ラグナロク、開始
「皆さん、おはようございます。今日は大切なお話がありますから、しっかり聞いてください」
担任の先生である西田 輝生が、ピカピカの電子黒板の前に立つなり話を始めた。地味な銀縁の眼鏡をかけた西田先生の見た目は、若くはないが歳を取っても見えない。ポロシャツにジャージを履いていて、黒い髪を普通の長さに整え、体型も普通な感じ。性格も特に気が利くわけでもなく意地が悪いわけでもない。虹にとって、見た目も中身も普通の先生という印象であった。
「では早速ですが皆さん、スマートフォン、アイホン、あるいは学園から配られたタブレットを出してください」
学園から支給されているタブレットとは、電子黒板を使う授業に併せて使うための物であった。インターネットにも接続できて、通信費はなんと学園持ち。学費が高い分、設備投資されているというわけだ。
西田先生は電子黒板の前に立ったまま、淡々と話を続ける。
「昨夜、アプリがインストールされていませんでしたか?」
虹はスマートフォンにインストールされている幻獣図鑑のアイコンを見て、これは学園のしわざだったのかと理解した。そして、「されてますっ!」と高らかに宣言して目立とうと思ったその瞬間、何者かに先を越されてしまった。
「先生っ、百獣図鑑ってアプリが入ってましたーっ。そんでなんか、起動したら小さいゴリラが出てきましたーっ」
その声の主は、クラスの男子だった。小太りだが運動神経がよく、かなり喋るタイプでいつも悪目立ちしている少年である。その少年に続くように、クラス中の生徒がボクもワタシもと手を挙げだす。いつもであればそんな皆を押し退けてまで目立とうとする虹であったが、今回は俯いてふさぎ込んでしまった。
「ひゃ、ひゃくじゅうずかん……? わたしのは、皆と違うじゃないっ。ヤバい、見られたらニセモノだとか言われて、からかわれちゃうかも……」
虹は絶望したような顔になると、スマートフォンの画面を消灯してポケットにしまおうとした。しかしその手は、先生の次の言葉で動きを止めることとなった。
「そうですね、ほとんどの人が百獣図鑑というアプリだったでしょう。しかし中には――幻獣図鑑というアプリがインストールされていた人もいるはずです。そしてそれは……簡単に言えば当たりです」
当たりという言葉に、教室中がざわめく。誰だ誰だと、当たりをインストールした人物を探すように皆そわそわし始めた。その空気を察知した虹は瞳を輝かせ、顔を上げた。
「わ、わたっ、げっ……」
「わぁーっ!璃奈ちゃん当たりだぁー」
女生徒の一人が、璃奈のスマートフォンを覗き幻獣図鑑を見つけたようで騒ぎだした。クラスの視線は中央の席に座る璃奈に集まり、璃奈は恥ずかしそうに顔を真っ赤にする。虹は一番前の席で前を向いたままスマートフォンを掲げて、フリーズした。
「萌衣乃ちゃんも当たりじゃーんっ。やっぱり、美人とか可愛い子が当たっちゃうワケー?」
一番後ろの席に座る萌衣乃のアイホンを覗いた女生徒も、大声を上げた。そして萌衣乃に注がれるクラス中の視線。しかし萌衣乃は取り立てて気にすることもなく、アイホン弄りに没頭していた。
「わ……わたしも当たりなんですけどぉーっ!」
虹が叫んだ。誰でもいいから見てくれといわんばかりにスマートフォンをアピールしながら。美人と評判の璃奈と読者モデルである萌衣乃と……自分が当たりを引いた。自分だって選ばれし者なのだと皆に知らしめるべく、虹は全力で存在を主張する。
「はぁーっ? 迅狼寺のは昆虫図鑑とかじゃねぇのーっ?」
先ほどの小太りの少年が言い放った。すると教室中に爆笑が起こり、虹は一躍笑い者となってしまった。
