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7話:例え異なっていたとしても

どのくらいの時が過ぎただろうか。

落下し、ルアンの傍らで気を失っていたシーヴァルは意識を取り戻し、肉体の重さと視界の眩しさに呆然とする。

瞳を開けた目の前にいるのは、光が失われたルアンの顔だった。

シーヴァルはただ、呆然とその顔を見つめた。

──どうして、笑ってかけてくれないんですか。

──どうして、語りかけてくれないんですか?

「ルアンさん」

シーヴァルは目の前にある顔をなぞる。

普段暖かな彼女の冷たい頬を触るという経験は、とても不思議な気分だった。

身体を強く叩きつけたのだろう。軋む身体を無理矢理起こして、ルアンの身体を抱きしめる。

掠れた視界の中で、彼女の背中の後ろに一縷の光がチラついた。

シーヴァルは何も発しなかった。

いや、発せなかった。

目の前に広がる光景は、とてもでも砂漠の中に落ちたとは思えない光景であったから。

──僕も死んで、ここが死後の世界と言うならば、どうしてルアンさんは喋ってくれないのだろう。

「……行きましょう」

緑地の中をフラフラと進んだ先には、陽の光が水面に反射して煌めく湖が現れた。

「……楽園」

不意に思ったことを口に出した。

虚ろな彼は自身の発した言葉を無意識に反芻した。

「楽、園?……楽園……ぁ……」

──精霊の涙は、死者すら蘇生する。

オアシスの中心にある湖を見つめた。

「もしかして、これが……」

ルアンの上半身を左手で支えながら湖の岸にしゃがむと、湖の底を見つめた。シーヴァルはそれを見て息を飲んだ。水は確かに透き通っているはずなのに、湖の底は暗闇に包まれている。

──安全……なのだろうか。

シーヴァルは空いている右手で軽い荷物が入った腰のポーチを漁り、水が汲めそうな透明なカップを取り出すと、湖から水を汲む。透明なカップごと陽の光にかざして見つめても、至って普通の水に見える。

感情が消え失せた、いや、焦燥しているシーヴァルはこの水を口に含んで、飲み込んだ。

「味も大丈夫。なら……」

シーヴァルが再びカップに水を汲み、ルアンの口へ近付けた瞬間のことだった。

「そいつは捨ておけ」

背後から聞き覚えのある声が聞こえた。

「……お前は」

身体を軽く捻り、背後を確認したシーヴァルはルアンの前では見せたことの威圧的な低い声で答える。

「だから最果てには近寄るなと警告したのだ。

そいつはこの世界にとって不要なもの。関わってもロクな目に遭わないことは深く関わってきた人間──お前が一番知っているだろ」

「お前はルアンさんの何を知ってる」

「──お前より、こいつのことを知っている」

シーヴァルは立ち上がり、ルアンを抱いたまま男に殴りかかる。しかし、満身創痍なシーヴァルの攻撃は、素顔のままの仮面の男にとっては赤子の力のようなもので、軽々と受け止められた。

