第ニ話目 〜妖怪血吸い柳〜
〜前回のあらすじ〜
近年、東京で騒がれている"血無し事件"。それは傷もないにも関わらず血を全て抜かれて殺されるという奇怪な事件だ。
かつて妖怪を信じていた女子高生『チアキ』は友達の『マキ』や『ハナ』らに妖怪の仕業ではと揶揄われるが、誰一人本気にしていない。
そんな中、下校中のチアキの目の前に『怪奇現象専門研究家』を名乗る妙な男、『墨羽くろう』に出会う。妖怪の仕業だと断言するくろうと困惑し続けながらも妖怪の存在を否定するチアキ。
しかし、カラスの鳴き声に誘われる様にくろうと共に帰り道を戻ったチアキが見たのはーーー
血を抜かれたかのように痩せ細ったハナの姿がーーー
人間に忘れられ続けた妖怪が、再び人間に牙を向けた。
それを象徴するかの様に塀の内側には先ほどチアキが見たはずの柳の木が消えていたーーー
「おいおい、何でこんなに警察が来てんだ? 」
「 ”血無し事件” の被害者だってよ」
「はいはい! 危ないからみんな下がって! 」
陽が沈んだ町の道路。
チアキの通報で駆け付けたパトカーと救急車のパトランプが野次馬たちを赤く照らす。
「ハナ…」
担架の上に横たわる青白い肌のハナを見つめるチアキの胸に張り裂けそうな痛みが走る。
「さっき脈をとったが、あいつはまだ生きてるぜ。最も、かなりギリギリの状態だったがな…」
隣でつぶやいた墨羽くろうに視線を向けると、彼は鋭い瞳を光らせ黒手袋で覆った手を握りしめている。
その目と震える手から明確な”怒り” と"悔しさ" を彼女は感じ取った。
ハナを乗せた救急車が走り出し、サイレン音とパトランプの光が遠のいていく中、
「失礼。お二人が第一発見者ですね? 」
と、声を掛けられ、チアキとくろうは振り返る。
立っているのは、メモを片手に取った警官。
「失礼ですが、お二人の身元について教えてください」
メモを開き、頭を下げるそのしぐさは丁寧な対応に見えるが、チアキはその目から隠しきれてない疑念を察知する。
「あ、えっと、花咲チアキ。高校一年です」
チアキは警官の目に緊張感を感じ、ぎこちなく学生証を提示する。
学生証を見ながらメモを取り、目から放つ疑念が若干薄まったように見えた警官にチアキはホッと胸を撫でおろす。
続いて警官が墨羽くろうに視線を移すと喪服のように真っ黒な服と白い髪、そして鋭い目つきを不審に感じたのか、チアキ以上に疑っていることを表情に出す。
「あの、あなたは…」
警官が静かに尋ねるとくろうは胸ポケットから一枚の名刺を取り出して
「ん」
と一言で押し付けるように警官に渡す。
戸惑いながら受けとった警官が名刺に目を通すと顔をさらにしかめる。
(まぁ、そんな顔するよね)
彼の表情を見たチアキは先ほど自分も受け取った名刺が頭に浮かび、警官にわずかな同情心が沸いた。
「ちょ、ちょっと君。これはいったい……」
警官が視線をくろうに向けるが、その後すぐに目を大きく見開いた驚愕の表情に変わった。
チアキが隣を見るとそこには誰もいない。
慌てて振り返るとくろうはポケットに手を突っ込んで背を向けたまま歩いているではないか。
「す、墨羽さん!? 」
「お、おい君! どこ行くんだ! 」
警官とチアキの叫びに気づいた他の警官たちは歩いているくろうを逃がすまいと言わんばかりに取り囲む。
だが、
「別に逃げやしねぇよ」
彼は警官に囲まれて、緊迫した状況にも関わらず
「ちょっと調べてぇものがあるだけだ。だから心配すんなよ」
と白い髪の頭を掻く。その声と仕草からは焦りは一切なく、気怠さと余裕がにじみ出ている。
「ふざけやがって、捕らえろっ!! 」
警官たちがラグビー選手の様に一斉にくろうに突っ込んでいく。
「あー、めんどくせぇな」
チアキの耳がくろうのため息を拾ったその刹那ーーー
”タンッッ”
地面を蹴る音が聞こえたと思うとくろうの身体が警官たちの上空に舞っていた。
彼を見上げるチアキの目はと口は大きく開かれ、警官や野次馬たちの息を呑む音が聞こえる。
道路標識ほどの高さまで跳んだ彼は一同を見下ろしたまま、軽やかに塀の上に着地した。
消えた柳の木があった例の庭を囲う塀の上に。
「きっ、貴様っ! 逃げる気か!! 」
「だから調べもんだっての。すぐ戻る」
警察の方を見もせずに答えたくろうはそのままピョンッと塀の向こうへ降りて姿を隠した。
「ま、待て! 」
警官たちの叫び声が道路に響き、数名が塀をよじ登って後を追う。
それを見ていたチアキは好奇心が刺激されたのかこっそりと彼らに続く様に塀に上半身を乗り出す。
ーきっと内側にはくろうと警官との激しい逃走劇が繰り広げられてるに違いない!