「な、ち、ちがっ……みんな、ちゃんと見てよっ! ほら、当たりだからっ!」
虹は抗議を始めるが、続く先生の言葉に注目を持っていかれ虚しく流されることになる。
「皆さん静かにしてください。これからそのアプリについて、学園長先生からお話があります。学園集会を行いますので、すぐ移動してください。場所は、建設中だった新しい施設の横にあるグラウンドです」
虹は悔しそうにすごすごと引き下がり、着席した。西田先生が廊下に出席番号順に並ぶよう指示すると、クラスの皆はぞろぞろと廊下に出て整列した。
皆がしっかりと指示通りに並ぶ中、虹はこっそりと順番を入れ替えて璃奈の後ろに隠れるよう並んだ。
「ねぇりなちゃん、学園集会をグラウンドでやるって珍しくない? 大学部の人たちは来ないのかなぁー?」
占奏学園の全生徒1万5000人が集まるとなると、相当なスペースが必要になる。新しい施設の横にあるグラウンドはそこまで広くはなく、学園集会を行うには不適合ではないかと、虹の高くはない知能指数ですら予測できた。また、そこは大学部からかなり離れた場所にあるため、学園集会にはまったく相応しくないとも思えたのだ。
「どうだろねー……って、なんでここにいるの。また教頭先生に怒られちゃうよ」
教頭先生とは、若くて美人で巨乳でみどりの髪をゆるふわに伸ばした色気のある先生だが、性格が荒く怒りっぽいことで知られている人物。名前は亜東 蒼穂といい、特技は生徒指導である。
「だぁいーじょぉぶーでぇすーよぉーっ。わたしったら背が低いから、りなちゃんに隠れてれば気づかれないもぉーん……」
虹は、自分で言いながら涙声になっていた。
***
初等部の昇降口を出て、そこから徒歩で10分ほどかかるグラウンドにたどり着くと、すでに多くの生徒が集合していた。制服の色が学部別で分けられているため、初等部は白、中等部は黒、高等部は橙といった色で列が染まっている。
「オレンジ色とかダッサー……。高等部に上がったら、あんなん着なきゃいけないのぉ?」
虹が歩きながら言うと、整列している高等部の生徒が横目で睨んできた。虹も負けじと睨み返すが、璃奈が慌ててそれをジャマした。璃奈は虹の腕を掴み、引きずるように持ち去る。
虹の物怖じしない性格には苦労させられることが多いが、ときには助けられることもある。璃奈は、なんとなく怒ることもできず、少し話題を変えて虹をなだめることにした。
「れ、虹……、もう亜東先生いるからっ。静かに、ね?」
虹は璃奈の言葉を聞くと、璃奈の背中に顔をピッタリとくっつけ隠れた。
「ほういはは、ふぁいはくふほひほはひいはいへぇ。へは、ふぁんはほほうふほふくはくはひ? ははひはひほりひはにょはくへんぱいはいんはけろ」
※訳:そういやさ、大学部の人たちいないね。てか、なんか初等部も少なくない? わたしたちより下の学年がいないんだけど
虹は璃奈の背中に頭を押しつけたまま、制服越しにムグムグと話をする。虹の生暖かい息が背筋をくすぐり、璃奈はぞわぞわと身体を震わせた。
「な、なんて言ってるのかわかんないって……。もう大丈夫だから、顔上げなよ」
気づけば初等部五年生の定位置に整列していたので、虹は璃奈から顔を離し、ぷはーっと息をした。なんとなく、満足げな顔で。
「いや、学園集会のわりに人すくないなぁーって。アプリの話って言ってたけど、当たりのわたしたちは皆の前で表彰とかされちゃう感じかな?」
虹はスマートフォンを取りだし真っ黒な画面に顔を写して、前髪を弄る。
「表彰って……別に良いことしたわけじゃないんだから、それはないでしょ」
虹は璃奈に言われるも、かまわずラメ入りのリップクリームを薄めの唇に塗りだした。