「お前はこいつに疑問を抱いたことがないのか」

「疑問?抱くことがないな」

「おめでたい頭だ」

「この人は俺の、たった一人の家族で、愛してる人だ」

仮面の男はその言葉を聞いて、鼻で笑う。

それ(ルアンと呼ぶもの)が例え、人間でなくてもか?」

嘲笑に等しい表情の男はシーヴァルの肩を風をなぞるように押した。動作に反してそれは、あまりにも力強くシーヴァルは後ろへと傾いていく。

「お前にその覚悟があるなら、真実を知ればいい」

仮面の男の言葉は理解できなかった。

湖へと倒れていくシーヴァルの瞳に映る男は、砂となって消えていった。



光は遠ざかり、闇へ引きずり込まれていく。

シーヴァルはルアンを抱きしめて、湖の底へと沈んでいた。

手を伸ばす気力も、足でもがく力も今は残っておらず、ただただ呆然と息を吐く。シーヴァルから飛び出た空気は、主の元から逃げるように上へ上へと上がっていく。

身体の疲労感はそこまで感じていなかったが、心の疲弊は酷かったようで、シーヴァルの思考は消え失せている。

これでは、まるで死んでいるみたいじゃないかと、思うことすらできないまま。

とん、と湖の底へ身体がつく。

真実を知ればいい、だなんて一体何を言っていたのだろう。

シーヴァルはゆっくりと目を瞑った。

──これで、やっと……ゆっくりできる。

そうして、気を失った──と思いきや、シーヴァルは、また別の空間に立ち尽くしていた。

光に照らされているのは、シーヴァル。そして、目の前に横たわるルアンの上半身。辺りを見渡せど、見えるのは闇だけだった。

「目が覚めたか」

聞き覚えのある男の声。

「どこにいる!」

「心を開け、人の子よ」

知ってるようで、知らない女の声。

その一言が耳をすり抜けた瞬間、シーヴァルの視界は明るく広がる。

目の前には、金色の光を放つ何段も続く階段とその上に褐色の女性が玉座のような黄金の椅子に腰をかけていた。

「目が覚めたか?」

玉座に座る女性は首を傾げながら微笑んだ。

ふわりとうねる赤茶色の髪に太陽のような黄色の瞳。

すらりとした手足。

その姿はまるで、目の前に横たわる──。

「ルアン、さん……?」

「それとは違う。よく見よ、この御方こそがロウディ様である」

仮面の階段の真横に守護者のように立っていた仮面の男が、不服そうな表情でシーヴァルに告げる。

「この方が……精霊王?」

「ふふ、如何にも。わたしが土の精霊王ロウディ・ルアン・ヴァルハルである。よくここまで来たな、人の子よ」

声や表情だけは寛大そうなその女性は、自らを精霊王と名乗る。

その姿はどう見ても人間と変わらない。

「俺を招き入れたのは貴女ではないのですか」

「この阿呆が処理をしくじったから、代わりに願いを叶えてやろうと思ったのだ」

「阿呆……?」

疑問に思ったシーヴァルは、ロウディが誘導するように向けた視線の先を追った。視線の先には仮面の男が不服そうな顔をして立っている。

「わたしはこれ(ルアン)を早く処分しろと言ったのに。

長い時をかけて人の子と生活を営ませた挙句、どうしてここまで連れてきたのだ?」

責めるわけではないが、理由を問う淡々とした声。

「どうしてルアンさんを処分する必要があるのですか。

人間ではないとは一体……」

仮面の男に問いかけたロウディに対し、シーヴァルは自身の疑問を問いかけた。ロウディは溜息をついた。

「なんだ、サリアス。それすら説明せずに人の子を連れてきたのか?」

「その方が手っ取り早いので」

飄々と告げた仮面の男はこほん、と一息整えて告げる。

「俺は精霊王に仕えし大精霊の一角、土の騎士サリアス。

まず、これ(ルアン)は何か。こいつはロウディ様が一眠りへつく際に意図せず産み出された魔力の欠片」

「……欠片?」

「つまり、端からこれは人の子なんかじゃない。ただの魔力の塊が、人の形を成した、言わば世界(精霊王)が生み出した世界の不具合だ。

──この欠片は魔力で浮遊しているだけで、世界に実在できるだけの力を持ち合わせていなかった。しかし、何を思ったのか、己の魔力を使って人間の肉体を真似した。その証拠に、こいつは人の形では魔力が扱えず、血液含んだ魔力を含む体液を生み出せていない。見てみろ、下半身を失ってもなお、血を流さないこいつを」

シーヴァルはずっと抱きしめていたから気が付かなかった。いや、例え抱きしめていなくても、彼は何も疑問に思わなかっただろう。

それでも彼は、ルアンのことを人間だと思い込んでいた。

「お前は魔術が使えないそれ(ルアン)がそういう人間だから、と思い込んできたのだろうが、そんなわけが無い。

魔力がない。そのせいで、俺はこいつを探知する術を失い、見つけた時には既にお前といた。それがあの日だ」

「……なら、貴方に瓜二つのサリアスという弟がいるというルアンさんの話は、嘘だと言うのですか」

「あの姿ではあったことがないはずなのに妙だと思ったのはそこだ。なぜ、俺を下に見てるのかは知らないが、欠片自体がイレギュラーな存在だ。何かしらの記憶障害と見ていいだろう」

