であれど、ペアヌットの姿形はおおよそ口で説明できる物ではなかった。
「怪鳥」と冠してはいるもののどうみても鳥の姿ではなく、むしろどちらかと言うと四足歩行動物に近い。
おおよそ鳥とはかけ離れた外見。
唯一鳥に近い部分と言えば、「空を駆ける」部分くらいな物である。
「聞いたわよ。前回の襲撃の時、アレにえらく痛めつけられたそうじゃない」
「そんな中でよく六門剣をパクれたもんね。むしろ逆によくやったと思うわ。マジで」
『うわ、な、なんか増えて来たで!』
そうこうしている合間にも牛、馬、羊、鹿――――らしき風の異形造形が次々と現れる。
そして形容不可能な生物の群集団が、現れたと同時に舟に向けて、全員が全員同じ方向を突き進んでくる。
異形の集団の大行進。
その様子はまるで、一言で言うなら”百鬼夜行”そのものである。
「鳥……鳥……鳥……って、ウロコついてたっけ?」
『いやいや恐竜ちゃうねんから……なんか、なんとも形容しがたい生き物やねんけど』
「だから、そうゆーのもあるの。ちなオ医者サンの時は何が出た?」
「えと、私らの時は……ああ、虎がいましたね……」
「あーはいはい、あるある」
「はぁ……?」
「虎」――――その一言を元に再び異形の集団に目を配るアルエ。
そう言われて見れば、虎っぽい姿も確認できなくもない。
が、それは四足歩行であるが故。あくまで”そういう風にも見えなくない”と言うだけである。
「ある程度モチーフがあるのか?」今のアルエが理解できるのは、ただのそれだけであった。
「あれは通常の召喚獣と違って”分散複合型”なのよ。召喚士が寄り集まって召喚するから、その分個性が出るって言うか」
『個性て』
「アーティストじゃねんだから……」
「召喚魔法でも例を見ない特殊な様式なのよ。とある奴は虎を、とある奴は鳥を、とある奴は牛を……って感じで、それぞれがそれぞれの思い描いた物を好き勝手に呼び出すの」
『え、じゃあ掻き集めてるだけ?』
「ううん、一見ただ召喚獣を寄せ集めしただけに見えるけど、違うの。あれらは根底でしっかり”同種”として繋がってる」
「何と?」
「――――”国”と」
アルエが理解できぬのも当然。
あの創作生物の集まりは、現実所か魔法の中でも極めて稀有な存在であった。
オーマが意気揚々と解説を続けるものの、アルエにはいつしか別の話題にしか聞こえなくなった。
と言うのも、オーマの口から出て来る言葉は「個性」「造形」「色合い」「感性」と言った、まるで職人が腕前を競い合う場。
所謂「博覧会の案内人」のような説明の仕方だからである。
『展示会みたいやな……』
「コポォ……」
「各々の個性が混ざりつつも、帝国と言う一つの枠組みで収まってる」
「つまり、そうね……ペアヌットは帝国が積み重ねてきた”歴史の体現”って所かしら?」
無数に湧き出る召喚獣の全てが”単体”として数えられる。
それは長い歴史の中で培った技術や、時代時代による流行も。全てが国と言う「一つの単位」でまとめられるからだとオーマは言う。
「全にして個、個にして全」この言葉を地で行く高位召喚魔法ペア・ヌット。
オーマは続けてこう言い放つ。「一国にふさわしき、まさに国その物を再現した召喚獣と言える」と。
『何を言うてるのかさっぱりわからんわ』
「コポォ~」
「同じく……」
「は!? 今長々と語ったろーが!」
しかしスマホや水玉は当然として――――
「個」はあくまで「個」であり、どう足掻いても「全」と結びつかない考えのアルエに取って。
いくら説明をされようとも、やはりペアヌットの本質を理解する事はなかった。
「ったく~……ペアヌットにそんな口聞いたらバチ当たるわよ」
(でも、一つわかるのは……)
そんなアルエが唯一理解出来る事は――――
「ま……”詰み”ね。完全に」
「……くっ」
――――それほどまでに強力だと言う事、である。
つづく