紙ヒコーキ
あまりの支離滅裂な乱文っぷりに、三大奇書も悲鳴を上げることでしょう。
ガチャ、ガチャ、ガチャリ――……。
「ただいまぁーっ」
自宅の扉についた二つの鍵を開き、虹は帰宅した旨をアピールする。それに呼応してリビングから「おかえりっぷー」と一美の声が飛んできた。
虹は靴を脱ぎ洗面所で手を洗い、桃をしまうついでに豆乳でも飲もうかと冷蔵庫を開く。するとダイニングで美顔ローラーを片手にテレビを観る一美が、話を振ってきた。
「帰ってくるの早かったのねぇー。あ、そう言えばさっき買い物してたとき、街中で萌衣乃ちゃんがテレビ撮影してたよー」
嗣治が冬のボーナスで購入した65V型テレビの中で、派手な衣装を着た萌衣乃が歌を歌っている。それは幼児向けのスタジオ生放送番組で、萌衣乃がMCを勤めているもの。昼間も働き、夕方であるいまもこうしてテレビにでている。
虹は萌衣乃の多忙さに感心しつつ、台所から乗りだして羨望の眼差しをテレビに向けた。
「すごいなぁー、可愛いなぁー、憧れちゃうなぁーっ」
「ねーっ。虹にもなにかやらせてたらよかったかなぁー……。んあ、そうだ、頼まれてた下着買っといたから、部屋に置いといたよ。あと虹、少しは部屋片づけなさいよぉーっ」
一美は虹が出かけた後、仕事に疲れて爆睡する嗣治を叩き起こしドライバーを任せた。そうしてショッピングモールとホームセンターを巡回して週末恒例の買い出しを決行し、家の掃除や夕飯の支度をしていた。ちなみに嗣治は買い出し後は洗車をして、現在は庭でガーデニングをしている。
「アレはアレで片づいてるのぉーっ。夕飯なったら呼んでねー!」
虹はコップになみなみ注いだ豆乳を一気に飲み干し「ぷはぁーっ」と息を吐くと、コップをサッと洗って二階の〈れいんのおへや〉に飛んで行った。
バタンッ――。
虹が〈れいんのおへや〉に入ると、漫画本だらけの机の上に、ラッピングされた小包が置かれていた。虹はそれに飛びつくなりピリピリと包装を解き、中を確認する。
「わぁっ、可愛い見せパンっ! さっすがママ、あとでお礼いわなきゃっ」
虹は数枚のカラフルな見せパンを抱えて小躍りする。
すると、床に散らかしていた洋服で足を滑らせ、小さな身体を宙に浮かせてしまった。
「お、おわぁぁーっ!」
……ドッシィッーン!
「――いぃっ……たぁーっ! オシリうったぁーっ!」
勢いよく床に打ちつけた部分を、手でさすろうとする。しかしその下になにかを敷いてしまっていることに気づき、虹の意識はそちらに持っていかれた。
「あ、わっ、いつの間に落ちちゃってたんだろ。貼り直さなきゃ……」
虹の手には見せパンと、〈大人の女性になる計画〉と題され丸文字で文が箇条書きされた紙きれがへばりついていた。
「…………。大人の女性って、どうやったらなれるのかなぁー……」
箇条書きにされた内容を見て、虹は思う。ここに書いてあることは、虹が思う理想の女性像。朝は自分で起きてシャワーも浴びて、綺麗で格好よくて人気者で……とたくさんの項目が文字を連ねている。そして最後に、他人を思いやれること――と書かれていた。
他人を思いやれる女性であれ、とは一美の言葉であり常々そう言われて育てられたため、その教えをそのまま取り入れていたのだった。
「おもいやるって、なんだろなぁー」
なず愛の悲しげな顔や璃奈の辛そうな顔が浮かんでくる。萌衣乃はいつも笑顔を絶やさないが、放課後や休みの日にまで働いていて、しんどいはず。
