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枝垂桜と登竜門、それと、オレンジ色のクライシス

お題 「枝垂れ桜」、「登竜門」、「オレンジ」

 枝垂れ桜の根元には

 (かばね)がひとつ 横たわる

 男がふたり ()を抱え

 肉をつけんと いざ往かん

 (たま)をつけんと いざ向わん






 ―――知ってるかい?

 いやぁ、棺桶を連れてる二人組の話さ。

 なんでも、死者を生き返らせる為に旅をしているって。

 え? それだったらよくある話だって?

 ま、魂に関わる根底理論の一部が完成されてから、死者を覆すだの、魂を呼び戻すだの、そういう話には事欠かないけどよ。

 そんな大抵の与太話と違うのが、ソイツらが成功間近だ、ってコトだよ。




「うおーい、もう一万歩目じゃねーのか?」


「いや、まだ九八五一歩目だ」


 見渡す限り、岩と石と砂だけで構成された、赤茶けた荒野の中を男が二人、歩いていく。

 どちらも装飾の無いシンプルな黒のロングコートで身を包み、これもまた飾り気のない、後ろに垂れがついた黒い帽子を目深にかぶっている。

ロングコートの襟は、砂が入らないように口元まで上がっており、二人の容貌を窺うことはできず、かろうじてその隙間から、一人は眼鏡、一人は三白眼が覗いている。お陰で、体格も似通った彼等とは正面から向き合わない限り、外見そとみでは見分けがつかないが、それは本来ならの話である。

今は、眼鏡の男が、棺桶を背負っている。

縦長の六角形の、一般的な形状のそれは、大人がひとり入っても余裕のある大きなもの。黒く塗り上げられ、陽の光を反射することなく在り続けるそれは、色も相まってひどく重々しく見える。だが、眼鏡の男に苦しげな素振りは少しも見えず、紐で自身と結んだそれを、時々背負い直しながら平然と歩いていく。

その隣の三白眼は、手持ち無沙汰に頭の後ろで手を組んでいる。退屈そうに欠伸をしながらも、しっかりと歩数を数えているようだ。


「と。これで一万歩目」


「よーし。それじゃあ、早速恒例のジャーンケーン……」




 それから数時間後。結局あれから、棺桶は眼鏡の背から一度も動くことなく陽は傾き、地平間近に迫っている。空は青から橙、そして群青へ、その姿を変えていく。西には、気の早い星がちらほらと瞬きはじめていた。


「……ジャンケンで背負う役決めるの、止めるか?」


「……馬鹿言え。負けっぱなしで止めらんねぇよ」


 片やしかめ面を隠しもせず、片や「何の意地だか」と呆れて肩をすくめる正反対な彼等が、遠くに目を向けた先に見つけたのは一つの塔。高さも大きさもない小さなもので、塔というよりも、何の加工も施さない角材を一本だけ立てた、という方が的確だろう。


「やりぃ、今日は野宿じゃなさそうだな」


「みたいだな。……と、一万歩目だ」


 その言葉を合図に立ち止まり、一人の威勢の良い声がしたかと思うと、少しだけ間を置いて再び歩き出す。夜に溶け込むような二つの影が無言のまま荒野を歩く様は、さながら行き先のない葬式に見える。しかし、葬式と違うのは、二人の眼に浮かんでいるのは悲哀ではなく、強い意志の光であるという事だ。

 そうこうしている内に日は沈み、彼等が一先ず目指した塔が近づく。角材のように無骨なそれは、月のない夜の闇においても、星明りだけで充分に輝く白を放つ。何で出来ているのか、継ぎ目や隙間は見受けられず、超俗的に荒野に立っている。

 その下まで来た眼鏡は棺桶を静かに下ろし、優しい手つきで撫でてから振り返り、塔の表面に触れる。すると、二枚の扉を模った光の線が浮かび上がり、招き入れるように内側に、音もなく開く。それを見た眼鏡は後ろの三白眼に視線を向けると、頷いた三白眼が棺桶を背負い、眼鏡を先にして塔の中へと入っていった。

 塔の中は暗く、奥には唯一の光源である、ぼんやりと光を発する画面を天辺に持った箱型の装置があるだけだが、四人ほど横になるだけで足の踏み場が無くなるくらいに狭い。

 眼鏡は装置の前に立つと、画面に触れて操作を始める。三白眼は棺桶を注意してゆっくりと床に下ろすと、休みなく操作を続ける眼鏡に声を掛ける。


文福ぶんぶく、どうだ? この中継塔の調子は」


 文福と呼ばれた眼鏡の男は画面から目を離さず、手を止めずに返事をする。棺桶にかかった土埃を払う三白眼が、その態度に不快な顔を見せないのは、性格だと分かり切っているからだろう。


「少し待て。……ふむ。どうやら、つい数日前に整備旅団キャラバンがここを過ぎていったようだ。整備も完全に終わっている」


「おおう。ソイツはラッキーだな。で、この辺りに村かなんかは?」


「それはこれからだ。おい茶釜ちゃがま、大丈夫だとは思うが、一応、外で通信強度を確認していてくれ」


「了解了解、っと」


 開け放たれていた扉から、茶釜と呼ばれた三白眼の男が出ていくのを見送って、文福は眼鏡を指で小さく上げてから装置をいじりはじめる。画面は日付や時刻、人名などがリストになった何かの履歴から、ノイズ混じりの塔を中心にした周囲の地形図へと切り替わる。

 外では茶釜がこらえもせず大口を開けて欠伸をしている。眠たそうに目を擦りつつも、視線は塔の頂上へ向けられたまま。と。

 頂上に変化が現れる。扉の時のような光の線が、いくつもいくつも走り出して模様を描き、次第に花弁のように開き始めた。

 それが開くに連れて、地形図に走るノイズが収まっていく。塔の頂上が白い蓮の花のように開ききった時には、はっきりと画面が表示されていた。


「いやまったく、仕事とはいえ整備旅団はスゴイね。前に寄った所は碌にアタマ開かなかったが、ここはきっちり全開だったぞ」


 塔の中に戻ってきた茶釜は、棺桶の傍にどっかりと胡坐を掻くと、冗談めかした誉め言葉を口にする。茶釜が入ったのを耳だけで確認した文福が画面に二、三回触れると、扉がやはり音もなく閉まる。外部と断たれ、砂を防ぐ必要が無くなったので、茶釜はコートの襟をぐいと下げる。現れた口は、機嫌良さそうに歪んでいた。


