九十一話 認識
「今度こそ……切りますよ?」
「う……」
キラリ――――医者の取り出したメスが、アルエに向けて示すように輝いた。
明確な殺意を持って刃物を向ける相手に、アルエはわかっていてもついたじろいでしまう。
「殺す」。比喩の類ではない、文字通りの意味の行為を向けられた事など未だかつてあるはずもなく――――
アルエはただ、来るべき時を待つしかなかった。
「出来る事なら、こんな事はしたくなかった……」
「大人しくしておけば、命の保証はすると言ったのに……こんな、こんな悪あがきをするから」
(うるせえ……)
「消し掛けたのは君だ。後悔なさい」
「我らの崇高な目的を妨害せんとす、自分の行為に」
(何が……崇高だ……)
医者の発言は言うなれば詭弁。怪しい宗教団体の謳い文句に近い物があった。
「殺戮と略奪を繰り返す犯罪集団の分際で、何が崇高だ」――――
アルエはそんな思いを口に出す事無く、ただただ医者を語る犯罪者の一員を、強く睨みつけた。
「……」
「……」
自然と、両者の間に沈黙が走った。
辺りに鳴るのは、不調を来した飛空艇の不規則な駆動音のみである。
嵐の前の静けさとはまさにこの事か。
この沈黙を破り得る物。それは、どちらかの”断末魔”である事を両者はおのずと悟った。
………………
――――そして、時は来た。
「シッ――――!」
(来た……!)
ダッ――――踵に張り付いた床を強く踏みつけ、反動を利用しつつ医者がアルエの元へと迫る。
バサバサと後ろへなびく白いコートが、そのまま医者の猪突猛進ぶりを現している。
ただでさえ風の強い中、整髪剤で固められた髪ですらなびきを見せると言うのに。
その中で唯一変調を見せない物――――銀に輝くメスだけが、アルエの視界にハッキリと映った。
(狙いは頸動脈! そのまま首をかっ切りますよ!)
(まだだ……まだ……!)
医者は瞬きする間もなくアルエの眼前に迫り来た。
元々大した距離もない両者の間を、大の大人が全力で駆ければそれも当然の事である。
「さぁ――――……」
(まだ……か……!)
医者はアルエの目の前に来るや否や、メスを持った腕を反対側の方へと強くねじった。
その腕を元の位置に戻そうとするだけで、通るメスの軌跡がちょうどアルエの首を通過する事は――――
これから喉元をかっ切られるであろう本人が、一番よくわかっていた。
「覚悟……なさい!」
今にもトドメをささんとしている医者の体制を見て、アルエが思った事は。
奇跡が起こるように強く願った――――わけではない。
(も、もう一回! もう一回だけ何とかならならないか……!)
アルエはただ、欲しただけであった。
ほんの数秒、いや、コンマ小数点単位で構わない。
ただただ時間が満ちる、その瞬間までの、一時の間を――――
間を――――。
(……ッ)
ヴ ー ー ー ー ッ !
「――――?」
(あ……)
不意に、二人の耳元に動物のうめき声のような音が聞こえてきた。
「ヴー、ヴー、ヴー」この音は医者はもちろんアルエも存じない音。
音は、よく聞けば何かの振動音のようにも聞こえた。
あまりにタイミングの良すぎる謎の振動音。
しかし一つだけわかるのは、”舟による物ではない”と言う事だけ。
ヴーーーーー………… ヴーーーーー…………
舟の振動であれば同時に体制を崩す程の強い揺れが来る。
だが今の音にはそれがない。
今鳴るこの振動音は、まるで”小さな箱が小刻みに震えている”かのような、そんな振動音。
ヴッ、ヴッ、ヴーーーーーッ!
二人は思わず音の方向に目を向けた。
そして、理解した。
その音はこの魔法の跋扈する異界にはなじみのない音。
しかし現代人なら百人中百人が知っている、ありふれた生活音の一部。
つまり――――。
「着信……?」
――――”機会”。
(ここだァ――――!)
