ゆめうさぎ
いずみはねる前に、お絵かきをしてからふとんにはいります。その夜、たまたま絵をかく紙がなくなったので、ママの鏡台にかざってある、大きく引きのばされた写真をつかってしまいました。そこには、子どものころのママのうでにだかれ、にっこりとわらっているうさぎのぬいぐるみがうつっていました。
「いずみ、かえしなさい。」
ママが気づいて、いずみから写真をとり上げたときには、クレヨンがぬられていました。
「……こんなにしちゃって。ママの大切な写真って言ったでしょ。」
はあー、とためいきをつくと、ママは赤い色でぬりつぶされた写真を見て言いました。
「このぬいぐるみは、もうないのに。」
「ごめんね、ママ。」
ママのには聞こえていないのか、ママはいずみにせ中をむけたままです。しかたなく、クレヨンをかたずけて、ふとんにはいりました。
つぎの朝。おうちでかっている、チャボのチャチャのなきごえで、いずみは目がさめました。
「おはよう、ママ。」
いずみがママのいるだいどころにいって、朝のあいさつをしても、
「おはよ。」
ママは、ひくい声で答えたのです。いつもだったら、
「きょうは、はやかったのね。」
と、 いずみにわらった顔を見せてくれます。
まだ、ママのごきげんはなおっていないみたいです。いずみは、ほっぺを風せんのようにふくらませました。
「いいもん。ママなんて。」
そのまま、いずみは外へととびだしてしまいました。テーブルの上においてある、アツアツの食パンとゆげが出ていたミルクは、もうすっかりさめていました。
「ちゃんとごめんなさいしたのに、ママなんてきらい。」
空を見上げると、うすぐらい雲から明るいたい太陽が顔を出していました。きのうからふりつづいた雨はようやくや止みました。
いずみは、近くにあった水たまりを長ぐつで力いっぱいふみました。 くつのまわりには、水がとびちります。そして、白いわたがしのような雲が、いずみの体をぎょうざみたいにくるみました。
「へんなの。」
ふしぎな気もちがしましたが、いずみはそのまま公園に行きました。なかよしのたくちゃんやみーこちゃんには会えませんでしたが、ブランコにのったり、すべりだいですべったり、ひとりであそんでいました。
いずみが空を見ると、水色にみかん色がまざっていました。もう、家に帰らないと、まっくらになってしまいます。
公園を出て、まっすぐに家に帰ると、ママがげんかんの前にある、花の手入れをしていました。
「ただいま。」
いずみが声をかけると、ママは首をかしげて言いました。
「うちに、なにかごようなのかな。」
よその子を見るようなママの目に、いずみはドキンとしました。
「ママ。いずみ、もういたずらしないから、そんなこといわないで。」
「いずみちゃんっていうのね。おばちゃん、あなたのこと知らないのよ。いずみちゃんは、わたしのことを知っているのかな?」
ママにそう言われて、いずみの心は空っぽになって、 まいごになったようでした。ママの顔を見ていた目は、なみだがあふれだしました。
「なんでー。ママだよ。ぜったいに、いずみのママだよ。」
いずみは、洋服でなみだをふきとりました。ママは、こまった顔でいずみを見ています。ほんとうに、いずみのことを知らないみたいです。
「……ママ……。」
それだけ言うと、いずみはママにせ中をむけて走り出し、いままであそんでいた公園にもどりました。
「ママのばかぁ……。」
だれもいなくなった公園の中で、いずみはブランコをゆらしながら、なきました。なみだが、いずみのほっぺを滝のようにながれおちて止まりません。
もう、いずみはママのことをおこっているわけではなく、ママにだいてもらいたくなっていたのです。
「あ、やぁ。」
とつぜん、どこからか、声がしました。
「え? だ、だ、だ、だれ?」
いずみの声がふるえています。こわくてしかたがありません。