「れいれーい、そのぬりぬりんぐ、やらかってんじゃーん。リップはヨコよりタテのが効果激モリってゆー?」
虹の背後から、萌衣乃が声をかけてきた。それを聞いた虹は振り向くなり、真剣な顔になる。
「これはこれは、めいっぷだいせんせぃではありませんかぁ。きょうは、どういったごよーけんでぇ?」
「ぷっぷぅー。リップりんは唇のシワに合わせて塗るほーが浸透率ヤバめいっぷーじゃん? あんど、まつ毛やお肌にも小指ちょい塗り保湿で、ちょーイケかんぺきっしょ」
いつの間にか、萌衣乃が虹の後ろに並んでいた。虹と萌衣乃のやり取りは当然周りに注目されていて、璃奈な恥ずかしくなり前を向いて二人を放置した。
『こらっ、そこ! 静かにしなさいっ』
キィーンという音と同時に、亜東先生の声がマイク越しで聞こえてきた。もちろん言うまでもなく、注意されたのは虹と萌衣乃である。虹は亜東先生をムムムと睨み、萌衣乃は舌を出してヘラヘラした。
生徒が集合し、会場が静かになったところで、亜東先生は再びマイク越しに話を始めた。
『……それでは、学園長先生のお話です。学園長先生、お願いします』
ぶつりとマイクの切れる音がグラウンドに響くと、日除けがわりの足が長いテントの下にいる学園長が立ち上がる。男性にしては長く伸びたサラサラの金髪と綺麗な顔、金と白を基調とした神父が着るような衣装がとても印象的で、起立しただけで女生徒たちの歓声が湧いてしまった。
そして虹もまた、それに漏れずキャーキャーと騒ぎだした。
「わっふーっ! 待ってましたぁー、学園ちょーぅ。わたし、当たりの女ですよ、あ・た・りぃーっ!」
スマートフォンをブンブン振り乱してピョコピョコ跳ねる虹。さすがの亜東先生も、この女生徒たちの毎度の行動には呆れ果てていて声を出す気にもなれず、そっとマイクを投げだした。
しかし学園長は女生徒たちの声など気にする素振りもなく、長い衣装を引きずりながらゆっくりと、大きめのスピーチ台に昇る。
スピーチ台にスッと立った学園長は、集まった生徒を見下ろしながらそっと口を開いた。
『皆さん、おはようございます……。今日はとても大切なお話があります……。……それは、昨夜、皆さんが持ってる端末にインストールされたアプリについてです……』
学園長の声は小さいものの、透き通るような感じで耳にすぅっと入ってくる。女生徒たちは、聞き惚れるように目を閉じた。
『さて、そのアプリですが、ここにいるほとんどの生徒は百獣図鑑というものだったと思います……。そして少数ですが、幻獣図鑑というものがインストールされている生徒もいるはずです……』
虹は、幻獣図鑑というワードに心をときめかせる。いよいよ選ばれし者が注目されちゃうときがきたのだと、ドキドキした。周りの生徒も、誰がそうだの違うだのという内容の声を飛び交わせている。
『幻獣図鑑をインストールされていた生徒諸君、よかったですね……。おめでとうございます……』
学園長の言葉に、虹は唖然とした。それで終わりなのっ?というセリフが、虹の頭上に浮かんでいる。しかし無情にも幻獣図鑑の話は終わってしまい、学園長は別の話題へとシフトした。
『では次ですが、皆さん、
昨夜〈契約〉をしましたよね……?』
学園長の顔は、一瞬笑ったように見えた。
『といってもあまり記憶にないでしょうから、曖昧にしか思い出せないかもしれませんが……。さて……魂たちよ、そろそろ皆さんの前に現れなさい……』
学園長は言い終えると、マイクを切って黙り込んだ。生徒たちは学園長の言っている意味がわからず、なにごとかとざわつき始めると――。
ぽんぽんっ!
