八十三話 凱旋
「あ……う……」
『あっかん……これは……』
目の前に触れる物体は、文字通りの「手」。
掴んだ手のひらから伝わる肌の弾力が、まさにそれが「人の手」である事を示してくれる。
その手を強く掴んで、間もなくの事であった。
まるでこびりついたゴミを振り払うかのように、強く、乱雑に振り払う事となる。
(そ……んな……)
その手は人の手ではあるものの、同時に「人ならざる手」であった。
矛盾した言い草だが、事実そうだから仕方がない。
正確に言うと”元”人の手だった。と、言うべきか。その答えは至極簡単である。
その手には――――二の腕から先が”存在しなかった”。
(あ……)
――――ベチャリ。手を離すと同時に、人の手の形をした肉塊が地に落ちた。
千切れた部位から多少残っていたであろう血を、だらしなく零しながら。
そして蓋を開けっ放しのペットボトルを零したように、流れる鮮血の赤色が。
僕の理性をも、赤く染め上げた。
「 あ あ あ あ ー ー ー ー ー ッ ! 」
「コポ!?」
『あ、オイ!どこいくねん!?』
その光景を見た直後の事である。僕の中で”何かが切れた”。
鮮血滴るグロテスクな物を直に触ってしまった不快感。しかしそれはあくまでキッカケにすぎない。
今はただ、「一秒の間も置かずこの場にいたくない」。
そう、思ったから――――
「み――――まッ……!」
「ゴボッ!?」
水玉を無理やり水流に変え、水蛇を持って全速力でこの場を離れた。
何も考えずただ離れる事”だけ”を考えた結果、発動から数秒程度で最高速度まで達する事を可能にした。。
水蛇が織りなす加速は瞬く間に辺りの風景を溶かし、そして焼けただれた硝煙の匂いをも遠く置き去りにしてくれる。
『待てやオイ! オイ、オイて! どこに行こうとしてるねんて!?』
「う…………ぐ…………ッ!」
どこに行こう。そんな事はこっちが知りたい。
ハッキリ言って、ここ以外の場所ならどこでもよかった。
この未だ熱の立ち上る、爆心地の中心から離れる事さえできれば。
ただ、一刻も早く忘れたかった。
ここにいると、つい数分前の事。すなわち爆発する前の光景と、そこにいた人々が――――
鮮明に思い出す事が、できてしまうから。
「ア” ァ ァ ァ ァ ー ー ー ー ッ ! 」
僕は逃げ出し、そして忘れたかった。
精霊使いだなんだともてはやされていた事。
皆の希望を一手に背負い、現状打破の鍵と指名された事。
僕の為にありとあらゆる人種が、僕一人の為に右往左往と働いてくれた事。
そして、その全てを。
無碍に返してしまった事。
ァァァァァ……………………
――――
……
「……」
――――先ほどの大爆発により発生した黒雲は、王宮からのみならず、さらに遠くからも。
帝都から遠く離れた「外の視点」からでも容易に視認できた。
現状の帝都の有様を俯瞰から見れば、それはまるで巨大な狼煙のように見えるのである。
そんな帝都の光景を、俯瞰に近い「高所」から見守る、一人の”女”がそこにいた。
「舞い上がる……黒煙……」
女は椅子代わりの切り株に大きく腰を据え、地に刺した剣を両手で掴む。
そしてその体制を維持したまま、ただただ帝都をその眼に写すのみ。
女には、帝都に異変が起こっているのは理解できた。だがあくまで、”ただのそれだけ”である。
遠くから帝都を見守るだけのその女には、無論現地で今何が起こっているか等知る由もなかった。
「閃光……粉塵……全てを無に帰す無碍の炎……」
帝都の異変を把握しつつ、それでも女は動かない。
まだ”来るべき時”ではない事を、女は重々理解しているからである。
そして女はひとしきり帝都の異変を確認した後。
そっと、両の目を閉じた。
「……」
――――ヒュゥゥ。風が、少し吹いた。
気まぐれに吹いた風は女の髪を少し揺らし、同時に女の身に着けた甲冑を少しだけ擦らす。
そしてその直後。カチャリと少しだけ、甲冑の金属音が立った。
風の仕業ではない。
女が小手の付いた両手で、軽く握り直したからである。
「しかしあれは……あの八首の大蛇は……?」
地面に突き刺した”六門剣”を。
――――
……
「ゼェッ! ゼェッ! ゼェッ――――」
『おまっ! ちょ、どこまで行くつもりやねん!?』
「ゴボボボボボ~~~~ッ!」
「み、水玉……もっと……もっとスピードを……上げ……!」
「ゴボ!?」
『いやもう完全にフルスロットルやんけ!』
――――すでにあの爆心地を離れてから、かなりの距離が過ぎた。
水蛇を用いて出す現時点での最高速度が、瞬く間に開発区、商業区。そして伝統区までも通過する事を可能にした。
そんな水蛇の加速をさらに促すように指示を出す。
行き先が、決まったからである。
「な、なんでもいいから……なんでも…………」
「…………」
『……って何故黙る!?』
「ゴ、ゴボ……」
(う、うう……)
「うォォォォォーーーーッ!」
その行き先を伝える事はしなかった。正確に言うと、口に出す事ができなかったのである。
しかしそこはなんとなくでいいから察して欲しい所ではある。
『だからなんやねんって!? なんでもいいから何!?』
『言えや! オイ、どこに向かってるねん! オイ~~~~ッ!』
役目を果たす事ができなかった僕が、おめおめと逃げ戻る唯一の場所。
それはもうどう考えても、一つしかない――――
――――
「ん……おい、なんだありゃ」
「なんか……なんか近づいてくる!」
ジュゥル――――ドドドドド――――!
