第6話目 〜妖怪退治の化け物〜
〜前回のあらすじ〜
全身の血を抜き取られる怪事件、『血無し時間』。
その事件の犯人である柳の妖怪、『血吸い柳』は女子高生のハナとナギサを襲い、その友人であるチアキとマキにも牙を向ける。
その寸前、現れたのは自称・怪奇現象専門研究家の『墨羽くろう』。
闇夜に繰り広げられる激闘の末、くろうは勝利をもぎ取った。
総合病院。
電光が灯っていても廊下は薄暗い。
光が辺りを照らすたび、新たな影が増える。
安心より不安を滲ませる光。
時刻は21時半を少しすぎた頃。
足音ひとつ響かない。
空気そのものが張り詰めている。
この空間にいる全てに突き刺さっていく。
壁際の椅子に二人の少女が腰掛けている。
一人はチアキ、もう一人はマキ。
彼女たちの表情はこの薄闇の中でもよくわかるほど、沈んでいる。
「ねぇ、チアキちゃん………」
「なに、マキ………? 」
掠れた声。
マキは自分の肩を抱きしめながら震えていた。
肺の奥で空気が擦れているような呼吸音が『コヒュー、コヒュー』と鳴る。
頬を伝う涙が、静寂の中に小さな音を立てて溢れた。
「妖怪って、本当にいるんだね…… あれ、夢じゃなかったんだ……」
「うん、私も信じられない…」
チアキは優しくマキの身体を抱きしめた。
しかし、その腕も微かに震えている。
彼女の瞳の奥には隠しきれていない恐怖が滲み出ていた。
「妖怪は本当にいたんだ。そして、"それから守ってくれる人"も──」
30分前。総合病院前広場。
雲の狭間から月が顔を出す。
白い光が落ち、黒の世界がゆっくりと色を取り戻していく。
そこにいたのは互いに抱き合って震えるチアキとマキ。
そして、黒いスーツに赤い鉢巻を巻いた白髪の男──墨羽くろう。
全身を血飛沫で赤く染めながらも、微動だにしない。
その傍には、青白い人魂と化した妖怪・血吸い柳。
チアキは言葉を失っていた。
脳が現実を処理できず、思考が止まる。
マキは完全に白目を剥いて気絶しているが、チアキはそれにすら気づけない。
その間、人魂は逃げるように夜空に昇っていった。
「な、何がどうなって……」
「何って、見てわかんねぇか? 」
くろうは頬についた血を手で拭い、軽く笑った。
月光がその顔を照らす。
「もう終わったんだよ。血吸い柳は、俺が退治した」
「た、退治って… じゃあ今の人魂は……」
「奴の魂さ。妖怪は肉体が消滅すると魂の状態になって──」
言葉が急に途切れる。
くろうは顎に指を当てて、少し考え込む。
やがて小さなため息をつき、白髪をかきあげた。
「……やっぱいいや。説明しても分かんねえだろうし」
そう言って彼は背を向ける。
月明かりが彼の影を長く伸ばした瞬間、チアキの叫びが響く。
「ちょ、ちょっと待ってください! 」
「あ? 」
彼女の叫びに彼の足は止まる。
その背に向けて、彼女は震える声をぶつける。
「あなた……何者なんですか!? 」
振り返ったくろうの表情は、まるで"何を今更"と言いたげだった。
「何者って、前にも言ったろ? 俺は怪奇現象専──』
「嘘つかないでください! さっきのだって……あんなの人間ができるわけがない!! 」
夜の広場に響いた声が彼の声を遮断する。
くろうは肩をすくめて小さく舌打ちをする。
「もう一度聞きます。あなた、何者ですか? 」
微かに震えながらもその目は濁ってはいなかった。
その奥で小さく燃える意志の光が、彼を見据えている。
くろうは『うーん』と腕を組んで首を捻る
風が二人の間を通り過ぎ、夜気が肌を刺した。
「ま、いいか。あそこまで見せちまったんだ。隠しても無駄か」
彼は小さく笑い、月を見上げる。
「もしかしなくても、人間…じゃないですよね…? 指から弾丸みたいなの放ってたし……」
チアキの声には好奇心と恐怖が混ざり合っている。
かつては"怪異"を信じていた者の目が、再び闇の奥を覗こうとしている。
「──御名答」
その瞬間、周りの空気が変わった。
ヒヤリとした風がチアキの頬を撫でて、世界がわずかに歪む。
「俺は人間じゃない」
「やっぱり……」
予想されていた言葉。それでも心が震えている。
くろうの声は静かに続いた。
「……とはいえ、妖怪でもないがな」
「……え? 」
チアキの瞳が瞬く。
くろうはゆっくりと顔を上げ、その目が月明かりに光った。
「俺の本来の名は──"クロ"」
冷たくとも鋭いその瞳が、まるで魂の奥を射抜くかのようだった。
