美
フェンリルとスレイプニルの、過去のお話。
ズパァッ!
びしゃっ――……
「おい、美雨ッ! 大丈夫かッ?」
飛び交うガラス片や瓦礫で白い肌を切り裂かれ、鮮血を飛ばす美雨と呼ばれた少女。少女は身体の所々を青白い光で覆われていて、光のない脚部はガクガクと震えいまにも折れてしまいそうであった。
(へ、平気平気。全然大丈夫だから、私まだ頑張れるよ、フェンリル……!)
紺色の制服や肌が刻まれ、ボロボロになった下半身を気力で持ちこたえようとする美雨。しかしついに、堰を切るように黒いボブヘアーをバサリと揺らしてへたり込んでしまった。
「グハッグハッグハハハッ! おめぇ、こんな弱かったかぁ? なぁ、幻獣フェンリルさんよぉッ」
校舎の屋上で脚を畳む美雨を、緑色の制服の少年が見下ろし笑う。少年が身に装う黒い光は、その幼い体格に似つかわしくない岩のような鱗のような……厳つく禍々(まがまが)しい造形をしている。
「チィッ! ちっとばかし優勢だからって調子乗んじゃねぇぞ、バハムートォッ!」
脚を這わせたまま、見上げて叫ぶ美雨。中等部である美雨が初等部の少年より背が低いはずもなかったが、状況がそうさせているのか圧倒的な風格のせいか……少年の方が遥かに大きな存在に見えた。
「グハッ、グハハハッ。吠えろッ吠えろォッ、フェンリルゥゥウ!」
少年は黒く分厚い翼を広げ、その闇のような塊の中から、羽のような形状の黒い光を無数に発生させ……美雨に向かい容赦なく飛ばしつけた。
ビュビュビュビュビュビュッ――!
高速で迫りくる、刃と化した黒い羽の大群。避けることなくまともに喰らってしまえば、全身魂崩壊してしまうかもしれない。そう、頭では分かっているのだが……痙攣を起こしたようにびくつくだけの脚は、想いに反してまるで動いてはくれなかった。
「くっ……そぉぉォォオッ!」
「グハァーハッハッハァァ! 塵となれぇェェェッ」
ズババババババァァッ!
「ぐあぁぁぁぁあッ!」
バァンッ! と青白い光が美雨の身体から弾けた――瞬間、美雨はどさりと上半身をも伏せてしまった。
しかし少年は、一見戦闘不能とも言えるその姿を眺め、いぶかしげな顔をしてみせる。
「……グハァ、全身魂崩壊たぁいかなかったかァア?」
美雨の右腕だけは、かろうじて光を残していた。青白い光で形成された光の爪は、ガリガリとコンクリートを掻きむしり……少年に標的のありかを教えんばかりに暴れている。
「そんな状態で、まだ戦おうってかぁあッ? だがなぁフェンリル、こんな攻撃でごときで追い詰められてるようじゃ、どう足掻いてもおめぇに勝ちなんざねぇぞォオ?」
「……めん、ね、フェンリル。ほんと……ごめんっ」
血が溢れ出るズタズタの細い手足をずるずると動かし、懸命に身体を持ち上げようとする美雨。
そして少し身体が浮いたところで、まだ光の残る右腕を隠すようその上に覆い被さった。
(お、おい美雨ッ、なにしてんだよ? これじゃ魂崩壊できねぇだろーがッ。……悔しいけどよ、ヤツの言うようにもう敗けは決まったようなもんだ。これ以上身体が傷ついちまう前に、終いにすんぞッ!)
必死に説得するようなセリフが、美雨の頭に直撃する。それは、とても低い声で、美雨の脳天をグラグラと揺さぶった。
「ダメ……だよ、フェンリル。だって、今日でラグナロクおしまいじゃん……私、知ってるんだよ。フェンリル、あと一回敗けちゃうと……」
美雨は地鳴りのような馬鹿声に負けじと、グッと身体を縮めて右腕を抱え込む。対する右腕はなんとか抜けだそうともがき続けるが、美雨はそれを許そうとはしなかった。
「おめぇら、なにをしているんだァァッ? ……まぁいい、さァてどうやって仕留めてやろーかナァァア……」
表情を、忙しなく狂喜に歪め続ける少年。装った黒い光を膨張させ、美雨に手をかけようとした……刹那――
ゴォッギィィィイイッン!
激しくも鈍い音が咆哮し、同時に少年の小さな身体が少しばかり揺らいだ。
「……グッ――ハァァア……なんだなんだァ? あぁ、玩具が増えただけか、なぁ?」
突如鳴り響いた衝突音に反応し、顔を上げた美雨の視界には――茶色の制服を着た、背の高い男子生徒が映り込んだ。
(……スレイプニルッ!)
「遅くなって済まなかったな、同士フェンリル、同士美雨殿っ!」
屋上へ舞い降りた男子生徒は、凛とした声で渦巻く狂気を貫いた。