「もしや、英騎の軍勢がついにここまで!?」
「くっ……おのれ、この”中枢区”は、一歩たりとも潜らせんぞォ!」
――――謎の超加速で接近してくる物体を確認した兵士は、これを敵襲と判断。
その場にいた複数人の内、一人は敵襲の報を伝えに。
もう一人は奥から兵装を起動させるべく、その場を離脱した。
そして残った兵士で謎の訪問者を迎え撃つべく身構えるのだが――――敵襲の判断は、即刻解除される事となる。
『わーちょっと、ストップストップ! わいらやわいらや!』
「ゴボボボボボ!」
接近する相手が、敵襲どころか命の恩人に等しい人物だったからである。
「あれは……精霊使い様!」
「なんだって!? 無事……だったのか!」
『オイアホ! もうええやろ! さっさとコレ止めんかい!』
『なんか敵襲や思われとんぞ! ”中枢区”の警備兵によ!』
「う……ああッ!」
ドォン――――乱雑に解除した水蛇が加速の勢いを落とす事に失敗。
そして加速の残ったまま浮いた体は、慣性の法則のままに盛大に壁に激突をかますハメになった。
この激突した壁は、ぶつかった感触からとてつもなく硬い物だとわかる。
帝都中枢区のみにある、外敵用の【緊急防御壁】とやらである。
『このアホォ! 適当にも程があるわ! もっとこう、安全運転心がけんかい!』
「ゼッ……ゼッ……ガハ……ゲホ……」
「せ、精霊使い様! 精霊使い様じゃありませんか!」
「よくご無事で……あの爆発の中、てっきり我々はもう……」
「ゲホ……ガホ……ウッ……」
『揚げ足取るみたいで悪いねんけど、無事……ではないねんな、これが』
「コポォ……」
「やはりあれほどの爆発……どこかに怪我を?」
『いやまぁ怪我って言うかなんていうか……まぁ、今のクラッシュでたんこぶくらいはできとるかもしらんけど』
『まぁ、なんやろ……とりあえず、見て引かんといてな』
「はぁ……?」
顔を上げる事の出来ない僕に変わって、水玉が僕の頭を持ち上げる。
できる事なら、見られたくはなかった。ここに着くまでに何とか収めようとはしたのだが……
溢れ出る感情が、一向に収まる気配を見せなかったんだ。
「――――うわっ!」
こういう経験は小学校低学年で最後だと思っていたのだが、まさかこの歳になってまた同じ苦渋を舐めるとは思わなかった。
視界がボヤけてうまく見えないが、思わず「うわっ!」っと言ってしまうに値する面構えをしているのは十分伝わった。
そんなに今、僕の顔はひどいのか。後生だからここだけの内緒にしてほしい。
こんな経験はここで最後でいい――――人前で、泣きっ面を見せる経験なぞ。
「あうッ……う……ううッ……!」
『まぁ、こういうわけで……おい、いつまでもメソメソしてんな。シャキッとせんかい』
「コポポッ!」
「左様で……精霊使い様、心中お察し致します」
「我らもこの中枢区より、未曾有の巨大爆発の余波は確認できました。あれほどの爆発、よもや生き残りの可能性は絶望的かと……」
やはりと言うか案の定と言うか、あの大爆発は中枢区からでもしっかり見えたらしい。
確かにあれほどの爆発。見えないと言う方が不自然ではある。
そして彼らの目撃談が思い知らせてくれる。
やはり、生き残りの可能性は”絶望的”だと言う事を。
「しかし精霊使い様がこうして無事でいられたことが、我らに取っては何よりの救いで御座います」
「……」
『やばい、くるぞ』
「コポ!」
「え、何がです?」
彼らの慰めの言葉が、実に心地よく傷付いた心を癒してくれる。
だからこそ、その言葉があったからこそ。
我慢できずに、吹き出してしまった。
ガバッ――――!