すると、 いずみのブラウスのポケットから、てのひらにのるくらいのうさぎのぬいぐるみが出てきたのです。どことなく、ママの大切な写真にうつっていた、 うさぎににています。
「う、わ、わぁぁぁぁー!」
いずみは、びっくりしてブランコからおちてしまいました。 こし腰に力が入らなくなって、体をささえている手も、ガタガタとゆれています。
「だいじょうぶかい。」
ぬいぐるみのうさぎが、いずみのすわっていたブランコにとびのりました。
「しゃ、しゃべったぁー!」
おどろいているいずみを見て、うさぎはやれやれというふうに、りょう手のてのひらを上にむけ、ハの字をつくりました。
「しかたないなぁ。」
ふうー、といきをついて、うさぎはブランコに腰をおろしました。
「ここはね、きみのすんでいる町とそっくりな、もうひとつの町なんだ。ちがうといえば、どうぶつやぬいぐるみがぼくのように、話したりうごいたりできることかな。」
頭の中がごちゃごちゃで、いずみにはよくわかりませんでした。
「ママ、ママがぁ。」
「あぁ、ママとそっくりな人がいたんだね。でも、あの人はきみのママじゃないんだよ。うーん、そうだ。こう言ったらわかるかな。この町は『ゆめのせかい』なのさ。」
いずみは、じぶんのほっぺをつねります。
「いたい。ゆめじゃないもん。うそつき。」
クスクスと、うさぎがわらいました。
さっきまで、うさぎのことをこわいと思っていたいずみでしたが、いつのまにかその気もちがなくなりました。
「あのね、いつもならねているときにゆめを見るよね。だけど、ちょっとしたはずみでここに来てしまうこともあるんだよ。」
にっこりと、うさぎがほほえむと、いずみはなぜか心がウキウキしてきました。
「ちょっとしたはずみ?」
「そう。おかあさんとケンカして、いつまでたってもおこったままでいたりするとね。」
いずみは、家をとび出してからのことを思い出しました。
「いずみ、ママにあやまったのにゆるしてくれないから、だから頭にきて水たまりをふんじゃった。」
「きみは、いずみちゃんっていうんだね。そうそう。あとはぬいぐるみをなげたりしちゃうと、ここに来てしまうことがあるよ。やつあたりというしぐさかな。」
とたんに、いずみのまゆげが富士山のかたちをえがきました。ママのことを思い出してしまったのです。
「ママ、いずみのことしんぱいしてるよ。ねぇ、帰りたいよー。」
また、いずみの目になみだがたまりはじめました。うさぎはやさしくなだめます。
「ママをおこっているきもちがなくなれば、しぜんにかえれるよ。ほら、もう……。」
すると、いずみの目にうつっていたうさぎが、少しずつ遠くになって、やがて見えなくなりました。
「……かおりちゃんによろしくね……。」
いずみの耳に、かすかにうさぎの声がとどきました。
「ママ……。」
いずみが目をさますと、ママのうでの中でした。どうやら、公園でうたたねをしていたらしいのです。
「ママもいずみがあやまっているのに、ぷんぷんしちゃってごめんね。」
「いずみも。」
ママは、いずみの頭をかるくなで、ぎゅーっとだきしめました。
「ママ。」
いずみは、ママの肩にほっぺを何回もこすりました。
「うふふ。 もうすぐパパも帰ってくるから、いそがなくっちゃね。」
ママは、はや足になって言いました。ママの腕の中で、いずみはゆられているうちに、ねいきをたてていました。
つぎの朝、いずみはママからいちまいの写真を見せてもらいました。
「また、この写真を引きのばそうかなぁ。」
ママは、鼻うたをうたいながら、たのしそうです。
写真には、小さいころのママにだかれた、あのうさぎのぬいぐるみがうつっていました。そして、うらめんいっぱいに、『かおり、五さい。うさぎくんといっしょ』という字がかかれていました。
いずみは、ママに内緒で、その写真のうさぎにキスをしてあげました。