特別授業が始まるまで、こんなことを考えたことはなかった。ただ、綺麗なままでいれば大人の女性になれると思っていた。
「フーちゃんとも、ケンカしたままだったな……」
虹がポケットからスマートフォンを取りだそうとすると、コンコンと部屋のドアをノックされた。
「わぉーんっ」
虹の返事を受けたドアはカチャッと開き、隙間から一美がヒョイと部屋を覗き込んだ。
「虹、冷蔵庫の桃、なぁに?」
一美の開口一番の言葉を聞いた虹は、なんとなくガッカリした面持ちになった。
「りなちゃんにもらったの。てか、転んで大きな音がしたから心配しにきてくれたんじゃないのぉー?」
「あんたがうるさいのはいつものことでしょ。いちいち気にしないですよぉー。……あれ、それまだ続けてんだね? どう、虹の思う大人の女性には近づけてる?」
一美は虹が手にしている紙きれを見て、質問する。その視線を浴びた虹は、おもむろに紙きれを折り始めてしまった。
そうしてたどたどしく手を動かしできあがったのは……紙ヒコーキだった。
虹は立ち上がり、いびつに形作ったそれをスッと構え、片目をギュッと閉じる。
「……どーなんだろ、わかんなくなってきちゃった。んもぉー、えいっ!」
力任せに投げられグルグルよれよれと……あっちこっちに飛び回る紙ヒコーキ。虹と一美は目まぐるしく視線で追うと、やがて紙ヒコーキは壁にポンと激突して、ごちゃごちゃの床にポトリと墜落した。
「あらら……」
一美は、一見どこに落ちてしまったか分からないほど物が溢れた床から紙ヒコーキだけを上手に拾い上げ、かさかさと広げて黙読を始める。紙いっぱいにびっしりと敷き詰められているのは、虹の想い。それを見た一美は、「あはは」と笑いだした。
「なんで笑うのーっ。よくばったっていいじゃーん」
「いや、あんたらしいなと思ってさ。……あのね、虹。虹はね、欲張りさんでいいんだよ」
一美は折り目を伸ばすように紙をなで、虹へ手渡す。それから自分より少し身長の低い虹の頭へ手を伸ばして、髪をくしゃくしゃとなで回した。
「〈虹色〉には、夢とか、希望とか、明るいとか、平和とか……たくさんの意味があるの。虹色は、欲張りさんなんだよ。だから虹もたくさんの幸せを欲張って、それを自分にも周りにも与えていける虹みたいな存在でいればいいんじゃないかなぁ」
一美は虹に微笑みかける。それでもやはり、虹は浮かない顔で唇をとがらせている。
「…………。うんとさ、でもさ、あのさ、えっとさ……。やっぱりいっぱいありすぎると、どーしたらいいのか迷っちゃうもんだね……」
伏し目がちに答える虹。その頬を一美は両手ですくい、虹に顔を寄せ、にーっと笑う。
「欲張りすぎて迷っちゃったら、そのときは一番大切なことを想えばいいよっ。そのとき虹にとって一番大切なことが、きっと虹を大人にしてくれるから!」
「わたしの、大切なこと……」
虹は一美の手の中で少し沈黙する……と突然、にーっと笑い返して机の椅子に飛び乗り、左手にシャーペンを貼りつけた。
なにやら黙々と作業をし始めた虹の真剣な背中を見た一美は、「虹、がんばれっ!」とエールを送り部屋から出ようとする。けれど虹はそれを引きとめるように、「ママっ!」と声を張り上げた。
「えとね、んとね、そのね……ありがとっ!」
机に向かったまま大声でお礼を言う虹。一美が娘の成長をひしひしと感じながら振り向くと、高々と掲げられた虹の右腕の先端には、カラフルな見せパンが握られていた。
お疲れさまでございました。
最後まで目を通してくださり、ありがとうございます(つд;*)