「うわっ!?」
「――――で、でもッ! 結局僕一人でッ! 結局僕一人だけが……!」
「さんざんみんなに期待させたのに……裏切った! みんなの気持ちを裏切った!」
「結局僕は何もできなかった! いつもと同じだ! 僕は何も出来ない半端物だったんだ!」
「今までも……そして、これからもッ!」
「お、落ち着いて! どうか精霊使い様、落ち着きなさって……」
『ご覧の通りの重症ですわ……』
「ゴポ……」
「……精霊使い様、我々はあなた様がいたからこそ、この程度で済んだのだと認識しております」
「あなたは十分健闘なされました。あなたの力がなければ、彼らも今頃は……」
「彼ら……?」
「言葉よりご自身で見た方が速いでしょう……御覧なさい、あれがあなたの守った人々です」
「……?」
中枢区の緊急防護壁には、いくつかの”扉”がある。壁の作動後に避難民が締め出される事を防ぐ為の物だ。
僕が突っ込んだのはその中の一つ。
この関所のような扉を爆弾撤去の際に上空から確認していたので、水玉を捲し立てたのは完全に封鎖される前に間に合いたかったと言う意味合いもあった。
現状こうして扉が開いている事から、飛ばすまでもなく余裕で間に合っていたのだが……
だがそれはまだ、同時に「避難民を全員回収しきれていない」と言う事を意味している。
(おおいちょっと誰か――――大丈夫ですか、今お持ちしますから――――)
(俺に手伝える事があったら言ってくれ!――――じっとしてられねえ――――)
そんな扉の奥には、週末の繁華街のように人がごった返していた。
忙しく区内を走り回る兵士。負傷者の介護を手伝う女性や、力仕事を手伝う男性。
一部ずぶ濡れになっている人物がチラホラ見えるが、あれはさっき僕が【大蛇】で運んだ内の一人だろうか。
兵も民も関係なく、皆一丸となっている様子が見て取れる。
この状況下であれほど五体満足に動き回れるあの人々は、運よく被害を浴びないままここまで逃れる事ができた人々だろう。
そして「運よく被害を浴びずに済んだ」。
この「運よく」の中には、僕が助けた事も含まれていると、そう言いたいのだろうか――――
「……」
『あ、そっか。今は避難区域になってたんやっけ』
「はいそうです。今この中枢区は非常事態発令下により、緊急防護壁を作動させております」
「現在は避難警報発令中な次第で、入区してくる民達はまだまだ増え続ける事でしょう」
『まぁ、締め出すわけにもいかんしなぁ』
兵士の解説は続く。
この緊急防御壁は人々の入区の為の猶予時間を設けてはいるものの、猶予を過ぎれば扉は完全に封鎖してしまう。
そうなる前に万が一間に合いそうにない人がいる場合は、兵士側が責任を持って全力で迎えに行くらしい。
僕が手伝ったのはまさにその部分で、大蛇で爆弾と一緒に片っ端から回収したおかげで、過半数の入区を確認。
封鎖までの残り時間から逆算して、ほぼ確実に全ての民を回収し切る事が可能との事。
そして、完全に封鎖されたが最後。
何人たりとも崩す事の出来ない、文字通りの「鉄壁」と化すのだと。
「以下にテロリストとて、この御大な守護壁を打ち破る事は容易ではございますまい」
『あーそういや親分が…………あ、やばッ』
「親分……」
『あっいや、お前も見たろ!? あの大蛇の中でよ! 実際間近で見るとめっちゃでっかいな~みたいな? ハハッ』
「……」
『ほら、中にはいっぱい避難民おるし! もしかしたら別ルートで逃げてるかもしれんやん!?』
「精霊使いはこの帝国の為に、文字通り骨身を削り献身なされました。労いこそすれど、責める気等あるはずもございますまい」
「それは王も、そしてあの民らも……あなたが彼らの全てを守ったのです」
「僕が……」
「元より、精霊使い様は大事な御客人でございます。後は本来の守護の役目を仰せつかった、我らにお任せください」
「ここから先は……絶対に! 何人たりとも侵入させません!」
「……」
思えば僕は……王宮から飛び出してから、何もできなかった。
魔導車の運転手をみすみす死なせてしまい、避難民の回収もほぼ山賊任せ。
爆弾魔をあと一歩の所で逃したあげく、王子が立案した作戦をも全て台無しにした。
そして加えて、貧民区を”住人事”抹消させた事も。
「さ、精霊使い様、こちらへ……」
「う…………」
この肩を貸してくれる兵の、何とも頼りがいのある体つきか。
軍人として日々鍛錬に励んでいるのだろう。その成果が明らかに体に現れている。
