ある顛末 -nothing all, nothing all-
得られる物など何も無く。それでも僕は、ただ君が為に。
僕らは、とても仲が良かった。
それはきっと、僕に手足が揃っていても変わらなかっただろう。
物心がつく前から手を繋いで。
どこに行くにもいつも一緒で。
そんなだから、周りの皆から囃し立てられたりもしたけれど、それでも僕らは変わらず笑顔のままで。
君に僕は手を引かれて、僕に君は諭されて。助けて、助けられる。笑いかけて、笑いかける。
それが一番自然なんだと、分かっていたし、思っていた。
学生になっても、お酒を飲むようになっても、紙の上で夫婦になっても。
僕らはいつまでも昔のまま、仲の良い幼馴染みのままだった。
だから、君が戦場に行くなんて。
言ってほしくなかったんだ。
「急に、どうして……」
「私ね、考えたんだ。あなたにも、ちゃんとした体が必要だ、って」
「そんなの……今のままでも僕は充分だよ? そりゃ、確かに片手と片足だけのこの体は不便だけど、それで良いんだ。こんな僕にだって、家事はこなせる。君の役に立てるんだ」
「そう。あなたが家の事をして、私が外で仕事をする。それで生活できてたし、これからだってできる。私もそれに不満はない。むしろ幸せだよ? だけど」
私が居なくなったら。
そんな、不吉な事を言う。
「今は男女の性差なんてほとんど関係のない社会。それはもちろん、戦場でさえも」
そしてこの国は、戦争をしていて。
資源は足りる。けれど、それを扱う人手が足りなくなるのは目に見えていた。
だから、国を挙げての募兵政策を推し進める。欠損こそ簡単に贖えないが、身体能力や人格は関係ない。それを抑え込み、平均化できる最先端の医療と技術がこの国にはあるのだから。
そして、数年の兵役を終えれば十二分な、一人の人生には過ぎる程の報酬が与えられる。
その発達した医療で実現した、精密な人工神経を用いた義手の類も望める程の。
「だけど僕は、女性に――いや、君に戦ってほしくない」
「……言うと思った。あなたはいつだって、そういう事にこだわるんだから。……でも、もう決めたの。もう出願しちゃったし、もうキャンセルはできない」
「そんな……」
「来週には、もう私は戦場に立っている。……ごめんね、本当は言わないで行こうと思ってたの。言えば、あなたは私を引き止める。それだけの強さと、優しさとを持っているから。…………ごめん、なさい」
そう言って、話を終わらせるようにうつむいてしまった。
来週には、彼女はどこかへ行って銃を握り、引き金を引く。
――――それは、それだけは、どうしても嫌だった。
だから僕は、彼女に告げずに行動する。
医療は発達した。五体があれば、どんな人間でも戦場に立たせる程に。本物と比べても遜色のない義体を作れる程に。
公には認められていないが、脳を入れ替えて、魂を入れ替えられる程に。
ごめん、と謝る事すら傲慢だろう。
謝罪は、罪を認める事。罪を罰に変える事。罪の重さから逃れる事に、他ならない。
今はただ、彼女の代わりを務めよう。
目を覚ました時、彼女は驚くだろうな。
当然だ。不満足な体に、自分の顔と同じくらい見慣れた顔が鏡に映るのだから。
せめて手紙を残そう。所業の割に軽いものではあるが、僕の思いを綴ったもの。
実を言えば、女性が、君が戦場に立つ事を否定したい訳ではないと。
――話を聞いて、君が離れていってしまうのではないかと思ったんだ。
僕に体を与えて、君が居なくても良いようになれば。
君を縛っていたものは消え、君はどこへでも飛んでいけるようになってしまう。
だけど、僕自身がそれを手に入れれば、君は飛べはしないだろう?
君からすれば、歪んだ願いかも知れない。
けれど、そうするしかない。
僕の代わりはいくらでもいる。でも、君の代わりはいないんだ、と――
三年後、ようやく帰ってきた僕は、その返事を同じく手紙で受け取った。
隣人から渡されたその手紙を、僕は迎える者の居なくなった、静かな家で開く。
そこには、確かに彼女の文字が綴られていた。
『私の力でそれを手に入れれば、あなたは私に縛られる。そう、思ったの。
あなたは強い。あなたの隣に立つのは私でなくても良いほどに。
別の、何処かの誰かでも良いほどに。
だから、私があなたを助ければ。
それは、強く優しいあなたの負い目になるでしょう?
あなたは私から離れられなくなるでしょう?
その歪んだ願いを、私は謝らない。謝れない。
ただ、歪んでしまっても、私は、あなたと一緒に居たかった。
私の代わりはいくらでもいても、あなたの代わりなんて無いのだから』
三年前と同じ隣人が言うには、僕が出てから一ヶ月もしない内に、薬を飲んで、眠るようであったという。
そして今は、この冷たい石の下に眠っているのだ。
教会そばの墓地にかかる、冬の空。灰色のそれは、とうとう静かに泣き始めた。
墓石に刻まれた名前は彼女のではなく、僕の名前。
それもそうか、今も僕が彼女になっているのだから。
自嘲するように口元を歪めようとしたが、冷たい雨に濡れたせいか、ぎこちなくひきつるだけ。そこからどうしても動かないので、諦めて口を閉ざす。
此処に来る途中で買った花束を持ったまま、しゃがみ、墓石に背を預ける。
目を、閉じる。
…………僕らはきっと、昔のままで、幼馴染みでありすぎたのだろう。
だから、変わる事を恐れてしまった。恐れて、何も言わなくなった。
言わなければいつまでも幸せだと。いつまでも手を繋いでいられると。
僕らは、とても仲が良かった。
それはきっと、素直に心の内を曝け出しても変わらなかっただろう。
今はもう、そう思うしか、ない。
タイトルの「nothing all」は、感覚的につけたので文法とかは知らないです。