「……ッ!」
医者が一瞬目を取られた隙を、アルエは見逃さなかった。
ミシリ――――今度はアルエの腹部から、何かが壊れるような音が聞こえた。
腹部の周りの衣服を、じんわりと”湿らせ”ながら。
(なん――――)
医者にとって携帯とは”仕事上の”連絡手段の一種であり、緊急性を要する連絡もある事から、反射的に反応してしまう癖が付いていた。
対してアルエにとって、携帯とはあくまで”玩具の延長”。
着信だろうが通知だろうが、その時の気分でいくらでも無視できた。
ミシ……ペキ……パキパキ……
これはまさに医者の言う「大人と子供」の違い。
言い換えれば、「社会人と学生」の違い
”連絡”と言う物に対する認識の違いが、両者の命運を分かった。
そして――――。
ゴ ォ ン !
――――コロ
「か………………ッ!」
直後。激しい轟音が耳に届いてさらにすぐ。
医者の腹部に未だかつてない疼痛が襲った。
ミシリパキリとアルエの腹部から鳴っていた裂音が、今度はどういうわけか自分の胴部全体から鳴っている。
医者は一瞬、自分が何をされたのか理解できなかった。
たった少しチラリと余所を見ただけで、「何がどうなってこんな激痛が走るハメのか」と。
「どうだ……効くだろ……」
「間近で浴びる……”ショットガン”は…………!」
その答えは自力で気づく前にアルエによってバラされてしまう。
ショットガン――――それは、特徴として”散弾”を用いる点にある。
発射された弾丸がさらに空で小粒の弾丸に飛散。
これにより、結果として広範囲に弾を撒き散らす形になると言う他の銃にない特徴を持つ。
(バカな……何故……)
アルエが行った事はこれと同様の事である。
無論本物と比べれば威力は遥かに劣る。
しかし原理としてはほぼ同様の物であるため、やはり「ショットガン」と名付けるにふさわしいとアルエは感じた。
「……ドボッ!」
「おーしおし……よく我慢したな、水玉」
(そんな所に……精霊が……!)
気が付けば、アルエの衣服の腹周りのみ異様な数の”穴”が空いていた。
その穴は一言でいうならば”乱雑”そのもの。
ほつれ、大小様々に、所々繊維のちぎれカスすらも見える程に。
穴と言うより、もはや靴下の先に出来た”破れ”と呼ぶ方がふさわしい。
そんな”破れ”が、どういうわけかアルエの腹いっぱいに空いている。
「惜しかったな……アンタの考え、ほぼ九割当たってたよ」
「ただ、ホント惜しかった……唯一、”水玉の移動先”だけ。そこさえ、違わなければ……」
すでに勝ち誇ったかのような顔を見せながら、アルエは穴だらけの服をめくり腹を露出させた。
医者はそれを見て”全てを悟った”。
墜落が始まった時点で――――自分は”すでに敗れていた”のだ、と。
(そ……れは……!)
麻酔で動きの鈍った水玉を、ゆっくりと引き寄せ。
腹部に隠し、少しずつ膨らませ。
繋ぎとめる金具すら破壊する程に膨れ上がった頃。
破裂と同時に中の弾丸が飛び散る。
(さーて中身はなんじゃらほい……まぁ! 素敵な”宝石”!)
(あ、言っとくけど僕が盗んだんじゃないからな? オーマが勝手に持ち出して忘れてったから、代わりに返そうと持ってただけ)
――――宝石箱に詰まった、宝石を。
チャリ……
「か……くふッ…………!」
宝石の散弾をまともに受け無事であろうはずもなく。
医者は医者だけに自分の症状を即座に見破った。
(肋骨がやられた……これでは……!)
