第5話目 〜血吸い柳対墨羽くろう〜
〜前回のあらすじ〜
全身の血を抜かれる怪事件、『血無し時間』が発生する。
女子高生のチアキは被害者である友達の見舞いに病院に向かう。
しかし、病院の広場で突如、甲高い笑い声を上げる柳の木に襲われる。
その柳の正体は今回の事件の犯人である妖怪『血吸い柳』。
危うく血を抜かれると思えた瞬間、一人の男が血吸い柳に向かってくる。
その男は、『怪奇現象専門研究家』を自称する人物ーーー『墨羽くろう』だった。
静寂の病院前の広場。
月に照らされた光景にチアキは目を疑った。
「ち、ち、チアキちゃん……。これ、どうなってるの……!? 」
隣で友達のマキが震える。
薄暗い夜の中でも、顔の血が引いてることが伝わってくる。
ーーー今どんな状況か。
そんなこと、自分にだって分からない。
「こ、こっちのセリフだよぉ……」
涙で歪む視界。
そこに映っているのはーーー
「ギギィッ!! ギギギギィイッ!!! 」
枝をひたすら地面に叩きつけ、怒りを露わにしている柳ーーー妖怪"血吸い柳"と、
「ギーギーギーギーうるっせぇんだよ。ちょっと黙ってろ」
白い髪を掻き分け、柳と相対する男ーーー自称・怪奇現象専門研究家の"墨羽くろう"。
目鼻の先が、この世のものとは思えない。
チアキとマキはただ、ガタガタと震えることしかできない。
痛いほど張り詰めた緊張感に、全身の毛が逆立つ。
恐怖心が、風の音すら遠くに感じさせる。
先ほどまで喚き散らしていた血吸い柳が、突然静まる。枝も振り回さずに、ただ風に揺らしている。
いや、静まったのではない。
"堪えてる"。爆発寸前の怒りを、鋭い牙を食いしばって抑え込んでる。
対するくろうは、ただ黙って指を鳴らす。
骨の音が、くろうの闘争心を代弁している。
静寂の中、はっきりと聞こえてくる広場の設備時計。
"カチッ… カチッ… カチッ…"
規則正しくなる音。
短針が9、長針が真上を指した瞬間ーーー
"ガコッ!"
静寂が破られ、戦いの火蓋は下ろされた。
「ギギギギィィ!! 」
血吸い柳の枝が、一斉にくろうに向かって迫ってくる。
寸前で跳んだくろうの足元を、暴れ狂う緑の鞭が叩きつけられる。
「っと、危ねえ。そう簡単には殺らせねぇってか? 」
右、左、上、下、前、後ろ……
あらゆる方向から、蛇の如くしなる枝。
ほんの小さな虫でも、通れないほど飛び交う緑の幕が、くろうとの間に広がる。
だが、くろうはその狭間を一歩、また一歩と進む。
しゃがみ、逸らし、手と足で弾く。
洗練されたその動きに、枝は空を切るか、明後日の方向に弾かれる。
そして、くろうが脚を曲げ大きくしゃがんだ瞬間ーーー
「そこだーーー」
"ダンッ!!"
