九十話 独走
ゴゴゴゴゴ…………
ドンッ……ドド……ドッドッドッ…………
「舟が! 舟の高度が……!」
突如見舞われたこの未曾有の事態。医者は、自分の目で見て確信する。
やはり舟は着々と落ちていた。
おそらく数分もしない内に、帝都を脱する事無く沈むとわかってしまう程に。
ド ッ !
「うぉ――――!」
そして明らかに通常駆動とは異なる突発的な振動に、医者はまたも体制を崩しそうになる。
この突発的な揺れにまたも医者は、頬に鋭い痛みを感じた。
しかしその痛みが返って意識を鮮明にしてくれる。
不意に訪れたこの事態。どう考えても、何らかの”故障”が発生したのであると。
「くッ……一体何がどうなって……」
「……あるよ」
「ッ!? 何がですか!?」
「オーマに貰った毒……あるよ……」
「毒!? 今そんな事を言っている場合では――――ハッ」
「大魔女に貰った反転毒はないか」そう尋ねたのは確かに医者自身である。
が、今はどうみてもそんな事を気にしている状況ではない。
アルエの今更過ぎる返答に少しの煩わしたを感じたものの――――その刹那。
その返答が、アルエの発する不快な”皮肉”である事を、察してしまった。
「まさか……”君の仕業”ですか?」
「……」
その可能性は、十分考えられる事態であった。
そもそもな話まず、アルエが作戦を看破するとは露とも思っておらず、医者にとってアルエは存在自体が予想外の物であった。
精霊を使役している事も予想外。所持するアイテムも予想外。繰り出す技も予想外。
なればこそ、きっとまた予想の外で。
目の前で瀕死になっている少年が”何かした”と結論付ける事は、至って自然の事であった。
「毒って言われても……アイツは基本毒だらけだから……どの毒かわかんないや……」
「何を、しました?」
「毒舌……毒電波……毒きのこ……後は……」
「答える気ナシ、ですか」
医者はこのやり取りで確信する。
この急な舟の墜落、十中八九「こいつの仕業」である、と。
(立ち上がるわけでもなく……ただ戦闘不能状態に陥っているだけにも、見えますが……)
(しかし……舟の高度が下がっているのもまた事実……)
しかし肝心の何をどうしたのかがわからない。
みずおちに膝蹴り。念を入れて顎に全力のパンチまでをお見舞いされて、見るからに満身創痍の状態。
その状態から、一体何ができると言うのか。
要の精霊、ついでにスマートフォンとやらも、アルエの持つ物は全て”自分の能力”で封じた。
目の前には、今にも泣きじゃくりそうな子供が一人いるだけだと言うのに。
「お互い様だろ……僕だって、さっきまで今のお前と同じ事を考えてたんだから……」
「何を……」
アルエはニヤリと口角を上げた。
アルエには、最後まで医者の能力がわからなかった。それは奇しくも今の医者と同じ状態である。
なす術もなく全てを封じられ、解明もできず。そして結果、殴られ蹴られる目にまで合わされて。
そんなアルエが唯一できる事は――――自分をこんな目に合わせた相手を”恨む”事だけである。
(仕返しの……つもりですか……)
動機のあまりのバカバカしさに医者は思わず「呆れ」を全面に出す。
帝国軍と反逆軍――――この両陣営の長きに渡る切磋琢磨の攻勢に、あろうことかただの”個人的感情”で介入しようとしているのだから。
アルエのやっている事は、速い話がただの”駄々”である。
子供が、自分の思い通りにならないと知り喚き散らす事と同等の、ただの見苦しい癇癪。
「そんな物に――――」
ズキン
「ッウ! く……君のせいで、痛みが無駄に走る……」
この時、「大人と子供の違い」を執拗に発言しつづけてきた医者は、やはり自分の考えは正しかったと確信する。
自分はアルエみたいにならない。
アルエに対する些細な怒りが、医者の”気づき”を助長したのである。
(ああそうだ、ちょっとお聞きしたいのですが――――)
(さっき――――から――――)
墜落が始まるほんの少し前、医者はアルエに質問を投げかけようとしていた。
質問と言うよりは軽い話題提供のつもりだった物が、まさかの大当たりになろうとは本人すら思っていなかった。
やはりそこは大人と子供。乗り越えてきた壁の枚数が違う。
医者は気づいた。アルエが、何をやったのかを。
(精霊……!)