胸を躍らせながら内側を覗いてみると…
「お、おい。逃げないのか…? 」
と、秩序を守る者とは思えない質問をしてる警官と
「逃げねーよ。今調べもんしてんだ、ちょっと静かにしてろ」
と、なぜか逃げずに庭の隅を見つめている再び警官に囲まれたくろうがいた。
想像してた映像が派手だった分、地味な風景にチアキの腕に力が抜けかける。
そんな彼女と警官たちをよそに、くろうは先ほどの様に鼻をヒクヒクと動かしては辺りの匂いを嗅いでいる。
その奇行に警官の目はさらに顔を顰めては一歩後ろに下がり、チアキも苦虫を噛み潰した様な顔になる。
その時ーーー
「おい、そこのお前」
「えっ? あっ… は、はい!?」
くろうの鋭い目が庭の隅からこちらに向けられ彼女の身体は一瞬硬直し、自分でも笑ってしまうほど滑稽な声を上げる。
「確かに、ここに柳が立っていたんだな? 」
彼の指差す地点を見て、彼女は頷く。
「は、はい。数分前に見ました」
ーーーあの時、柳の木は確かにあった。
ーーー私はこの目でしっかりと柳を見ていた。
彼女は自分の言葉に強い確信を心に持っていた…が、
「ーーーお前、それ本当なんだろうな…? 」
低く聞こえた彼の声と瞳を見た瞬間、彼女の時間が止まる。
まるでカエルを睨む蛇の様な鋭い目を見た途端、背筋に氷を当てられた様な感覚が走る。
柳を見たのは確実だと頭では理解してる。しかし、心に不安が広がり始める。
信じてほしいのに口から出るのは震える声のみ。
「は、はい。まま、間違い、ありましぇん…! 」
チアキは口元を震わせながらガクガクと頷く。
「そうか」
自分の返答に満足したのか不明だが、くろうの目の鋭さが少し和らいだことにチアキは安堵のため息をつく。
「犯人の検討は済んだ。あとは居場所を探すだけだな」
くろうは静かに立ち上がり、庭の出口に足を運ぶ。その堂々とした姿は彼に不思議な存在感を感じさせる。
ーーーしかし、そんな彼の目の前を立ちはだかる者が一人。
"ガシッ"
突然、青い制服を纏った腕がくろうの黒スーツの手を掴む。
「あ? 何だよ、離せ」
警官に腕を掴まれたがその堂々とした態度には強い不動心の様なものを感じられる。
しかし相手は警官。
「失礼ですが、署まで同行お願いします」
相手がどれほど鋭い目をしていようとも一切引かない。
「何でだよ。まさか血無し事件が俺の仕業だと言いてえのか? とんだ濡れ衣だぜ」
警官の腕を振り払ったくろうの手の指はチアキを指す。
「あのハナって娘がやられた時、俺はそこのチアキってやつと共にいた。そして駆けつけた時には既にやられてた。つまり俺にはアリバイがあるって事だ」
彼女を指した指を警官の胸辺りにグイッと押し当てる。
「俺が怪しまれる要素なんてねえ。違うか? 」
まるで喧嘩を売ってるかの様な挑戦的な声と眼差し。しかし警官はその喧嘩…もとい、弁論に果敢に反発する。
「いいや。怪しまれる要素ならちゃんとあるぞ」
「へぇ、そうかい。ぜひ聞かせてくれよ」
二人の目の間に目には見えない火花が散った様に感じたチアキの額に一筋の汗が伝う。ピリつく緊張感が離れた彼女の全身に走った。
その空気を割くかのように睨み合いを続けていた警官が先制攻撃を仕掛けたッ!!ーーー
「何故、事情聴取中に抜け出したの? 」
その一言が終わった途端、くろうの目が鋭さを失い大きく丸くなる。
"ヒュ〜…"
冷たい風が二人の間を通る時、くろうの瞳は彼方に向き冷や汗が滲み出る。本人も怪しい事をしたとようやく自覚した様だ。
「……あー、それは…ちょっ、調査。そう! 調査だ調査!! 調査のために仕方なく……! 」
「事情聴取中に? 」
「それは! ………それはぁ…ええっと……」
顎に手を置き必死に言葉を探そうとするくろう。
そんな隙だらけの彼に警官は追撃を開始する。
「それに調査って言ってたけど、辺りの匂い嗅いでただけだよね? あれ何? 」
「あれか? あっ、あれはその、妖気の匂いをだな……」
「というか"怪奇現象専門研究家" って何? 具体的に何してるの? 」
「えっと、ちょっと待てよ… どこまで言おうかな…? あ〜…えっとだなぁ…」
質問をされる度に目が泳ぎ汗が吹き出るくろう。
質問をする度に目が光り険しい表情に変わる警官。
チアキから見てどちらに軍配が上がるのかなど火を見るより明らかであり、二人のやり取りを冷めた目で眺める。
ただ、くろうの発言を聞くたびに心のどこかで不安が広がるのを感じている。かつて妖怪を信じていたからか、彼の言葉がどうしても心に残る。
ーーー確かに血無し事件の犯人があの人とは思えない。
ーーーもし本当に妖怪がハナを襲ったとしたら?