胴部の全面に激しく突き刺さった宝石が、医者の骨と言う骨をヒビ割れさせていた。
それでもなんとか意識を保っていられるのは、自身が事前に打ち込んだ「痛み止め」がまだ多少残っていたが故。
が、医者の幸運はそこまで。
意識はかろうじて持つが、体の方が持たない――――医者は直、その場にへたり込んだ。
「ぐ……が……!」
「さすがお医者様だ……あっという間に”見破られた”時はどうしようかと思ったよ」
「が…………ぐふッ!」
「どさくさに紛れて移動させたつもりだったんだけどな……アンタ、間違い探しとか得意な感じ?」
(そりゃ……まぁ……職業柄……)
アルエの問いかけに返事をする余裕もなく、医者はその場に膝をつき、ただただうつむく事しかできずにいた。
しかしそんな事情などおかまいなく、配慮のないアルエの問いかけはまだまだ続く――――。
「アンタの考え通り、麻酔が弱まって動けるようになった水玉をに指示を出した」
「麻酔が効いてるだけあって、移動はすんごく遅かったけど……どっちにしろコッソリやるつもりだったから、そこ問題はなかった」
「ただ、水玉は機関部なんていじっちゃいない……ていうか、この舟のエンジンがどこにあるかなんて知らないし」
「水玉をコッソリ移動させたのは、こっち――――腹の中、だ」
アルエの行動は、大方予想通りであった。
結果が違ったのは、所謂「ボタンの掛け違い」。精霊の移動先を見誤ったが故に招いた事態。
アルエが高価な宝石箱を所持し、しかもそれを”都合よく腹の中に仕込んでいた”事なぞ医者は知るはずもなく。
「騙された」――――そんな苦情が、医者の脳裏を過った。
「急所をわざわざ狙わなくたって……相手を地に付けさせる事ってできるんだぜ」
(バカな……じゃあ、この墜落をどう説明する……!)
医者の腑に落ちない点はそこ。
精霊が機関部を侵食していないなら。「なら何故急に舟は堕ち始めた?」
それは舟だけに限らず。車も、自転車だって。
何らかの故障が発生しない限り、運転手の意志に反して止まる事なぞないと言うのに。
「おおいスマホ、いけるか」
『…………ぷはっ! やぁ~~~っと、しゃべれるようになったわい!』
(あれは……さっきの……)
「どうやら、うまくいったみたいだな」
『ほんまほんま、前もって”拡散”しまくっといてよかったの』
(拡散……?)
医者はこの時思い出した。
浮上した際にアルエの発した言葉。「お前の情報は帝国中に拡散させた」と言う言葉を。
いつの間にか撮られていた顔に、いつの間にか録られていた肉声。
これらの発言から、アルエが拡散させたのは自身の情報”だけ”だと思いこんでいた。
『さっきから着信鳴りっぱなしやわ。通知が大変な事になっとる』
「圏外だったしな……返信送っといて。僕今しんどいし」
『自分でやれや……ほい、送ったで』
(何を……)
しかし――――真実は違った。
アルエの話を聞いた後、医者は自分の考えを訂正する羽目になる。
墜落が始まった時点で負けていたのではない。
事象を分かつ分岐点はもっと前。
”アルエが追って来た時点”で、すでに結果は決まっていたのだ、と。
「アンタ、これ動かす時になんか装置をいじってたろ」
(舟の……起動装置……)
「閃光弾の光から何とか回復して、アンタを追いかけようとした時にさ……」
「すっごく、見覚えのあるのがあったんだ。それがアンタのいじってた装置」
『これや、これ』
(何……ィ!?)
スマホが表示するのは適当に選んだ機種。検索してトップに出て来た物を選んだだけにすぎない物。
しかしよほどの事がない限り、大体が「同じ形」をしていると言う”ある種の法則”がある機器。
その法則は医者が舟を発進させる際にいじった装置にも当てはまり、同じくスマホの見せる機器とほぼ同様の形の機材――――。
(パ、パソコン……!)
「そっからはもう大体わかったよ。適当にリンク辿るだけでさ、わんさか出て来るの」
「舟の巡回コースとか、なんかパーツみたいなのとか、スペック表みたいなのとか……」
『その中にあってんな』
「【遠隔制御システム】……何故かオンラインで常駐してる、変なアプリケーションがさ」
『ていうかリンク切れよ』
アルエは、追いかける直前に装置を触っていた。
普段自分が行っているようにクリックを繰り返し、そしていつものように手当たり次第ページを開いていた。
そうして片っ端から開いている内に――――見つけた。
遠隔操作で舟の動力を切る、【緊急停止装置】を。
「ま、字がわかんないって問題があったけどさ」
『その辺はもう”勘”よ』
「か、勘……」
「帝国の人らには……悪い事をした」
『せっかく作った舟落とすとか言い出してるねんからな』
「そういやさ、結局なんて送ったんだ?」
『時間なかったから「ごめん、落とすから後よろ」ってだけ』
「えー……じゃあ、こいつがなんかした事にするか」
(は!?)