「そうだな、前は接続するのにやたらと苦心したが、今回は整備が済んだばかりで助かった」


 同じように襟を下げた文福は、足を投げ出して休息を取る茶釜とは対照的に、操作の手を休めることがない。眉根を寄せて思い詰めたような表情をした彼であるが、それが何時もの彼の顔なのだ。口振りとは違い、動かない表情の中で今は眼だけが、四方八方へスクロールさせている地形図から、村落の影を見落とさないように活発に動き回っている。

 そしてその眼が、中心を塔の右上へずらした時に一点に定まる。


「……あったぞ。小さい村だが」


 その声に茶釜は、横になっていた身体を半分だけ起こし、眠りかけていた頭を振って目を開く。眠気から細められた三白眼は、印象の悪さをよりいっそう倍増させている。

今まで画面から目を離さなかった文福が、ようやく装置から離れて手招きをするのを見て、気だるそうに立ち上がり装置に近寄る茶釜。何処だ、という目線での訴えに、文福はある場所を指差す。


「ここから北東の場所。距離は……かなりあるな。北東の、隔離し連なる山脈の麓だ」


「げ。北東の山脈って、今日見た限りじゃあかなり遠かったじゃねぇか。もっと近場は無いのかよ?」


「生憎とな。もうすぐ食料も尽きるし、ここに向かう以外は無い」


 無感情な文福の言葉に頭を乱暴に掻いてから、仕方ないか、と溜め息をついて踵を返す茶釜。ふらふらと棺桶の傍に戻り横になると、そのまま眠りについてしまった。

 文福は画面に触れて地形図を閉じ、最初の画面に戻すと棺桶の傍、茶釜とは反対側に横になると、いとおしそうに黒々とした表面を撫でながら、ぽつりとこぼす。


「―――……しかし、彼女にもう一度逢えるのは、いつになるのかな……」




 夜が明けて、彼等は荒野を歩き出す。

棺桶は相変わらず文福の背中から動くことはなく、一万歩目を数える度に茶釜が苦悶する。それを繰り返している内に陽は傾き、沈み、星が巡ってまた太陽が顔を出す。

 二人は大分歩き慣れている様子で、睡眠以外には休息も取らず、塔を出てから二度目の夕暮れが終わりを迎える頃には、既に目的地としていた、山々の裾に辿り着いていた。

此方と彼方を分かつ山に草木の類は見られず、歩いてきた荒野と同じくらい渇いた山肌が、裾野から頂上まで広がっている。


「見えてきたぞ。アレがそうだ」


 その山脈の麓に沿って歩き続けてきた二人の前に現れたのは、切り立った岩壁を後ろにした、丈の低い円柱型の家屋。文福が指で示す先に、それらが数える程度に円を描いて建っている。

 このような場所にあるから活気は無くても当然だと思えるが、それだけでなく、夕陽の色がそう見せているのか、何かしら哀愁というか、絶望というか、そういったものが漂っているのが離れていても分かる。それと、それが異常なものだという事も。


「……くせぇな。肉が腐った臭いがする」


 訝しがりながらも近づくと、不意に茶釜が苦々しげに言って襟を上げる。隣で棺桶を背負う文福は臭いに気付いた様子はないものの、問うことはせずに倣って襟を上げて鼻を隠す。茶釜の言葉が錯覚や幻覚ではなく、確かなものだと信頼しているようだった。


「それも一人分じゃねぇな。コイツぁ濃い、特濃もの――」


 茶釜がそう言いかけた時、悲鳴が響く。

 甲高い、女性のもの。恐怖をそのまま声にしたように叫び、助けを求めるもの。それが次第に痛みに対して上げるものになっていく。

 何が起きているのか、今の所は集落に動きは見られないものの、二人は咄嗟に身構え、茶釜を前に、文福を後ろにして棺桶を守るように位置を取る。そうしている間にも、悲鳴は徐々に弱くなっていく。そのうちに途絶えたかと思うと、家屋の一つの扉が蹴り飛ばしたように乱暴に開けられた。

 中から出てきたのは人。四人――いや、正確には一人と、三体。

 一人は恐らく、先の悲鳴を上げていた女性だろう。三体に担ぎ上げられている。抵抗させないようにか、両腕両足の関節部分が、人形のようにそれぞれあらぬ方向に曲がってしまっている。支えを失ったそれらが、動くたびにゆらゆらと、揺れる。

 そして女性を何処かへと運ぶ三体。人の形をしているが、全くの別物。体は腐肉と健常な肉を縫い合わせて体裁を繕っただけ、しかも男女の区別のないつぎはぎで、それらが元々は人間であったという事実が、その肉の寄せ集めがこうして人間の形をしている事実が、常人に嫌悪を抱かせる程に醜悪。だが、担いだ女性を落とさないように三体でバランスを保つ様は、生者のように生々しい。

 先頭に立つ一体が自分達を見る存在に気付いたらしく、構えを解かない二人に顔を向ける。その場から動こうとしない彼等は問題ないと判断したのか、右目に黒々とした空間を湛える顔を前に戻し、西日が作る橙と影に彩られた奇妙な行軍は、何処かへと去っていった。


「……こりゃあ、面倒なコトになりそうだな」


「いや、既に面倒な事になっている。見ろ」


 見送った茶釜が張っていた気を抜くように不真面目な口調でこぼすと、文福が集落を見やって答える。家々からは、過ぎ去った嵐を窺うように、住民たちが怯えた様子で顔を出していた。周囲を見回す住民の視線が、夕暮れの荒野に浮き立つ二人を見つけるたびに留まる。