ズキン――――ちゃくちゃくと弱まっていく麻酔が、答えを出した。
ゴゴゴゴゴゴ…………
「あ……そういや”毒草”なんてのもあったっけ……」
「君……今自分が何をしているのか、わかってるんですか?」
精霊は、魔法とは違い術者と完全に”独立”した存在。
故に主に危機が訪れれば、主を守ろうと自動で守護を務める習性を知っていた。
これは医者の身内の中に、もう一人精霊使いがいるが故の情報である。
「大人げない大人にボッコボコにされて……痛い痛いと嘆いてるだけだけど……?」
「嫌味を言ってる場合ですか! この舟が墜落してしまえば、今度は痛い所じゃ済みませんよ!」
その精霊の姿が、アルエの周囲にない――――つまり、”意図的に”引き離したのである。
着々と効果が薄れていく「麻酔」。全開とまではならずとも、時間を少し開け過ぎてしまった。
精霊が、多少なりとも動けるまでに。
「今すぐ精霊に命じなさい! ”機関部を解放しろ”と!」
医者の脳裏に、仮説が着々と詰み上がっていく。
主の命令で主の元を離れた精霊は、目を離した隙に直ちに飛空艇内部へと潜入。
元が液体為わずかな隙間からも侵入できる水の精霊は、辺りを湿らせながら瞬く間に奥へ奥へと侵食していく。
そして到達した舟の心臓。つまり「機関部」にて。
今の主の心象を具現化するように――――派手な”八つ当たり”をしているのだ、と。
「本当に……死にますよ」
「お前事、な」
医者と立てた理論は、証拠こそない物の確証に足る予想であった。
「精霊の習性」と「自身の能力」。そして対峙する「相手の性格」。
これらの情報を元に導き出された結論は――――自殺。
しかもただの自殺ではない。憎い自分を巻き込んだ、盛大な”嫌がらせ”である。
(なんて子供だ……親の顔が見てみたいですよ)
社会やルールと言う物をまるで意に介さず。
下手な癇癪とその場の気分で、周りに多大な迷惑をかける存在。
「やはり子供は好きになれそうにない」――――医者は心の中で、ふと呟いた。
ドンッ……ドド……ドッドッドッ…………
「くぅ……! 地上まで後どれくらいですか……!」
「無駄だよ……水玉に言った所で、それでも舟は止まらない……」
「何を……」
「僕が何かしたんじゃない……”引き寄せられてる”んだよ……この舟……」
「チッ、いちいち要領を得ませんね……一体、何をですか!」
「もっぺん”下”見てみ……」
「何を――――何……!?」
アルエに促され、医者は揺れる甲板に耐えもう一度地上を見下げた。
アルエの提案は墜落までの猶予を測るのに好都合な機会ではある物の、問題は舟が不時着するであろう地点。
そこには、まさに”この時の為にある”かのような光景が広がっていた。
「広場……?」
「このままいくと大体あの辺りに落ちる」――――その地点には、医者の知らない大きな広場があった。
上空からでもハッキリ視認できる空洞のような広場は、仮に舟が墜落しようとも周囲への被害は少ないであろう”都合のよすぎる”広場である。
「わかったか……お前らに殺された”亡者”が……怨念となって手繰り寄せてんだ……」
そして問題は、そんな大規模な広場を自分が”知らない”と言う事にある。
侵攻前の作戦会議。帝都の地理構造は何度も予習したはずなのに。
「では、あれは……」
しっかり下調べをしたのに、にも拘らず知らない場所がある。
つまりそれの意味する事は、”つい最近できたばかり”の場所”――――。
「ついさっきの事だ……ついさっき、お前らがまとめて消滅させた人達の……人達が……!」
(――――貧民区……!)