曲げた膝を一気に伸ばして、土を散らす。
バッタ顔負けに跳躍により、柳との距離が一瞬で無くなる。
「ギッ!? 」
血吸い柳の口元が歪んだ刹那ーーー
拳が幹の中央にめり込む。
耳の奥まで響く、鈍い音。強力な打撃音が空気を割く。
木の皮が裂け、僅かなヒビが街灯の下で明るみになる。
彼の腕が完全に振り抜かれた時、血吸い柳は飛んだ。
大量の土や石を宙に飛ばし、とんでもない速度で根っこごと吹っ飛んだ。
「ギガァッ!! 」
地面が柳によって抉られた跡を残す。
見上げるほど高かった柳の木が、根を露わにしたまま倒れている。
夢と勘違いするような現実に、チアキは目を丸くしている。
恐怖心とは違う感情が、胸の奥で熱を帯びている。
マキも同様だ。先ほどから、彼女が自分の腕を掴む力がどんどん強くなってくる。
「す、すごい……」
「や、柳の木を、根っこごと……」
「グギ… ギギッギィ……!! 」
息を呑む二人をよそに、血吸い柳はゆっくりと身体…いや、幹を起こす。
根がタコ足のように蠢き、全身を支えている。
「ヒッ…! ま、まだ動けるの…!? 」
その姿は、もはや柳どころか植物の域を超えている。
チアキの胸の内側は、それを見た途端再び冷たくなっていく。
だが、この場で唯一、くろうは別だった。
「根っこぶち抜かれたくせに、起き上がってくるんじゃねぇよ。真っ二つにへし折られてぇのか? 」
吐き捨てるよう様に言ったくろうは、そのまま拳を作って腰を落とす。
その鋭い目は、再び一撃叩き込むことを、無言で物語っている。
「ギギッ!! 」
血吸い柳は、枝を天に伸ばす。
緑色のムチたちは、扇状に柳の上で広がり、気味な威圧感を放っている。
その姿は、さながら動物園で見かけた、羽を広げた孔雀だ。
「え、枝が…! 」
「まだ多少は動けるみてぇだな」
「ギガガァアッ!! 」
夜空に叫びが響いた瞬間、枝が一斉にくろうに迫る。
草原の葉を散らしながら、地面スレスレに彼の足元を狙う。
「芸がねえな。何も来ても同じだよ」
くろうはその場で、小刻みなステップを刻む。
軽快なリズムを鳴らす足は、絶妙なタイミングで枝避け続ける。
風を切る音と足音が混ざり合い、静寂な夜の間を駆け抜ける。
「す、すごい。全部避けて……」
「ち、チアキちゃん! 前! 前!! 」
「へ? 」
チアキの視線がくろうたちから目の前に移った時ーーー
枝がこちらに向かってきてるではないか。
放たれた矢の様に俊敏な2本の牙が、二人の首元めがけて突っ込んでくる。
「ヒッ…! 」
本能が『逃げろ』と叫ぶ。
しかし、身体が上手く動いてくれない。
どれだけ逃げたくても、全身が地面に縫い付けられた様に動けない。
そうこうしてるうちに、枝はもう目の前まで迫っている。
もはや、今動いても確実に間に合わない。
"死んだ"。
その一言がチアキの頭を埋め尽くす。
全身の力が抜け、目が反射的に閉ざされる。
闇に包まれた視界の中で、チアキはマキを強く抱きしめて"死"を覚悟するーーー
だが、チアキの身に痛みや苦しみが来ない。
それどころか、身体に触れられた感覚すらない。
チアキがゆっくりと瞼を開くとーーー
「……ッ!? す、墨羽さん!! 」
目の前で見えたのは、くろうの背中。
黒いスーツの上に、枝が何重も巻かれている。
「グッ……!! 」
「キキキキキッ!! キーッキッキッ!! 」
彼の呻き声をかき消す血吸い柳の甲高い声が、耳の奥までつんざく。
僅かに"チュウ… チュウ…"という音がくろうの方から聞こえてくる。
見ると、彼に巻き付く柳の枝が血管の様に、微かに脈打っている。
「ち、血を……! 」
血の気が一気に引いていくのが瞬時にわかる。
"もし、彼がやられてしまったら"ーーー
そんな考えが浮かぶたび、どんどん顔が冷たくなる。
まるで、血が凍りついた感覚だ。
「キキャキャキャキャッ!! キャッキャッキャッキャァッ!! 」
彼の血がよほど美味いのか、あるいは邪魔者を始末できた喜びか。
血吸い柳は、幹に浮かぶ口元を目一杯開けて、この場で唯一笑い狂う。
黒一色に染まった広場で、吸血妖怪だけが笑っている。
ーーーそう、見えた時だった。