 その数が増えていくのと、それらの視線に縋るような色が込められているのを感じ取り、茶釜は肩をすくめる。


「ま、両目があるだけマシな方か」




 それは、よくある話だった。


「よくある話だな。愛するオンナを生き返らせる為に他人を襲うなんざ」


 この集落の長だという腰の曲がった老人が、文福の背負う棺桶にギョッとしながらも勇気を振り絞って歩み寄り、二人が尋ねてもいないのに自分達の置かれた惨状を語りだす。

 曰く、この集落出身の男が、喪われた愛に狂い善悪の分別を失って、さっきのように夕暮れの度に住人を連れ去るらしい。


「この土地には、祖を同じくする集まりがここ以外にも二つあるのですが、奴に襲われ全滅です。残っているのは、ここの者だけです」


 助けてくれ、とは口にしていないものの、老人の発する声色や感情が露骨にそれを語っている。茶釜が首を背けて嫌な顔をする一方で、文福は到って無感情に、「整備旅団が通ったはず。その者らに助けを求めれば良かったのでは?」


「よく御存知で。確かに、整備旅団の方々はここを通りました。勿論そのとき、助けを求めました。ですが、『我々には厄介な条約がある』、『報酬があってはじめて、一般論でいう常識的な選択ができる』、と」


「ハッ、融通のきかないアイツラらしいな」


 二人の遣り取りを聞き流していた茶釜であったが、整備旅団という単語に反応する。急に飛び出した、嘲笑を含んだ彼の言葉に困惑の表情を浮かべる老人に、文福が説明を入れる。


「彼等は中継塔の整備の為だけに組織された集団。世界中に建つ中継塔を整備するには、国家間を自由に渡り歩く必要があるのですが、その自由を得る為の条約がいくつかあるのです。

その旅団が言っているのは、不干渉を旨とした条約です。あなたの国の中で身勝手な行動はしないので、あなたたちも我々に干渉をしないでくれ、という。

ただ、例外もあり、『その国の国民に何らかの行為を依頼された場合、その行為に見合う対価を受領する場合のみ、良識的かつ人道的な範囲でその行為に対して実行の選択ができる』」


 要は国家にとって都合の良い憲兵の真似事をしろ、という事です、と締める。当然ではあるが老人は、聞き手の都合を考えずにすらすらと述べられたその半分も理解できず、はあ、と生返事をするだけであった。


「……という訳ですが、この問題の解決は充分に良識的かつ人道的な範囲だと思います。これで報酬を見繕っても断られたのですか?」


 文福がそう問うと、老人は気まずそうに目を伏せた。言いにくそうに口をもごもごとさせていたが、思い切ったように顔を上げて話し始める。


「……実は、これといって、報酬になるような物がここには無いのです。せいぜい、食糧になる作物があるくらいなのですが、その農場が奴に陣取られてしまいまして……」


「成程。報酬はどんな物でも構わない彼等ですが、前払いでないと動けないですからね。それで今も、人形どもにいいようにやられている訳ですか」


ずり落ちてきた眼鏡を文福は神経質そうに直しながら、何気なく酷い言葉を口にする。そういう蔑むような調子ではなかったので、本心ではないと誰もが判るものであったが、それを受けた老人の顔は、強い嫌悪で歪んだ。しかしそれも一瞬で、すぐにおどおどした表情で隠される。


「……奴は、農場近くにある墓地から、我々の同胞の骸を掘り出して、あの……あれらを作り、襲わせているのです。こんな土地柄、血の繋がりは濃くなります。己の祖の肉が、もしかすると肉親が使われているのかも知れないあれらを、自ら傷つける事は出来ません」


 半端モンが、と口の中での茶釜の呟きが聞こえたのか、文福は咎める視線を送るが、知らぬ素振りで下手な口笛を吹く。とはいえ文福自身、彼の憤りは理解できるらしく、切り替えるように息をついた。

 そんな彼等など知る由もなく、老人はひとり勝手に喋り続ける。年相応にたるんだ目蓋が被さる眼は、文福の背負う黒い棺桶に向けられていた。


「ですが、貴方がた、外の人間にならば、我々には出来ぬ事も出来ましょう。それに、勝手な見方ですが、奴と目的は同じ御様子……。奴の何かしらが、貴方がたの助けになると、思いますが……?」


「…………分かりました。引き受けましょう」


 文福の承諾に、茶釜は三白眼を驚いたように大きく開くが、それきりその場に大人しくしていた。

 老人は文福の手を取って礼を述べる。文福は変わらず無表情に、何時ごろ出発すればいいか、あれらが全部で何体いるのかを訊き出している。

 その間、特にやる事のない茶釜が空を見上げると、星々が白々しく瞬いている。土地にそぐわぬ彼等を警戒するようなそれらをよそに、欠伸をひとつして目だけを下げると、聞き取りが終わった文福が老人に向かって頷いているのが見えた。


「分かりました。では、出発は朝方に」




「なにが『助けになると思いますが……?』だよ、あのクソジジイ」


 本来の住人が連れ去られ空いてしまった家を借り、一晩を過ごした彼等。連れていかれた者が戻ってくるとは誰も思っていないようで、垂れ流された腐臭が篭っていたが。

 その事と文福が勝手に面倒事を引き受けてしまったのが、茶釜の機嫌を悪くしていた。ただでさえ人相の悪い顔が、殊更に悪くなっている。


「ジジイだけじゃねぇ、なんか気に喰わねぇんだよな、あそこのヤツラ全員。……なぁオイ文福。なーんであんなヤツラの頼みなんか聞いちまったんだよ。整備旅団がなんもしねぇなら、俺らもなんもしなきゃいいじゃねぇか」


 村を出て、後ろの岩壁に作られた道を登ってからもずっと文句を言っていた茶釜とは違い、朝日を浴びても変わらぬ黒を保つ棺桶を背負った文福は、黙々と渇いた傾斜を進んでいく。その先には小高い丘があり、その向こうが村の農場がある場所という事であった。


「報酬に食糧を分けてくれるというのだ。あそこの誰が何を抱えていようと関係がない。そも、食料ももうすぐ尽きるというのに、補充もなしに山脈を越えられるのか、お前は。それに、あの老人の言う通り、多少の『足し』にはなるやも知れん」


 歩みを止めないで振り返りもせずに述べられた、文福の当然の言い分に反論しようと口を開きかけるが、結局なにも言い返せずに諦めたように息をつく茶釜。舌打ちをすると黙って後に続く。