「人間でも妖怪でもない。妖怪退治やってる、ただの化け物だ」
「化け物…? それってどういう──」
「知らなくていい。分からねえだろうしよ」
彼の指が鳴る。
瞬間、夜空がざわついた。
「カァ!! カァ!! 」
「ギャアッ!! ギャアッ!! 」
何十羽のカラスが闇を裂き、黒い羽が雪のように降りしきる。
月が幾度もその影に覆われた。
「忘れんなよ。妖怪は"まだ"この世にごまんといる」
羽の嵐の中で、クロは一瞬だけ振り返る。
片目だけが、月光を受けて怪しく光った。
「目に見えないものにはくれぐれも用心しとくんだな。──そこの寝てる友達にも伝えとけ」
カラスに気を取られた一瞬、彼の姿は消えていた。
目の前には地面に散らばる羽とカラスの反響しか残っていない。
「クロ……化け物…… あの人はいったい……」
チアキの身体が感覚を取り戻す。
そしてようやく、腕の中こマキに気がついたようだ。
「あれっマキ!? ちょっと、しっかりして! おーい!! 」
──現在、総合病院・廊下。
蛍光灯の白が点滅を繰り返し、廊下の闇を不完全に押し返している。
辺りに漂う消毒液の匂いが、かえって"死"が近くに感じさせる。
「あの白い髪の人、本当に人間じゃないのかな…? 」
「分からない。でも、私たちを助けてくれたのは間違いないよ」
二人の声が掠れ、静寂の中に吸い込まれた。
そこへ、規則正しい足音が近づいてくる。
「先生……」
「失礼します。ナギサさんのお友達の方、ですね? 」
白衣の男性──ナギサの担当医だ。
二人は飛びつくように彼に詰め寄る。
「先生ッ…! ナギサは!? 大丈夫なんですか!? 」
「お願いです、あの子が死んじゃったら私たち……!!」
医師は思わず肩をすくめ、優しく手を上げて宥める。
「お、落ち着いてください。お二人のお気持ちはよく分かりましたから」
涙を拭う二人に、彼は眼鏡を直しながら静かに続けた。
「……正直、治療は困難でした。あそこまで血を抜かれた患者 を診たのは初めてでしたからね…」
チアキの心臓が縮んだように疼く。
マキの唇が震え、白衣を握る手がかすかに力を失った。
だが──
「ですが、ご安心ください」
医師の声が、ほんの少し柔らかくなる。
「ナギサさんは無事です。治療は成功しましたよ」
一瞬、時が止まった。
次の瞬間には二人の目に光が戻った。
「ほ、本当ですか……!? 」
「ナギサは助かったんですか……!? 」
「ええ。ハナさん同様、しばらく安静にしておけば問題ありません」
その言葉に、二人は同時に息を吸い、そして抱き合った。
安堵と涙が混ざり合った笑顔が、悪夢のような長い夜をようやく切り裂く。
「やった! マキ、助かったんだ!! 」
「うん! 私たち、みんな生きてる!! 」
「あ、あのお二人とも…? お気持ちはわかりますが、ここ病院内──」
医師の困惑の声は届かない。
二人の笑い声が廊下の奥へと響き渡る。
そして窓の向こうで、一羽のカラスが音もなく静かに飛び立った。
──東京・とある神社。
夜風を受けながら、鳥居の上にクロは腰を下ろしていた。
眼下に広がるのは、煌びやかな街の灯り。
無数の光が絨毯のように重なり、まるで地上に天の川が現れたかのようだ。
しかし、その背後は別世界。
苔むした石畳、ひび割れた狛狐、朽ちかけの柱が支える本殿。
時代に取り残されたような静寂の中、夜風が木々を揺らし、微かな呻き声のような音を立てる。
それでも、暗がりの中には"生"が潜んでいる。
木々の裏、池の底、本殿の奥──
闇に紛れて、形のない影たちが蠢いていた。
クロはそれらに目もくれず、ただ街を見つめている。
やがて、暗闇を切り裂くように一羽の黒影が舞い降りてきた。
「おかえり。なんかあったのか? 」
「カァ。カカァ、カァ」
「……そうか。あいつらの友達は無事だったんだな」
指先でカラスの頭を撫でると、影に隠れた微笑みが一瞬だけ見えた。
鳥居から軽やかに降りる。
クロはそのまま神社の裏手、闇の森へと足を踏み入れる。
音も光もない、陰鬱な空間。
一歩進むたび、黒が濃くなる。
「次はどんな妖怪が出るのやら。……ま、何だろうとぶちのめすだけか」
草を踏みしきる音が遠ざかる。
やがてその背は、完全に闇に溶けた。
残されたのは静まり返った神社と、闇の中に蠢く影たちだけだった。
〜第6話目、完。第7話目に続く〜