「……え? 」
後ろから僅かに見えた、くろうの顔。
「……おい、血吸い柳」
明らかに上がっている口角。
闇の中に見える白い歯。
そして、一切鋭さが衰えてない目。
「ギギ? 」
「そんなに嬉しいかよ。俺の血が吸えたことが」
この場で、この状況下で、くろうは笑っていた。
その時だ。チアキの耳に"妙な音"が聞こえてきたのは。
"ブチッ… ブチブチッ…"
何かが千切れる音が、どこからか聞こえてくる。
どんどん鳴る頻度が増えていき、1秒も絶え間なく、何かが切れ続ける。
「もう、充分に吸ったろ……? 腹も、たまってきたろ……? 」
音の出ごろは、くろうの方からだ。
巻かれた柳の枝の下、何かが膨らみ始めている。
腕部分で、重圧に耐えられなくなった枝が次々と吹き飛んでいく。
"ブチッ! ブチブチッ! "
「もう、満足したんじゃねぇのか……? 」
破裂寸前まで膨らむ緑の幕。
くろうの足が、一歩前へと踏み込んだ。
そして、ついにーーー
「なら、今度はーーー
こっちの番と行こうかぁあ!!!! 」
緑の幕が破られた。
下から解放された彼の両手が広がり、辺りに枝の残骸が舞う。
繋がれた緑の鎖が解き放たれ、彼は自由の身と化した。
「ギギギィイ!? 」
引きちぎられた血吸い柳の枝は、吸収途中だった血液をぶちまける。
周囲を真っ赤な血で汚しながら、のたうち回り、暴れ狂う。
くろうは赤く穢れた白い髪を上げる。
目の前の獲物をまっすぐと見据えながら、その瞳に光を宿す。
「さぁて、反撃開始と行きますか」
静かに告げるその言葉に、夜の空気が震える。
「ギ…… ギギッ……!!」
血吸い柳の根が触手の様に蠢き、ジリジリと後退する。
下がる口元が恐怖に歪んでいる。
さっきまであんなに恐ろしかった妖怪が、今では小さく見えてくる。
「おいおい。何逃げようとしてんだよ」
くろうは親指を立てて、人差し指を伸ばした。
その指先の狙う先は、血吸い柳の中心。
「指の、銃……?? 」
まるで子供の銃真似。
だが、チアキはその姿に息を呑む。
本物の銃を構えられたような、肌を刺す緊張感が背中を這い上がった。
ーーーその時。
"ヒュォォォォォ……"
風が唸り声を上げる。
草が揺れ、木々の葉もざわめき始める。
マキが震える指で指して叫ぶ。
「ち、チアキちゃん見て! あの指先、光ってる! 」
くろうの人差し指の先に、青白い光が集まっていく。
空気そのものが圧縮され、弾状のエネルギーとなって脈打っていた。
「散々人間の血を吸っておいて、今更逃げられるとでも思ってんじゃねぇよ」
「ギ、ギギギィイ!! 」
血吸い柳が雄叫びを上げる。
枝が暴れ狂い、土埃を巻き上げる。
だが、そこに恐怖心は感じられない。
暴走。恐怖に駆られた生物の、ただの足掻きだった。
鞭のような枝がくろうの心臓を狙う。
その瞬間ーーー
「『空気弾丸』!!!! 」
直後、轟音が地面を揺らす。
指先から放たれた迅速な弾丸が闇を裂いていく。
迫り来る枝を最も簡単に散らし、青白い光の尾を引く。
弾丸が狙いをつけた中心に激突する。
ーーー瞬間、空気が爆ぜた。
爆発のような衝撃が辺りを貫き、衝撃波が草を巻き上げる。
チアキとマキは思わず腕で顔を覆い、吹き荒れる風に堪える。
少しでも気を抜けば、その瞬間に持ってかれそうな勢いだ。
耳鳴りと衝撃の余韻が彼女たちに襲いかかる。
やがて、風が止む。
恐る恐る二人が目を開けるとーーー
「ギッ…… ギガ、ゴ……」
そこに立っていたのは、妖怪の残骸だった。
幹の中央にぽっかりと穴を開けられ、赤黒い舌をダランと垂らす血吸い柳。
あれほど振り回していた枝すら力を失い、地面に垂れ下がってる。
そして、血吸い柳はそのまま煙の如く"ドロン"と煙に巻かれる。
怪しい煙が晴れた時、その場に残っていたのは青くゆらめく人魂だけだった。
チアキとマキは、声を出すことすら忘れていた。
あまりに現実離れした光景に、心の奥が麻痺していく。
ただ一つ、分かることと言えばーーー
血吸い柳は、くろうの手によって倒されたという事実。
長い悪夢が終わりを告げるように、妖怪が消えた。
〜第5話目、完。第6話目に続く〜