と生徒たちの周りに小さなケムリが現れ、その中から……。
小さな動物のような生き物が飛びでてきた。
「うっわぁおっ! きのうの子犬ちゃんじゃーんっ。えーと、ふ、ふえ……」
「フェンリルだッ。一度で覚えろ、小娘」
虹の頭に、昨夜の子犬、フェンリルが乗っていた。虹は瞳をキラキラと光らせて、両手でフェンリルを掴み頭から降ろして抱きしめる。
「じゃぁ、フーちゃんだっ! フーちゃん、わたしに飼われにきてくれたのぉ?」
「ふっ――?」
フェンリルは声をだそうとしたが虹にぎゅうぎゅうと抱きしめられてしまい叶わず、もう一度「ふっ」というと気を失った。
虹は愛しそうに気絶中のフェンリルをなでくり回しながら、思いついたように璃奈と萌衣乃の様子を伺うことにした。
「わぁ、めいっぷは小鳥かぁっ。可愛いねぇーっ」
萌衣乃の肩に、朱色の小鳥がとまっている。それは、翼を広げてくちばしで毛づくろいをしていた。
「れいれいのドールもおにプリじゃんっ。つかこれ、育成アプリってる? ばりリアルっぽくない?」
「えー、本物でしょ、この子。あ、璃奈ちゃんはどんな子だったぁー?」
虹は無邪気な笑顔で璃奈を見る。しかし璃奈は、前を向いてなにやらこそこそしていた。
「ど、どしたんりなちゃん……」
「えぇっ? あ、いや、その……あはは……」
璃奈が、ゆっくりと振り向いてきた。その組んだ腕の中には、紺と黒の中間のような色の〈蛇のような物が〉蠢いている。
「んッ! こ、これは……なに?」
虹は思わず顔をしかめた。璃奈も気まずい顔になり、言葉をだせないでいる。すると萌衣乃が、ヘラヘラと笑いながら言葉を紡いだ。
「りぃにゃ、ブランドそーなんぎゅぎゅってんね。てか、へび皮はウチより大人のおねぇしか撮りしてないじゃん? りぃにゃ、おに萌えっ」
萌衣乃は蛇のような物を見つめて、またヘラヘラ笑う。言ってる意味はよくわからないが、璃奈はなんとなく笑顔になることができた。
生徒たちのざわつきが落ち着き始めた頃、学園長のマイクがぶつっと音をだした。
『どうでしょう……? それが皆さんの魂です。皆さんはこれからその魂の姿となり、〈特別授業〉に参加してもらいます……。そしてその開催場所は、あちらです……』
学園長が右手を右側に差し伸べる。生徒の皆がそちらを注目すると、そこには幕がかかったままの巨大な新しい施設があった。
『あれこそが、学園随一の広さを誇る施設……』
学園長が差し伸べた右手を勢いよく振り降ろすと、それと同時に新しい施設にかかっている幕が引きずり下ろされるように取り払われた。
『〈ヴァルハラ〉です……!』
ヴァルハラ……と呼ばれたその施設は、球体を四分の一にしたような形状をしている。屋根は白く、切断面は真っ黒でそこに取りつけられた入り口らしき大きな鉄扉は橙色で塗られていた。
それはとてつもなく悪趣味に思え、虹は思わず「おっうぇー……」と施設に向けて言ってしまった。
『ここにいる選ばれし1万と336名には明日より七時限目を設け、ヴァルハラにて特別授業を受けてもらいます……!』
学園長は言いきると、また少し、笑ったように見えた。
『私からは以上です……。特別授業についての詳しいことは、教室で担任の先生から聞いてください……』
学園長はマイクにぶつりと言わせ、生徒たちを見渡す。
「それでは……ラグナロク、開始です――……!」
最後まで読んでくれて、ありがとう(*´∀`)




