紅銀の双極
辺り一面が真っ赤に染まっていた。
部屋の奥まで何十歩と歩かなければならないような広間の一面を覆うのは、親しかった人達の血痕や肉塊。そして嫌でも鼻につくのはまだ乾いていない、生々しい錆びた鉄の匂いだ。
むき出しの窓からは月光が差し込み、惨劇の起こった部屋を暗闇の中に浮かび上がらせている。
「に…ちゃ…ど、して…」
部屋のほぼ中央で光が揺れた。自分と同じ白に近い銀髪が光を受けて、眩しいと錯覚するくらいに鈍く輝いていた。
自分と何から何まで同じのもうひとりの自分は全身をその紅の虹彩と似た色に染め上げながらわずかに口元を歪める。
「ねぇ、遊ぼうか」
◆◆◆
半ば強制的に目を覚ますと、そこは寝る直前まで見ていた景色と全く同じ、近くの村まではまだ少し距離がある森の中の木の上だった。脳みそを直接かき回して地面に叩きつけたようなとてつもない不快感と頭痛に襲われ、たまらず嘔吐しそうになるのを辛うじて止める。
「ハッ…ハッ……ハァ…ハァ…」
浅くなっていた呼吸を少しずつ正常に戻し、最後に溜め息とほとんど変わらないくらい大きく息を吐き出した。
「夢…」
そう呟いて額を拭うとヒヤリとした感触があり、目を向けてみれば案の定手の甲はビッショリと濡れている。
ほぼ毎日のように見る夢は、彼がその罪から決して逃げられないことを残酷な程に物語っていた。もう8年も前のことだったその惨劇は彼の中で薄れていくこともせず、逆に夢を見るたびに鮮明さを増している。まるで忘れることを許さないかのようなその夢は、死んでいった者達の血が鎖のように絡みついているように不気味な罪悪感を与え続けてくる。何度となく見ていても、その罪悪感には慣れることがない。
「絶対に…許さねぇ…」
濡れた手を軽く振って水滴を飛ばし、フードを目深にかぶると木を降りた。幹に繋いでおいた馬に乗ると、ただ前だけを向いて目の前の森へ目線を向け、馬の腹を蹴り木々の間へと消えていった。
ヴァル・ザグニアは大陸ではかなり名前の知れた人間だ。流れの傭兵のように大陸中を回りながら数々の仕事をこなしており、その成功率の高さは大陸中の傭兵の中でも指折りのものだ。しかし、彼が有名なのにはもう一つ理由がある。大陸では無いと言ってもいい程珍しい、白に近い銀髪に紅の瞳を持っているのがそれだ。全身を黒い服で覆っていて、いつもフードをかぶりその目立つ銀髪を隠している。背中には彼の身長とそう差は無いくらいの大鎌が背負われていて、剥き出しの刃が彼をますます恐ろしく見せていた。その姿はまさに影が実体を持ち動いているような、言いようのない不安を人々に与え、故に彼は「死霊」と呼ばれ依頼をする連中以外に彼に近づこうとする者はほとんどいなかった。
そしてもうひとり、彼と必ず対で噂される人間がいる。ヴァル・ザグニアと全く同じ顔に笑顔を貼り付けたような、彼と同じ流れの傭兵。ヴァルとは決して一緒にいないと言われる「道化」。双子の兄、ヴァン・ザグニア。彼らは人々から怖がられ、疎まれ、あるいは賞賛してこう呼ばれた。その特徴的すぎる髪と目の色から、「紅銀の双極」と――――
◇◇◇
宵闇を月が淡く照らしている。光を受けた木々が葉の隙間から零れた光を地面に落としていた。
あぁ、きれいだなぁ。
その幻想的とも言えるような景色は溶けて消えてしまいそうなほどに儚げな気がして、今の自分の憎みたくなるような現状を忘れさせて…
「イテテ…」
は、くれなかった。
殴られた頭は鈍くも耐え難い痛みを断続的に与え続け、石を投げられてできた傷はヒリヒリと痛んだ。
「擦れて、痛いや…」
腕は背面できつく縛られ、足も同様に縄が巻かれていた。動きを封じる目的で巻かれたその縄は、村の人たちが今日、本気で自分を殺そうとしているのがわかる。今まで必死に自分を守ってくれた母さんはもういない。最期まで呪いだ祟りだと蔑まれ、挙句の果てには石に望まれなかった者とまで言われてしまった人生は、さぞかし悔しかったことだろう。もしかすると無念のあまりまだ石の元に還れていないかもしれない。
もし僕がここで死んだら、母さんを見つけられるかな?そしたら二人で頑張って石のところに還ってお願いするんだ。
「お金持ちでなくてもいいから。普通でいいから。高望みなんてしないから、どうか…」
ザザザッッ
背の低い草木の葉が擦れる音がして、匂いに釣られてやって来たのだろうか。十匹前後はいる狼の群れがその鋭い眼光を光らせながら現れた。ここ最近村の家畜を襲っていたのはこいつらだろう。取り囲まれている上に端から身動きが取れない。自分よりも一回り程大きい獣達を前に体が反射的に震え始める。そんな中でも頭の隅でしきりに呟くのは、今しがた浮かんだだ微かな願い。
どうか
ヴグルルルル
喉を鳴らしながら狼が近づいてくる。ジワリ、ジワリと輪が狭まってくると同時に、獣独特の匂いがはっきりと感じられた。
どうか
狼が前足をゆっくりと曲げながら予備動作を取る。
どうか
その前足が跳躍と共に伸び、狼が次々と飛びかかって来た。目の前の獲物に歓喜するかのように何かを吠えているような気がするが、狼の声も、木々のざわめきも、あんなに綺麗だと思った景色さえも目に入ってこない。ただ一つわかるのは自分が必死に祈っているという事だった。
どうか
来世では母さんと普通に暮らしたい
「ギャインッッ」
目の前で月の光のような銀色が舞った。さっきまで自分を襲おうとしていた狼たちが次々に明後日の方向に飛んでいく。それぞれが似たような方向に飛んで行くのを、ぼやけた視線で捉えていた。
「キャイン、キャンキャン」
とその見た目からはとてもじゃないが考えられないような、情けない鳴き声を森に木霊させながら狼は尻尾を巻いて逃げていった。
「ったく…ガキじゃねぇか」
舞いながら次々とあの数の獣を、そして恐らくは怪我をしないように刃を使わずに飛ばした銀色は、その色を黒で覆い隠しながらそう吐き捨てた。そのフードの下で、髪と負けず劣らず異様な色を見せるその紅をこちらへ向ける。
「ついあいつら追っ払っちまったが、助けなかった方が良かったか?」
不機嫌そうに眉にしわを寄せ、しかし特に何でもないような声音で「死霊」は僕にそう尋ねた。