『っておい。濡れ衣着せんな』
緊急停止信号が時間差で現れたのは、「アルエが異界の文字を知らなかったから」であろう。
そう結論付けるのに足る物証を、医者は所持していた。
帝都のどこかから情報を送る”内通者”から、詳細の描かれた舟のマニュアルを。
(あんな……小難しい物を……)
しかしながら最後に、医者はどうしても一つ理解し難い事がった。
内通者からマニュアルを譲り受けてやっと操作で来た装置を、アルエは全くの勘で操ったと言うのである。
本人も言っていたようにアルエはただの中学生。
専門知識どころか義務教育の成績すら怪しい、その辺にいるその辺の子供だと言うのに。
「ぐぅ……何故……君がそれを……?」
『はい出た。時代遅れ発言』
「時代遅れ……」
「あのさぁ……今時、パソコンなんて一家に一台だぜ?」
(そ、そんな……!)
『まぁ、昭和のおっさん的には会社の備品ってイメージが強いやろけどな』
「時代と共に流れは変わるって奴? パソコンなんて、僕の中ではゲーム機の一つだね」
スマホの言う通り、医者の中でパソコンとはあくまで業務上の機器であった。
故に勤務中にゲームなぞできるはずもなく、動かす物は患者の名簿やカルテ、レントゲン写真の保存と言った医療機器の延長線上である。
しかし現代。アルエの時代に置いては――――。
そんな医療機器がさらに、喫茶店にあったゲーム機の延長線上になっているのである。
(くぅ……、や、やはり……)
(近頃の子供と来たら……恐ろしい……)
情報機器の発達した時代に生まれたアルエ。
医者は自身の敗因を密かに認識し始めた。
腕っぷしか。あるいは専門知識か。それらは一切の関係がない。
大人の子供の差――――言い換えれば、過ごした時代の差。
つまり――――。
「アンタみたいな奴の事、なんていうか知ってるか……?」
「蔑みでしかない言葉だけど……ひっくるめて”情報弱者”って言うんだよ」
(……)
――――”総合的”な知識の差。
「――――コポ!」
「お、おかえり。それどこにあったの?」
「コポ! コポコポコポ!」
『あっこの隙間に挟まっとったんやってよ』
「よかった。勢い余って落っことしたと思った」
「……」
飛び散りがてらまたも姿をくらましていた水の精霊が、再び主の元へと戻って来た。
意気揚々と戻る精霊の動きからして、すでに麻酔の効果はかなり薄れている事がわかる。
「……おも! へぇ、実物って結構重いんだな」
『全部鉄やからな。エアガンとはわけがちゃうぞ』
「へぇ……いつか海外旅行に行った時に持とうと思ってたけど……」
「まさか、こんな所で”ガチチャカ”撃てるとはな……」
『ガチチャカて』
ジュルジュルと自在な動きを見せるまでに回復した精霊が、事のついでにおつかいを済ませて来た。
水玉が主に献上した物。
医者が所持していた、”リボルバー式拳銃”である。
「動くなよ……下手な動きを見せたら撃つ」
『さすがにここまで近かったら外さんやろ』
(くぅ……)
チャキリ――――リボルバーの砲口が医者に向けられる。
以下にアルエが子供だからとて。ゲームでしか銃を知らないとしても。
ここまで目の前で銃を向けられたとあっては、もはや外す方が難しい程であった。
「さっきも言った通り。停止信号を出したのは僕自身だ」
「だが、”解除信号は出していない”。なんせ、お前を追いかけるのに必死で時間がなかったからな」
『字もわからんかったし』
「……」
ゴゴゴゴゴゴ――――。こうしている間にも。
舟は、着々と墜落までの距離を埋めていた。
「今吐けば、墜落する前に脱出させてやる……言わないならそのまま舟と心中しろ」
『交換条件や』
「コポ!」
「……」
アルエにとって、このセリフを言う事をどれほど待ち望んだ事か。
アルエは待ちに待ったこの言葉を、必要以上に大きく、声高らかに叫んだ。
「吐け……英騎はどこだ!」
「……」
医者の口が、小刻みに震えているのが見えた。
つづく