皮肉にもその場所は、自分たちの仲間が作り上げた場所であった。
「……何が、亡者ですか」
「あ……?」
「そんな、今度はオカルト染みた話で脅かそうって腹ですか……? ふざけるのも大概にしなさい」
「ふざけてなんてねーよ! お前にはわからないだろう!?」
「何とかして見せると息巻いて……強い決意を持って……」
「でも、結局何も出来なかった……亡者の”遺恨”……」
「はぁ……?」
「それは時として、周囲に影響を及ぼす程に強い力を持つ……」
「ちょうど、お前の振り撒いた”毒”のように……!」
アルエの強い口調が、オカルト全開の怪談話を”本気で”主張していると示している。
しかしその様子は、傍から見れば胡散臭い超能力者の訴えと同等である。
「ホラ吹き」――――アルエに言われずとも、命の重みは重々承知している。
元々命を左右する立場にいた医者に、アルエの話は聞くに値するものではなかった。
「……よりにもよって医者の私に、そんな話を持ち掛けますかね」
「その手の話は今までごまんと聞いてきましたよ。祟りに合った廃病院とか、夜勤の看護婦が体験した奇妙な現象とか」
「嘘ですよ、全て。職業柄患者を看取る場面はいくつもありましたが、そんな事は今まで一度もなかった」
「病院と言う命のやり取りを行う場所が、そういう怪談話の舞台にうってつけだった……ただのそれだけです」
医者が何より不快だったのは、病院で亡くなった患者達をそういった「余興のネタ」にされる事であった。
病院の怪談話はほぼ九割が地縛霊。
あるいはそれに準ずる悪霊と言う設定が着色され、他の患者や病院の職員に危害を加えようとすると言う流れが大多数である。
「じゃあ、今日が記念すべき初体験なわけだ……」
「そんなわけ……死者を冒涜するのはやめなさいッ!」
医者の怒りはそこ。
病院で亡くなった患者が仮に幽霊になったとして、何故全員が全員「恨みつらみを持っている」事にされているのか、である。
病気、怪我、寿命……様々な要因で死を間際に控えた人々を、医者はこの目でしっかりと見てきた。
死に対する恐怖こそあれど――――自分を呪いながら死んでいった者など、皆無であったと言うのに。
「それは……こっちのセリフだ……!」
「――――!?」
シュゥゥゥゥゥ……
(煙……?)
その時、舟の全体から漏れるような煙が立ち上がった。
煙の色は一寸先ほども塞ぐ漆黒。
よもや舟の損傷が臨界を越え、爆発寸前の状況まで陥ったと一瞬錯覚したが――――
「死者を冒涜するなだと……ハ、その死者を生み出す立場のお前らが言えた義理か……」
「お前らこそ、生者を冒涜するのをやめろ……」
(いや、これは――――)
煙には、本来ないはずの湿り気があった。
振れれば少しだけジワリと湿る、まるで加湿器のような煙である。
煙と言うよりは蒸気。蒸気は水から発生する物。
つまり――――。
(くぅ……やはり、麻酔が段々と弱まって……)
水玉のもう一つの性質、「暗色変化」を医者は知らなかった。
それは先ほど医者が強く否定したオカルトな存在。水玉に備わった”悪霊”の性質である。
医者は水玉とアルエの出会いを知らない。
故に水の精霊が、もう一つ二面性を持つ存在であると言う事等――――わかるはずも、なかった。
(”英騎から授かりし聖なる御力”……効果は絶大ですが、いささか燃費が悪いのがたまにキズです……)
この漏れるように発せられる水蒸気。
シュウ・シュウ・シュウと、少しずつではあるが、確実に増えてきているのが見て取れる。
この現象は、精霊に打ち込んだ「麻酔」が着々と回復している事を意味しているのは明白である。
「燃やすのをやめろ……嬲るのをやめろ…………奪うのを……やめろ……!」
立ち上る漆黒の水蒸気は、アルエの声に反応してるようにさえ思えた。
同時に自分の放った麻酔にも――――ズキン。
医者の頬に、また鋭い痛みが走った。
シュゥゥゥゥゥ……
(くそ、大母め……損な役回りばかり、私にさせて……)
(リサーチ不足にも程がある。こんな、こんなとんでもない”悪鬼”を残していくだなんて……!)
ゴゴゴ・ドドド・ドンドン・シュウシュウ――――。
そうこうしている間にも、墜落の四重奏がさらに調和を見せ始める。
「お前も同じ痛みを味わえ……」
その指揮を執るのは、目の前にだらしなく佇んでいる、ボロボロの少年――――。
(押し付けるだけ押し付けて、独りだけ真っ先に”帰る”とか……)
(おかげ様で、最ッ高に今! 後味が悪いですよ!)
チャキリ――――。
医者は懐から、銀色に輝く器具を一本取り出した。
「君と……こんな所で心中する気はありません」
「自殺ならお独りでどうぞ。どうか、私まで巻き込まないでいただきたい」
「つれないな……付き合えよ。社会人だろ」
輝く程に磨き上げられた銀の器具は、持ち主の顔を鮮明に映す――――
医療の道理に背く、”決意”の顔を。
(精霊の機関部への侵食を止めるには、やはりあの子を手にかけるしか……)
ズキン――――。
頬に脈付く痛みが、ついに心臓の鼓動を越えた。
「覚悟は……いいですか」
「……」
それは、現状を打破できる「唯一の機会」である事を告げる鐘の代わり。
自分に向けられた明確な”殺意”を前に。
アルエの”腹”にも、ズキリと一粒の痛みが走った。
(てめーのな……)
色々小難しい事を考えようと、結局は一言で済んだ。
「死にたくない」――――それは、”両者”共に。
つづく