 そうして互いに押し黙ったまま、太陽が南天に昇りきる前に丘を登りきった彼等。

頂上から見下ろせば、浅い窪地いっぱいに今までの荒野が嘘のように緑が広がっていた。


「へぇー……こんな土地で見事なもんだなぁ……」


「ここに、地下水が湧き出しているらしい。一種のオアシスのようなものだな」


 忽然と現れた草原には、彼等の立つ場所から草が踏み倒されて出来た道が中心へと伸びており、その両脇には耕された畑が、色々な種類の作物を実らせている。それから道は草原の中心へ、丸く生い茂る小さい森へと続いていた。その森を文福は指差す。


「あそこだ。あの森の地下に倉庫があり、そこを根城にしているという話だ」


「……食い物の心配もなく引き篭もれるってか。いい御身分だなチクショウめ。さっさと潰しにいくぞ」


「待て。木偶人形は少ないというが、一応しっかりと準備を、だ」


 すぐにでも鬱憤をぶつけたいと言わんばかりに、ふらふらと歩き始める茶釜を止めようと、肩を掴もうとする文福。しかし伸ばした手は、彼の肩をすり抜け空を切る。棺桶の重さもあってか、勢い余って前へよろめく。何かが切り替わる感覚を覚えながらも倒れるのを踏みとどまって、顔を上げる。

 すると、草原には今までの陽射しが嘘のように夜が降り注いでいた。

 突然起きた出来事に、唖然としているのは文福だけでなく、茶釜も空を見上げて立ち尽くしていた。空には、ある筈のない三日月や星が浮かんでいる。

 一瞬にして夜へとなったのか。意識が途切れでもしていたのか。


「――いや。これは」


環境形成リライティング? 冗談、理論も知らない田舎モンが出来る芸当じゃねぇ」


 昼から夜へ。時間が過ぎ去った訳でも、二人の意識が飛んでいた訳でもなく、人の手による異常らしい。ここは、夜がひたすらに更ける空間のようだった。


「楽な話だと思っていたんだがな……。おい茶釜、どうする、引き返すか?」


 両膝に手をついて有り得ない夜空を見上げる文福が問えば、さっきまでのだらけていた様子とは打って変わって、敵意を剥き出しにした茶釜が返す。


「そんな暇があるならな」


 その敵意は文福に向けられたものではなく。

 ぼこぼこと地面から湧き出す肉人形に向けられたもの。形状の様々なそれらが何体も何体も起き上がり、空ろな眼窩と濁った眼球で彼等を見据える。その中の一体が走り出し、茶釜に襲い掛かる。

 何も前触れのない動きだったが、既に臨戦状態であった茶釜は難なく反応し、人形の胴体へと横から蹴りを入れる。腹の腐肉が潰れ、濡れた音をさせて飛ぶ人形。斜面だったためにかなりの勢いで転がったが、止まった所で何事もなかったかのように再び立ち上がる。


「さっすが人形ども。完全に打ちのめさない限り何度でも向かってきやがる」


 それを皮切りに次々と動き出す人形。茶釜は軽快に打ち倒していくが、文福は背中の棺桶によって動きを制限されており、徐々に追い込まれ、茶釜との距離が開いてしまう。二人が動けなくなるまで人形の肉を削ぐよりも、人形が起き上がる方が早い。壁は次第に厚くなり、分断されてしまった。

 その隙を突くように、一体の人形が文福の後ろから襲いかかる。文福がそれに気付くのと同時に、


「それに――彼女に汚い手で触るんじゃあ――ねえ!」


 茶釜が壁を飛び越え人形の頭を殴り飛ばす。そのまま、統制を無くした人形を空中で引きずり倒し、下敷きにして着地するも、人形に後ろから羽交い絞めにされてしまった。動きを止められた茶釜を処理するのが容易と判断したのか、人形たちはなおも抵抗を続ける茶釜に殺到する。

 文福が振り返れば、壁の隙間を通して茶釜と目線がかち合った。


「――文福!」


 その叫びを聞いた文福はしばし逡巡すると、何かに耐えるように顔を歪めて踵を返し、その足でこの状況から走り去ってしまった。

 人形たちは逃げる者を追わず、茶釜をその身で埋める。離れていく後ろ姿を見送り、彼は静かに目を閉じた。





 ……音がする。水の音だ。清らかな流れが近くにある。

 ……ああ、思い出した。喉が渇いていたんだ。それなのに文福がさっさと先行っちまうもんだから……。

 違う。それどころじゃあ、なかったな。


 茶釜が目を開く。頭を掻こうとするも腕が動かない。どうやら、柱か何かに縛られ壁に立てかけられでもしているようだ。

 辺りは薄暗く、茶釜から離れたところの天井に小さい穴が開いており、月光だろうか、そこから一点だけ青白い光が落ちている。その光が弱々しくも周囲を照らしている。そのお陰でこの空間がどういう場所かが分かる。

 岩が剥き出しのごつごつとした壁、ひんやりとした湿った空気、右手には唯一の出入り口である錆びついた扉。恐らくは、文福が言っていた地下倉庫だろう。

 だが、中はがらんとしており、倉庫と呼ぶには相応しくない。そんな空っぽな場所であるが、月光が落ちる場所に唯一、何かがある。

 それは金属製の簡単なベッド。そこに、誰か仰向けに横たわっている。女性、だろうか。体には白衣、顔には白布がかけられており、よく分からないので体の線から推測するだけであったが、柔らかい線は女性のものに思える。

 眠っているのか、死んでいるのか。茶釜はそれを判断できずに考えあぐねていると、ふと声が掛けられる。


「やあ。お目覚めかい?」


 男の声。文福のものではない。草臥れた、年を経た中年男性のものだ。


「君は、余所の人間だね。何の目的で此処に?」


 親しげに、しかし警戒を解かないその声が何処からするのか。動けない茶釜が目だけで探していると、左前方、何かが動いている。目を凝らすと、木製の椅子に影、もとい黒い服を纏った男が座っていた。顔は良く分からないが、友人にするように此処だと手を振ってアピールしている。


「……村のヤツラに頼まれて。不本意ながら、ここに居る」


 自嘲するように笑って、視線を男に合わせず空中に漂わせながら茶釜が言う。その態度に男は怒りを見せず、年長者らしい余裕と憂いを湛えて淋しそうに笑って口を開く。


「なるほど。運良く……いや、君達にとっては運悪く、か。村に来てしまったのか」


「そういうこと。……なんだ、話の分かる相手じゃねえか、アンタ」


 男の理性のある落ち着いた返答に、感心したように口笛を吹く茶釜。

 話をまともに聞いていなかった茶釜だったが、老人の言う「奴」が少なからず狂った人物だと想像していたのだ。それなのに、目の前にいる男は静かに淡々とそこにいる。狂い過ぎて冷静になった、という風にも思えない。