警官たちや野次馬たちはくろうの言葉を聞き流してるかのように冷ややかな目で彼を眺めている。
しかし、チアキの目だけは彼を一心に見つめている。
しばらく質問責めを続けていた警官はくろうを完全に黒だと確信したのか再び彼の腕を掴み
「署まで同行お願いします」
ともう一度告げる。
くろうは先ほどのような挑戦的な光が消えた目を俯かせたまま
「…分かった」
とだけ返した。
緊迫感に満ちていた二人の対決はほんの数分弱で終わった。
***
「何だったんだあいつ…」
「不審者? 」
ヒソヒソと聞こえる囁き声に囲まれながらくろうは警官に導かれていく。
チアキは一瞬その様子に動物病院に連れてかれるペットが頭に浮かんだ。
しかし彼とパトカーの距離が縮まるたびに胸の中がざわつく。彼の言葉と自分に向けられた視線が鮮明に蘇る。
「さぁ、乗るんだ」
停められたパトカーのドアが開き、くろうは大人しく車内に脚を入れたその時ーーー
「ま、待ってください! 」
チアキの叫びに警官や野次馬たちの視線が一斉に彼女に向けられる。
彼らの視線の圧にチアキは一瞬、顔を強張らせ一歩下がるが数回息を吸ってくろうに言う。
「あなたさっき、"犯人の検討がついた" って言ってましたよね? それって何者なんですか? 本当に妖怪がハナを襲ったんですか!? 」
彼女の問いがあたりに響く時、野次馬の方から
「妖怪…? 何言ってんだあの子」
「そんな訳ないでしょ」
と、嘲りが聞こえ彼女の顔が熱くなる。
くろうは彼女に視線を向けることなく静かに返す。
「…お前、妖怪信じねえんだろ? そんな奴に言って何になるんだよ」
くろうはそのままパトカーに身体を入れてシートに腰を下ろそうとするがすかさずチアキはそれを遮る。
「それでも知りたいんです! 誰が友達をあんな目に合わせたのか!! ですから…!! 」
叫びながら数歩ほど前に乗り出しパトカーに近づく彼女だが警官の腕に止められる。
「君、その辺にしないか」
見下す警官の冷え切った目にチアキの身体に冷たい感覚が走り静かに引き下がる。
「…はい。すみません…」
そのままパトカーに背を向け警官と共に引き離されるチアキ。
彼女が肩を落として拳を握りしめたその時ーーー
「………"血吸い柳"」
「………えっ? 」
チアキが振り返ると今まで彼女に目も向けなかったくろうが鋭い目をこちらに向けている。
「俺がこの事件の犯人と睨んでいる妖怪の名だ。お前の友達も、恐らくそいつにやられた」
「ち、血吸い、柳…? 」
彼が告げたその名を何度も反復するチアキ。その様な名の妖怪を過去に読んだ妖怪図鑑に載っていた記憶はない。
「そ、そんな妖怪、聞いた事…」
「だろうな。江戸時代に出たと言われているがその伝承が残された書物のほとんどは紛失したらしい。現代の妖怪図鑑にに載ってないのも無理ねぇさ」
淡々と続けるくろうだがチアキは頭を抱えながらふらつく足取りで何とかその場に立ち尽くす。
そしてチアキの脳内に"ある光景" が再び映し出す。
「まさか、あの柳が!? 」
「ああ。それが "奴" だ」
その瞬間、チアキは心臓を握られたかの様な強烈な衝撃が駆け巡った。
図鑑にも載ってない妖怪の存在、消えた柳、そして短時間で血を抜かれたハナーーー
様々な要素が頭の中に埋め尽くされる中、くろうの言葉がはっきりと脳裏に蘇る。
ーーー『妖怪はまだいる。この世の至る所にな』
「君、もういいだろ? 」
不意に聞こえた警官の声に彼女の意識は正気を取り戻す。
警官たちはくろうをパトカーに押し込め、彼も大人しくそれに従う。
ドアが閉まるその直前、彼は暗い車内で目を光らせ、彼女を見据える。
「警告しとく」
彼の言葉は野次馬の雑踏を押し除け、彼女の耳の中に突き刺さる。
「柳に近づくな。死にたくねぇならな」
その言葉を聞き終えた刹那、ドアが閉まり、彼を乗せたパトカーが走り去る。
野次馬たちの足音が遠のいていく中、チアキは小さくなっていくパトカーを見つめている。
「妖怪…血吸い柳……」
「カァッ!! カァッ!! 」「グァアッ!! グァアッ!! 」
カラスが羽を散らしながら飛び立ち、彼女の呟きをかき消す。
喧しく響く鳴き声すら遠く感じながら、彼女はもう見えないパトカーの後ろを、車内のくろうの背中を見続けていたーーー
【第二話目、完。第三話目に続く】