ロウディは静かに話を聞いていたが、シーヴァルに一つ問いかけた。

「人の子よ。竜の存在は知っているか」

「えぇ。ルアンさんが、楽園の守護者なんだろう、って」

それを聞いた精霊王はふむ、と呟く。

「これ《ルアン》は他に竜のことを話していたか?」

「特には……あ」

シーヴァルは、竜と退治したルアンが話していたことを思い出した。

「お母さんに読み聞かせてもらったと。その際に、竜は守護者であり、守護するものに危機が訪れる時、永き眠りから醒めてその力を奮うと……」

「あぁ、懐かしいな。それは」

ロウディはクスクスと笑う。その笑い方はやはりルアンにそっくりで。

──ルアンさんが、この人に似ているんだ。

話し方や態度、雰囲気は違う。なのに、目の前に横たわって静かに眠る彼女を思い出してしょうがなかった。

「そうかそうか。ふふふ、人の真似をするのにこのわたしの記憶や姿……すべてを模造したわけだ。

あぁ、話が逸れたね。竜はこれに危害を加えただろう?それは、こいつがエラーの存在だからだ。あの子は今もなお、わたしを守ってくれているんだな」

ロウディはそういって立ち上がり、磨かれた宝石のような素足で階段を降りてくるとルアンを挟んでシーヴァルの目の前に立つ。

「──長くなったな。

さぁ、人の子よ。たった一つの願い、何を望む」

「この人を、ルアンさんを人として生き返らせて欲しい」

「人理に反したその願い……特別に叶えてやろう」

ロウディは、自身の手に刃物を引いて、流れ出た血液をルアンの唇へと落とした。微かに開かれた唇から血液は体内へ入るとルアンの失われた下半身は砂の形で蘇り、そうして、血が通う肉体へと変貌した。

全身が出来上がるとルアンの顔はほんのり赤づいて、血が通っているのが目に見えてわかる。

「一体何を……」

「わたしの、精霊王の血を与えた。この世界の大陸から人間まですべての生き物はわたし達の血で生まれている……つまり、これはたった今、欠片ではなく人としての生を受けた。さぁ、目を醒ませ、ルアン」

その瞬間、ルアンの瞼はピクリと動き、その瞳に再び光を映す。

「ん……」

ゆっくりと起き上がるルアンに、シーヴァルは衝動のまま抱き、再び床に横たわった。

「シー坊?!」

「よかった。よかった、ルアンさん……」

「──うん、心配かけたね」

ルアンはまるでこどもを慰めるように金色の髪を撫でた。

そんな二人を微笑ましく見ていたロウディは、上からルアンの顔を窺った。

「目覚めかね、ルアン。今までの記憶は残っているか?」

「あぁ、おかげさまで寝ている間のこともばっちり聞こえていたよ」

「ふふ、それはなによりだ」

ロウディは微笑んだ。

サリアスはこほん、と咳払いをすると、ロウディは頷いた。

「サリアス。そんなことせずともわかっている。

──ルアン、シーヴァル。そろそろ生身の人間であるお前たちは現世に戻らなければならない。

ここは精霊の幽世。精霊たちが受肉した状態で人間たちの環境に整えた現世で長時間留まれないのと同じで、人間もまた、ここに長くは留まれない」

シーヴァルは渋々ルアンから離れると、立ち上がってロウディへと振り返る。

「ありがとうございます、ロウディ様」

シーヴァルの表情はルアンからは見れなかった。しかし、ロウディの満足気な笑みを浮かべた。

ぱちん、という何かが弾ける音とともに二人の視界は暗転した。

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