 愛する者を喪った悲しみに満ちた、悲劇を演じるに相応しい人物。

 そう評するのが似つかわしい。


「村の人間……いや、奴らは私をそんな風に言っていたのか?」


「ん。まあ、俺はちゃんと話を聞いてなかったけど、まるでアンタが残虐非道、悪逆無道みたいな、悪魔かなんかみたいな言い様だったぜ?」


「……ふ、奴らが悪魔とは、良く言えたものだ。――貴様らの所業の方がよっぽどだろうに」


 目を手で覆い隠した男の、呆れたような笑みを浮かべていた口元が、その一言で憎悪に歪む。強い歯軋りが青白い暗闇に反響した。

 その変わり様に茶釜がついていけずにぼうっとしていると、男は椅子から立ち上がり、女性が横たわるベッドに歩み寄る。


「見ろ。奴らの行いを」


 そう言って、女性の顔にかかっていた白布を剥ぎ取る。その下には、たちの悪いオブジェのような滅茶苦茶な凹凸のある物が――いや、違う。


「……妻が何をしたのかは私は知らない。それでも、こんな風に顔を潰され、殺されるまで殴り続けられる程の事をしたとは到底思えないのだ……!」


 おぞましい事に、それは人間の顔、だったもの。頭蓋は元の形状が見出せない程にあらゆる方向、角度から殴られへこみ、鼻があったであろう場所は、ぐにゃぐにゃになるまで砕かれ跡形もなく、両目の肉は重石のように腫れ上がり、口には数本しか歯が残っていない。いっその事、作り物だと言われた方がまだ目を背けずに済む。


「だからだ。だから私は、妻を元通りにする為に、奴らに罪を思い知らせる為に、奴らを襲い肉と魂を奪う。祖先だの何だのぬかして、自分らでは何も出来ない奴らが彼女の為になれるのだ。感謝こそされど、悪魔呼ばわりされる覚えはない。だが、それでも君は、私が悪魔だと……間違っていると言うのか……?」


 怒りに心を燃やす男の言葉は、最後は懇願とも取れるまでに弱くなる。

 男は、狂気に満ちるでもなく、純粋に彼女を愛しているのだ。だからこそ意志を貫こうとするし、見知らぬ誰かに許しを請い、人間の顔と熱を失ったそれを何の躊躇いもなく妻と呼ぶ。

男は純粋に生きている。その生きた結果が、人々に害をもたらしているだけなのだ。

 彼女が何をしたのかは分からない。村人が何故そこまで暴力を振るったのかも分からない。

ならば、ただの通りすがりが口を挟む事は、ましてやどちらかに裁きを与えようなどとは、おこがましい事だろう。

 それなのに茶釜は、にたりと笑って口を開く。


「なんだ、分かってんじゃねぇか。―――ああ、アンタは間違いなく『間違っている』ぜ」


 馬鹿にした笑いと、生き様を否定する言葉。

 それに怒りを抱かない者はいない。勿論、男も例外ではない。


「……言ってくれる……君らも私と同類だろうに。見ていたぞ、棺桶を背負った君の仲間が逃げ去るのを。あの中には取り戻したい者がいるのだろう。とはいえ、見捨てられた君は此処で終わるのだ。此処で、彼女の血肉となるがいい!」


 言って、男が左手を水平に振り上げる。それに呼応して、地中から十数体もの人形が湧き出る。倉庫の夜気が、腐臭へと入れ替わる。

 男が茶釜へと手を振れば、人形たちはそれに従い一斉に茶釜へと振り向く。状態によって動きの速度は様々だが、なかなかに統制の取れた動きである。人間であって人間でないそれらがするのは、滑稽ではある。

 ぞろりと立ち並んだそれらを眺めて、不敵に笑みを浮かべ身構えようとするが、当然それは出来ず、情勢の悪さを今更思い知ったように顔を引き攣らせる茶釜。


「あぁー……間違ってる、つっても目的じゃなくて――」


 言い訳じみた茶釜の言葉など聞く耳持たず、男は人形たちをけしかける。その腐肉混じりの手が、彼の肉をもぎ取ろうと伸ばされんとする。

 茶釜が舌打ちをするのと、人形の手が彼の体に触れたのと同時。扉が盛大な音をたてて開い――いや、吹き飛んだ。茶釜の鼻先を掠めて飛ぶそれに巻き込まれて、人形が何体か扉ごと壁に叩きつけられる。


「……フム……、もう少しゆっくりでも良かったみたいだな」


「いや何言ってんの。ギリギリだから、すごいギリギリだったから」


 立ち込める土煙の中から現れたのは、文福だった。帽子を取っており、真っ直ぐな黒髪が肩の上でさらさら揺れている。

背負っていた棺桶は無く、その代わりなのか、右手に長方形の平たい板……お盆、がある。湯呑みを載せて運ぶ、見た目におかしな部分のない普通の、暗闇でもしっかりとその色が映える上質な漆器である。


「君は…………逃げた訳ではなかったのか」


 想定外の登場に驚いた様子を見せるものの、冷静に残った人形を文福へと向かわせる。

 だがそれよりも早く、文福がお盆を投げる。一体何で出来ているのか高速で回転するそれは、凶器となって人形の肉を切り裂いていく。何体も切り裂いても勢いは衰えず、見事な軌道を描いて文福の手元に戻る。


「やってくれる……! だが、まだだ、まだ数はある!」


 男はたじろぐが、再び手を振るい人形を呼び起こす。文福の後ろからも現れ、背後から絞め上げんと手を伸ばす。それをお盆で器用に弾き、すぐさま反転、人形たちをお盆で切り裂く。