筋トレ……そういえばここ数年まともにやったことないな。
嫌いなんだ。そう言うのは。
何もしなくても体躯のイイ奴はいるのに、なんで僕だけそんな苦労をしなければならないのか。
そう思うと途端にやる気が失せる。
「ほら、しっかり……大丈夫、私が付いています!」
「……」
こういう発想が、そもそもダメなんだろうな。
精霊使いだなんだともてはやされた所で、所詮僕は僕。
今まで掃除当番すらまともできなかった僕が、一国家の国民を救う大役なぞできるはずがなかったのだ。
(王様……ごめん。やっぱりアンタが正しかったよ)
(僕……やっぱり、何もできなかった。大人しくあんたの言う事を聞いていれば……)
(僕がやった事なんて……イタズラに戦火を拡大させた事……だけだ……)
今まで精霊や魔法やドラゴン等の非現実的な物を見て来た事で、その辺の感覚がマヒしてしまっていたようだ。
今一度認識し直した。
僕はただ、「流されるままに生きる事しかできない人種」だ。と言う事を。
「コポ! コポポ!?」
「ん……この水溜り君は何を?」
『中枢区に爆弾はなかったんか? ってよ。そういやそうやな』
「あの時は伝統区の分しか見てなかった……次に爆破されるのが伝統区だって、わかりきってたからな……」
「ああ、それなら心配ありません。中枢区に爆弾はありませんでしたよ」
『ん、自力で見つけたんけ?』
「いえ、王です。爆弾の報を聞いた王が、自ら【反響測位】を用い測量いたしましたので」
『え、中枢区を一人で!?』
「はい」
「中枢区を……この全域を?」
「はい。王ならば可能です」
「ま、まじかよ……」
『はえー……つくづく、よく戦ったもんやわ』
本当に、あの人はどれだけの有効射程を持っているのだろうか。
よくぞまぁそんな御仁相手に喧嘩を売った物だと、今更ながら恐怖を覚える。
確か王になる前は教師で、そのさらに前は特殊部隊の特攻隊長だったっけ?
ひょっとしたら今回の一件。あの王様一人で全て片付いたんじゃないかとふと思ったが……
まぁ王様を最前線に放り込むわけにもいかない、か。
「なので中枢区の心配はいりません……さ、この奥に負傷者用の簡易待機所を設置しました」
「治療班もおりますので、お手数ですがそこまで辛抱を……」
「あ、ああ……」
事実あの火の精霊だって、僕らの知らない力を持っていた。
精霊同調術第六段階……あんなものがなければ、完全に僕らの圧勝だったのに。
爆弾魔だってそうだ。あいつはここにはないプラスチック爆弾を駆使して帝都の至る所に爆弾を仕掛けていやがった。
それは最初に会った狙撃手にも同じ事が言える。対物ライフルなんて、どこからこさえてきやがったんだ。
あの中で唯一顔見知りであるあの大男も、通常では考えられない耐久力さを持っていた。
そしてあの連中の中で一番の謎を持っている、奴らの頭領。
”英騎”――――こいつに至っては、未だ会う事すらできていないのに。
「……」
奴らには謎が多すぎる。
そんな未知の集団相手に、最も守るべき王を最前線に送り込む事程愚かな事はない。
将棋の素人だってとりあえず王将は守る物だと理解できる。
王とは戦闘力だけでは決して測れない、「王の資質」と言う物がある――――
(……え?)
――――だからこそ、おかしい事に気が付いた。
「あれ?」
『どないしてん?』
「コポ?」
気が付けば、兵士から離れていた。
正確に言うと、支えられた肩から離れるよう、僕の方が”動きを止めた”のである。
「……待て。待てよ」
『何をやねん……』
「どうしました?」
それは、今までのダメージもさることながら、貧民区を消滅させてしまった後悔。
誰も守れずミスミス死なせてしまった懺悔。
威勢よく飛び出して結局何も出来ずじまいに終わった、自己嫌悪。
それらを上回る強い感情が、急激に”降りて”来たのである――――
この身を、硬直させる程に。
「”中枢区に爆弾が仕掛けられてなかった”って……どういう事だ……!?」
『だから、あのオッサンが自前で調べたんやって今言ったろ』
「そうじゃない! そう言う事じゃない……!」
「コポ……」
『もう……なんやねん』
「あの、失礼ですが……何が、言いたいんです?」
その正体は――――閃きに近い、脳裏を貫く”気付き”。
「…………ない」
『は?』
「コポ?」
「ない?」
そう、ないんだ。
中枢区には、奴らの目指すべき場所が。
「英騎は……”ここには来ない”……ッ!」
つづく