「通路にも仕込んであったのか。随分と周到だな」


 その表情は変わらないが、声には疲労が滲んでいる。此処に辿り着くまでにも何回か戦闘を重ねたのだろう。迫り来る人形たちをお盆で捌きながらも動きの所々に鈍さが窺える。

 それを見取ったのか、男は囲んでしまおうとより多くの人形を文福へと向かわせる。ゆらりと距離を詰める人形たちだったが、取り囲む前に宙へ舞う。


「おいおい、俺を忘れちゃいねぇか?」


 舞い上がった人形たちが落ちる先、そこには自由になった茶釜が立っていた。どこから取り出したのか、年代を感じさせる程好い錆色をした鉄瓶を片手にぶら下げている。両手でようやく振るえる大きさのそれを、片手だけで人形たちを打ち上げたようだ。


「君は、いつの間に――さっきの投擲か……!」


 考えが至った男が叫ぶ。文福が投げたお盆は、単に人形を散らすだけでなく、茶釜を縛っていた縄を切ったのであった。

 数ならば圧倒的な差があるが、形勢は既に彼等にある。

 時には連携もなにもなしに自由気ままに、時には背中合わせに互いの視界を埋める人形を蹴散らし合う。そこはさながら舞台のようであった。黒き主役のその片割れが、壁や天井を足場に跳ね回り、その手の鉄瓶で殴り飛ばし蹴り飛ばす。もう片割れも、負けじとその場で身軽に立ち回り、その手のお盆で弾き返し切り刻む。

 人の形さえ失っては起き上がる事もできず、再起不能な肉が塵と積もり山になる。最後の一体を茶釜が撃ち飛ばし、文福が自らに向かって飛んできたそれを一瞬にして分割する。

 その様を呆然と見ているしかなかった男は、全てが終わった事を悟り、腰が抜けたようにへたり込む。


「フ、ハ、ハハ…………ふ、さあ、私の首を持っていくがいい。奴らもそれで、君達がやり遂げたと知るだろう」


 空の見えない天井を見上げ、男は覚悟した笑いを上げる。頬を伝うのは飛び散った肉でも血液でもない。堰が切れたように感情を露わにした男とは違い、言葉を聞いた二人は、きょとんとした表情を浮かべている。

 潔く終わりを待つ男が、いつまでも繋がったままの意識をどうしたのかと思い目を開けると、なんとも言えない表情をした茶釜と目が合った。茶釜はばつが悪そうに帽子を取ると、短く切られたぼさぼさの黒髪を乱暴に掻き、ぶっきらぼうに言う。


「あー……、あのな、なんで同じ目的を持ったヤツを殺さなきゃいけないんだよ」


「それよりも訊きたい事がある。環境形成――いや、どうやってこの明けない夜を作っているんだ?」


 予想外の二人の対応に、今度は男がきょとんとする番だった。言葉に詰まり、その間に罠ではないかと思考を巡らすが、そんな必要が無い事に気付く。それに、お盆や鉄瓶を何処にしまったのか分からないが、二人が敵意や害意を持っていない事を感じ取っていた。

 取り敢えず二人の質問に答えるべく、男は腰を上げる。服をはたいて汚れを落とすと、女性の顔に白布を掛け直し、それから未だ困惑した声色で二人を導く。


「……こっちだ。ついてきてくれ」


 部屋を出て、通路を地表へとではなく奥へと進む。進みにつれて冷気は増し、纏わりつく湿気は来る者を拒むようであった。

 そうして着いた先には一枚の扉。随分と昔に設えた物なのか、取っ手も何もかも、開くのが信じられない程に錆び付いている。二人がついてきているかを確認する為に男は後ろを振り返りつつ、力を入れて取っ手を引っ張る。

 耳障りな、金属が軋む音を鳴らしながら開いた先には、一台の箱型の機械。天辺に画面を持つそれは、中継塔にある物と同様の物だった。だが、こちらはやたらと角張った無骨なデザインである。


「これまた古い型だな……。初期あたりのモンじゃねぇか?」


「これがどういう物か知らないが、言い伝えによると、集落ができた頃にこの場所に『持ってきた』らしい。集落の者以外には、決して話してはならない禁忌だと教えられたよ」


 男が二人を中へと招き入れ、それを見つけた二人が近寄って画面を確認する。画質の劣化が見受けられるが、充分に機能しているようだ。それを、文福が慣れた手つきで操作していく。その隣では暇そうな茶釜が、思いついた、と言う風に手をポンと叩く。


「なるほど。勝手に『持ってきた』コレがばれればいくら昔のコトとはいえ、整備旅団も黙っちゃいねえ。だからアイツラは整備旅団に頼まなかったんだ。なんか隠してるとは思ったが、こういう訳だったか!」


 茶釜がひとり納得しているところに、画面に見入っていた文福が唸る。


「……驚いたな。この農場すら環境形成によるものか。地下水を呼び出すとは、大した理論補強者ハッカーだが、これは古いもの……。この夜を作っているのは……このデータか」


 目当てのものが見つかったのか、顔を上げて画面を軽く叩くと、規則的な文字列が羅列される。興味深そうに茶釜が文福を押し退けて覗き込むが、「相変わらず読めねぇんだよな、それ」、とすぐに嫌な顔をして下がった。


「この構成をどこから持ってきたんだ?」


 気にかけず文福が、眼鏡を指で上げながら男に問う。入口に立ったままの男は首を傾け、手をひらひらさせて答える。その動作には年長の余裕が戻っており、うっすらと笑みさえ浮かべている。渾身の願いを砕かれた人間の多くにある笑みだった。


「分からない。ただ、そうだな……気付いたら此処に居て、気付いたらそれを弄っていたよ。何なのかも知らないくせにな」


「……貴方も理論補強者、という訳か。それなら理論を応用できる」


 得心が行ったとばかりに頷く文福。それとは対照的に、首を捻ったままの男。理解できない単語を並べられ、今度は男が問う番であった。


「さっきから、何を言っているのか教えてもらえないか? りらいてぃんぐ、だとか、はっかー、だとか」


 その質問に文福はポカンと口を開けると、溜め息をついて眼鏡を上げる。相手を蔑んでいるのではなく、説明が足りない自分を恥じているようだった。隣でケラケラと笑う茶釜がそれを証明している。

 文福は隣をひと睨みしてから装置に向き直ると、幾つか操作をして茶釜に先の部屋に戻るように言う。部屋を出ていく彼を見送り、再び男と顔を合わす。


「説明の時間が勿体無いので、茶釜には魂の回収に行ってもらいました。……さて、ではまず、初歩的な事柄、魂に関わる根底理論からご説明いたしましょう」


 何かを説く時に丁寧な口調になるのは、彼の癖のようだった。



――まず、我々のような生命には魂があるのはご存知ですね?

そうです。個としての存在定義、と言われている物です。散千世界を流転するという俗説のある、人間に例えるなら、「その人物」を「その人物」たらしめているものです。腕が何本、足が何本という肉体的な話ではなく、「その人物」の内面の定義ですね。

 その魂を利用した理論、「魂に関わる根底理論」というものが近年――といっても、人類史においてですが――提唱されました。現在までに完成されたのはそのほんの一部、「魂の物質化」です。

 魂という不可視の物を物質として定義づける事により、様々な現象が利用できるようになったのです。少々発展した例ですが、僕の持っていたお盆や、茶釜の鉄瓶も自らの魂を物質化した結果ですね。

 そして、「魂の物質化」を世界に定義づけた物こそが世界中に点在する中継塔です。最も、あれらは理論を世界に定着させると同時に、魂の共鳴現象とやらを強制的に引き起こし、情報の記録や共有を可能にするネットワークを構築しているようですが。

 と、このように非常に便利なものなのですが、先に述べた通り、この「魂に関わる根底理論」はほんの一部しか完成していません。未だ研究中という話です。しかし、中には先天的にこの理論を補う魂があるのです。

 その魂を持つ者を理論補強者、ハッカーと呼びます。魂によって補強の種類、度合いはまちまちで、貴方の場合は中継塔のネットワークの強化、だと思います。それなら中継塔を使った無意識での情報の収集も、それに構築した情報を周囲に影響させる環境形成、リライティングも可能ですから。



 滔々となされた説明は、やはり相手の事など考えていない速度で行われた。それでも男は、言葉が切れる所で相槌を打てる程度には理解できたらしく、特に最後の部分は思い当たる節があったようで、しきりに頷いていた。

「今、茶釜に貴方が作った人形に込められた魂を回収させてますが、これも物質化の一環ですね」と、説明を締めると文福はひとつ息をついた。


「……確かに、夜を作り出したのは無意識だった。魂を制御するなら夜が良いという情報が流れ込んできたんだ。だから私は流れてくる情報のままに夜を作り、復讐の為に、肉を繋いで奴らの魂を込め、手足となる人形を作った。だが、彼女を元に戻す術は何処にもありはしなかった……」


「だから、自分で思いつくままにやってみた。だろ?」


 男の独白に割り込んできたのは茶釜の声だった。開け放たれたままのドアの側に立ち、魂だろうか、大小様々な淡い橙色に光る球を一山抱えている。どれも輪郭が朧気だが、一定に光を放つ物もあれば、呼吸するように発光の強弱を繰り返す物もある。


「そうだ。何も分からなかった。兎に角、奴らの魂で、輝きを失った彼女の魂を補おうとしたんだ」


「だけど、ソイツァ間違ってる。そんなんじゃ、死んだ魂は元通りにはならないぜ」


 どこから取り出したのか、文福は茶釜の足元に濃緑色の大きな布を敷く。茶釜は屈んでその上に抱えていた魂を転がすと、ぶつかり合った魂がガラス質の音をたてる。

茶釜は立ち上がると、空いた手を胸に置く。文福も同じように胸に手を置いている。男はこれから何が起こるのか分からず、眉を顰めて彼等を眺めている。


「魂は、個特有の物。手当たり次第に欠片で補おうとも、魂同士で拒絶反応を起こします」


 彼等の手を置いた辺りが、転がっている魂のように橙色に光りだす。光は段々と強くなり、部屋を染める程に強くなったところで、手が身体の中にずぶりと沈む。

 その光景に男は目を見張るが、彼等の表情は痛みに歪むでもなく平然としている。手首まで沈んでようやく止まり、今度は勢いよく背を反らして引き出した。


「俺らもその方法は試してみた。百万からは覚えてねぇが、そんだけやってみても何の兆しも無かった。だけど、分かった事が一つある。」


 茶釜の手には鉄瓶が、文福の手にはお盆が。どちらも人形を解体した時の物だ。それを敷いた布の上に並べると、また胸の中へと手を入れる。


「言うなれば魂は機関。在るだけでは動かず、宿った肉体が持つエネルギーにより活動します。これは使い切らない限り――つまり、肉体の老いによって剥離した魂でない限りは、魂は活動できるという事です」


 茶釜は竹製の水筒を、文福は塗りの綺麗な青い茶碗を一つだけ取り出す。

 文福がお盆の上に茶碗を並べる横で、布の上に正座をした茶釜は水筒の中身を釜の中へ、転がしていた魂と一緒に入れる。蓋をすると中身を溢さないように、静かに円を描いて数回揺する。

 その間に文福は、男と茶釜から離れて広い場所に行くと、もう一度、今度は両手を胸に沈ませて、少しだけ苦しそうな顔をして徐々に引き出す。掴んでいるのは黒い物。暗闇の中においてなお黒く、重く見える物。

 ある程度まで引き出して手を離すと、残りは押し出されるようにゆっくりと姿を現す。彼の中に居ることを拒絶されたかのように。


「だからその、なんつーか……そう、上澄みをこうして漉し出して、彼女に献上する。その為だけに俺達は旅を続けるんだ」


 出てきたのは棺桶。黒いそれを縦に置くと、文福は茶釜に視線を送る。茶釜はその視線に頷いて応えると、文福が出した茶碗に慣れた手つきで鉄瓶から中身を注ぐ。茶碗へと落ちる液体は、橙色に煌めいている。


「ちなみに、僕達も理論補強者で、『魂の物質化』を補強しています。僕のお盆や茶釜の鉄瓶は勿論、彼女が入っているこの棺桶も自己の魂を物質化した物です。但し、棺桶に関しては茶釜との合作ですが」


 だから自由に自分達の魂に収納が出来る、と文福は言う。自分を定義している絶対のモノを、物のように扱える、と。

 文福はなみなみと魂を動かす活力が注がれた茶碗が載ったお盆を持ち上げると、棺桶の前まで運んで、恭しく跪く。茶釜は棺桶の傍らに立ち、その蓋に手をかける。


「―――さぁ。お茶の時間で御座います、我等が麗しのお嬢様」


 二人の声が合図もなく揃う。古めかしい音をたてて、棺桶の蓋が開かれる。

 その中には少女がひとり。年頃は十八、九。紅色に桜花をあしらった振袖越しでも、儚いまでにすらりとした身が窺え、腰まで伸びた黒髪には傷みやほつれは見えず、絹のごとくさらさらと揺らめき、肌は白磁を思わせる肌理の細かさを持つ。そして何より、目を惹くのがその端整な顔。

 造り物ではないかと疑いたくなる輪郭、唇、鼻筋。それと、開けられる事のない目蓋の下には、やはり少女に似合う瞳があるのだろう。

 一人の女性に対して、同胞を殺してまで愛を貫いた男でさえ見惚れてしまう程に、少女は可憐で美しい。

 その少女が、動く筈のない少女が、棺桶から出ようと一歩を踏み出す。その様を、その可憐さを少しでも焼き付けようとしていた、見開かれていた男の眼が堪えきれず瞬きをする。

 するとどうだろうか。

 一種の神々しささえ放っていた少女は最早無く、乾燥しきって茶色に変色した肌のミイラがよろよろと歩いているだけであった。

 声を上げなかったのは恐怖が故か、男は吐き気を堪えて息を呑むだけで、黙ってその光景を見守る。その内に文福の元まで辿り着いたミイラは、足を折られたように正座をする。直前の幻との落差もあってか、寒気を感じたのか男は自ずと小さく身震いをした。

 かさかさとした今にも剥がれ落ちそうな手で、お盆から茶碗を持ち上げ、その魂の上澄みを口にする。誰も音を出さず、装置が知らぬ素振りで唸るばかりの空間で、動いているのはその死者のみ。

 中身を飲み干したミイラは、音もなく立ち上がる。棺桶へと振り返り、その戻る数歩。

その数歩、生前の姿を取り戻して棺桶に収まった。




「前よりはちょっとだけ長く戻ったな」

「本当に少しだけだがな。……それでも、成果はあるという事だ」

「ところで、君達はこれから何処へ?」

「山脈を越えて、吹き荒ぶ薄氷の地へ。取り敢えずは、整備旅団が居らず、行った事のない土地へ向かう事にしているんだ」

「そ。ヤツラと鉢合わせると面倒だからな。……あ、そうだ。アンタ、あの村に未練はある?」

「……? いや……、未練はないな。だが、それが?」

「いや、同じ目的を持つ同志の手助けをしてやろうかな、と」

「それに、僕達の助けにもなります」

「…………なるほど、そうか。……私としては好き放題やってくれて構わないが……その、整備旅団とやらに追われる事になるのでは?」

「ハッ。今更十や二十も変わんねぇよ。そりゃあ、ヤツラはなるたけ避けたいけど、彼女に逢う為だったらそんな困難や試練もなんのそのだ。第一、彼女に逢うために俺達は旅をしてんだ。彼女の命を犠牲にしてまで、俺等が助かる意味はねぇのさ」

「……死人に命、か……はは、君達らしいな」

「ま、そういうコト。……よいしょ、っと。それじゃあまた。今度は彼女も挨拶できる頃に」

「そうだな…………なあ、最後に一つ、君達に尋ねたいんだ。彼女が生き返って、その……自分達の考えていた事と違う事を言ったら、どう……するんだ?」

「随分と可笑しなコト訊くんだな。決まってるさ、彼女のしたい事を叶えてあげるんだ。彼女が死にたい、と言ったら殺してあげるし、死ね、と言ったら喜んで死ぬよ。それが?」

「……そうか。いや、……それだけだ。では、また何時の日にか」





 ――それは夕暮れ時。

 集落の入口に戻ってきた影二つに、まさかやり遂げるとは期待していなかった住民達も、身勝手に祭り上げた救世主をねぎらう為に、笑みを貼り付けて出迎える。

 その群がる様を見、口元までコートの襟を引き上げた二人のうち、三白眼が笑う。口元は見えずとも、その目は愉楽に満ち、隠れた笑みを確信させる。片や眼鏡は、そんな片割れに呆れでもしているのか、小さく肩を落とす。

 二人を囲う群集の中から、一人の老人が進み出る。その醜い口からは嗄れた声で賛美が紡がれる。それに含まれる感謝や賞賛に嘘はなく、心からのものではあったが、今では二人に届く故もなく。

 辟易したように舌を出した三白眼が、自分の胸に手を当てると、次には老人の首がちぎれ飛ぶ。

――それはそう、夕暮れ時の殺戮。

 橙の空間において紅に染まり、時間も生まれも区別無く、泣く者も狂う者も、静かなる者も笑う者も区別無く。

 夕暮れ時の、危機の只中へ。




やがて陽は沈み、立つのはなおも黒を保つコートを纏う二人のみ。他は裂かれ千切れ、潰れ捻れ。何と言えぬ欠片ばかりであった。





 見渡す限り、岩と石と砂と、それから澄み渡る青空で構成された、渇いた斜面を男が二人、歩いていく。

 黒い棺桶を背負う眼鏡と、それを羨ましそうに見る三白眼。不満そうな顰め面は、近寄りがたい雰囲気を作っている。じとりと眼鏡の背中を睨みつけるその体からは、禍々しい気配が滲み出る。

 それを背中越しに感じ取っていた眼鏡は気にせず歩いていたのだが、立ち止まり眼鏡を上げると振り返る。


「さて、これで一万歩目だが……たまには背負うか?」


「おう! 俺もちゃんと想ってるって、彼女にしっかり伝えないとな!」


 待ってましたと言わんばかりに目を輝かせ、今までの足取りとは打って変わって、身軽に眼鏡に近寄って、地面に静かに置かれた棺桶を、見た目によらず揺らさないように慎重に持ち上げる。


「これで玉露にも、俺も頑張ったって伝わるよな?」


「さあな。存外、逢ったら忘れているかも知れんぞ」


 無表情に言い放つ文福。対照的に表情の変化に富む茶釜。それと、黒き優しき闇の中で眠る少女。

 三人の旅は、未だ終わりを見る事はない。

何が書きたかったのかよくわからなくなった、と思ったけど思い出した。某RPGみたいに棺桶を連れて旅する話を書きたかった、筈。

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